台風19号が日本に近づいている連休の中日の朝、我が家の小さな庭に来客がありました。庭の隅に植わっている萩のそばにいる鳩を発見しました。家事をしながら時々鳩に目をやる私は、鳩があまり動かないことに気付きました。目はキョロキョロとし、頭は動かすのですが、体はじっとしています。何かおかしい、どうしたのかと不思議に思いながらも、家族で朝食を済ませたあと後片付けをしていました。
するとポアロ(夫)が「大変だ!カラスが鳩を追い回している」と大きな声で言い、カラスを追っ払いに庭へとんで行きました。するとじっとしていた鳩が、カラスに追われて私達のいる方へ寄ってきたのです。羽が傷ついているのか鳩は飛べないようです。飛べないけれどピョコピョコとは歩けるようです。
これは大変なことになったと家族で大騒動です。私達は定住していないので家では飼えません。近くの小学校へ持って行ったらどうか。交番へ届けたらどうか。などいろいろ意見が出ました。我が家の生きもの係でもある娘は、鳩のそばへ行って観察します。「足に輪っかが付いてるよ。伝書鳩みたい」と言い、輪っかに刻まれている番号を読みあげます。それからはポアロもインタ-ネットで情報収集です。その番号からわかったことは、今年の登録番号で個人の所有するレ-ス参加の鳩ということでした。インタ-ネットの情報では、レ-スに参加する鳩は選ばれた優秀な鳩で、50キロとか100キロとか、最高で500キロも遠い距離を飛ぶそうです。血統書もついていると書かれています。迷い込んできた鳩は、羽の色も模様もきれいです。ポアロが伝書鳩協会と鳩レ-ス協会へ電話しましたが、東京の本部は連休なので誰も出ません。次に鳩レ-ス協会に所属しているという大手個人のネット情報を見て隣の市へ電話しました。運よく人が出てくれたので、事情を説明し、鳩の登録番号を伝えました。その人はすぐ調べてくれましたが、把握している中にはないということでした。私達の住んでいる市に連絡できる人がいれば連絡してほしいと、こちらの電話番号を伝えました。しかし夕方になっても夜になっても電話はかかってきませんでした。台風19号が近づき夕方からは雨が降り出しました。娘は鳩が濡れてはいけないと、ブロックやレンガや材木で、小さな雨よけのための家を作りました。鳩が自由に出入りできるような小さな囲いです。人間になれている鳩は、娘のしていることをそばでじっと見ています。そして完成した家に入っては出てを繰り返します。言葉は通じなくても人間のすることを理解しています。かわいいくりくりした目で私達を見ます。雨がきつくなり、鳩は娘の作った家の中でじっとして夜が更けていきました。
朝、私が一番に鳩の様子を見ました。雨はずい分降っています。鳩は昨夜と同じく家の中でじっとしています。家族三人で朝食を済ませ、少量のパンを細かくして鳩のそばへおいてやりましたが、いつもの食べ物とは違うのでしょう、鳩は食べません。台風が近づいてきているので、私とポアロは午前中に京都へ移動した方がよいと考え、急いで家を出ました。鳩は、しばらく休んだら飛べるようになるだろうと、明るい推測をしたのです。そして京都へ着いてから娘に電話をかけて、鳩の様子を聞きました。「朝からずっと家の中にいて、パンは食べていない模様。雨がどんどんきつくなってきたので、ずぶ濡れになって鳩の家の補強をした」と言います。
鳩のことを気にしながら、再度夜娘に電話をかけました。すると娘の様子がおかしく嗚咽の気配です。夕方、娘が鳩の様子を見に行こうとドアを開けたところ、庭一面に広がる残酷な無惨な鳩の姿が目にとびこんできたのです。鳩は襲われて追い回されて、羽は庭にちらばり体は食いちぎられていたそうです。その時は大雨洪水暴風警報が出ていました。娘は家の中にいて、外の異変には気付かなかったそうです。あまりのショックで行動は起こせないと言います。台風19号は、夜9時には関東地方へと遠ざかっています。私は鳩の後片付けをするため、急遽翌日の朝に戻ることにしました。
ポアロは仕事で岡山へ行きます。京都駅で別れました。私は普段ほとんど電車に乗ることはありません。どこへ行くのも車です。一人で電車に乗るのは本当に久しぶりです。緊張します。でも鳩を弔い見送らねばなりません。緊急事態発生です。幸いなことに、この日は隣に住んでいる姉が在宅で助けてもらえました。姉に手伝ってもらい、何とか仕事を終えました。
たった二日あまりの鳩との出会いでしたが、情は生まれています。悔やまれることは、連休で協会にSOSが届かなかったことや、台風が近づいている為に私達が早く家を出たことと、仕事のために移動せざるをえなかったことなど、いろいろ理由があがります。自然界に生きる命あるものすべてが、弱肉強食の世界です。悲しいけれどそれは掟です。飛べなくなった鳩は、子羊です。他の生きものが生きるための、標的となり餌食となります。人間がそばにいることは、鳩を守るための最高の手段だったと思います。犯人はカラスか猫か、何者かはわかりません。無惨な姿の鳩が、何時間を経てかは不明ですが、庭から数メ-トル離れた物陰に移動していたので、犯人はイタチかもしれません。
娘は、突然あまりにもひどい惨状を目にして、庭に出られないほどのショックを受けました。鳩に愛情を注いだ分、衝撃も大きかったことと思います。今もPTSD(心的外傷後ストレス障害)が残っているようです。今、私にできることは、鳩の冥福を祈るとともに、娘の心の傷が癒やされ、本来の元気な姿に戻る日が早く来るのを祈ることです。