2017年12月11日月曜日

知るを楽しむ

 何歳になっても知らないことはたくさんあります。百歳になった人が、すべてのことにおいて百点満点の知識があるとは思えません。生きる上での知恵は、若い時に比べたくさんのことが身についているとは思いますが。
 先日家族がまだ寝ている休日の早朝、早く起きた私は、新聞をじっくり時間をかけて読みました。目からうろこほどの知らなかったことを知ることができました。十二月に入り、花屋さんには、赤、白、ピンクなど色とりどりのシクラメンが並べられています。クリスマスに向けて盛り上がります。



 

このシクラメンの別名は篝火花(かがりびばな)と知りました。上に向かって反り返った花びらを、燃え立つ炎に見立ててとのことだそうです。シクラメンの花言葉は、うつむいて咲く姿から「はにかみ、内気、気後れ・・・」だそうです。まるで私みたい(?)と、シクラメンが大好きになりました。
 絵本画家いわさきちひろの作品「戦火のなかの子どもたち」の冒頭には、
 「赤いシクラメンの そのすきとおった花びらのなかから
  しんでいったその子たちの ひとみがささやく
  あたしたちの一生は ずーっとせんそうのなかだけだった」と書かれています。   この本はベトナム戦争の末期に完成した作品だと知りました。
 三年前の夏に上高地へ旅行した帰り道、ちひろ美術館へ寄ったことを懐かしく思い出します。
新聞には多方面にわたる記事がいっぱいです。新しく出版された本の紹介もあります。新聞を隈なく読むのはとても面白いことです。知るを楽しむことができました。

 

2017年12月8日金曜日

ネットの絆

 私がブログを書き始めて早五年が過ぎ、1200回を超えています。日本はもちろん、世界の国でも読んで下さる人がいることにいつも感動しています。現代社会はネット社会で、世界がネットで結ばれているのを痛感します。

ポアロがフェイスブックを始めて三年が経ち、ここ半年はほとんど毎日写真と短いコメントを載せています。投稿公開すると、瞬時に見た人が反応します。私はフェイスブックについて何も知りません。どんな仕組みで、どんな人と結ばれているのか、不思議なものですが、面白そうです。興味はあります。フェイスブックも世界を結んでいます。先日ポアロの誕生日には、何人もの人からお祝いのメッセージが届きました。家族以外で誕生日を知っている人はいないと思っていたので驚きました。フェイスブックで結ばれている人は、みんなの誕生日がわかるのだそうです。この夏はフランスへ行き、娘の結婚式とパーテイーに出席し、フランス人の婿殿のご家族と親しくなりました。みなさんとは、フェイスブックで結ばれています。ポアロの誕生日には、みなさんから素敵なメッセージカードがフェイスブックで届きました。お姉さんからは「私達家族の想いです」と、フランス語で書かれていました。ポアロは、辞書を片手にフランス語でお返事を書きました。フランスでは、何歳の誕生日であっても、誕生日は大切な記念日のようです。日本から遠く離れたフランスに、こちらのことを想って下さる人がいるということは、とても嬉しいことです。人と人とが相手を想い、また想われるという愛情あふれる豊かな人生に感謝です。

2017年12月7日木曜日

徒然に想うこと(変化)

 ずい分前に老人力という言葉が誕生して世の中に定着しましたが、最近この言葉について考えることが多くなりました。人間として長く生きてくると、自分の変化に気づきます。自我が芽生えてくるとともに悩みも増え、未来に希望や夢が満ち溢れている成長期、青年期を通過し、心や体が一人前の大人になったと認められる成年期に入ります。社会人となり、家庭を持ち人の親となって大きな責任も担います。そして働きざかりの年頃、壮年期を走り続けます。
 親としては喜びだけでなく、親業の大変さも経験します。子供の成長とともに、自分も成長します。子供を社会へ送り出し、一人の人間として成熟期を迎えます。ここら辺りからじわじわと上昇気流から下降気流へと変化します。心身ともにではありません。体についてです。外見上は下降気流です。視力、聴力、体力、記憶力、根気などは低下し、年齢を感じます。ここからが別れ道です。体は下降気流ですが、心は最期まで上昇気流だと思います。歳とともにその思いが強まっています。それこそが老人力だと思います。忍耐力が強くなっています。少しのことではくたばりません。精神力が若い時に比べて、どんどん強くなっています。自分でも驚くほどです。悲しみ苦しみ怒り、あんなに傷つきやすかった自分ですが、今はそれもありません。他者のセリフを冷静に受け止められます。今、この人はそういう風に思っているのだ、そうなんだと受け止めることができます。腹を立てずに笑うことができます。視点を変えて考えることができます。若い時からこんな自分であれば、傷つくこともなく、悲しみ苦しみ怒りを笑いに変えて吹き飛ばしてこられたのにとつくづく思います。これが老人力だと実感します。
 人生は持久走です。持久力は大切です。大事です。いろんなことに敏感だった若い時代は、遥か遠くに遠ざかりました。鈍感力も老人力です。感受性も強く太くなったように思います。外見は間違いなく高齢者ですが、幅の広い、奥行きも広い、そして人間性は底深く、包容力があり、寛容な人に近づいている今の私です。四十代で旅立った姉や五十代で旅立った義父や従姉妹、友は、老人力を味わうことができませんでした。これからの未知の世界が楽しみです。

2017年12月6日水曜日

終活?

 ポアロが散歩で歩く道の途中にある京町家では、最近不思議なことが起こっています。軒先に「どうぞ使って下さい」と書かれた紙が貼られ、いろんな物が置かれています。ある日、素焼きの植木鉢がいくつも並べられていました。園芸が大好きなポアロは二個もらって帰りました。そこを通る時は、いつも気にしながら歩くようになりました。ある日、その家の前に年配の女性がおられたので「先日植木鉢をもらいました」と、声をかけると「どうぞどうぞいくつでも持っていって下さい。どうぞ使って下さい」と言われました。 
その後も植木鉢が並んでいる時にはもらって帰り、十五個にもなりました。先日は大きなぬいぐるみも並べられていたそうです。私の想像ですが、その女性は終活をされているのかもしれません。家の軒先に物を並べて「どうぞ使って下さい」と貼り紙を書けば、欲しいと思う人がいれば持っていってくれるからです。素晴らしい知恵だと思います。京都市役所の前では、時々フリーマーケットが開かれています。今は工事中なので開かれていませんが、不用品を持ち寄って安い値で売られています。不用品を運び、並べて、一日中時間をとられ、残りはまた持って帰るという重労働です。お金儲けではありません。家の中にある不用品、自分にとっては不用品と思われる物でも、使おうと思ってくれる人がいればたとえ百円であってもその物の価値があったといえるからです。

先日テレビで大型リサイクル店が放送されていました。持ち込まれる物は、いろんな物、本、おもちゃ、家具、電化製品、衣料品など、なんでもありました。引き取り価格はわずかなものですが、ゼロではありませんでした。誰かがもらってくれるかどうか、もらい手がいなければどんな高価なものでもゴミとなります。終活の方法にもいろんなやり方があると知り、私もそろそろ行動を起こさねばと考えています。

2017年12月5日火曜日

疑似体験

 先日姪が子供を連れて帰省した時、孫のいない私達はおじいさんおばあさんの疑似体験をしました。姪は名古屋に住んでいるので、なかなか会う機会がありません。姪は私のすぐ上の姉の一人娘です。高齢出産だったので、子供はまだ三歳です。男の子です。姉の夫、義兄は七年前に旅立っているので、孫の顔は知りません。ちょうど一年前、その子が二歳十ヶ月だった頃にポアロの書斎で遊んだことがあります。仕事柄書斎には建築関係のいろんなものがあります。ドアの取っ手の見本とか、工具もあります。子供は何でもおもちゃとして遊びます。いろんな物の中でも、ナットが大好きになりました。ネジをくるくる回して付けたり外したり、夢中になって遊びました。それ以来ポアロのことを「ナットおじちゃん」と呼んで慕ってくれます。



三歳のお誕生プレゼントに、ポアロは大工道具セットを贈りました。三ヶ月前には、いくつかの木片をナットでひっつけて、自由自在に形を作るおもちゃを作りました。


星形になったり菱形になったり、台形になったり、自分の思うように作れます。ナットを外して大きくしたり、小さくしたりと、自由自在です。ナットが繋ぐ、大叔父と三歳の子供です。そばで見ている私は、男同士の付き合いを感じます。そして先日は穏やかな良いお天気となり、近くの大きな公園へ皆で出かけました。ポアロ手作りの模型飛行機とラジコンカーを持って出かけました。






休日ということで、公園には親子連れがたくさんいます。三歳十ヶ月のその子は、模型飛行機を飛ばせば、飛行機を追いかけて一生懸命走ります。ラジコンカーが走れば、車を追いかけて一生懸命走ります。満面の笑顔です。とても可愛くて、見ている私も笑顔がこぼれます。走って走って、芝生にごろり。無邪気な子供の姿に、飽きることはありません。健やかに育ってくれることを願いました。そのあと名古屋へ帰る姪とその子供を、最寄り駅へ送りました。車に乗った途端、すぐ居眠りを始めたその子の表情は、大満足というものでした。広い公園をあっちへこっちへと走り回り、さぞかし疲れたことと思います。「また遊ぼうね」と言って、特急に乗る彼らを見送りました。おじいさんおばあさんの疑似体験ができて、私達も楽しいひと時を過ごしました。孫のかわいらしさは、特別なものということを実感しました。

2017年12月4日月曜日

顔見世興行(歌舞伎)

 先日友人たちと京都南座の前を通った時のことです。南座が工事中ということに気づいた友人が「顔見世興行はどこでするのかしら」と尋ねてきました。ガイド役の私は関心も薄く全く気にかけていなかったので、答えられませんでした。その数日後、私のお気に入りの番組NHK「京いちにち」で情報を得ることができ、早速友人に連絡をしました。


 京の年中行事である「吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎」は、南座工事中の為、平安神宮近くのロームシアター京都で行なわれます。期間は12月1日から18日までです。八代目中村芝翫襲名披露と彼の三人の息子さんたちの襲名披露も同時にされるので話題を呼んでいるとのことです。ロームシアター京都は、昨年1月に改装されたばかりです。二条通りに面したロームシアターの入口には、役者さんの名前を書いた看板(まねき)が掲げられています。南座は賑やかな町の中にあるので、いつもはその華やかさを感じますが、ロームシアター京都では少し寂しげです。






 この年末の顔見世興行では江戸歌舞伎と上方歌舞伎が共演するのが通例で、今年も上方歌舞伎の坂田藤十郎、扇雀親子をはじめ片岡仁左衛門さんなどが出演するようです。



 私は以前、歌舞練場で「都をどり」を見たことがありますが、南座へはまだ行っていません。伝統芸能も文楽と能は見たことがありますが、歌舞伎はまだ見ていません。一度くらいは見るべきかと検討を始めました。

2017年12月1日金曜日

師走突入

 いよいよ師走に入りました。いつものことながら師走と聞くと気ぜわしくなります。まずは年賀状の準備です。今年もらった年賀状を出してきて、住所をチェックして喪中はがきが来ていないかと確認します。今年の喪中はがきは、ポアロと私、二人合わせて二十枚もありました。過去最高です。ご長命のお父さんやお母さんが旅立たれたのです。つくづく人の命に永遠はないと考えさせられます。バタバタした日々の暮らしの中では、必ず訪れる最期のことを忘れています。ふと立ち止まって考える時間をもらいます。
 お正月の楽しみは、おせち料理です。前回は、近所の仕出し屋さんのおせちを初めて注文して、家族のお気に入りとなりましたが、続けてというのもどうかと迷っています。デパートや大手スーパー、近所のスーパーでは、おせちの予約をとっています。どうするかまだ決めていません。
 お正月の前にクリスマスがあります。孫がいない私達は静かなものです。家族でささやかなプレゼントを用意します。かつては自家製ケーキを作りましたが、はるか遠い日のこととなりました。今は買って食べるのが楽しみとなっています。
 一番苦手な掃除をしなければなりません。終活という言葉が頭の隅にあるものの、何もできていません。自分の物を整理し片付けて、とりあえず家の中は新年を迎えるのにふさわしくしようと思っています。

 家の近くのデパートでは、いろんなクリスマスの飾りが人気を集めています。子供と同じようにワクワク楽しくなる素晴らしいものです。相棒ポアロが撮ってきてくれました。ご覧ください。





2017年11月30日木曜日

現代のおばあちゃん

 先日京都へ遊びに来てくれた私の友人三人は、現代のおばあちゃんです。私は自分が時代に乗り遅れているように感じました。何がすごいかというと、三人ともスマートフォンを自由自在に使えるのです。私は不勉強で、スマートフォンについてよく知りません。いろいろ教えてくれました。スマートフォンには、いろんな機能があります。電話、カメラ、ゲーム、メール、地図、辞書、ラジオなど、なんでもできそうです。
私は携帯電話を持っていますが、ガラケーです。ガラケーという名も最近知ったところです。通話とメールに使います。カメラも付いていますが、うまく操作はできません。自分で写真を撮ることが滅多にないのです。先日も頑張ったつもりで写真を撮って、家へ帰ってから見たら自分の指が邪魔していました。おかしくて自分の不器用さにふきだしてしまいました。中学生や高校生の若い人達は、時代に敏感で何事も先取りしていると思っていましたが、若い人達だけではありませんでした。私より年上の先輩女性は、携帯電話も使いにくいからと最近解約されています。歳とともに視力が落ち、指先での操作も困難になったからとおっしゃっていました。パソコンやタブレットを使って、調べものをしたり、メールを送ったり、ブログを書いたりしていた私は、不自由を感じませんでした。携帯電話を持っていれば、いつでもどこでも通話はできます。友人三人は、行動範囲が広く活動的です。現代という時代に即して生活しているようです。

スマートフォンだけではありません。車も自分の足として乗っています。頼りにされて、孫の送り迎えにも活躍しています。ポアロの知り合いで年上の人では、唯一76歳の男性がスマートフォンを持っておられるそうです。我が家では、家族五人の中でポアロだけがスマートフォンを使っています。時代は日々進歩していきます。パソコンが使えるから今の時代のおばあさんだと思っていた私は、友人三人が現代のおばあちゃんだと知って圧倒されています。

2017年11月29日水曜日

タイムスリップ

 昨日は素晴らしいお天気に恵まれ気温も上がり穏やかな一日となりました。京都の紅葉も最終ステージとなっています。以前約束していた私の友人三人が、三重から京都へ出かけてきてくれました。お天気や気温を心配していたのですが、最高の行楽日和となり、ポアロが車で京都駅へ迎えに行き南禅寺まで送ってくれました。南禅寺周辺は、平日ということを忘れるほどのたくさんの人出です。国内外からの観光客でいっぱいです。十一月も終わりに近づき、もみじも散り始めるのではないかと思っていましたが、南禅寺のもみじの紅葉はまだ赤・黄の燃えるような見事なものでした。感嘆の声が上がります。



南禅寺の境内を散策し、写真を撮りました。そのあと南禅寺の前にある湯豆腐で有名なお店で昼食となりました。混雑を予想してあらかじめポアロが予約を取ってくれていたので、スムーズに食事となり助かりました。
  


 高校からの友人たちとは、会いたいと思いながらも幾星霜、今回ゆっくり会うことができました。卒業してから半世紀、個別には数回は会っているのですが、四人が勢揃いというのは私の行動力の低さからかなかなか実現しませんでした。それぞれの道に進み、仕事、結婚、子育て、今では孫育てと、フル活動の友人たちです。半世紀の時の流れは、ずい分と長いものです。食事しながらいろんな話しに盛り上がりました。夫の噂話にも花が咲きます。孫の数も四人の人が二人、五人の人が一人、そして孫おらずの私です。子供の数は、四人ともそれぞれ二人ずつです。一番大きい孫は、高校一年生です。「おばあちゃん」と呼ばれての暮らしぶりは、ベテランおばあちゃんという貫禄ににじみ出ています。昼食のあとは、永観堂の紅葉も見に行きました。素晴らしい紅葉です。たくさんの観光客の間をぬって、写真撮影です。




それから私の好きな場所、東山別荘群の街並みを案内しました。観光客にはあまり知られていないので、静かな通りです。そのあと平安神宮の大鳥居を背にして、神宮道を南へと歩きます。青蓮院、知恩院、八坂神社、高台寺の前を通り、清水寺を目指します。一年坂、二年坂を通り、三年坂の途中で和風茶屋へ入りました。甘党大好きな四人です。ここで相談した結果、ずい分歩いて足もそろそろ痛くなってきたので、この先の清水寺へは行かずに戻ることにしました。八坂の塔へ向かいました。この道も見ごたえのある通りです。テレビにもよく登場する名所なので、友人たちは喜んでくれました。それから花見小路を通り四条通りへ出ました。京都一番の観光名所を歩き続けて、四条河原町交差点で別れることになり、友人たちはタクシーで京都駅へ向かいました。この日の歩数は、二万歩近くありました。少し歩き過ぎたかなと、ガイド役の私は反省しました。高校を出てからそれぞれの人生が半世紀を過ぎて、これからはいろんなことから解放されて、楽しく生きていこうと話しました。今度は春に会うことを約束し、楽しい一日が終わりました。

2017年11月28日火曜日

長寿国日本

 日本が長寿国になって久しいですが、今それを実感しています。100歳以上が六万五千人を超えているそうです。十一月も残すところ二日となり、喪中はがきが続々と届いています。私の両親が存命であれば、父は101歳、母は98歳です。届いている喪中はがきは、最高齢が99歳です。親世代の方が長生きされて、百歳近くで亡くなられたことになります。今回届いた喪中はがきは、皆さん長寿の方ばかりで、95歳から99歳に集中しています。次の世代は兄や姉の年代の方たちです。70歳から80歳ぐらいが兄や姉の年齢です。昔のことを思うと、60歳は十分なご隠居さんでした。私の父方の祖父は、60歳で病気で亡くなっていますが、私の記憶をたどっても写真を見ても、立派なお年寄りです。それに比べると、今は90歳ぐらいでやっとお年寄りと感じるくらい若返っています。最近NHKで観た「健康長寿百歳」に登場した百歳の男性は、妻が先だったあとホームへ入ろうとしましたが、介護認定が出ず入れません。これには驚きです。日野原重明氏は、105歳で亡くなられました。現役の医師を最後までやり抜かれたスーパーおじいさんです。これからもっともっと寿命が延びて、医学が進歩し、人間が最期の時を迎えるのが難しくなってきそうです。