先日図書館で大活字本を借りてきました。太田治子著「母の万年筆」です。上下二冊を三日で読み終えました。シニアになってから大活字本の存在を知り、助かっています。
太田治子さんは、以前から気になる作家の一人です。彼女の父は太宰治、母は太田静子です。生まれた時から父親不在という環境で育ちました。母太田静子が亡くなるまで、母と娘の強い絆を持って生きてこられました。母静子は文学を志し、太宰治を師として、治子さんが生まれるという関係に発展したのです。経済的にも大変な状況の中、母静子は一人で娘治子を育てていきます。本を読んでいて、胸が詰まるような場面に何度も出会います。「母は強し」という言葉が頭をよぎります。誰にでもできることではありません。母と娘との関係は一卵性双生児のようでもあり、時には激しくぶつかり合いお互いに傷をつけることもあります。娘は母の絶大な愛情を一身に受けながらも、時にはそれが疎ましく思えるのです。兄や姉が何人もいた私からすれば、母の愛情を一人じめできる治子さんが少し羨ましくもありました。父親と娘、あるいは母親と息子の関係は、異性というクッションがあるので、ぶつかり合うことも少ないように思います。ベールを被ったようなところがあるからです。父親と息子、母親と娘の関係は、同性ということで何もかもあからさまに理解できていると思うところが間違いを生じさせる原因だと思います。本を読んでいて、母と娘の大きな深い確執を感じました。どちら側からも、たった一人の人間を百パーセント見て捉えているのです。少しの距離を置くという必要性を感じました。
何年か前から耳にする言葉ですが、「毒母」というのは信じられません。命をかけて生んだ娘との関係が、いつどこで狂い出したのでしょう。愛情を注ぎ一生懸命育てた娘から「毒母」と思われるとは、何と残酷なことでしょう。理解に苦しみます。お互いへの感謝の気持ちが低いのかもしれません。母と娘であれ、人間同士、思いやりと感謝の気持ちは大切です。
太田治子著「母の万年筆」を読んで、考えさせられました。
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