2015年3月3日火曜日

思い出(ひなまつり)


 今日は三月三日桃の節句ひなまつりです。思い出のひなまつりは、私が子供だった時、そして娘達の小さかった時、どちらも懐かしい思い出です。



 三人姉妹の末っ子である私は、小学校を卒業するまで、飾ってもらいました。一大行事でした。ずいぶんと長い間、おひなさま達とつきあったような気がします。飾る時のワクワクさと、片付ける時の淋しさを味わっていました。欄干がついている寝殿造りの七段飾りでした。私が大きくなって飾らなくなってからは、そのひな飾りはよそへもらわれていき、私の記憶から遠のいていきました。
 それから十五年の年月が流れ、長女が生まれ、初節句のお祝いに両親から立派なひな飾りが届きました。七段飾りのひな飾りは、狭いマンションの一室を独り占めしました。現代では考えられないほどの、父と母の選択です。田舎の大きな家ならともかく、住宅事情からは不釣り合いのものでした。父と母の愛情の表れだと、私は嬉しくとても感謝したものです。そして下の娘が生まれた時は、木目込みのおだいりさまとおひなさまを、他県に嫁いでいる私の元へ、父と母は、大きな箱を携え、片道三時間もかけて、初節句のお祝いを届けてくれました。その時の父と母は、ちょうど今の私と同じ年齢です。六十代でした。父も母も私達も、本当に若かったとしみじみ思います。
 二人の娘と私は、ひなまつりの歌を歌いながら毎年ひな飾りをしました。子供達はいつも大喜びで飾りつけをし、本当に小さい時は、おひなさまになって段に座ったりもしていました。片付けるのは少し淋しくなりますが、それでもワ-ワ-、キャ-キャ-騒ぎながら、楽しみながらしたものです。
 そういうひな飾りが十年ほど続き、東京へ転勤となり、一段と狭い社宅暮らしがスタ-トし、おひなさまたちは実家へ預かってもらうことになりました。その後しばらくひな飾りと御無沙汰してしまうことになったのです。
 東京暮らしが終わる頃には、子供達も大きくなり、念願のマイホ-ムを持った時には、七段のひな飾りにふさわしい八畳の和室に飾り、落ち着いたひなまつりを迎えることができました。しかし子供達が高校、大学受験の年齢になるにつれ、ひな飾りが遠のいていきました。何回もの転居もあり、おひなさまたちはお蔵入り状態となり、それでもそのあと数回は七段飾りをしましたが、手軽な木目込みの方を、毎年飾るようになりました。




 










 ひなまつりは女の子の健やかな成長を願い飾る
節句ですが、今は娘達の幸せを願って飾っています。

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