2013年1月18日金曜日

雪舟の寺へ


 良寛さんの寺、円通寺へお参りしてから、倉敷市の北に位置する総社市にある宝福寺を訪れました。

 宝福寺は、天台宗の僧・日輪が開いたとされ、千年を超える歴史を持つ古刹です。三重塔は国の重要文化財に指定されています。水墨山水画の巨匠、雪舟(1420年生まれ)が、少年期に修行し、落ちる涙でネズミの絵を足の指で描いたという逸話でもよく知られています。岡山県の史跡に指定されている境内は、紅葉の名所としても有名で、11月中旬から下旬は、たくさんの人が訪れるそうです。

 私達が宝福寺へ着いたのは3時頃で、冬休みということもあり、訪れる人は誰もいませんでした。深い山の中にひっそりと静かにたたずむお寺でした。雪舟がネズミと一緒にいる石像がありましたが、雪舟が後ろ手に縛られている姿だったので、その写真は撮りませんでした。宝福寺でも家族で俳句をいくつか作り、旅の思い出ができました。


 
 

2013年1月17日木曜日

良寛さんの寺へ


 冬休みに家族で、岡山県倉敷市にある円通寺を訪れました。円通寺は、越後生まれの若き良寛さんが、長年修行をした曹洞宗の寺で、瀬戸内海を望む小高い山の上にあります。自然の地形や岩を、巧みに取り入れた庭園が広がっていました。近くには円通寺公園と国民宿舎もあり、四季折々の花が見事だそうで、風光明媚なところです。円通寺で修行した良寛さんは、その後全国を行脚して、後世に名を残す僧となったのは、周知の通りです。子供達にもよく知られている良寛さんは、どんなに気さくであったろうかと、その人柄にどんどんイメージが広がります。犬や馬と肩を寄せ合ってほほえむ石仏を見て、こちらもほほえんでしまいました。


源平水島合戦の古戦場や美しい瀬戸内海が見渡せる場所に立ち、家族で俳句を詠みました。義母は長年俳句の同人に入っているので、いろいろヒントを言ってくれて、にぎやかな俄か句会となりました。

 
冬休みということで、円通寺を訪れる人もなく静かなものでしたが、ヘルメットをかぶった中年男性が、一人静かにお参りされているので印象に残りました。オートバイでツーリングをされているようでした。
円通寺の本堂は茅葺きで、歴史を感じる落ち着いた風情でした。鐘もつかせてもらい、全身をつらぬくよい音を出すことができて、素晴らしい思い出になりました。


2013年1月16日水曜日

京の街歩き-4


 年末年始を京都で過ごし、初詣にあちこちへ出かけました。街歩きをしていると、あちこちで石碑を見かけます。歴史のある京都では当然のことと思いますが、興味を持ちました。

 木屋町通には、桂小五郎と幾松が住んだ寓居跡があり、今は料亭になっています。



三条通には、池田屋騒動のあった池田屋跡の石碑あります。さらに三条通のすぐ南へ入った通りには、坂本竜馬が下宿していた家(酢屋)があります。そして河原町通へ出ると、坂本竜馬と中岡慎太郎の遭難の地の石碑があります。

 
 
 
 

 三条木屋町の高瀬川にかかる三条小橋の際には、佐久間象山の遭難の地の石碑があります。NHK大河ドラマ「八重の桜」の第一回、第二回に、佐久間象山が登場しています。塾を開き、若者達に時代の先端をきって、日本の国の進むべき道を説いています。吉田松陰、勝海舟、河井継之助、八重の兄の山本覚馬などが学んでいました。


 武市半平太の寓居跡の石碑も、木屋町通にありました。

 
 河原町通、三条通、木屋町通だけでも、かなりの石碑を見ました。百五十年ほど前、明治維新という激動の時代をかけぬけた、多くの若き人達が、この界隈を歩き回り、走り回っていたと思うと、歴史が身近に感じられます。

2013年1月15日火曜日

京の街歩き-3

 元日に家族で初詣に出かけた時のことです。寺町通を南から北へ上ったのですが、京都御所に沿っている寺町通の途中で、新島襄旧居の石碑を見つけ、早速写真を撮りました。


 


  今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、新島襄の妻八重を描いたものです。放送は二回終わりましたが、今はまだ会津での八重のお話です。八重は、会津藩が迎えた幕末の戊辰戦争では銃を持ち戦いますが、その戦いで父と弟を亡くし、そのあと京都にいる兄の元に身を寄せます。そして新島襄と出会い結婚し、夫と共に同志社大学の創立に尽力します。結婚生活は十二年と短いものでしたが、夫が亡くなったあとも、八重は八十六歳で亡くなるまで京都で生活します。八重は、男性と対等の立場に立ち、生涯を生き抜きます。今の言葉ではハンサムウーマンでしょうか。女性の目から見ると、とても頼もしく気持ちのよい生き方です。八重の生き方から、何か学び取るものがあるように思います。ドラマが進展するのに比例して、新島襄旧居にたくさんの人が訪れて、さぞかし賑わうことと思います。

2013年1月14日月曜日

成人の日

 今日は成人の日です。テレビでは全国の成人式の模様を伝えています。華やかな振り袖を着た女性達の映像が出ています。
 今から○十年前、私は市の公会堂で催された成人式に出席しました。当時は今と違って、振り袖を着る人の方が少なく目立つ存在でした。二人の姉がいる私は、着ようと思えば振り袖を着ることができる状況でしたが、着ませんでした。上の姉のために、母は刺繍を縫ったとてもきれいな振り袖を作りました。下に妹が二人もいるので、三人の娘が着ると思えば、母も力が入ったのでしょう。母は、私が振り袖を着て成人式に行くと思っていたようです。せっかく振り袖があるのだから、着るであろうと期待していたと思います。しかし私の心境は複雑でした。華やかな振り袖を着て、目立つのがいやでした。中学を卒業して、紡績工場へ就職した友達もいます。故郷を離れ寮生活をしていました。立派な社会人です。それに比べ、私は親の羽の下でぬくぬくと毎日を過ごしています。極力目立たないように質素に黒のスーツを着て、成人式に出席しました。毎年新成人が「君が代」のピアノ伴奏を弾くのが恒例になっていて、私も頼まれていました。振り袖を着てピアノを弾くのは弾きにくいから、洋服で出席するということを母に伝え、母は仕方ないと納得してくれました。私の成人の日の思い出は、質素に質素に、目立たないように、静かにピアノを弾いたというものです。
 兄も二人の姉達も成人式には出席していません。遠くの大学へ行っていたので、冬休みも終わり学校が始まったばかりで帰れなかったのです。私は、自宅から通学していたので出席することができました。
 成人の日を迎えて変わったことは、選挙権を得たことです。学生の身分で二十歳を越えても、親の羽の下にいるのでは、世間の冷たい風にもあたりません。就職して社会人になっている友人達に、申し訳ないような気持ちでした。
 親の庇護からの旅立ち、それこそが私にとって本当の大人になることでした。それは結婚して親元を離れた時です。完全に独立、自立した自分がいました。一人ではなく二人ですが、本当の大人になったのだと思いました。「すべてのことを自分達で決め行動する」本当の大人になった自覚と覚悟、喜び、誇りが、ひしひしと沸き起こってきたのを思い出します。

2013年1月13日日曜日

京の街歩き-2

 京の街歩きをしていると、不思議な光景が目に入ってきました。この真冬に簾をかけている家があるのです。それも多くの住宅にかかっているのです。とくに先斗町、祇園新橋通、宮川町などの花街を歩いているとさらに多く二階に簾がかかっているのです。簾は夏のものと思い込んでいる私は、この意外性に驚きました。京都といえば、町家では毎年、建具、敷物など、住まいの中を夏用、冬用に入れ替え、テレビ、本などではその模様をとりあげ「設え(しつらえ)」という言葉を使っています。「設え」という言葉には、日本古来から伝えられてきた日本的な文化の響きを感じます。






 私の実家は京都ではありませんが、私の記憶にある限り、子供の頃からずっと、毎年夏用冬用の建具、敷物、衝立、簾、座布団から掛け軸まで、毎年入れ替えていました。それはずっと父の仕事でした。私は大変なことだと思いながらも、それが当たり前のような感覚でした。その感覚で、京都の冬にもかけられている簾を見ると、違和感を覚えます。いつの頃からこういう光景が、見られるようになったのでしょうか。昔からのことなのでしょうか。京都は何かにつけてきっちりするという印象を、私はもっていました。「設え」も典型的なその一つだと思っていました。きっと理由があるはずです。その理由を御存じの方がおられましたら、ぜひ教えて頂きたいと思います。

2013年1月12日土曜日

京の街歩き-1


 京都の街歩きをしていると、民家の中屋根に、面白いあるいは怖い表情をした鍾馗(しょうき)さん、と呼ばれる像が置かれています。中国の唐の玄宗皇帝の夢枕に現れて、鬼を退散させたという魔よけ、火よけの神様です。いろんな姿をしたしょうきさんがいて、表情もいろいろあります。鍾馗さんのことを知らなかった私は、たくさんの鍾馗さんを一堂に並べたら、素晴らしい展覧会になるであろうと想像してしまいました。

 

 また京の街歩きをしていると、たくさんのお地蔵さんに出会います。町内に一つはあるように思います。私も子供の頃は、祖母や母がしていたのが自然と身につき、お地蔵さんの前を通る時は、立ち止まり手を合わせていたのですが、いつの頃からかしなくなっていました。京都の町では、昔からずっと今も、お地蔵さんを敬い拝み、大切に祀ってきたのだと思います。お地蔵さんは、その土地に深く根付いている土着信仰のようなものでしょうか。これからは私も見習いたいと思います。子供の頃を思い出して、お地蔵さんに手を合わせようと思います。

2013年1月11日金曜日

初詣―2


 二日も家族で初詣ツァーに繰り出しました。今度は東の方向へ出かけました。始めに知恩院へお参りしました。創建は1175年、開基は法然上人です。私の実家の菩提寺の浄土宗大本山です。全国に7000ほどの末寺があります。父も母も分骨して知恩院に納骨しているので、私は今までに何度も来ています。御影堂大修理が8年計画で行われており、阿弥陀堂へお参りしました。国宝となっている三門、本堂(御影堂)をはじめとする諸堂は、江戸時代に入ってから建設されましたが、徳川家康、秀忠、家光など、徳川家が浄土宗徒であったため、知恩院はどんどん大きくなり立派なものになっていきました。大鐘楼は日本有数の大きなもので、除夜の鐘をつく様子は、年末のテレビ番組にたびたび登場しています。知恩院へは苔生す石畳の道から上って入りましたが、まるでお城のような立派な石垣が続いています。正面からは三門をくぐって入るのですが、その三門は高さ24メートルもあり雄大なものです。
  

 次に円山公園を通り八坂神社へ参拝しました。阪急四条駅、京阪四条駅から歩いて20分ほどのところにあるので、大阪からもたくさんの人が来ています。人込みの中、参拝をすませ、たくさんの人の波に押されて八坂神社を後にしました。もう少し足をのばせば、豊臣秀吉の妻ねねの高台寺や、いくつもの坂を上って清水寺へ続きますが、今回はここで帰ることにしたのでした。

 

2013年1月10日木曜日

初詣


 一日は家族で初詣ツァーに出かけました。寺町通を南から北へ上り、革堂、下御霊神社、梨木神社、蘆山寺、清浄華院、相国寺へお参りしてから、烏丸通へ出て、護王神社、菅原院天満宮へと、欲張ってたくさんの寺、神社へお参りしました。そして最後に平安神宮へお参りしました。新年のカウントダウンが始まるころから、初詣の人々がぞくぞくと集まるので、拝殿の前にたどりつくのも容易ではありませんが、私達が平安神宮へ到着したのは四時頃だったので、ピークは過ぎていたようでした。それでも大行列に並びやっとのことで参拝できました。
 
護王神社
 
平安神宮
 
神宮道

 年の初めに初詣に行くと、新しい年を迎えたという新鮮な気持ちになります。気持ちがひきしまります。私は、初詣が大好きです。「一年の計は元旦にあり」という諺が頭に浮かびます。どこの寺、神社でも、私が願うことは「家族の健康と新しい年が平穏でありますように」です。寒い中にも太陽が顔を出し、穏やかな新しい年の始まりでした。

2013年1月9日水曜日

お久しぶりです


 今年もよろしくお願いします。新しい年に入り早一週間が過ぎました。昨日夕方無事に戻り久しぶりのブログです。冬休みの間、ノロウイルスに感染することなく、元気に過ごすことができホッとしていますが、まだまだインフルエンザもこれから流行の時期に入るので、油断せずに気をつけねばなりません。

 年末年始は京都で過ごしました。京都といえば京の台所と呼ばれ、毎年歳末になるとニュースに登場する錦市場が有名ですが、私達は出町商店街へ出かけました。有名な餅屋があり、いつも行列をしている不思議なお店ですが、年末にはなおいっそうの客が集まり大行列でした。商店街が続いていて、たくさんのお客で賑わっていました。

 
 京都で年の瀬を過ごすのは、とても楽しいものです。たくさんの寺や神社が、いろんな行事をしています。東山区にある六波羅蜜寺では、「空也踊躍(ゆやく)念仏」が公開されていたので、見に行ってきました。六波羅蜜寺は、空也が平安時代中期(951年)に創建した真言宗の寺で、西国三十三所の十七番札所です。「空也踊躍念仏」は、念仏の広がりに危機感を抱いた鎌倉幕府の弾圧が迫る中、夕暮れ時に屏風の影に隠れて踊ることで、その姿を守り伝えてきたとのことで、国の重要無形民族文化財になっているそうです。住職の説明を聞き、最後にお守りのお札をもらいました。

 
 大晦日の除夜の鐘は、左京区にある真如堂へ行きました。何故か外国の人がたくさん集まっていて、鐘をつくのに多くの人が行列して、順番を待っていました。時間がかかりそうなので、お参りをして写真を撮って帰りました。NHK「ゆく年くる年」には、清水寺がとりあげられ、あふれんばかりの人が映像に映っていました。