2013年10月3日木曜日

いま夢中になっていること

 今、私は自転車に夢中になっています。自転車に乗って風をきって走るあの爽快さは、本当に素晴らしいものです。今年の夏の暑さは非常に厳しいものでしたが、台風18号が去った頃から、少しずつ秋の気配を感じるようになり、早く自転車に乗りたくて気持ちがムズムズしてきました。自転車に乗るのは、何といっても日本の春、秋ほど最高のものはありません。たくさんの花を見ながら、自然の中に息づく木々や鳥達を見ながら、自転車を走らせると心も再生できるようです。
 テレビの「チャリ-ダ-」という番組を見て、なおいっそう感化させられました。あくまでも素人の走りです。それで大満足です。先日、大型スポ-ツショップをのぞきました。ファッションも靴からヘルメットまで、品数がたくさんそろっています。パッド付きのタイツをはいて、ショ-トパンツを重ね着し、Tシャツ、ウィンドブレ-カ-、サングラスも買いました。あとはヘルメットとそこそこ良い自転車も買わねばなりません。今はタウンサイクルで走っています。私の服装を見て、後ろからは年齢がわからないと言って、家族がからかいますが、年齢のことも忘れ自転車に没頭したいと思います。
 おてんばだった私は、子供用自転車に乗ったことはなく、姉達が乗っていた婦人用タウンサイクルに早くから乗りました。足がつかないので、乗る時も降りる時も、サ-カスのように飛び乗り飛び降りで乗っていました。
 自転車で北海道の大自然の中を走りたいと、夢がどんどんふくらみます。その前に琵琶湖一周をしたいと考えています。知り合いの人達が、一泊二日で琵琶湖一周をしたとか聞きますが、私は少しずつ走りたいと思います。琵琶湖一周はサイクリングロ-ドも整備されているので、安心して走れそうです。
 以前イギリスから来ていた英会話の先生が、一人で自転車で琵琶湖一周をして「素晴らしかった、感動した」と、興奮して話されていたのを思い出します。

2013年10月2日水曜日

思い出の中の歌(3)


 テレビから懐かしい歌が聞こえてきました。童謡「しゃぼん玉」です。子供の頃には、兄や姉達と競い合ってしゃぼん玉を飛ばしました。幼い私は「しゃぼん玉」の歌を歌ってはしゃぎました。風に吹かれて空に向かって飛んでいくしゃぼん玉は、とてもかわいく子供心にも夢のようなものでした。私はしゃぼん玉遊びが大好きでした。

 月日が流れ、今度は子供達としゃぼん玉を飛ばしました。家族四人でのしゃぼん玉飛ばしは、幸せの縮図のようでした。子供達は大喜び大はしゃぎで、大きなしゃぼん玉を得意気に飛ばす父親のしゃぼん玉を、追いかけて走り回りました。しゃぼん玉遊びをした日は、お風呂へ入った時も寝る時も「しゃぼん玉」の歌を歌いながらです。私が子供の頃は、石けんを水で溶いてしゃぼん玉液を作りましたが、子供達の時には市販のしゃぼん玉液を使いました。

 童謡「しゃぼん玉」は、野口雨情作詞、中山晋平作曲、大正十二年発表の曲です。この歌に何度も出てくる「消えた」という言葉には、野口雨情の生後すぐに亡くなった愛しい娘を想う気持ちが込められているとのことです。そのことは今迄知りませんでした。そのことを知ってから「しゃぼん玉」を歌うと、少ししんみりしてしまいます。

 子供も大人も楽しめるしゃぼん玉、ロマンを感じるしゃぼん玉、「しゃぼん玉」の歌が、過ぎ去った懐かしい時代を思い出させてくれました。

 

   「しゃぼん玉」

 

しゃぼん玉 飛んだ

屋根まで 飛んだ

屋根まで 飛んで

こわれて消えた

 

しゃぼん玉 消えた

飛ばずに 消えた

生まれて すぐに 

こわれて消えた

 

風 風 吹くな

しゃぼん玉 飛ばそ

2013年10月1日火曜日

ありやなしや


 死後の世界はあると思いますか。ありやなしやどちらでしょうか。先日テレビにカ-ル・ベッカ-氏が出ておられました。日本に惹かれ来日して四十年、人間の精神世界、死後の世界について研究されてきました。私が十年ほど前に傾聴と出会い、人間の生と死を学び始めた頃に、カ-ル・ベッカ-氏のことを知りました。死を学ぶこと、死を知ることは、より深い生につながるという論理は、多くの人に共鳴をもたらしています。

 カ-ル・ベッカ-氏は「死後の世界はある。人間が死を迎え肉体はお骨だけを残すことになっても、意識は永遠に続いていく」と、おっしゃっています。世界を回り、臨死体験をした人の聞き取り調査を続けてこられましたが、国は違っても、ほとんどよく似た臨死体験だそうです。完全に死んだ人が、こちらへ帰ってくるということは、完全にありえないので、いくら短い時間でも医学的に死と判定されたとはいえ、臨死体験をしても死んではいなかったのですから、死後の世界があるということは証明されません。臨死体験をした人達の証言をもとに、推測、想像するだけです。

 しかし私は、肉体は滅んでも魂は永遠に続くと思っています。こんなことを言うと家族は笑いますが、結局は自分がどう思うかということです。私は二度不思議な体験をしています。一つは三十年前のことです。実家へ里帰りしたお盆のことです。実家の裏玄関には、御先祖様がよくわかるようにと、父が灯明をつけていました。久しぶりの帰省で、三姉妹が夜中までおしゃべりに花を咲かせていました。子供達は深い眠りにつき、夫達は離れで麻雀をしています。夜中なので両親は奥座敷で寝ています。その時、裏玄関のガラス戸が不自然にガタガタ鳴り出しました。それがしばらく続くのです。三人が顔を見合わせ「何の音、どうしよう、みんなを呼びに行こうか、お父さんお母さんを起こしに行こうか、どうしよう」と、肩を寄せ合ったのです。何秒ではありません。二分ほど続いたように長く感じられました。三人とも「御先祖様が帰ってきたのかしら」と、思いました。風が吹いたのでもなく、イヌやネコのせいでもなく、もちろん人間が揺らしたのではありません。地震も来ていません。二百年近い歴史のある実家です。御先祖様はたくさんいます。昔からお盆に灯明をつけて御先祖様を迎えるという慣習が続いています。この世に生きている人の目には見えませんが、死後の世界の魂が来たのだと思いました。

 二つ目の体験は二十年前のことです。眠っていた私は何となく寝苦しくなり、人の気配で目が覚めました。目を開けましたが何の変わりもなく又目を閉じました。すると私の枕元にはやはり人の気配を感じます。私は変だな、何かおかしいなと思いながら体を強張らせていました。すると「いいの?いいの?」と、私に伝えるのです。生の声が聞こえてくるのとは違います。しかしハッキリ「いいの?いいの?」と、私は受け取れるのです。その数日後、母が心筋梗塞で突然亡くなりました。母が突然亡くなって私は気がつきました。

その六年前に四十四歳で亡くなった姉が、私に母の死が近いことを伝えにきたのだと。五歳上の姉を私は慕っていました。大好きでした。思春期の頃、姉と私は「母がいなくなったら生きていけないね」という会話をしていました。こんな話は誰も信じないと思います。証明することもできません。でも私は確信しています。死後の世界はあるということ。魂は永遠だということを。清く正しく生きることが、自分を、そして愛する人達を守ってくれるということに結びつくと信じています。

2013年9月30日月曜日

五十年の歳月


 五十年とひと口に言っても、本当に長い歳月でした。五十年前のあの日、高校生の私は、まるで映画のように流れていくテレビの映像にくぎづけになりました。ジョン・F・ケネディ大統領が、暗殺されたとニュ-スは伝えています。若い大統領の出現に期待し、幼い二人の子供のいる家庭人としての姿に、あこがれと理想を抱いていた高校生の私でした。本を買って読み、ケネディ一家に夢中になっていました。突然の不幸が幸せな家族を、悲しみのどん底へつき落としたのです。いつも両親のそばには、あどけない二人の子供がいました。

上の子は、五歳のキャロラインでした。あれから五十年が過ぎ、キャロラインが駐日大使として、十月に日本へ赴任するという報道を知って、私に再びケネディ熱が戻ってきました。初の女性駐日大使とのことです。時代もどんどん変化し、女性大統領や女性首相など、世界では一つの国の最高ポストに、女性が就いています。女性として嬉しい限りです。キャロラインの人生における苦悩は、彼女を人間としてどんなに大きく成長させたであろうかと、スピ-チをする彼女の表情からうかがえます。これからのキャロラインの活躍に胸が躍ります。大輪の花が咲くことはまちがいないでしょう。一地球人として、大きな声援と暖かい眼差しを彼女に送ります。これからもずっと彼女を暖かく見守り続けたいと思っています。

2013年9月29日日曜日

「こころ」


わたしの名前は こころ

いつでもどんな時でも わたしはみんなの体の中にいるの

 

おじいさんおばあさんの 体の中にも

おとうさんおかあさんの 体の中にも

おにいさんおねえさんの 体の中にも

おとうといもうとの 体の中にも

町にすんでいるみんなの 体の中にも

村にすんでいるみんなの 体の中にも

ネコのタマの 体の中にも

イヌのコロの 体の中にも

 

そして もちろん きみの 体の中にも

でも わたしの姿は 誰にも見えないの

 

わたしの体は まるで空に届きそうに 大きく大きくなったりするの

そうかと思うと まるで踏まれてしまったように 小さく小さくぺっちゃんこにもなるの

 

どんな体をしているのって?

不思議でしょう

 

わたしの体は風船みたいなの

風船は一生けん命ふくらませたら どんどん大きくなるね

ふくらませようとしなかったら いつまでもぺっちゃんこだよね

 

君がおともだちと楽しく遊んでいる時

わたしは大きく大きくふくらんでいくの

 

君がおともだちとけんかした時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになるの

 

君がおかあさんの手伝いをしてほめられた時

わたしは大きく大きくふくらむの

 

君がいたずらをしておとうさんに叱られた時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになるの

 

君がうそをついて誰かを悲しませた時

わたしはちくちく痛くなるの

 

わたしがいつでもどんな時でも 君の体の中にいること わかってきたかな

 

君がにこにこ笑ってピョンピョン飛んでいる時

わたしは風船のように 大きく大きくふくらんでいるの

 

君が悲しくて泣きそうな時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになっているの

 

君が涙をこぼして泣いている時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになっているの

 

わたしがいつも君と一緒にいること覚えていてね

空を飛べる大きな大きな風船をふくらませてね

一緒に空を飛ぼうね!

2013年9月28日土曜日

「覚悟」


覚悟を持って 生きていますか

死ぬ覚悟を持って 生きていますか

命あるものすべてに 最期の時は訪れます

 

自分を燃焼させて 生きていますか

一回きりの人生 輝いていますか

自分が主人公の人生 歩いていますか

 

人の一生は 花に似ています

蕾が少しずつ少しずつ 開花するように

美しい花を 咲かせましょう

 

覚悟を持って 生きること

そこから すべてのものに愛しさが 生まれます

 

覚悟を持って 生きること

そこから 感謝が 生まれます

 

覚悟を持って 生きること

そこから 心の広い人が 生まれます

 

一日一生

人の一生は 一日の積み重ねです

一日一日を 大切に過ごしたいものです

 

理想を持って

夢を持って

希望を持って

日々の暮らしを大切にして

2013年9月27日金曜日

夏の終わりに(2)


 まんたん(義母)と一緒に暮らし始めて早くも七ヶ月が過ぎ、デイサ-ビスやショ-トステイを利用して、何とかこの調子でこれからやっていけると思っていた矢先、この夏の終わりにまんたんの混乱が頂点に達しました。

 初期の認知症という診断を受けたまんたんにとって、場所移動というものが、非常に大きな障害になるとは思ってもいませんでした。フランスからの二人と私達夫婦とまんたんと、一台の車に乗って、お盆休暇で田舎へ夜遅く移動したのですが、このことが、まんたんに大きな混乱を招きました。

 疲れたのでしょうか、まんたんは到着するなりすぐベッドに入り眠ってしまいました。私達は起こさないよう気を使いながら、お茶を飲んで一服していたのです。そこへドアを少し開けてまんたんが顔を出しました。その形相は大変なもので、私達は驚いて何事が起こったのかと、すぐまんたんの部屋へかけつけました。すると「私をこんなところへ閉じ込めて」と泣き、わめき、怒り、物を投げるなど、大変なことになったのです。二時間半ほどのドライブで、車中では機嫌よく皆とおしゃべりしていたまんたんの突然の豹変ぶりには、本当に驚きました。心優しく孝行息子の夫でさえ、まんたんの理不尽な言葉には、堪忍袋の緒が切れ大きな声を荒げました。私達がまんたんのことを思い考え、一生けん命していることが、まんたんには通じない、わかってもらえないということを、思い知らされました。

 私達はまだ現役で、仕事をして飛び回って生活しています。これ以上まんたんを連れ回すことは限界だと思いました。以前将来のことを考え、何ヶ所かホ-ム・施設を見学していたのですが、連絡をとると二部屋空いているとのことで、私達は早速手続きを始めました。そして大騒動の十日後には、有料老人ホ-ムへ入居することができました。

 外見は八十八歳とは思えない立派な体格のまんたんは、おそらくホ-ムの中で一番元気な高齢者だと思います。入居する数日前のことです。フランスから帰国している娘が買った運動靴のヒモ通しを手伝っていたまんたんは、突然その運動靴をはきました。あまりの元気さに記念写真を撮ろうということになり、そばにあった五キロの鉄アレ-を渡すと持ち上げました。運動靴をはいて今にも走り出しそうなまんたんが、鉄アレ-を持ち上げます。こんなに元気な米寿の高齢者がいるだろうかと、皆が驚きました。

 日本が長寿社会になり、寿命が延びたことはめでたいことですが、喜んでばかりはおれないと、皆が心の中ではしんみりしたように思います。この夏の終わりに、まんたんはホ-ムへ入居し、高齢の方々と穏やかな暮らしを始めました。

2013年9月26日木曜日

夏の終わりに(1)


 今年の夏の暑さは本当に厳しいものでした。家にいる時はエアコンのおかげで何とか暑さをしのげますが、一歩外へ出ると大地が唸っているような酷暑です。猛暑よりも酷暑の方がふさわしく思います。外へ出るのを控えるといっても、やっぱり暮らしの中では、いろいろと用事ができるものです。私は外出した時、四十度近い気温の中を黙々と歩きます。修行僧のように、今自分は行をしているのだと心の中で呟きながら歩きます。

 我が家にフランスからの嵐が上陸し、一ヶ月があっという間に過ぎて嵐が去ったあと、私はいけ花の家元道場へ、三期目の勉強に行きました。伝統的ないけ花は、洗練された形を作り上げています。教わった通りにいけると、下手なりにも形ができ上がります。しかし自由花はいける人の創作です。いつもテ-マがあります。私はテ-マを「夏の終わりに」とし、ヒマワリで厳しい夏の暑さを表現し、夏の終わりに夏から秋へと移り変わる秋の訪れを、ススキとコスモスに表現しました。もちろんそれだけではなく、ナツハゼやタマシダも使いました。花器も重要な役目をします。夏の表現にはガラス花器を、秋の表現には陶器がよく似合います。テ-マを「夏の終わりに」とした私は、自然が感じられる陶器を選びました。先生の手直しを受けて「“夏の終わりに“が感じられますね」との言葉をもらい、この夏の厳しい暑さと、フランスからの嵐と、私にとって忘れられない今年の夏が、走馬燈のように頭をかけめぐっていきました。

2013年9月25日水曜日

自由句三句


嵐去り 心の中に すきま風

 
 

言語力 足らず会話に 汗にじむ

 
 

故郷の 人影消えて 盆は行き

2013年9月24日火曜日

嵐過ぎ去り


 あっという間に今年の夏は終わってしまいました。長い間ブログを休んでしまいましたが、二ヶ月近く休んでしまったという感じはなくて、本当にあっという間に月日が過ぎてしまったように思います。八月一日に我が家に上陸したフランスからの嵐は、八月三十一日に嵐去りということになったのですが、何事にも不器用な私は、一つ一つしか処理できず、嵐の前も後も一心不乱の状態で、今やっとブログを書けるようになりました。

 娘の大切な人を迎えるという生まれて初めての経験でしたが、異国の人と親しく人間対人間としておつきあいができました。フランス語がしゃべれるわけもなく、下手な片言の英語でみんなの笑いをとるような面白おばさんとなりました。恥をたくさんかいて、ますます英会話力を身につけたいと意欲満々になってきました。母国語以外に何か一つ外国語がしゃべれたら、どんなに世界が広がるかと思います。

 ある日の夜、接待業で疲労困憊の私は、彼らより先に横になりました。ふすまの向こうでは彼らの会話が続きます。フランス語なので意味は全然わかりませんが、私にはフランス語が心地よい子守歌のように聞こえてきました。フランス語会話を聞きながら、私はすぐ夢の世界に入っていきました。言語にはそれぞれ個性があると思いますが、フランス語は美しく流れる音楽のようでした。

 外国の人が日本へたくさん来られますが、私は英会話の先生としか親しく話したことがありません。フランス人男性と親しく接して、いろんなことを知りました。性格がわかるというのは面白いことです。一つ屋根の下で一緒に暮らしてこそわかることだと思います。人への配慮、優しさ、思いやり、感心することがたくさんあって、当たり前のことですが、国籍は違っても根本は人間対人間でわかり合えるということを再認識しました。

 私の気づきを、これからもブログに書いていこうと思っています。