2013年11月15日金曜日

「かあこ1年生」 (7)節分


 かあこの絵日記には、日々の暮らしの中での行事がよく出てきます。節分は、毎年の恒例行事でした。家族総出の大切な行事でした。この日の夕食には、イワシが出ます。父が、焼いたイワシの頭とひいらぎを表玄関と裏玄関に飾ります。おばあさんが、大豆をたくさん煎って準備をします。子供達は、お面作りです。行事を通して、家族のつながりや、感謝や祈りの気持ちが、育まれたように思います。

かあこの絵日記です。

『きょうのよる、せつぶんをしました。わたしは、おにのめんをかぶりました。ねえちゃんが、おたふくさんです。そして、おまめもまきました。わたくしは、そとにおいだされたので、うらから、いえにしのびました。あとで、おまめをとしだけたべました』

 


2013年11月14日木曜日

「かあこ1年生」 (6)お月見


 かあこの絵日記には、日々の暮らしの中での行事がよく出てきます。お月見は、毎年の大切な恒例行事でした。中秋の名月、十五夜の美しい月を見ながら、秋の収穫を感謝し、祈りを捧げます。お月さまに、ススキや萩と一緒に収穫した食べ物もお供えしました。

かあこの絵日記です。

『きょうはおつきみでした。おもてへえんだいをだして、かびんにすすきとはぎとさしておそなえしました。おぼんには、まめとくりとおだんごをのせておそなえしました。おねえちゃんとわたくしと、おもてでおつきさまのでるのをまちました。けれども、たいふうでくもがおおくて、なかなかおつきさまのかおがみえません。わたしははりあいがありませんだ。ごはんがすんでからみんなでらじおをきいたり、えんこらえんをしました。おばあさんが「おやすみ」といって、おもてへでられました。そしたらおばあさんが「おおきなおつきさまがでているよ」とおっしゃったのでみんなおもてへとびだしました。そしてみんなでおつきさまをおがみました』

 
この日の先生の赤ペンコメントは「おつきみのようすがよくわかりますよ」でした。

2013年11月13日水曜日

「かあこ1年生」 (5)墓参り


 かあこの絵日記には、日々の暮らしの中での行事がよく出てきます。お彼岸のお墓参りも欠かせないものでした。いつも帰りにお菓子を買い、仏壇へお供えするのですが、かあこは、それも楽しみになっていました。お墓参りは、御先祖様を偲ぶとともに、御先祖様から自分へと、脈々と命のリレ-が続いていることを教えてくれます。

かあこの絵日記です
秋のお彼岸です。
『きょうはおひがんです。おかあさんとおねえちゃんとわたしとさんにんでおはかへまいってきました。おはかまいりをすませて、かえりにぱんじゅうをかってもらいました。おうちへかえって、ほとけさまへもおそなえしました』
 

この日の先生の赤ペンコメントは「おひがんでせんぞをまつる日ですからね」でした。
 

もう一つ春のお彼岸です
 『きょうは、おねえさんと、おばあさんたちと、おじいさんの、おはかへ、まいりました。おみずや、おはなや、おせんこを、かざりました。そして、かえりに、おかしを、かいました』
 
 

2013年11月12日火曜日

「かあこ1年生」 (4)


 かあこは、学校から帰ると毎日元気に遊びました。家の近くにあるお寺には、いつも村の子供達が集まります。お寺の境内は、いつも子供達の社交場でした。小さい子供から小学6年生までの幅広い年齢の子供の世界でした。子供達の好きな遊びは、学校ごっこや運動会でした。ある日の学校ごっこは、かあこの二歳年上のお姉ちゃんが先生になりました。生徒は五人です。

かあこの絵日記です。

『きょうはあめがふったのでおてらでがっこうごっこをしました。そして、のりこねえちゃんが、せんせいで、さっちゃんと、ようこちゃんと、とよちゃんと、まあちゃんと、わたしと、せいとになりました。そして、せんせいが「9+1はいくつでしょう」といったので、わたしとまあちゃんがてをあげました。せんせいは、まあちゃんにあてました。まあちゃんが「9」といったので、せんせいは「ちがいます」といいました。みんなは、まあちゃんがまちがったのでわらいました。まあちゃんは、まちがったのでかおをふくでそっとかくしました。せんせいが「そんなにわらうんやったらたたせるんなっ」といったので、みんなくちをむすびました。せんせいが「つぎかあこさんいままさこさんがしたのをしてください」といったのでわたしが「10」とこたえました。せんせいが「よろしい」といったのでわたしはうれしかった』


この日の先生の赤ペンコメントは「学校ごっこが本当によくわかっていますよ。あなたもいっぺん読んでみて下さい」でした。

2013年11月11日月曜日

「かあこ1年生」 (3)


 一年生7人組はいつも一緒です。学校へ行く時も帰る時も一緒です。帰りは遊びながら帰るので、ずい分時間がかかります。

 ある日のことです。朝から雨がたくさん降って、帰る頃には雨は上がったのですが、道はぬかるんでいます。傘を持って長靴をはいている7人は、それが面白くて道の横の田んぼへ入っていきました。造成中の田んぼで、新しい土が入れられています。長靴がゴボッゴボッと、土の中へ埋まっていきます。7人は、面白くてワ-ワ-キャ-キャ-言いながら、歩き回りました。その時です。かあこの足が土の中に入り込み、抜けなくなってしまいました。足を一生けん命上へひっぱり上げようとしても、まるで土の中から誰かが、ひっぱっているように抜けません。かあこは、泣きべそをかいてしまいました。みんなはびっくりして、かあこのところへ集まってきました。かあこの立っている辺りが、一番悪い状態だったようです。みんなはそれがわかって、怖くてかあこのそばへは近寄れません。すると、仲間の中で一番体の大きい、子供相撲の横綱ほどの、縦にも横にも立派な体格のきねおくんが、かあこを助けようと、かあこの手を全力を出してひっぱりました。かあこの足は抜けました。この時の恐怖を、かあこは忘れられません。きねおくんは、まるで気は優しくて力もちの金太郎のようだと、かあこは思ったのでした。

2013年11月10日日曜日

「かあこ1年生」 (2)


 夏休みが終わって、9月になると、毎日絵日記を書くのが宿題になりました。かあこの担任の先生は、おじいさん先生です。とても優しい先生で、一度も怒ったことはありません。

 毎日学校から帰る時に、紙を一枚もらいます。絵日記を書いて、次の日の朝先生に渡します。先生は、絵日記を読んで赤ペンで短く感想を書いて返してくれます。そして又次の紙をもらって帰ります。絵日記の宿題は毎日続きます。かあこの絵日記も、たくさんの量になってきました。

 ある日の図工の時間に、絵日記を綴じる表びょうしと裏びょうしを作りました。そしてひもで絵日記を綴じていくのです。かあこは、絵日記を書くのが、面白くなり好きになってきました。今日は何をしたかをよく考えて、絵と文を書くのです。

 でも絵日記を毎日書くということは、大変なことです。お友達と遊んだことも書きます。夕食は何を食べたとか、家族との何でもない関わりとか、時には兄弟げんかをしたことも書きます。しばらく経つと、かあこは、毎日絵日記を書くのがめんどうになってきました。ついつい「学校から帰って遊びました。そして夕ごはんを食べて、お風呂へ入って寝ました」というような短く簡単な、そして毎日同じ絵日記を、しばらく続けて書きました。すると先生から「だいぶんなまけのすけになってきましたね」との言葉をもらうようになってしまいました。かあこは、先生のこのひと言で奮い立ちました。先生から、同じ言葉をもらわないように、頑張ろうと思いました。

2013年11月9日土曜日

「かあこ1年生」(1)


 かあこは一年生になりました。嬉しくて跳びはねています。一年生になってたくさんのお友達ができました。

 かあこの住んでいる村は、町の隣にあります。村と町の間を電車が走っています。かあこは、いつも線路を越えると町に変わると思っていました。かあこは、線路を越えると突然おすましになりました。

 かあこの家はお百姓です。かあこの住んでいる村は、とても小さな村で、八軒のお百姓さんがありました。かあこは、一年生になるまで、町の子と遊んだことがありません。村には同じ年の子が七人いました。女の子は、かあことさっちゃんとまあちゃんです。男の子は、きねおくんと、まさおくんと、ゆきおくんと、ひろしくんです。小学校へ入学するまで、いつも一緒に遊ぶ仲良し七人組でした。

 町の女の子は、おしゃれなかわいい服を着ています。かあこは、お母さんが作ってくれた服より、町の子が着ている服の方が、おしゃれでかわいい服だと思い始めました。自分は田舎に住んでる田舎者だという気持ちになったのです。町の子と田舎の子、どこが違うのでしょうか。町の子のお父さんの仕事は、お店をしているか会社へ行っている人ばかりだったのです。かあこの村は、みんなお百姓さんです。朝から夜まで土にまみれて働きます。農作業する服装はかっこいいものではありません。かあこは、考えれば考えるほど、町の子と村の子の違いに気づくのでした。そういうわけで、線路を越えるとどうしてもおすましになるのでした。

2013年11月8日金曜日

私の好きなもの


 たくさんある楽器の中で、私が一番好きなのはピアノです。八十八鍵あるピアノの最も低い音から最も高い音まで、十本の指で自由に音を奏でます。同時に十ケ以上の音を出すこともあります。親指から小指まで精一杯広げても1オクタ-ブプラス1~2音ですが、リストの超絶技巧の曲などは、手が、指が、鍵盤の上を跳び跳ねます。ピアノを弾くことに関しては、手が大きい人のほうが断然楽々です。女性と男性を比べると、手の大きさはもちろん、体格の大きさにも差があるので、女性は不足分だけ苦労しなければなりません。難曲はさておいて、ピアノを弾いて楽しむことは、小さな子供から超シニアまで、誰でも楽しめます。それは素晴らしいことです。

 たくさんあるピアノ曲の中で、私が好きなのは、ショパンとベ-ト-ヴェンの曲です。ショパンは軽やかで、ベ-ト-ヴェンは重々しく感じます。ショパンはどことなく悲しげ淋しげで、哀調を帯びているような音の流れを感じます。ベ-ト-ヴェンは、曲の中に彼の苦しみが込められているような音の流れを感じます。ショパンやベ-ト-ヴェンの曲を弾いていると、悲しみや苦しみを分かち合うことができるような気がします。ショパンやベ-ト-ヴェンと一体になれる喜びを感じます。

 ピアノという一つの楽器だけで、奥行きも幅も高低も、無限に広がっているような立体感を出せます。他の楽器は、それ一つだけでの演奏となると、曲の美しさはありますが、物足りなさを感じます。オ-ケストラとの協奏曲になると、ダイナミックな曲になるので好きですが。

 毎日FMラジオから聞こえてくる「弾き語りフォーユ-」は、大好きな番組です。家事をしながら(おもにアイロンかけ)ピアノの調べを聞くのは、私の小確幸(村上春樹氏の言葉)です。ほのぼのとした気持ちになります。爽やかな気持ちになります。ささやかな幸せを感じます。今ある自分に感謝の気持ちが芽生えます。

 

2013年11月7日木曜日

今思うこと(2)


 連日ニュ-スで取り上げられているメニュ-の偽装表示問題は、次から次へと広がっています。一流ホテル、名門百貨店、老舗旅館も同じ穴のムジナでした。消費者の立場からすると、とても信じられない事実です。一流、名門、老舗という言葉は、他より高くてもそれは当然、仕方のないことと捉え、その代わり百パ-セントの信頼を寄せていました。ここへきてその信頼は裏切られ、ブランド、一流、名門、老舗という名は、地に落ちたように思います。今迄も米、肉など偽装表示はありましたが、一流、名門、ブランドではなかったと記憶しています。「お客様は神様」という言葉は、死語になっているのでしょうか。我が身だけのもうけだけを、追求していたのでしょうか。トップの記者会見では、偽装表示とは認めていません。認識不足、確認不足による誤表示と言っています。お客様をこれほども馬鹿にしていたのかと、本当に驚いてしまいます。呆れ返ります。

 世界から尊敬を集め、あこがれの目を持って日本を見てくれている外国に対し、恥ずかしい限りです。新渡戸稲造(1862~1933)の「武士道」に書かれている義・勇・仁・惻隠の心・礼・誠・名誉・忠義はどうなったのでしょうか。日本人としての誇りを失ってしまったのでしょうか。企業の利潤だけが、一番大切な目標なのでしょうか。どの世界においても人と人との信頼が、一番大切だと思っている私には理解できないことです。どんな人間にも良心はあると思っていますが、信頼を裏切って良心の呵責はなかったのかと尋ねたいものです。人間としてのたがが、ゆるゆるだったのかもしれません。

 司馬遼太郎(1923~1996)が子供達に遺した「二十一世紀に生きる子供たちへ」を読んでもらいたいと思います。

 「君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そしてすなおでかしこい自己を。21世紀においては、特にそのことが重要である。21世紀にあっては、科学と技術がもっと発展するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向へ持っていってほしいのである」

 ずる賢い大人、卑怯な大人にはなってほしくありません。夏の甲子園の選手宣誓で若者たちが口にする「正々堂々と闘う」の言葉のように、正々堂々と生きて行ってほしいと思います。間違いに気づいた大人も、スタ-トに戻り正しい道を歩いてほしいと思います。

2013年11月6日水曜日

徒然に想ううた 短歌三首


秋好きと 告げる私の 心内

 

     人恋しくて 多き歌詠む

 

 

仰ぎ見る 飛行機の先 あの人を

 

     想う私に 真白き雲が

 

 

今は亡き 愛犬つれて 空の上

 

     共に旅する 世界日本を