我が家の小さな庭にも、季節折々にいろんな種類の雑草が顔を出します。雑草もかわいい花を咲かせます。その一つ八重葎(ヤエムグラ)について、少し知識を得ることができました。
先日のことです。ポアロ(夫)が一本の草を手にして「この草の名前知ってる?」と聞くのです。雑草について何も知らない私は「よく見る草だけど名前は知らないわね」と答えると、ポアロの蘊蓄(うんちく)が始まりました。
|
八重葎の密生、4月になって急に出てきました |
|
ドクダミと八重葎 |
名前は八重葎、和歌にも詠まれているというのです。同じ年齢の私達です。対抗心が沸き起こってきた私は、早速タブレットで調べました。小さなタブレットですが、何でも教えてくれる強い味方です。
「八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり」
恵慶法師(えぎょうほうし・十世紀頃の歌人)の作で、百人一首にもあります。「つる草が何重にも重なって生い茂っている荒れ寂れた家。訪れる人は誰もいないが、それでも季節だけは移り変わり秋はやってくる」というものです。ここに登場する八重葎は、家などが荒れ果てた姿を表すときに象徴的に使われる言葉だと知りました。タブレット勉強を進めていくと、京都の河原院で詠まれたということも知りました。はて河原院とは?河原左大臣と呼ばれた源融(みなもとのとおる・822~895)が、京都六条に造営した豪邸で、大庭園として有名だったとのことです。恵慶法師の時代には河原院は荒れ果て、廃園を好む歌人たちがよく訪れていたと書かれています。鴨川のほとりの五条大橋の近辺で、遺跡として標識が立っているそうなので、早速訪ねてみようと思います。源融は、嵯峨天皇の皇子で「源氏物語」の主人公光源氏の実在モデルの一人といわれるそうです。源融の和歌も百人一首にあります。
「みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに」
百人一首といえば、高校時代の学習でいくつかは記憶に残っています。父の趣味であり、お正月のカルタとりでなじみのあるものでした。子供達も大好きになり、夢中で遊んだものです。父はいつも詠み番で、父の朗々とした声を懐かしく思い出します。
|
我が家の年季の入った百人一首 |
庭の雑草から発展したタブレット勉強は、またまた私の興味・関心・好奇心を呼び起こしました。家の近く京都寺町には、小倉百人一首の撰者、京極殿と呼ばれた藤原定家(1162~1241)の京極邸址もあります。藤原定家の詠んだ歌
「来ぬ人を まつ帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」
近々百人一首を巡る旅をスタートさせたいと思います。九州から東北まで広がっているようです。また京都に残る百人一首ゆかりの遺跡も訪ねたいと思います。チャリダーくらぶで颯爽と。