2013年11月30日土曜日

「不眠症」


時々 不眠症が私を襲う

布団の中で辛抱して眠りにつくのを待つ

1時間2時間 刻々と時が過ぎる

 

何故眠れないのか考える

心配事 悩み 苦しみ 不安 恐怖

ますます目が覚めてくる

ますます頭が冴えてくる

ますます脳が活性化する

 

時々 不眠症が私を悩ます

楽しいことを考えよう

愉快なことを考えよう

面白いことを考えよう

 

私は興奮状態に陥る

ますます目が覚めてくる

ますます頭が冴えてくる

ますます脳が活性化する

 

若い時はどれだけでも眠れたというのに

春眠暁を覚えず

夏も秋も冬もよく眠った

寒い冬 布団の中はぬくぬくと気持ちよい

 

あんなによく眠った私が不眠症になるとは

私は不幸せな主人公

私は薄幸な主人公

冗談はよして

 

ひょっとして老化

ひょっとして年のせい

ひょっとして老年期

 

脳の使い過ぎ

体の使い不足

アンバランスが原因

 

太い神経だったら 不眠症は無縁

楽天家だったら 不眠症は無縁

 

いえいえ人間だれしも 時には不眠症

2013年11月29日金曜日

「思い出」


誰にもあるたくさんの思い出

楽しい思い出

悲しい思い出

つらい思い出

悔しい思い出

 

その一つ一つの思い出が今蘇る

もう手の届かない遠い思い出

私の胸を熱くする

私の胸をしめつける

 

誰にもあるたくさんの思い出

楽しい思い出

あふれる笑顔が蘇る

悲しい思い出

あの時の涙が蘇る

つらい思い出

歯をくいしばった私が蘇る

悔しい思い出

固く握ったあの拳が蘇る

 

たくさんの思い出の中で

私は成長した

たくさんの思い出の中で

私は強くなった

 

今 私はたくさんの思い出を抱きしめる

ぎゅっとぎゅっと抱きしめる

 

両手を広げても抱きかかえられない

たくさんの思い出

こぼれ落ちないように

両手を広げて力いっぱい抱きしめる

2013年11月23日土曜日

興味あるアンケ-ト結果

 先日、面白いアンケ-ト結果を知りました。「趣味として何をしたいですか」というアンケ-トをとったところ、30代~60代の男性の3割の人が、音楽教室に通いたいと思っているとのアンケ-ト結果が出たというのです。60代の人の青春時代はビ-トルズと共に、50代の人の青春時代は吉田拓郎と共に、40代の人の青春時代はサザンオールスターズと共にだったと伝えています。そして音楽教室の中での楽器は、ピアノとギタ-が圧倒的な人気をよんでいるそうです。男性コメンテイタ-が「イギリスの紳士達の会話は『あなたの趣味は何ですか』で盛り上がると聞いていますが、日本の男性も紳士になりつつあるのかも」と言っていました。

 長年ピアノ教師をしてきた私にとっては、嬉しい限りです。何かお役に立つことができたらと、社会貢献の一つとして、頭の中で考えをめぐらしています。今はこんなことも言えるようになった私ですが、若い頃は、男性が「ピアノを習いたい」と言って来られると断っていました。ピアノを教えるとなると、密室での一対一になります。私は女性です。自分を守るためには、少しでも危険が及ばないように、しっかりと固いバリケ-ドを張り巡らさねばなりません。今となっては笑い話ですが、真剣にそう思っていました。ピアノを習いたいと思って、私の教室へ来られた男性達には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。男性に怒られそうですが、私は、男性に対して、偏見を持っていたのかもしれません。

2013年11月22日金曜日

「かあこ1年生」 (12) 母の手作り


  かあこのおかあさんは、いろんな物を作ってくれました。

かあこの絵日記です。

〈おはぎ〉

『きょうは、おかあさんにおはぎをつくってもらいました。そしておかあさんにつくってもろてから、みんなでいただきました。そして、みんながおいしいおいしいというので、おかあさんが「またおしごとがすんでからしましょう」といったので、みんなは「ほん、つくってちょうだい」といいました。そしてみんなはおふろへはいってねました』

 

先生の赤ペンコメントは「おいしかったようですね。ほんとうによいおかあさんね。こんどもきっとつくってくれるでしょう」でした。

〈ひんぴょうかいのしょうひん〉

『きょうはしょうがっこうのてんらんかいでした。ひんぴょうかいもありました。わたくしとこは、くろいおまめとあおいおまめをだしました。そしたらくろいおまめが一とうで、あおいおまめが二とうでした。しょうじょうとあるまいとのおおきなぼ-るとあらいおけと二つもらいました。わたくしはとってもうれしいです。おかあちゃんが「いっしょうけんめいよったで一とうになったんやな」といいました。おかあさんは「このぼ-るへぱんをいっぱいふくらましてやいてあげよう」とおっしゃいました。わたくしは「ほんとう」とおおきなこえでめをまるくしていいました。そしたらおかあさんが「ほんとほんといいすとでかんからこぼれるほどよくふくれたぱんをしてあげましょう」とおっしゃいました。』



〈ぱん〉

『きょうは、おかあさんに、ぱんと、じゃむを、つくって、もらいました。わたくしは、むしゃむしゃ、たくさん、いただきました』
 
 

2013年11月21日木曜日

かあこ1年生 (11)エンタ-テイナ-


かあこは面白い子供でした。

かあこの絵日記です。

『きょうは、よるうちへかいったら、じゅばんと、ばっちが、あったので、わたくしは、とっても、うれしかったので、すぐに、てにもって、ぴょんぴょんだいどころで、はしりました。そしたら、ずてんと、こけたので、わたくしは、びっくりしました。そして、おきあがりました。そして、やめて、えんぴつが、おれとらんかと、おもって、みたら、なんにもおれていませんだ』
 


絵の説明・・・新しく買ってもらったじゅばんとばっちです。
 

かあこはエンタ-テイナ-

〈ばいおりん〉

『きょうのよる、おかあさんが、はりしごとをしてみえました。わたくしは「おかあちゃんちょっとでよいで、ここにあるさしをかして」といいました。そしたらかあちゃんが「なっとすんの」といったので、わたくしは「なんでもよいで、みとんなっ」といって、よさのふたをばいおりんに、さしをばいおりんのぼうにしました。そしてうたを、しづかなうたを2かいうたいました。そしてあとから、そのばいおりんで、うたもばいおりんとおんなしにうたいました。そしたらおかあさんが「おもしろいで、とうちゃんに、みせといな」といったのでみせにいったら「それはばいおりんか」といいました。そしてわたくしは「そや」といいました。またおかあさんのまえでばいおりんをはじめました』
 


先生の赤ペンコメントは「かあこさんのやっているばいおりん みたかったね おもしろいぶんですね」でした。

2013年11月20日水曜日

「かあこ1年生」 (10)生き物たち


 かあこの家には、いろんな生き物がいました。

かあこの絵日記です。

〈にわとりのせわ〉

『きょうは、おかあさんがいないので、ゆうがた、とりに、えさを、やろうとおもって、なっぱを、きっていると、おねえさんがきて、いっしょに、なっぱをきってくれました。なっぱを、きったので、ぬかを、まぜて、とりに、やろうと、おもって、とりごやへ、はいって、いきました。とりが、わたくしの、あしもとへ、きたので、わたくしは、びっくりして「きゃあ」と、さけびました。すると、おねえさんが、「なっとも、しやへん」と、いいましたが、わたくしは、こわごわ、えさばこに、えさを、いれました。
 


先生の赤ペンコメントは「うまいうまい しっかり かわいがって せわをするのだよ」でした。

 

〈あたらしいうし〉

『きょうがっこうからかえると、まえのにちようびにいったうしとかえるうしが、わたくしとこのおもてにおりました』
 


先生の赤ペンコメントは「よさそうなうしですね」でした。

 

〈うしのあかちゃん〉

『きょうのあさ、めりいが、あかちゃんを、うみました。わたくしは、みにいったら、うんだんは、よいけど、しんでいました。わたくしは、きがぬけました。そして、へたのまえへうりました』
 


絵の説明・・・みんなで牛のあかちゃんをひっぱり出しているところです。

 

2013年11月19日火曜日

「かあこ1年生」 (9)運動会ごっこ


 かあこは、運動会をするのが大好きでした。

かあこの絵日記です。

『きょうは、わたしとえりちゃんと、ようこちゃんと、とよちゃんと、うんどうかいをしました。そしてわたしがこけたので、ずべになりました。そしてまたみんなでしたら、こんどは、わたしがかちました』



先生の赤ペンコメントは「ずべになったときのこころもちはどうでした」でした。 

〈うんどうかい〉

『きょうは、わたくしとこで、きねおさんと、ゆきよさんと、まさこさんとわたしと、うんどうかいをしました。そして、ふえやまりやほうきやいすやつこてよういぱんとゆうてはしりました。そしてかみに、ふえやなんやかじでかいて、それをうらむけて、ひろて、みて、ふえやったら、ふいて、あるきます。きねおちゃんは、ふえでした。わたしは、いすにすわって、いきました。まあちゃんは、まりでした。ゆきちゃんは、ほうきでした。そして、あとでみんなならんで、ほたるのひらりをうたいました』

 
 おうちの庭で買い物競争をしているところです

先生の赤ペンコメントは「おもしろいうんどうかいでしたね」でした。

2013年11月18日月曜日

「かあこ1年生」 (8)社交家


 かあこは、近所のおばさん一家と親しくつきあっていました。おばさんの家には、子供がいません。家族は、おばさんとおじさんとおじいさんです。かあこは、時々おねえちゃんと泊まりに行くほど、親しい家でした。

かあこの絵日記です。
 
〈あかちゃんごっこ〉

『きょうは、にしかわのじいちゃんとこへ、あかちゃんをだいてわたくしはあそびにいきました。そしてじいちゃんとこで、わたくしがうたをひとりでうみをうたいました』
 

上の絵は火鉢にあたっているじいちゃんと下の黒いのはかあこの頭です
 
〈はなび〉

『きょうはよるにしかわのおばさんと、おうちのばあちゃんと、わたしと、こうかいどうではなびをみました』

 


先生の赤ペンコメントは「はなびのようすもかいてほしかったね。(ぱっん、あがったあがった、きれいだったね)などのはなしもいれるとよくわかったのに」でした。

 

2013年11月17日日曜日

私の好きなことば「何事も始めなきゃ始まらない


 またまたテレビのコマ-シャルから聞こえてきたことばです。今にぎやかに報道されている小泉元総理の言葉「百考不如一行」と同じ意味ですが、どんなに頭で考えていても、行動を起こさなければ何にもならないということです。

 私自身を振り返ってみても、自分がブログをするとは、思ってもいませんでした。今の時代、インタ-ネットを活用しないというのは遅れています。渡仏十年になる娘が、五年前にブログをスタ-トさせ、どこにいても瞬時に送発信できるインタ-ネットの大きな力に驚いた私は、あこがれを抱いていました。そして娘のブログに感化され、遅ればせながらブログを始めました。

 書くことはもともと好きな私ですが、誰かが読んでくれると思うと張り合いがあります。日本だけでなく世界のどこかで、多分日本の方と思いますが、私の拙いブログを読んで下さっています。今回で434回になっています。本当に「何事も始めなきゃ始まらない」と痛感します。「継続は力なり」をモット-に頑張りたいと思っています。

2013年11月16日土曜日

徒然に想ううた 短歌三首


いくとせを 生きる夫婦(めおと)は 顔も似て

 

      ひきつひかれつ 二人舞台へ

 

 

苔むして 古女房と 古だぬき

 

     だましだまされ 長き道のり

 

 

縁あって 共に生きるは 夫婦(めおと)道

 

     愛し許しの 釈迦をめざして

2013年11月15日金曜日

「かあこ1年生」 (7)節分


 かあこの絵日記には、日々の暮らしの中での行事がよく出てきます。節分は、毎年の恒例行事でした。家族総出の大切な行事でした。この日の夕食には、イワシが出ます。父が、焼いたイワシの頭とひいらぎを表玄関と裏玄関に飾ります。おばあさんが、大豆をたくさん煎って準備をします。子供達は、お面作りです。行事を通して、家族のつながりや、感謝や祈りの気持ちが、育まれたように思います。

かあこの絵日記です。

『きょうのよる、せつぶんをしました。わたしは、おにのめんをかぶりました。ねえちゃんが、おたふくさんです。そして、おまめもまきました。わたくしは、そとにおいだされたので、うらから、いえにしのびました。あとで、おまめをとしだけたべました』

 


2013年11月14日木曜日

「かあこ1年生」 (6)お月見


 かあこの絵日記には、日々の暮らしの中での行事がよく出てきます。お月見は、毎年の大切な恒例行事でした。中秋の名月、十五夜の美しい月を見ながら、秋の収穫を感謝し、祈りを捧げます。お月さまに、ススキや萩と一緒に収穫した食べ物もお供えしました。

かあこの絵日記です。

『きょうはおつきみでした。おもてへえんだいをだして、かびんにすすきとはぎとさしておそなえしました。おぼんには、まめとくりとおだんごをのせておそなえしました。おねえちゃんとわたくしと、おもてでおつきさまのでるのをまちました。けれども、たいふうでくもがおおくて、なかなかおつきさまのかおがみえません。わたしははりあいがありませんだ。ごはんがすんでからみんなでらじおをきいたり、えんこらえんをしました。おばあさんが「おやすみ」といって、おもてへでられました。そしたらおばあさんが「おおきなおつきさまがでているよ」とおっしゃったのでみんなおもてへとびだしました。そしてみんなでおつきさまをおがみました』

 
この日の先生の赤ペンコメントは「おつきみのようすがよくわかりますよ」でした。

2013年11月13日水曜日

「かあこ1年生」 (5)墓参り


 かあこの絵日記には、日々の暮らしの中での行事がよく出てきます。お彼岸のお墓参りも欠かせないものでした。いつも帰りにお菓子を買い、仏壇へお供えするのですが、かあこは、それも楽しみになっていました。お墓参りは、御先祖様を偲ぶとともに、御先祖様から自分へと、脈々と命のリレ-が続いていることを教えてくれます。

かあこの絵日記です
秋のお彼岸です。
『きょうはおひがんです。おかあさんとおねえちゃんとわたしとさんにんでおはかへまいってきました。おはかまいりをすませて、かえりにぱんじゅうをかってもらいました。おうちへかえって、ほとけさまへもおそなえしました』
 

この日の先生の赤ペンコメントは「おひがんでせんぞをまつる日ですからね」でした。
 

もう一つ春のお彼岸です
 『きょうは、おねえさんと、おばあさんたちと、おじいさんの、おはかへ、まいりました。おみずや、おはなや、おせんこを、かざりました。そして、かえりに、おかしを、かいました』
 
 

2013年11月12日火曜日

「かあこ1年生」 (4)


 かあこは、学校から帰ると毎日元気に遊びました。家の近くにあるお寺には、いつも村の子供達が集まります。お寺の境内は、いつも子供達の社交場でした。小さい子供から小学6年生までの幅広い年齢の子供の世界でした。子供達の好きな遊びは、学校ごっこや運動会でした。ある日の学校ごっこは、かあこの二歳年上のお姉ちゃんが先生になりました。生徒は五人です。

かあこの絵日記です。

『きょうはあめがふったのでおてらでがっこうごっこをしました。そして、のりこねえちゃんが、せんせいで、さっちゃんと、ようこちゃんと、とよちゃんと、まあちゃんと、わたしと、せいとになりました。そして、せんせいが「9+1はいくつでしょう」といったので、わたしとまあちゃんがてをあげました。せんせいは、まあちゃんにあてました。まあちゃんが「9」といったので、せんせいは「ちがいます」といいました。みんなは、まあちゃんがまちがったのでわらいました。まあちゃんは、まちがったのでかおをふくでそっとかくしました。せんせいが「そんなにわらうんやったらたたせるんなっ」といったので、みんなくちをむすびました。せんせいが「つぎかあこさんいままさこさんがしたのをしてください」といったのでわたしが「10」とこたえました。せんせいが「よろしい」といったのでわたしはうれしかった』


この日の先生の赤ペンコメントは「学校ごっこが本当によくわかっていますよ。あなたもいっぺん読んでみて下さい」でした。

2013年11月11日月曜日

「かあこ1年生」 (3)


 一年生7人組はいつも一緒です。学校へ行く時も帰る時も一緒です。帰りは遊びながら帰るので、ずい分時間がかかります。

 ある日のことです。朝から雨がたくさん降って、帰る頃には雨は上がったのですが、道はぬかるんでいます。傘を持って長靴をはいている7人は、それが面白くて道の横の田んぼへ入っていきました。造成中の田んぼで、新しい土が入れられています。長靴がゴボッゴボッと、土の中へ埋まっていきます。7人は、面白くてワ-ワ-キャ-キャ-言いながら、歩き回りました。その時です。かあこの足が土の中に入り込み、抜けなくなってしまいました。足を一生けん命上へひっぱり上げようとしても、まるで土の中から誰かが、ひっぱっているように抜けません。かあこは、泣きべそをかいてしまいました。みんなはびっくりして、かあこのところへ集まってきました。かあこの立っている辺りが、一番悪い状態だったようです。みんなはそれがわかって、怖くてかあこのそばへは近寄れません。すると、仲間の中で一番体の大きい、子供相撲の横綱ほどの、縦にも横にも立派な体格のきねおくんが、かあこを助けようと、かあこの手を全力を出してひっぱりました。かあこの足は抜けました。この時の恐怖を、かあこは忘れられません。きねおくんは、まるで気は優しくて力もちの金太郎のようだと、かあこは思ったのでした。

2013年11月10日日曜日

「かあこ1年生」 (2)


 夏休みが終わって、9月になると、毎日絵日記を書くのが宿題になりました。かあこの担任の先生は、おじいさん先生です。とても優しい先生で、一度も怒ったことはありません。

 毎日学校から帰る時に、紙を一枚もらいます。絵日記を書いて、次の日の朝先生に渡します。先生は、絵日記を読んで赤ペンで短く感想を書いて返してくれます。そして又次の紙をもらって帰ります。絵日記の宿題は毎日続きます。かあこの絵日記も、たくさんの量になってきました。

 ある日の図工の時間に、絵日記を綴じる表びょうしと裏びょうしを作りました。そしてひもで絵日記を綴じていくのです。かあこは、絵日記を書くのが、面白くなり好きになってきました。今日は何をしたかをよく考えて、絵と文を書くのです。

 でも絵日記を毎日書くということは、大変なことです。お友達と遊んだことも書きます。夕食は何を食べたとか、家族との何でもない関わりとか、時には兄弟げんかをしたことも書きます。しばらく経つと、かあこは、毎日絵日記を書くのがめんどうになってきました。ついつい「学校から帰って遊びました。そして夕ごはんを食べて、お風呂へ入って寝ました」というような短く簡単な、そして毎日同じ絵日記を、しばらく続けて書きました。すると先生から「だいぶんなまけのすけになってきましたね」との言葉をもらうようになってしまいました。かあこは、先生のこのひと言で奮い立ちました。先生から、同じ言葉をもらわないように、頑張ろうと思いました。

2013年11月9日土曜日

「かあこ1年生」(1)


 かあこは一年生になりました。嬉しくて跳びはねています。一年生になってたくさんのお友達ができました。

 かあこの住んでいる村は、町の隣にあります。村と町の間を電車が走っています。かあこは、いつも線路を越えると町に変わると思っていました。かあこは、線路を越えると突然おすましになりました。

 かあこの家はお百姓です。かあこの住んでいる村は、とても小さな村で、八軒のお百姓さんがありました。かあこは、一年生になるまで、町の子と遊んだことがありません。村には同じ年の子が七人いました。女の子は、かあことさっちゃんとまあちゃんです。男の子は、きねおくんと、まさおくんと、ゆきおくんと、ひろしくんです。小学校へ入学するまで、いつも一緒に遊ぶ仲良し七人組でした。

 町の女の子は、おしゃれなかわいい服を着ています。かあこは、お母さんが作ってくれた服より、町の子が着ている服の方が、おしゃれでかわいい服だと思い始めました。自分は田舎に住んでる田舎者だという気持ちになったのです。町の子と田舎の子、どこが違うのでしょうか。町の子のお父さんの仕事は、お店をしているか会社へ行っている人ばかりだったのです。かあこの村は、みんなお百姓さんです。朝から夜まで土にまみれて働きます。農作業する服装はかっこいいものではありません。かあこは、考えれば考えるほど、町の子と村の子の違いに気づくのでした。そういうわけで、線路を越えるとどうしてもおすましになるのでした。

2013年11月8日金曜日

私の好きなもの


 たくさんある楽器の中で、私が一番好きなのはピアノです。八十八鍵あるピアノの最も低い音から最も高い音まで、十本の指で自由に音を奏でます。同時に十ケ以上の音を出すこともあります。親指から小指まで精一杯広げても1オクタ-ブプラス1~2音ですが、リストの超絶技巧の曲などは、手が、指が、鍵盤の上を跳び跳ねます。ピアノを弾くことに関しては、手が大きい人のほうが断然楽々です。女性と男性を比べると、手の大きさはもちろん、体格の大きさにも差があるので、女性は不足分だけ苦労しなければなりません。難曲はさておいて、ピアノを弾いて楽しむことは、小さな子供から超シニアまで、誰でも楽しめます。それは素晴らしいことです。

 たくさんあるピアノ曲の中で、私が好きなのは、ショパンとベ-ト-ヴェンの曲です。ショパンは軽やかで、ベ-ト-ヴェンは重々しく感じます。ショパンはどことなく悲しげ淋しげで、哀調を帯びているような音の流れを感じます。ベ-ト-ヴェンは、曲の中に彼の苦しみが込められているような音の流れを感じます。ショパンやベ-ト-ヴェンの曲を弾いていると、悲しみや苦しみを分かち合うことができるような気がします。ショパンやベ-ト-ヴェンと一体になれる喜びを感じます。

 ピアノという一つの楽器だけで、奥行きも幅も高低も、無限に広がっているような立体感を出せます。他の楽器は、それ一つだけでの演奏となると、曲の美しさはありますが、物足りなさを感じます。オ-ケストラとの協奏曲になると、ダイナミックな曲になるので好きですが。

 毎日FMラジオから聞こえてくる「弾き語りフォーユ-」は、大好きな番組です。家事をしながら(おもにアイロンかけ)ピアノの調べを聞くのは、私の小確幸(村上春樹氏の言葉)です。ほのぼのとした気持ちになります。爽やかな気持ちになります。ささやかな幸せを感じます。今ある自分に感謝の気持ちが芽生えます。

 

2013年11月7日木曜日

今思うこと(2)


 連日ニュ-スで取り上げられているメニュ-の偽装表示問題は、次から次へと広がっています。一流ホテル、名門百貨店、老舗旅館も同じ穴のムジナでした。消費者の立場からすると、とても信じられない事実です。一流、名門、老舗という言葉は、他より高くてもそれは当然、仕方のないことと捉え、その代わり百パ-セントの信頼を寄せていました。ここへきてその信頼は裏切られ、ブランド、一流、名門、老舗という名は、地に落ちたように思います。今迄も米、肉など偽装表示はありましたが、一流、名門、ブランドではなかったと記憶しています。「お客様は神様」という言葉は、死語になっているのでしょうか。我が身だけのもうけだけを、追求していたのでしょうか。トップの記者会見では、偽装表示とは認めていません。認識不足、確認不足による誤表示と言っています。お客様をこれほども馬鹿にしていたのかと、本当に驚いてしまいます。呆れ返ります。

 世界から尊敬を集め、あこがれの目を持って日本を見てくれている外国に対し、恥ずかしい限りです。新渡戸稲造(1862~1933)の「武士道」に書かれている義・勇・仁・惻隠の心・礼・誠・名誉・忠義はどうなったのでしょうか。日本人としての誇りを失ってしまったのでしょうか。企業の利潤だけが、一番大切な目標なのでしょうか。どの世界においても人と人との信頼が、一番大切だと思っている私には理解できないことです。どんな人間にも良心はあると思っていますが、信頼を裏切って良心の呵責はなかったのかと尋ねたいものです。人間としてのたがが、ゆるゆるだったのかもしれません。

 司馬遼太郎(1923~1996)が子供達に遺した「二十一世紀に生きる子供たちへ」を読んでもらいたいと思います。

 「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そしてすなおでかしこい自己を。21世紀においては、特にそのことが重要である。21世紀にあっては、科学と技術がもっと発展するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向へ持っていってほしいのである」

 ずる賢い大人、卑怯な大人にはなってほしくありません。夏の甲子園の選手宣誓で若者たちが口にする「正々堂々と闘う」の言葉のように、正々堂々と生きて行ってほしいと思います。間違いに気づいた大人も、スタ-トに戻り正しい道を歩いてほしいと思います。

2013年11月6日水曜日

徒然に想ううた 短歌三首


秋好きと 告げる私の 心内

 

     人恋しくて 多き歌詠む

 

 

仰ぎ見る 飛行機の先 あの人を

 

     想う私に 真白き雲が

 

 

今は亡き 愛犬つれて 空の上

 

     共に旅する 世界日本を

2013年11月5日火曜日

そろそろ?


 最近テレビや本、新聞でよく目にする言葉があります。就活、婚活に続く終活です。自分の人生の最期に向けての準備です。ある程度の年齢に達したら、そろそろ準備をしなければなりません。身体が人の世話になる前に、その準備に入らねばなりません。毎日の生活に追われドタバタしていると、ついそのことを忘れがちになりますが、時には足を止め、少し静かに考え、時間をそのために費やす必要があります。物品の整理には時間がかかります。家族にその作業を任せるのは、申し訳ない気がします。少しずつ整理していきたいと思っていますが、バタバタと日々を過ごしている私にはかなり難しいことです。でも少しずつやらねばなりません。そして自分の最期についても、遺言を書面に書く必要があります。

 私が考えていることは、一番に「無駄な延命治療はしないでほしい」ということです。自分の意思なく機械で生かされるのは、残酷なことです。命の終わりは、天命、寿命と考えたいと思います。次に「葬儀はひっそりと静かに見送ってほしい」と思います。読経はいりません。娘達のピアノ演奏で送ってほしいのです。家族葬が人気を呼んでいますが、私も家族だけに見守られて旅立ちたいと思います。戒名もいりません。今の名前のままで結構です。お寺の檀家になっていると無理なことかもしれませんが、故人の意思を尊重してもらいたいと思います。火葬の後のお骨はお墓へ入れてもらい、眠りにつき、たくさんの先人達と再会したいと思います。

私が旅立ち三ヶ月が過ぎ、家族の気持ちも何とか落ち着いてきた頃には、私の友人達にあいさつの手紙を送ってほしいと思います。今から手紙を書いて、その準備もしなければなりません。愛する家族達への言葉は「ありがとう。またね」です。肉体は消滅しても、魂は愛する人達を見守り続けます。

「そんなに悲しまないで、そんなに嘆かないで、いつの日かまた会えることを信じて、精いっぱい自分の人生を生き抜いてほしいと願っています」

2013年11月3日日曜日

サイクリング(5)


 先日サイクリングにポアロまるこで出かけました。中国地方でのサイクリングを楽しみました。二人ともタウンサイクルでのサイクリングです。

 国道を南西方向へと走ります。横を車がビュンビュン走っていきます。歩道を走りましたが、ゴッテンゴッテンと段差が体に響きます。一級河川に架かる橋は、車道と別に自転車道があり、安心して美しい景色にうっとりし眺め、写真を撮りました。今は自転車道になっていますが、以前は国道だったそうです。新しく大きな立派な自動車専用の橋ができてから、古い橋は人、バイク、自転車の専用となったのです。一級河川なので橋の長さもずいぶんあります。私の好きな山々、大河、そしてもうすぐ海という地点です。
 
 


 今回の目的地は、玉島です。岡山県倉敷市にあります。玉島は、江戸時代には回船問屋の土蔵が二百以上も立ち並び、海運で栄えた港町です。その面影は町のあちこちに残っていますが、高度経済成長の終わる時(ほんの少し前という気がしますが)まで、賑わっていた商店街は、全国共通となっているシャッタ-商店街の有り様でした。

 

町並み保存地区だけは、何とか形を留めていますが、栄枯盛衰が頭をよぎります。
 
 

 歴史のある町を訪れると、自分の知らなかったことをたくさん学びます。今話題の同志社大学創設の新島襄(1843~1890)が、若かりし頃、備中松山藩の漢学塾へ勉強しに来ていて、この玉島港に寄り宿泊したという西爽亭も見学しました。備中松山藩主板倉家との関わりが、新島襄の人生の発展につながっています。西爽亭は、備中松山藩主の御座所にもなっていた柚木家の邸宅です。柚木家は、備中松山藩に仕え庄屋を務めた家です。西爽亭は、天明年間(1781~1789)に建築されたと伝えられています。御成門、式台玄関、取次の間、次の間、上の間、などがある木造平屋建てです。茶室もあり、男茶道と呼ばれる武家茶道流派とのことです。隣の棟は、西爽亭の主屋として建てられたもので、主要構造部は出来るだけ再利用することを心掛け改修され、現在は市民のための多目的利用の会議室になっています。
 

 

 越後から河井継之助(1827~1868)が、備中松山藩の山田方谷(1805~1877)を訪ねる前に、宿泊した宿の碑もありました。小説「不如帰(ほととぎす)」で有名な、明治の文豪、徳冨蘆花(1868~1927)が、下宿していた家があるなど、今まで本やテレビで見聞きしたことのある歴史上の有名人物が、この玉島と関わっていたという事実を知り感動しました。

 今日の走行距離は30キロ、所要時間は、途中での食事、買い物、観光を含み6時間でした。

2013年11月2日土曜日

「大切なひと」


四十五年もの長い間 私につきあってくれている 大切なひと

いつも変わることなく 私のそばにいてくれる 大切なひと

私と共に歩いてくれる 大切なひと

 

私の悲しみ苦しみを 大きな体で受け止めてくれる 大切なひと

私の喜び幸せを 微笑んで見守ってくれる 大切なひと

私を大きく広げた両手で 包み込んでくれる 大切なひと

 

あなたは理想のひと

決してものは言わないけれど

あなたは偉大なひと

私はどれほどあなたに救われたことでしょう

 

どんなに大きな苦しみでも

どんなに深い悲しみでも

いつも私はあなたにぶつけた

あなたにぶつけるだけで

あなたが受け止めてくれるだけで

私は立ち上がることができた

 

人間にとって言葉はいらない

私のすべてを受け入れてくれるあなた

不思議な力を持っているあなた

 

共に長い道のりを歩いてきましたね

これからもまだ道は続きます

心からのありがとう

心からの感謝

心からの愛を送ります

 

心をこめて

愛するあなたへ

私のグランドピアノへ

 

2013年11月1日金曜日

新しい月


 今日から十一月です。毎月のことながら一日がスタ-トする時は、少し気持ちが改まります。「一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり」が、頭に浮かびます。

 いろんなことに興味・関心・好奇心を持ち、すぐ行動を起こしてしまう私は、自分の年齢も忘れ、ACTIVEという言葉が好きです。いつかはわかりませんが、命はあっても自分のしたいことができなくなる日が訪れます。「ぴんぴんコロリ」は誰もの願いですが、それは誰にもわからないことです。命の永遠もありません。今、自分のしたいことを、できることを、思う存分したいと思います。

 サイクリングに夢中になっている私は、この素晴らしい季節の中、良いお天気になると心が踊ります。しかし有頂天になってはいけません。先日、知り合いの男性が、自転車に乗っていて、何でもないところで転び大けがをしました。骨折はしませんでしたが、前歯が一本折れ、顔は傷だらけとなり、現在マスクと眼帯と包帯に覆われ、仕事に行っています。長年の自転車愛好者で、通勤も自転車です。雨上がりの道で、疎水の際を走っている時に、水たまりを避けようと思った瞬間、転んでしまったそうです。幸いにも疎水には落ちませんでしたが、疎水に気を取られ集中力が鈍ったのかもしれません。

 その話を聞いて、自転車でも大きな事故につながるのだと、少し怖くなりました。チャリダ-おばさんにあこがれている私ですが、タウンサイクルに乗ってのポタリングで充分ではないかという気持ちになっています。