2018年6月14日木曜日

時の流れ(銭湯)


 以前はどこにでもたくさんあった銭湯が姿を消しつつあります。私の故郷でも、町には必ず銭湯がありました。故郷を離れて以来、帰省するごとに一つずつ廃業に追い込まれていきました。しかし今住んでいる京都では、多くの銭湯が現役です。学生がたくさんいる京都でも、バス付きのワンルームマンションが増えています。京都には昔から町家と呼ばれる長屋がたくさんありました。お風呂の無い家がたくさんあって、銭湯はどこも大繁盛でした。マンションが増えて、銭湯へ行く人は減っていると思いますが、銭湯大好きなファンは根強く残っているようです。知人は、家にお風呂があっても週に数回は銭湯に行かれています。広々空間の湯舟に浸かるのは、贅沢なほどの醍醐味で疲れがとれると言われます。現在京都市には、94の銭湯があるとのことです。絶頂期に比べれば銭湯の数は減っていると思いますが、夕方近所を散歩すると、銭湯の前にはたくさんの自転車が並んでいます。(自宅近くの銭湯をいくつか見てください。オープンは3時から4:30までいろいろあるようです。)
 
押小路御幸町の「玉の湯」15:00~

押小路高倉の「初音湯」15:00~

堺町錦の「錦湯」16:00~

古門前通りの「新シ湯」15:00~

三条菊鉾町「柳湯」16:30~ 「錦湯」と同じデザインです


散歩コースには銭湯がたくさんあるので、いつも興味関心を持って前を通っています。毎年2月に開催される京都マラソンの時には、マラソン参加者に無料で入湯サービスをされているそうです。

2018年6月13日水曜日

近所のお寺で蓮の花(行願寺革堂)


 近所の寺町通りにある西国三十三所第十九番札所行願寺革堂では、今蓮の花が見頃となっています。散歩で前を通った時に、山門から蓮の花が見えたので中へ入りました。



大きな壺のような植木鉢がたくさん並んでいます。それぞれの鉢からいくつもの蓮が元気よく育っています。美しいピンク色の蓮の花が咲いています。ほとんどが薄いピンク色で、白いのが少しありました。茎や葉の大きさから言えば、花はとても大きいように思います。








境内には紫陽花もあります。紫陽花の紫色と蓮のピンク色のコントラストがとても美しく、参拝者の目をひいています。秋には藤袴が有名な行願寺革堂です。寺町通りに藤袴まつりが繰り広げられます。その藤袴の苗がそだてられている一角がありました。近所を散歩する時には、季節の移り変わりを敏感に感じ取ることができます。梅雨の真っ只中で、美しい蓮の花を観賞することができました。



2018年6月12日火曜日

近所の歴史(木戸孝允)


 近所にある旅館の入口には「木戸孝允邸宅跡」という石の碑が立っています。京都に住み始めた頃にその碑を見たので、そのことは知っていました。先日もっと詳しいことを知る機会があり、歴史が面白くなってきました。
 今年は明治元年から150年の節目の年です。木戸孝允(きどたかよし 1833~1877))は、長州藩(現山口県)出身の政治家で、明治維新の元勲と呼ばれています。幕末には桂小五郎と称し、尊王攘夷運動に指導的役割を果たしました。家の近くのホテルの前には、桂小五郎の像があります、そこは長州藩邸跡です。維新の三傑は、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通を指しています。NHK大河ドラマ「西郷どん」は、西郷隆盛を描いたドラマです。木戸孝允邸宅跡は、公家の近衛家の広大な別邸があったところです。明治以後、公家は東京へ移転し、木戸孝允が京都別邸として購入したのだそうです。現在も残っている木戸孝允旧邸で、木戸孝允は明治10年(1877年)5月に亡くなりました。その際には明治天皇が見舞いに訪れています。
  

 

天気の良い日は障子が開けられています





大きな敷地でしたが現在は分断されています丸印が現存部分です
 

木戸孝允旧邸のそばに、養子の木戸忠太郎が収集した数万点収められている達磨堂があります。明治末期から昭和初期にかけて収集された膨大なものです。起き上がりだるまをはじめ、玩具、日用品、装飾品、書画、ポスターなどだるまに関連するものです。木戸孝允旧邸も達磨堂も見学することができます。

入り口横にあるのが達磨堂

現在は、京都市職員会館が建っていますが、誰でも自由に食事をすることができます。会議室や大広間、茶室もあり借りることができるそうです。私達は、ランチを食べました。気軽に利用できる市の施設が、家の近くにあることを知って喜んでいます。古地図を見る楽しみも増えました。

右の木の奥が木戸孝允旧宅です


2018年6月11日月曜日

ホタルの夕べ


 先日京都木屋町通りを流れる高瀬川で、「高瀬川ホタルの夕べ」が開催されました。期間は6月4日の月曜日から、10日の日曜日までで、ハイライトは、9日の土曜日でした。
 
今回が初めての試みです

梅雨に入っていますが、雨は降らずまずまずのお天気となりました。午後6時半から10時までが、歩行者天国となりイベント式典がありました。私達は8時頃から出かけました。まず始めに鴨川に沿って流れるみそそぎ川の様子を見に行きました。私達が京都に住み始めた頃から、ホタルを呼び戻そうと熱心に活動をされてきた人達の成果が出始めています。毎年この時期になると、今年のホタルはもう飛んでいるかしらと気になり、様子を見に行くのが恒例となっています。みそそぎ川では5匹ほどホタルを見ることができました。ホタルの乱舞とは、まだまだほど遠い感じです。
 
鴨川横のみそそぎ川 10mほど先の茂みにホタルが見えました


続けて高瀬川へ回りました。警察官も出て、歩行者天国となった木屋町通りはたくさんの人で賑わっています。夕刻からは協力商店の消灯も実施されています。ポスターには、「月明かりの中で楽しむひと時」とありますが、この日、月は出ませんでした。タイミングよくゲンジボタルの放虫が始まったところでした。


歩行者天国で道路に書かれたチョーク画

人だかりの中、放されたホタルが飛び交う姿を隙間から見ることができました。20匹ほどのホタルが優雅に飛ぶ姿でした。日本にいるホタルの代表的なものは、ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルとのことで、高瀬川にいるのは、きれいな水が流れている川に生息するゲンジボタルだそうです。たった2週間ほどの短い命の光は、力強くもはかないものです。

  
丸の中にホタルが映っているはずです

子供たちがいっぱいで主催者も大変なようです


ホタルは小さい時から馴染みがあり、郷愁とともに思い出す梅雨のひとコマです。京都でもホタルを見ることができて大感激です。お世話してくださるたくさんの人達に感謝します。

2018年6月8日金曜日

街道の面影(樫原の宿)

 以前岡山と京都を行ったり来たりしていた時に、高速道路以外に国道を走ることがありました。その一つ国道9号線は、かつての山陰街道です。京都の丹波口を起点として、山陰地方を通り山口県の小郡で西国街道に合流します。いつも幹線道路しか通っていなかったので、たくさんある街道や宿場町については知りませんでした。
  先日買い物のあとに京都市内で唯一残る本陣遺構となっている樫原の宿へ寄りました。山陰街道の京都寄りの一番目の宿場とのことです(京都市西京区樫原)。街道の面影が残っています。ゆるいカーブの上り坂に古い家並みが続きます。



樫原陣屋跡(本陣)の説明板が立つ屋敷がありました。現在も子孫の方が住んでおられるようです。中を見学することはできません。写真を何枚か撮って、樫原の宿をあとにしました。





今までに街道と呼ばれるいくつかの道を、部分的にですが車で通っています。「街道」の持つ言葉の響きにひかれます。魅力を感じます。昔の人々の息吹が感じられるようです。記憶を呼び戻し、今までに行った、あるいは通った街道について整理をしようと思います。

2018年6月7日木曜日

久しぶりの映画館「モリのいる場所」

 久しぶりに映画館へ出かけました。ちょうど一年ぶりです。広々空間の明るくきれいな映画館です。12個もの上映ホールがあります。私達は、一番広いホールでした。平日の午後の時間帯で、シニア向けの映画なのでしょうか、観客はまばらでシニアの方ばかりでした。
  



 見に行った映画は画家熊谷守一翁の晩年の日常を描いた映画です。晩年の三十年は、庭に生きる虫たちを見つめ続け、絵に描き、一歩も外へは出て行かなかったそうです。


 去年ブログに書きましたが、ポアロが神戸の美術館で「没後40年 熊谷守一展」を観て、ポストカードを持って帰ったのが出会いでした。


 「お前百までわしゃいつまでも」という言葉にひかれました。とてもユニークな人物像を抱いてしまいました。かわいいねこの面白い表情が、気持ちをほっとさせてくれます。映画では童心のようにアリや虫を見つめ続ける彼の姿が、描かれます。時間というものが、彼には無いように思われます。地面に寝転がり、地面に顔をくっつけて、アリの動きに夢中です。妻に扮する樹木希林さんとの、夫婦の姿も面白いものでした。二時間近い上映時間があっという間に過ぎていきました。楽しいひと時をもつことができました。

2018年6月6日水曜日

怖い交通事故


 三重の家の前には幹線道路の交差点があります。橋からの道と堤防が交わる交差点で、見通しは良い方だと思っていました。しかし3ヶ月に一度ほど交通事故が起きています。 
先日午前10時前頃のことです。救急車、パトカー、消防自動車などのサイレンが鳴り響き、一気に騒々しくなりました。私たちはテレビに夢中で、サイレンの音がうるさいぐらいに思っていたのですが、サイレンの音が近くで止まったことに気づきあわてて外へ飛び出しました。一台の車は横転しています。消防自動車はレスキュー隊で、横転している車の後の窓ガラスを割って、中にいる人を救出しています。人を乗せて救急車はすぐ病院へと走り去りました。パトカーは通行を遮断して、二次の事故が起きないように奮闘中です。交通事故が起きれば、現場検証をしなければなりません。ずいぶんの時間をかけて現場検証が行われました。死者は出なかったようです。
交通事故が起きる原因は、一人ひとりの安全運転への意識だと思います。相手の車が止まるだろうと、思い込んではいけません。信号が青から黄色にそして赤へと変わる時に、一番事故が起きるように思います。時間に焦っている人は、無理に交差点へ進入してしまいがちです。車は人間に大きな恩恵をもたらせてくれました。科学技術の進歩発展の賜物です。しかしちょっとのことで人の命を奪う怖い存在です。ハンドルを握る時は、おおげさな表現をすれば命をかけてぐらいの気持ちが必要です。自分の命はもちろん、人の命にも関わるのですから。人は慣れてくるとだんだん横着になります。「初心忘るべからず」を肝に銘じて運転したいと思います。

2018年6月5日火曜日

思いがけない経験


 先日予測不可能な経験をしました。朝起きた時からおかしいと思った体の異変が、時間とともにどんどん激しくなってきました。ぎっくり腰を起こしたようです。今までに何十年と使ってきた体です。特別に変な姿勢や動作をしたわけではありません。今までと変わらない生活です。頭に老化の二文字がちらつきます。前屈姿勢はできません。回転姿勢もできません。車の乗り降りにも支障があります。咳やくしゃみは体にひびくので禁物です。お腹を抱えての大笑いはできません。ロボットのように体を垂直に立ててそおっと動かすだけです。それもゆっくりゆっくりです。
今まで家の中を走り回って雑事をこなしていたのがうそのようです。自分の動作が超高齢者のようです。四十代の時に、五十肩と呼ばれるものは経験していますが、ぎっくり腰の経験はありません。ポアロは、五十代の時にぎっくり腰をしました。そばで見ていた私は、ぎっくり腰の大変さを痛感しました。それでも実際に自分がぎっくり腰になってこそ、本当のことがわかるという感じです。五十肩の時は、数回病院へ通いました。温かいタオルを肩においてもらい、マッサージをしてもらったことは、気持ちよい心地よい記憶としてよみがえります。ぎっくり腰に関しては、周りの人に経験者が多くいるのでいろんな情報を得ています。病院へ行ったとしても、あまり良い結果は出ないようです。病院へは行かないで、とにかく安静にしようと思いました。体を動かすことができないので、立ったままでできることはこなしました。体の自由が無いということの不自由さは、精神的にも大打撃です。イライラしてきます。トイレへ行くのも、服の着脱も大変です。家事もできません、自分のことだけで手がいっぱいです。
三日が過ぎて、少し回復の兆候が見えてきました。徐々にですが、体が硬直状態から脱してきたようです。少しずつ体が柔らかさを取り戻してきたようです。明るい先の見通しが見えてきてほっとしています。歳忘れ症候群にならないように気をつけようと思っています。用心用心ご用心です。

2018年6月4日月曜日

美しいバラの花


 先日三重の家の近くにあるバラ園へ出かけました。今までにあちこちのバラ園へ行っていますが、身近にあるバラ園のことは情報不足で行っていませんでした。広い農業公園の一角にあります。ここにはレストランや農産物の売店、芝生の中のグランドゴルフ場や体験農場などがあります。平日だったので人はまばらでした。いろんな種類のバラがあります。色とりどりに咲いています。4月から5月中旬が見頃だったようで、満開が終わったバラもありました。







大輪のバラでした

煉瓦の壁にピッタリ

植物園のように、バラだけでなくいろんな花を見ることができました。あまり目にすることのない、珍しい植物もありました。冬場は温室になるところでは、睡蓮が咲いています。おとなしそうな白と薄いピンク色です。小ぶりの花を咲かせています。ゆっくり散策しながら、バラだけでなくいろんな植物を鑑賞することができました。

不思議な花を咲かせているスモークツリー


温室では睡蓮が咲いています

バラの販売もしています



2018年6月1日金曜日

 映画鑑賞「92歳のパリジェンヌ」


 先日DVDレンタルで「92歳のパリジェンヌ」を観ました。タイトルから面白く可笑しい物語を想像していたのですが、フランスの高齢者問題を取り上げたものでした。実話に基づくものです。



映画は、92歳の女性がパリの雑踏の中で車を運転するシーンから始まります。操作にミスを起こし立ち往生してしまいます。毎日の生活の中での行動をメモ書きした項目の「車の運転」に、線が引かれます。彼女は長年産婆さんをしてきました。社会活動に積極的に取り組み、デモにも参加していました。息子と娘は、結婚して家族を持ち別に暮らしています。夫亡きあとは一人暮らしです。高齢になってからは、家政婦が通いで来てくれています。



30年ほど前から決めていたことがありました。自分のことが出来なくなったら、その時は命の最期の時、自分の意思で人生にピリオドを打つというものでした。排泄問題も生じてきます。動きにも制限がかかってきます。小火も起こします。皆が集まり、92歳の誕生パーティーが開かれました。息子、娘、それぞれの家族、孫もいます。その席で、彼女は発表します。息子、娘は、母の考えにショックを受けて、猛反対します。息子は、母の希望を受け入れられず、最期まで猛反対を続けます。娘は、始めは猛反対でしたが、母に寄り添っているうちに理解できるようになっていきます。娘は母を「信念の人」と捉えていました。強い信念を持って生きてきた母は、どんなに反対されても必ず自分の信念を通す人だとわかっていました。子育ての時代の母の姿が、オーバーラップされます。母とのいろんな思い出のシーンが、よみがえります。母の気持ちに寄り添い、支援する立場に変わっていきます。トイレで立ち上がれなくなった時には体の自由がきかなくなり、小火を起こして入院します。病院では心臓発作を起こし最期の時を迎えるはずだった男性が登場します。救急救命医療により命は取り留められましたが、男性は「死ぬ機会を奪われた、機械の力で生かされる」と、嘆きます。医師とのやりとりもあります。彼女は「もう助けてほしくない。私は最期の時を迎えたい」と訴えますが、医師は「法を冒すことはできません」と、突っぱねます。高齢者患者たちの合唱が流れてきます。「私達は、早く旅立ちたい」と歌います。



娘の支援を受けて、人生最後の思い出作りを実行します。大切な品々の整理、片付けを、着々とこなしていきます。いよいよ最期の時です。娘家族は、母からの最後の電話を待っています。「いろいろとありがとう。家族を大切に」との最後のメッセージです。息子は、車の中で最後まで苦しみ続けています。安楽死ではなく、自殺ほう助でもなく、92歳のパリジェンヌは、自分の意思で信念を貫き旅立ちました。考えさせられる映画でした。