2013年1月28日月曜日

「春の足音」


春の足音が聞こえますか

プチップチップチッ

芽がはじける音でしょうか

ポンポンポン

新しい命がとび出す音でしょうか

スッスッスッ

静かに静かに春が近づいてきます


青空の中に見える春の顔

光の中にかがやく春の顔

風の中に映る春の顔


待ちに待った春の足音

命みなぎる春の足音


春はすぐそこまで来ています



春の足音が聞こえてきます

フッフッフッ

つぼみがふくらむ音でしょうか

スクッスクッスクッ

新しい命が成長する音でしょうか

スッスッスッ

静かに静かに春が近づいてきます


青空の中に見える春の顔

光の中にかがやく春の顔

風の中に映る春の顔


待ちに待った春の足音

命みなぎる春の足音


春はすぐそこまで来ています

2013年1月27日日曜日

春を待つ-2


 春を待つ歌もたくさんあります。「春よ来い」は、大正時代後期に作曲された童謡です。私は子供の頃から、春を待ち望み、この歌をよく口ずさみました。最近では松任谷由実さんの「(みんなの)春よ来い」が、なじみがあるかもしれません。

 そして中学生ぐらいから私の大好きな歌「早春賦」です。大正二年に発表された曲で、日本の歌百選に選ばれています。

 「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思えど

    時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず」

 寒さの中にも春の訪れが近いということが感じられて、心も少し明るくなり弾んできます。「春」という響きは、新しいスタ-ト、そして自然界の命の誕生を連想させ、希望、期待が胸にわきあがります。

2013年1月26日土曜日

春を待つ


 二月四日は立春です。暦の上では春ですね。立春の前日二月三日は節分です。春を迎えるにあたって、家族の無病息災と健康を祈って、古くから行われてきた日本の風習ですが、現代もそれぞれの家庭で豆まきがされているのでしょうか。ニュ-スでは、毎年幼稚園や保育園での豆まきの様子が伝えられていますが。豆を年齢の数だけ食べると、体が丈夫になり風邪をひかないと言われています。

 私が子供の頃は、毎年の重要な行事でした。焼いたイワシの頭をわりばしの先に刺して、ひいらぎとともに、玄関と裏玄関に飾りました。夜は、家で煎った豆(大豆)を、父が玄関から庭へまきます。次に座敷に向かって豆をまきます。「鬼は外、福は内」と言いながら。そして私達子供は、まかれた豆を自分の年の数分拾います。父の真似をして「鬼は外、福は内」と言いながら。はるか遠くへ遠ざかってしまった懐かしい思い出です。

 結婚して子供が小学校二年生くらいまでは、家で豆まきをしました。豆まきをしたというより、真似ごとをしました。あとの掃除が大変にならないために、少しの豆をまいて(部屋とベランダへ)それから袋にある豆を食べました。それでもお面をかぶり子供達は大喜びでした。無邪気な、あどけない子供達の顔が思い出されます。

2013年1月25日金曜日

幸福の木


 先日我が家の「幸福の木」につぼみがあるのを発見しました。観葉植物ということなので花が咲くとは知りませんでした。嬉しい驚きです。

 
 
「幸福の木」は別名ドラセナといい、長寿の木として有名で、育てやすく観葉植物のギフトナンバ-ワンだそうです。アジア・アフリカの熱帯が原産地で、樹齢数千年に及ぶのもあるそうです。ハワイ・ポリネシアでは、この木を垣根に植えると、悪霊を防ぎ、幸運を呼ぶといわれて珍重されているとのことです。生命力の強さも抜群で、枝を切ってさし木すると、簡単に発芽・発根させることができるということです。

我が家の木は十数年前、会社員をしていた夫が、独立し事務所を開いた時に、開業のお祝いに頂いたものです。枝が大きくなったので分稙し、現在子供が三鉢に増えています。部屋の南側に置いて、時々水をやるくらいの世話しかしていませんでしたが、突然の変化です。二十日間ぐらいしたら花を咲かせるそうなので、記録をとろうと思います。
 

 「幸福の木」という名前に惹かれ、事あるごとに希望と期待を抱きながら見ていましたが、花が咲くとなっては一大事です。「幸福の木」に、今、なお一層の魅力を感じています。

2013年1月24日木曜日

一月の花 蝋梅


 一月の花として、蝋梅をあげようと思います。日本の一番寒い時期に、梅の花が咲く前に、黄色い花を咲かせ、とてもよい香りを私達にプレゼントしてくれます。中国原産で、江戸時代初めに渡来しました。蝋細工のような質感を持った花弁が特徴です。
 
 

 実家にも、そして私達が初めて手に入れた戸建の庭にも、蝋梅はありました。年末年始を賑やかに過ごしたあと、少し淋しくなった私の気持ちを、黄色い蝋梅の花は慰めてくれたものです。庭に眼をやると、厳しい寒さの中に、ひっそりと花を咲かせています。実家の蝋梅は、年数とともにがっちりとした花木に育っていましたが、我が家の蝋梅は、ほっそりしていてスラッと立っています。若い分、花数も少なめで、狭い庭にふさわしい趣でした。今頃、私達のあの蝋梅は、きっと大きく成長し、新しい家族を喜ばせていることと思います。散歩していると、時々庭に蝋梅があるお家を見かけ、蝋梅とともに懐かしい光景が思い出されます。

2013年1月23日水曜日

嬉しいニュ-ス


 先日嬉しいニュ-スが報道されました。七十五歳の女性が、芥川賞を受賞されたのです。同賞受賞の中では史上最年長ということで、年齢がクロ-ズアップされていますが、なんと彼女は筆歴七十年ということです。五歳の時に、物語を書き始めたそうです。受賞作品「abさんご」は、自分の半生を描いた小説で、固有名詞がなく、横書きで、ほとんどがひらがなという、独自のスタイルを貫いておられます。驚くことに、一つの作品にかける期間は十年間とのことです。「どういう作品を書きたいかっていう衝動のほうが大きいので、結果的にどんどん普通の小説ではなくなっていって、変わったものになってしまった。生きているうちに見つけてくださって本当にありがとうございました」と、受賞の喜びを話されました。

 このニュ-スを聞いた時、本当に感動しました。自分の好きなことを、黙々と地道に続けた結果です。一本の道の素晴らしさが伝わってきます。器用な人は、何でもすぐにマスタ-してしまいますが、その反面一つのことをこつこつと地道に進むのは苦手かもしれません。七十五歳女流作家の生きる姿勢に、感銘を受けました。陰ながら応援したいと思います。フレ-フレ-と声援を送ります。

2013年1月22日火曜日

びっくりぎょうてん


 先日夫婦で出かけた時のことです。夫が「コ-ヒ-が欲しい」と言い、途中のコンビニで買い物をしました。コ-ヒ-と菓子パン二個を買って戻ってきました。私は車で待っていたので、どんな菓子パンを買ったのかと、早速パンを取り出しました。あんパンとジャムパンです。その時、袋に印刷されている賞味期限の日付が目に入りました。昨日の日付と明日の日付です。私は「あれっ今日は何日だった?」と夫に確認し「これ賞味期限切れているのに、売っているのね」と驚きの声を上げました。夫はすぐ、店員さんにそのことを伝えにコンビニへ行きました。そして苦笑いしながら戻ってきました。私がキョトンとしていると、袋に印刷してある日付を指して、「一ヶ月先の日付だって」と言います。私は「えっ!」と言いながら、賞味期限の日付を見ました。何ということでしょう。昨日の日付から一ヶ月先まで、賞味期限となっているのです。今迄ずっと菓子パンの賞味期限は3日~4日と思い込んでいたので、まさか一ヶ月もあるとは信じられません。袋には「おいしさ、ずっと長持ち」と書いてあります。日付の最後の数字だけを見て、これは昨日迄こちらは明日迄と、即断していたのです。もちろん夫も同様です。菓子パンが、一ヶ月先迄「おいしさ、ずっと長持ち」するとは思われません。パンの製造方法も日進月歩しているということでしょうか。それでもやっぱり私は、少しでも製造日に近いものを買おうと思います。本当にびっくりぎょうてんしましたが、自分達の思い込みと早とちりに、二人で大笑いしました。笑い話になりました。

 が、しかし、この商品が開発された背景には、何があるのでしょうか。ひょっとして東日本大震災と関係があるのでしょうか。私達は、情報キャッチが遅れていたことを痛感しました。

2013年1月21日月曜日

徒然に想ううた 短歌三首


年頭に 大志を抱く 古希の人
 

    夢を追いかけ 学び舎に立つ

 

 

待つことは 人を成熟 させる道
 

      泰然自若 胸に刻んで

 

 

たそがれる 山の向こうに 沈みゆく
 

      赤き夕陽の ギンギンギララ

2013年1月20日日曜日

徒然に想ううた 俳句三句


 

年の瀬に 良寛訪ね 瀬戸の海

 

 

冬日和 心ほころび 歌い出す

 

 

夕焼けが 木立染め行く 冬枯れ野

2013年1月19日土曜日

人生の大先輩―2


 先日ニュ-スで、すごい方がおられるということを知りました。現在九十九歳の男性は、大学へ通っています。週に二回、電車・バスを乗り継いで、片道二時間近くかけて大学へ通っておられます。国際政治史や国際法の講義を受講されています。

 「勉強したい」という思いを持ちながらも、家庭の事情で尋常小学校を卒業後すぐに働きに出ました。夜間学校なら進学させてもらえるかと、独学で勉強し、商業学校の編入試験に合格しましたが、父親の許可は出ず進学できませんでした。太平洋戦争では、ビルマ戦線に衛生兵として送られ、砲弾を受け多くの仲間を亡くし、戦場は食べ物もなく餓死する仲間もたくさんいて、オタマジャクシもヘビもなんでも食べたそうです。帰国後は紳士服の縫製工場で働き、八十五歳でリタイアして、九十三歳の時に、子供の頃からの夢「勉強したい」を実現されました。「自らが体験したあの戦争がなぜ起こったのか、その背景を明らかにしたい」という思いで、今迄に日本史、世界史、国際法などを受講され「国際的な対立は、戦争ではなく、外交的努力で回避すべきだとの思いが募っている」と述べておられます。「大学通いを支えているのは、尽きることのない好奇心」だと話され、英会話講座にも挑戦され意欲満々です。十四年ほど前に妻に先立たれ、子や孫がいますが「一人のほうが気楽でええ」と、一人暮らしをされています。十二月で百歳になられますが「世の中にはいろんな知らないことがある、いくつになっても勉強を続けたい」と話されています。

 私の親世代のこの男性には、本当に圧倒させられます。百歳を前にして、この素晴らしい好奇心と行動には目を見張ります。精神的、肉体的な条件は授かり物だと感じますが、後に続く後輩達に立派なお手本を示されていると、拍手喝采し脱帽します。