2013年10月1日火曜日

ありやなしや


 死後の世界はあると思いますか。ありやなしやどちらでしょうか。先日テレビにカ-ル・ベッカ-氏が出ておられました。日本に惹かれ来日して四十年、人間の精神世界、死後の世界について研究されてきました。私が十年ほど前に傾聴と出会い、人間の生と死を学び始めた頃に、カ-ル・ベッカ-氏のことを知りました。死を学ぶこと、死を知ることは、より深い生につながるという論理は、多くの人に共鳴をもたらしています。

 カ-ル・ベッカ-氏は「死後の世界はある。人間が死を迎え肉体はお骨だけを残すことになっても、意識は永遠に続いていく」と、おっしゃっています。世界を回り、臨死体験をした人の聞き取り調査を続けてこられましたが、国は違っても、ほとんどよく似た臨死体験だそうです。完全に死んだ人が、こちらへ帰ってくるということは、完全にありえないので、いくら短い時間でも医学的に死と判定されたとはいえ、臨死体験をしても死んではいなかったのですから、死後の世界があるということは証明されません。臨死体験をした人達の証言をもとに、推測、想像するだけです。

 しかし私は、肉体は滅んでも魂は永遠に続くと思っています。こんなことを言うと家族は笑いますが、結局は自分がどう思うかということです。私は二度不思議な体験をしています。一つは三十年前のことです。実家へ里帰りしたお盆のことです。実家の裏玄関には、御先祖様がよくわかるようにと、父が灯明をつけていました。久しぶりの帰省で、三姉妹が夜中までおしゃべりに花を咲かせていました。子供達は深い眠りにつき、夫達は離れで麻雀をしています。夜中なので両親は奥座敷で寝ています。その時、裏玄関のガラス戸が不自然にガタガタ鳴り出しました。それがしばらく続くのです。三人が顔を見合わせ「何の音、どうしよう、みんなを呼びに行こうか、お父さんお母さんを起こしに行こうか、どうしよう」と、肩を寄せ合ったのです。何秒ではありません。二分ほど続いたように長く感じられました。三人とも「御先祖様が帰ってきたのかしら」と、思いました。風が吹いたのでもなく、イヌやネコのせいでもなく、もちろん人間が揺らしたのではありません。地震も来ていません。二百年近い歴史のある実家です。御先祖様はたくさんいます。昔からお盆に灯明をつけて御先祖様を迎えるという慣習が続いています。この世に生きている人の目には見えませんが、死後の世界の魂が来たのだと思いました。

 二つ目の体験は二十年前のことです。眠っていた私は何となく寝苦しくなり、人の気配で目が覚めました。目を開けましたが何の変わりもなく又目を閉じました。すると私の枕元にはやはり人の気配を感じます。私は変だな、何かおかしいなと思いながら体を強張らせていました。すると「いいの?いいの?」と、私に伝えるのです。生の声が聞こえてくるのとは違います。しかしハッキリ「いいの?いいの?」と、私は受け取れるのです。その数日後、母が心筋梗塞で突然亡くなりました。母が突然亡くなって私は気がつきました。

その六年前に四十四歳で亡くなった姉が、私に母の死が近いことを伝えにきたのだと。五歳上の姉を私は慕っていました。大好きでした。思春期の頃、姉と私は「母がいなくなったら生きていけないね」という会話をしていました。こんな話は誰も信じないと思います。証明することもできません。でも私は確信しています。死後の世界はあるということ。魂は永遠だということを。清く正しく生きることが、自分を、そして愛する人達を守ってくれるということに結びつくと信じています。

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