2022年10月5日水曜日

過ぎ去った日々(5)

  社会人となった私はピアノ教師となり、忙しい毎日が始まりました。三重県南部の音楽教室の講師として、遠隔地までも通いました。電車、バスを乗り継ぎ、二時間かけての通勤です。太平洋に面する漁村でした。会場は小学校の音楽室や漁業組合の二階でした。海が大好きな私は、バスに揺られながら太平洋を眺め、教室の窓から毎日変わる海の表情に見とれました。春夏秋冬四季それぞれの海の姿は、とても魅力的です。荒々しくも優しく包容力を感じさせてくれます。海の魅力に引き込まれます。土曜日と日曜日には、遠隔地へ出向き、他の日は都市部での仕事でした。長い通勤時間に飽きることなく、読書をしたり、編み物に精を出しました。充実した日々でした。

 共に人生を歩む人との出会いがあり、人生の第二ステージへと更なる忙しい日々が始まりました。父母の大きな愛に包まれ成長した私は、いよいよ両親の元から飛び立つのです。寂しさを感じながらも、新しく始まる未来に期待満々でした。

 親元を離れ、奈良で新生活が始まりました。不器用な私は、すべてを自分一人でこなすのに必死でした。それに加えて意欲満々の私は、仕事も再開しました。自宅でピアノ教室を開きました。住まいはニュータウンです。同世代の人たちがたくさん暮らしています。子どもたちがたくさんいます。ありがたいことにピアノ教室は、大盛況でした。

 娘が二人誕生し、私の役割に母親という大きな任務が加わり、ますます必死に毎日を過ごしました。そんな中でも、子どもはすくすく育っていきます。仕事と家事と子育て、大変ながらも、充実した日々でした。怖いもの知らずの若い私たちは、長期ローンでマンションも買いました。ポアロの転勤で、東京暮らしがあったり、戸建てを買ったり、ポアロの東京での八年にわたる単身赴任があったり、そんな中でも娘たちは最終の進学となりました。

 娘二人が社会人となり、羽ばたいて行った後には、また元の二人の暮らしが始まりました。会社員だったポアロが大阪で起業し、私の履歴にオフィスレディーが加わりました。経理担当としてできる限り出勤しました。生まれて初めてのオフィスレディーです。京都から大阪へ、都会での暮らしです。通勤ラッシュも初めての経験です。興味関心好奇心の旺盛な私は、新しい生活が面白く毎日ワクワクでした。

 都会での暮らしは、良い刺激を受けました。経済的にも少しゆとりが出てきた私は、多岐にわたる勉学を始めました。音楽療法、ホームヘルパー、傾聴、大学で社会福祉の勉強、英会話、フランス語会話、手品、スイミング、さらに華道家元での研修、また東洋のハリウッドといわれた太秦の東映シナリオ学校にも通いました、やる気満々の私でした。

 そんな中で、我が家に大異変が起こりました。下の娘が日本を飛び出し、南仏で暮らし始めていたのですが、東日本大震災が起こり、南仏で東日本を助けようと支援活動を起こしました。そこで出会ったフランス人男性が、共に歩む人生のパートナーになったのです。国際結婚です。私たちの暮らしも変化しました。ポアロが大学での職を得て、岡山県倉敷市での生活が始まりました。大阪の事務所と倉敷と、フル活動の日々でした。そして娘の国際結婚があり、私たちはフランスへ何度も行くことになりました。まだまだ続きますが、今回はこの辺でピリオドとします。

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