2019年10月18日金曜日

逞しき下町ボーイズ


 戦後は一家庭に子供二人というのが多くなったように思いますが、それまではほとんどが5~6人の子だくさんでした。私は、兄が一人姉が四人います。姉二人は幼くして亡くなっているのですが、戸籍上は五女です。生まれても順調に育つのは、難しい時代でした。現代では、医学の素晴らしい進歩により、そういうことも減少していると思います。戦後のベビーブームでたくさんの子供が誕生し、世の中は賑やかになりました。どこの町内でも、たくさんの子供が塊りとなって遊び回りました。
 ポアロは、大阪下町生まれです。彼の子供時代の話は、とても面白く興味をひきます。その下町は、狭い住宅に子だくさんの家族がたくさん住んでいました。狭いながらも、人情味あふれ、子供たちは外で元気に遊び回りました。私と同じように、兄弟5~6人の子もいます。町内には、男の子が多かったようです。いつも遊ぶメンバーは、男の子8人ほどです。その内の兄弟二人のお兄ちゃんが、時々皆に召集をかけます。近郊とは言え、大阪からずいぶん距離のある所まで遠征するのです。自転車で遠出するのです。その頃ポアロは、小学校5年生ぐらいです。子供用の自転車はみんな持っていません。大人用の自転車に乗り、当時定時制高校1年生のリーダーのあとをついて出発です。途中大きな川を渡ります。自転車を置いて、川の向こうへ行こうという冒険が始まりました。長いロープで子供たちを繋ぎます。リーダーの指示どおり、子供たちはしっかりロープを握ります。その辺りには飛行場もあり、子供たちにとっては興味ひく冒険地帯です。
 夏休みには、キャンプに出かけます。瀬戸内の小豆島へと向かいます。大阪からは大きな船に乗ります。定時制高校生のリーダーは友達を誘い、リーダーは二人となりました。テントをはじめ、キャンプするためのいろんな物を、皆が分担して持ちます。大きな重い物は、リーダー二人が担ぎます。親元を離れ、二泊したそうです。
 そんな話を聞いて、私は感動しました。現代は少子化です。親が子供にべったりです。いたり尽くせりの子育てです。昭和三十年代は、親は生きて行くのに必死です。放任主義のようにも見えますが、子供を信頼して突き放しています。町内には、しっかりしたお兄さんリーダーがいます。弟たちだけでなく、町内の子供たちの面倒をよく見てくれます。今の社会では想像できないほどの、子供の世界です。親分肌というほどの、お兄さんリーダーです。彼には、社会人となっている兄と姉がいて、二人の弟との5人兄弟の次男です。彼の持って生まれた資質は、親分であり社会のリーダーです。その後彼は、町工場の社長となり活躍されています。

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