2016年1月20日水曜日

京都初積雪2016

 京都では、昨日雪がチラホラ降り初雪でしたが、今日は初積雪となり、朝10センチ近く積もっていました。


昨年は、元旦に積雪の中、雪降る中を家族で自宅の近くにある御霊神社へ初詣に行ったのですが、今年は二十日遅れの初積雪です。


 雪にあまりなじみのない地域の出身である私は、雪が降るとワクワクして心が躍ります。毎年雪による被害が出る豪雪地帯の方には申し訳ないのですが、雪が珍しいのです。子供の時から、大人になってからも、雪が降る中を、真っ白にすべてが覆い隠された白銀の世界を、愛犬と走り回りました。歌を歌いながら。童謡「ゆき」の歌詞にあるように、愛犬と私は、雪の中をかけ回りました。
 
「ゆき」

雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も 綿帽子かぶり
枯木残らず 花が咲く

雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで 丸くなる
                         
1911年(明治44年)尋常小学唱歌
              2007年(平成19年)日本の歌百選 

 結婚し子供ができてからは、家族と二匹の愛犬と広い公園の中を走り回りました。懐かしい思い出です。

今日は、一日中雪が降る予報が出ています。あれから○十年過ぎた今、私は今日一日静かに冬ごもりです。    

2016年1月19日火曜日

初めて耳にする言葉

 冬休みが終わり、子供達は元気に登校しました。小学校の教師をしている知人から聞いた話です。子供達に「おめでとう!」と言ったら「あけおめ!」「ことよろ!」と、耳なれない言葉が返ってきたそうです。「何それ!」私は驚きました。
「あけましておめでとうございます」を縮めて「あけおめ!」
「今年もよろしくお願いします」を縮めて「ことよろ!」とのことです。
子供の世界では、はやり言葉がすぐ広がることは知っていましたが、「あけおめ!」「ことよろ!」は、どこから発生したのでしょうか。マンガでしょうか。アニメでしょうか。それとも若い人達が言っているのを聞いて、面白いと思った子が言い始めたのでしょうか。若い人達といっても、小学生の親の年齢は若い人達に属する人達だと思いますが。
何事も早くキャッチして、自分達のものにするのが得意な子供達です。私の知らない子供の世界がそこにありました。

 反応の敏感な子供達の刺激を受けて、短縮語について考えてみました。日本人は、短縮語が好きなようです。婚活、就活、終活、筋トレ、セクハラ、パワハラ、マタハラ、ビフテキ、ファミレス、朝シャン、ドタキャンなど、まだまだ他にもたくさんあると思います。ファミレスは、娘が、高校生の時に教えてくれた言葉です。短縮語を集めるのも面白そうです。子供達の真似をして、私も脳活しようと思います。

2016年1月18日月曜日

京都の明治産業遺産-京都疎水1

 年末には世界遺産となった長崎の明治産業遺産群を見てきました。正月になりいくつかの神社に初詣に出かけた後、京都にある明治産業遺産を見学に行きました。南禅寺の裏山にある京都疎水関係の産業遺産です。
 南禅寺の三門を潜り抜けて法堂の右側を見るとレンガの連続アーチが見えます。以前からそれが疎水の水道橋だということは知っていましたし、そこで写真を撮った覚えもありますが、その上に上った記憶がありません。今回はそのアーチをくぐり抜け階段を上がり
疎水の水面が見えるところまで上がりました。水路閣という説明があります。明治23年の竣工だそうで、125年もたっています。下から3階建てくらいの高さだと思います。





レンガ造の水道橋の上を歩くことができます。2mほどの溝状に造られた中を水が勢いよく流れています。1mほどの歩く幅で右は10mくらいの崖、崖下は金地院などの南禅寺の塔頭が並んでいます。人とすれ違う時は一層緊張します。

北側は通行禁止、この先は哲学の道の水路となります


南の方角へ150mほど進むとトンネルが見えました。疎水のトンネルです。さらに進むと水がダム状にたまっているところに出ました。その一帯は疎水事務所と水道局、それに関西電力の施設になっていました。





少し広い公園になっていて西の端からは京都市内や近くの平安神宮がよく見えます。ここが琵琶湖疎水の京都側の出口です。


この先は次回報告します。



2016年1月15日金曜日

二人のスーパー人間(104歳と103歳)


 先日テレビで、スーパー人間二人の対談を拝見しました。1911年(明治44年)生まれ104歳の日野原重明氏と、103歳の篠田桃紅氏のお二人です。日野原氏は、現在も聖路加国際病院名誉院長をされており、ホスピスにおられる患者さんたちの光のような存在です。著書もたくさんあります。今は亡き父も、日野原氏の本をたくさん読んでいました。常に十年先を考え、スケジュール表は、十年先までうまっているそうです。篠田桃紅氏は、1913年(大正2年)3月28日生まれです。美術家で、著書も出版されています。日野原氏は、クリスチャンであり、今自分が生かされているということに、常に感謝の気持ちを持っているとおっしゃっています。それに対して篠田桃紅氏は「感謝なんて持たないわねえ。もちろん人との関わりの中で、感謝するということはありますよ。でも今自分が生かされているということに感謝なんてしないわねえ」とおっしゃいます。対照的なお二人のお話しを聞いていて、とても面白く、楽しかったです。日野原氏が、十年先までスケジュールをうめているということに対して、篠田氏は「あきれるわねえ」とおっしゃいます。撮影スタッフが「長生きのひけつは何かありますか」と尋ねると、日野原氏は「未来に希望を持つこと。もう駄目だと思ったら駄目ですよ」とおっしゃいました。対する篠田氏は「ひけつなんてないわねえ。私はわがままで、自分のしたいことをしてきただけよ」とおっしゃいました。百歳を超えて、なお現役で仕事をされているお二人がおっしゃることは、すべて真実です。後に続く者たちの希望になります。最後にお二人がおっしゃったことは「老いるということは、楽しいこと、ああいう老いの姿になりたいと、若い人達から言われるようになりたい」でした。

 篠田桃紅さんの著書は、何冊か書店で目にしています。初めてテレビで拝見したのですが「私はわがまま、自分のしたいことをしてきただけ」とおっしゃるこの言葉の中に、百歳を超えても現役人生を送られている理由があるように思いました。ポンポンとハッキリお話しされる篠田桃紅さん、共感を持ちました。篠田桃紅さん、大好きです。この先も、もっともっと現役人生を歩んで下さい。

2016年1月14日木曜日

思い出の中の歌「君たちがいて僕がいた」

 青春時代に口ずさんだ歌は、一生の愛唱歌です。今でも、何げなく無意識のうちに口ずさんでいます。舟木一夫の学園シリーズは、すべて愛唱歌でした。「高校三年生」「学園広場」「修学旅行」「仲間たち」など、歌とともに、友の顔、学生時代がよみがえってきます。遠く過ぎ去った懐かしい記憶です。
「君たちがいて僕がいた」 作詞 丘灯至夫
             作曲 遠藤実

心の悩みを うちあけ合って
眺めたはるかな 山や海
言葉はつきても 去りかねた
そんなときには いつの日も
君たちがいて 僕がいた

さよならする日は 肩くみあって
しあわせ信じて うたおうよ
大人になるのは こわいけど
そんなときにも 離れずに
君たちがいて 僕がいた

歌の前にセリフがあります
 清らかな青春
 爽やかな青春
 大きな夢があり
 かぎりないよろこびがあった
 はかない希みがあり
 つらい別れもあった

素晴らしい詞と心に深く入りこむメロディーです。二つで一つとなる楽曲です。青春時代の心情がよくあらわされています。
「心の悩みを うちあけ合って 眺めたはるかな 山や海」
心の悩みとは、何だったのでしょうか。青春時代の心の悩み、それは恋だと思います。

恋は実らないもの 恋は片想い
恋は清らか    恋ははかない
恋は一生の想い出  恋は宝物
恋には手が届かない 恋は蜃気楼
恋はいつわり    恋はまぼろし

たくさんいた友も、一人去りまた一人去り。
青春時代の愛唱歌は、人の一生のつぼみだったと悟ります。

それでもあの歌を口ずさむ時、友の顔、キラキラ輝いていた学生時代がよみがります。

2016年1月13日水曜日

一つの時代(京都会館からロームシアター京都へ)

 京都岡崎、平安神宮のそばにある京都会館は、昭和35年(1960)に完成、開館したものです。半世紀以上の歴史の中で、コンサートホールとして、京都市民に愛されてきました。旧京都会館は、今年1月ロームシアター京都として生まれ変わりました。前川國男さん設計の名建築なので原型は保存し、老朽化対策と耐震補強、音響性能向上、オペラ対応の舞台増強などを施し1月10日にオープンしました。こけら落としが催されているようです。小澤征爾さんも来京されています。オープンを前にして、市民にお披露目があったのですが、あいにく留守にしていた私達は、残念ですが行けませんでした。


後ろの背の高い舞台部分は建て替えられました



  12月のブログに書きましたロームのイルミネーションですが、ロームシアター京都は、このローム株式会社がネーミングライツ(命名権)権利会社になっています。創業以来、京都に本社をおいているIT企業です。ロームは、創業から50年を超え、永年にわたり音楽芸術を支援している頼もしい企業です。ネーミングライツとして、今後50年間続けるとのことです。メインホール2000人、南ホール700人、北ホールは多目的ルームという規模です。





小澤さんのメッセージです


 ロームシアター京都の建物の中には、本屋、レストラン、カフェ、コンビニもあります。これからの公演、イベント情報に気をつけて、計画的に観に行きたいと思います。

蔦屋入口、スタバもあります

ロボット君が案内

蔦屋2階のCaféレストラン 8:00~22:00まで営業だそうです

2016年1月12日火曜日

図書館へ

 昨日穏やかなお天気に誘われて、京都府立図書館へ出かけました。平安神宮の近くで、京都市美術館の向かいにあります。府立図書館は、明治42年(1909)に、現在の岡崎の地に新築されました。百年以上の歴史があります。自宅から歩いて20分ほどなので、時々利用しています。
 昨日は図書館の近くにあるみやこメッセ(京都市勧業館)で、成人式が行われていて、二条通りは車が渋滞して前へ進めない状態でした。成人式は、午前と午後の2回に分けて行われたのですが、私達が通りかかった時は、ちょうど入れ替わりの時間だったので、歩けないほどの混雑でした。たくさんの新成人の姿を見るのは、元気をもらう気がします。はちきれる若さがあふれています。未来を託す若者達です。昔はあまり見なかった、いえいなかった、紋付き袴の男性がとても多かったです。多くの女性は、あでやかな振り袖姿です。平和で、豊かになった日本を感じました。人生は楽あり苦あり、いろんなことにぶつかりますが、負けないで乗り越えて生きていってほしいと願い「成人おめでとう」と、心の中でエールを送りました。
 
後ろの建物がみやこメッセです

 



 図書館入り口の近くに小さな公園があります、昨年秋から整備がされていたのですが、そこに懐かしい市電が一両置かれています。岡崎・市電コンシェルジュと、書かれています。市電にお目にかかるのが嬉しくて、中へ入りました。年配の女性二人が、コンシェルジュをされています。岡崎エリアに関する地図やパンフレットが、たくさん並べられています。座席にも座れます。運転席にも座れます。写真を撮りました。市電に乗った若かりし頃が、思い出されました。

後ろの建物が府立図書館です












2016年1月11日月曜日

師走の旅「長崎へ」を終えて

 三泊四日の師走の旅、「長崎へ」を終えて、これから何度も足を運びたくなりました。長崎には、日本の近代化への出発地点としての歴史がたくさんあります。路面電車に乗って、また自分の足で歩き回れる所に、その歴史が凝縮しています。原爆投下された長崎だからこそ、悲しみ苦しみを乗り越えて、平和の尊さを世界に発信できます。


 私達は、同じホテルに三連泊しました。フランス語で「美しい眺め」というホテルです。長崎駅から歩ける距離のところにあります。長崎港に面していて、近くに出島があり、出島ワーフがあり、海の眺めは素敵です。フェリーや定期船が鳴らす汽笛にも旅情を感じます。夜は、港の夜景に魅せられます。






 ホテルの隣には、カステラで有名な文明堂の総本店がありました。明治33年創業の会社です。文明堂のカステラといえば、どこのデパートでも買うことができると思いますが、本店で買うできたてのカステラは、どこか違うようです。しっとり感があり、できたてと感じてしまいます。私達は、二度も買ってホテルで食べました。
  



 三泊四日で、まだまだ行けなかった所がたくさんあります。稲佐山からの長崎の夜景は、平成24年(2012)に、香港、モナコとともに「夜景の素晴らしい世界の都市ベスト3」に認定され「世界新三大夜景」となっています。長崎ロープウェイが工事のため運休しており、今回は行けませんでしたが、次回はぜひ稲佐山へ上りたいと思います。
 世代をこえて幅広いファンのいる、さだまさし、福山雅治、両人のふるさとは長崎です。長崎には、人の心に通じる音楽を生み出す何かがあるのかもしれません。




 長崎駅の観光案内所には、地図やパンフレットがたくさんおかれていました。おもてなしの心を感じます。Nagasaki SARUKU 長崎さるくのシリーズが、1~8まであり、エリア別に親切丁寧に書かれています。初めて長崎を訪れた人にとっては、心強い案内書です。「さるく」は、長崎弁で「まちをぶらぶら歩く」という意味だそうです。次回は少し足を延ばして、平戸や五島列島へも行きたいと思います。今回出会ったホテル「美しい眺め」を利用したいと思います。そして再び、長崎の町を「さるく」しようと思います。



 今回の長崎への旅は、Obin企画ツアーコンダクター(娘)に、おんぶにだっこの旅でした。自称、土木学会、歴史学会、建築学会、産業遺産学会、郷土の偉人学会所属の我々には、大満足の旅となりました。感謝です。  

2016年1月10日日曜日

師走の旅(長崎へー8)

 4日目、昼食にトルコライスを食べたあと帰りの電車まで2時間あるので亀山社中記念館を目指しました。寺町通りをかすめて「龍馬通りの石標」を曲がり息を切らしながら急な坂道、階段を上りやっとのことで辿り着きました。



 慶応元年(1865)坂本龍馬とその同志により結成された「亀山社中」の跡が、平成21年(2009)に記念館としてオープンしました。若き志士たちが集い、海運業や通商を行いつつ、幕末・維新史においても重要な役割を果たしました。司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で脚光を浴び、NHKの大河ドラマになったりして、龍馬ファンはとても多いと聞いています。高知で「龍馬が生まれた町記念館」へ行ったことがよみがえりました。とても狭い家の中は、観光客がいっぱいで、人にぶつかりそうな混雑でした。ゆっくりとはいかず、簡単に見て回りました。どうして海から離れたこんな山の中腹を貿易会社の事務所、海援隊の基地にしたのか案内の人に聞いたところ「隠れ家の意味と港がよく見えるから」ということでした。外へ出てすぐ横にある「龍馬ぶーつ像」のブーツに足を入れて、面白い写真を撮りました。





階段状の急坂を下る途中に「長崎市」と書いた大きなプラスチックボックスがありました。昨年春NHKの「ブラタモリ」で見たのを思い出しました。ごみ収集車が入れない地区のゴミ出しのソリのついたボックスでした。それにしても日常生活は大変だと思います。


階段の最後は墓地が多くその下はお寺です。そこは大きなお寺が並んだ寺町通りです。その中に興福寺という大きなお寺があります。日本初の黄檗禅宗の唐寺で、元和6年(1620)明の僧・真円が開創しました。






  興福寺の前を曲がり、次は長崎の名所となっている眼鏡橋を目指しました。興福寺の二代目唐僧が「眼鏡橋」を架けたそうです。町中を流れる中島川には、いくつもの石橋がかかっています。その中でも「眼鏡橋」は、中島川のシンボルになっています。二連のアーチ橋である「眼鏡橋」は、川面に映った影が眼鏡のようなところから命名され、江戸時代の長崎土産は、南蛮渡来の眼鏡だったそうです。長崎情緒あふれる「眼鏡橋」で記念撮影をしました。





近くに老舗の和菓子店(創業1884年)があり「こうふくまんじゅう」という名前にひかれ、店に入りました。興福寺みやげとなっていたそうです。中華菓子の月餅をひと口サイズにしたもので、「興」と「福」の字を囲むハート型は、興福寺境内にある大きなソテツ(樹齢400年以上)の実をイメージしているとのことです。「こうふくまんじゅう」といっしょに「よりより」というお菓子も買いました。長崎へ着いてから何度も見かけたお菓子です。この店には、元祖「よりより」と書かれていました。「かりんとう」を長くしてねじったようなものです。お茶にもビールにも、コーヒーにも合いそうです。



 いよいよ駅に向かう時間となりました。途中、古い歴史ある中町教会へ回りました。キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡にあります。五年の月日をかけて明治30年(1897)に完成した教会です。昭和20年(1945)の原爆投下により、外壁と尖塔を残して焼失しましたが、昭和26年(1951)再建されました。貴重な被爆遺構となっています。「自由にお入り下さい」とあったので、中へ入りました。厳かな気持ちになりました。





 時間をフルに使って観光し、長崎駅でお土産を買って、長崎を後にしました。