2013年1月15日火曜日

京の街歩き-3

 元日に家族で初詣に出かけた時のことです。寺町通を南から北へ上ったのですが、京都御所に沿っている寺町通の途中で、新島襄旧居の石碑を見つけ、早速写真を撮りました。


 


  今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、新島襄の妻八重を描いたものです。放送は二回終わりましたが、今はまだ会津での八重のお話です。八重は、会津藩が迎えた幕末の戊辰戦争では銃を持ち戦いますが、その戦いで父と弟を亡くし、そのあと京都にいる兄の元に身を寄せます。そして新島襄と出会い結婚し、夫と共に同志社大学の創立に尽力します。結婚生活は十二年と短いものでしたが、夫が亡くなったあとも、八重は八十六歳で亡くなるまで京都で生活します。八重は、男性と対等の立場に立ち、生涯を生き抜きます。今の言葉ではハンサムウーマンでしょうか。女性の目から見ると、とても頼もしく気持ちのよい生き方です。八重の生き方から、何か学び取るものがあるように思います。ドラマが進展するのに比例して、新島襄旧居にたくさんの人が訪れて、さぞかし賑わうことと思います。

2013年1月14日月曜日

成人の日

 今日は成人の日です。テレビでは全国の成人式の模様を伝えています。華やかな振り袖を着た女性達の映像が出ています。
 今から○十年前、私は市の公会堂で催された成人式に出席しました。当時は今と違って、振り袖を着る人の方が少なく目立つ存在でした。二人の姉がいる私は、着ようと思えば振り袖を着ることができる状況でしたが、着ませんでした。上の姉のために、母は刺繍を縫ったとてもきれいな振り袖を作りました。下に妹が二人もいるので、三人の娘が着ると思えば、母も力が入ったのでしょう。母は、私が振り袖を着て成人式に行くと思っていたようです。せっかく振り袖があるのだから、着るであろうと期待していたと思います。しかし私の心境は複雑でした。華やかな振り袖を着て、目立つのがいやでした。中学を卒業して、紡績工場へ就職した友達もいます。故郷を離れ寮生活をしていました。立派な社会人です。それに比べ、私は親の羽の下でぬくぬくと毎日を過ごしています。極力目立たないように質素に黒のスーツを着て、成人式に出席しました。毎年新成人が「君が代」のピアノ伴奏を弾くのが恒例になっていて、私も頼まれていました。振り袖を着てピアノを弾くのは弾きにくいから、洋服で出席するということを母に伝え、母は仕方ないと納得してくれました。私の成人の日の思い出は、質素に質素に、目立たないように、静かにピアノを弾いたというものです。
 兄も二人の姉達も成人式には出席していません。遠くの大学へ行っていたので、冬休みも終わり学校が始まったばかりで帰れなかったのです。私は、自宅から通学していたので出席することができました。
 成人の日を迎えて変わったことは、選挙権を得たことです。学生の身分で二十歳を越えても、親の羽の下にいるのでは、世間の冷たい風にもあたりません。就職して社会人になっている友人達に、申し訳ないような気持ちでした。
 親の庇護からの旅立ち、それこそが私にとって本当の大人になることでした。それは結婚して親元を離れた時です。完全に独立、自立した自分がいました。一人ではなく二人ですが、本当の大人になったのだと思いました。「すべてのことを自分達で決め行動する」本当の大人になった自覚と覚悟、喜び、誇りが、ひしひしと沸き起こってきたのを思い出します。

2013年1月13日日曜日

京の街歩き-2

 京の街歩きをしていると、不思議な光景が目に入ってきました。この真冬に簾をかけている家があるのです。それも多くの住宅にかかっているのです。とくに先斗町、祇園新橋通、宮川町などの花街を歩いているとさらに多く二階に簾がかかっているのです。簾は夏のものと思い込んでいる私は、この意外性に驚きました。京都といえば、町家では毎年、建具、敷物など、住まいの中を夏用、冬用に入れ替え、テレビ、本などではその模様をとりあげ「設え(しつらえ)」という言葉を使っています。「設え」という言葉には、日本古来から伝えられてきた日本的な文化の響きを感じます。






 私の実家は京都ではありませんが、私の記憶にある限り、子供の頃からずっと、毎年夏用冬用の建具、敷物、衝立、簾、座布団から掛け軸まで、毎年入れ替えていました。それはずっと父の仕事でした。私は大変なことだと思いながらも、それが当たり前のような感覚でした。その感覚で、京都の冬にもかけられている簾を見ると、違和感を覚えます。いつの頃からこういう光景が、見られるようになったのでしょうか。昔からのことなのでしょうか。京都は何かにつけてきっちりするという印象を、私はもっていました。「設え」も典型的なその一つだと思っていました。きっと理由があるはずです。その理由を御存じの方がおられましたら、ぜひ教えて頂きたいと思います。

2013年1月12日土曜日

京の街歩き-1


 京都の街歩きをしていると、民家の中屋根に、面白いあるいは怖い表情をした鍾馗(しょうき)さん、と呼ばれる像が置かれています。中国の唐の玄宗皇帝の夢枕に現れて、鬼を退散させたという魔よけ、火よけの神様です。いろんな姿をしたしょうきさんがいて、表情もいろいろあります。鍾馗さんのことを知らなかった私は、たくさんの鍾馗さんを一堂に並べたら、素晴らしい展覧会になるであろうと想像してしまいました。

 

 また京の街歩きをしていると、たくさんのお地蔵さんに出会います。町内に一つはあるように思います。私も子供の頃は、祖母や母がしていたのが自然と身につき、お地蔵さんの前を通る時は、立ち止まり手を合わせていたのですが、いつの頃からかしなくなっていました。京都の町では、昔からずっと今も、お地蔵さんを敬い拝み、大切に祀ってきたのだと思います。お地蔵さんは、その土地に深く根付いている土着信仰のようなものでしょうか。これからは私も見習いたいと思います。子供の頃を思い出して、お地蔵さんに手を合わせようと思います。

2013年1月11日金曜日

初詣―2


 二日も家族で初詣ツァーに繰り出しました。今度は東の方向へ出かけました。始めに知恩院へお参りしました。創建は1175年、開基は法然上人です。私の実家の菩提寺の浄土宗大本山です。全国に7000ほどの末寺があります。父も母も分骨して知恩院に納骨しているので、私は今までに何度も来ています。御影堂大修理が8年計画で行われており、阿弥陀堂へお参りしました。国宝となっている三門、本堂(御影堂)をはじめとする諸堂は、江戸時代に入ってから建設されましたが、徳川家康、秀忠、家光など、徳川家が浄土宗徒であったため、知恩院はどんどん大きくなり立派なものになっていきました。大鐘楼は日本有数の大きなもので、除夜の鐘をつく様子は、年末のテレビ番組にたびたび登場しています。知恩院へは苔生す石畳の道から上って入りましたが、まるでお城のような立派な石垣が続いています。正面からは三門をくぐって入るのですが、その三門は高さ24メートルもあり雄大なものです。
  

 次に円山公園を通り八坂神社へ参拝しました。阪急四条駅、京阪四条駅から歩いて20分ほどのところにあるので、大阪からもたくさんの人が来ています。人込みの中、参拝をすませ、たくさんの人の波に押されて八坂神社を後にしました。もう少し足をのばせば、豊臣秀吉の妻ねねの高台寺や、いくつもの坂を上って清水寺へ続きますが、今回はここで帰ることにしたのでした。

 

2013年1月10日木曜日

初詣


 一日は家族で初詣ツァーに出かけました。寺町通を南から北へ上り、革堂、下御霊神社、梨木神社、蘆山寺、清浄華院、相国寺へお参りしてから、烏丸通へ出て、護王神社、菅原院天満宮へと、欲張ってたくさんの寺、神社へお参りしました。そして最後に平安神宮へお参りしました。新年のカウントダウンが始まるころから、初詣の人々がぞくぞくと集まるので、拝殿の前にたどりつくのも容易ではありませんが、私達が平安神宮へ到着したのは四時頃だったので、ピークは過ぎていたようでした。それでも大行列に並びやっとのことで参拝できました。
 
護王神社
 
平安神宮
 
神宮道

 年の初めに初詣に行くと、新しい年を迎えたという新鮮な気持ちになります。気持ちがひきしまります。私は、初詣が大好きです。「一年の計は元旦にあり」という諺が頭に浮かびます。どこの寺、神社でも、私が願うことは「家族の健康と新しい年が平穏でありますように」です。寒い中にも太陽が顔を出し、穏やかな新しい年の始まりでした。

2013年1月9日水曜日

お久しぶりです


 今年もよろしくお願いします。新しい年に入り早一週間が過ぎました。昨日夕方無事に戻り久しぶりのブログです。冬休みの間、ノロウイルスに感染することなく、元気に過ごすことができホッとしていますが、まだまだインフルエンザもこれから流行の時期に入るので、油断せずに気をつけねばなりません。

 年末年始は京都で過ごしました。京都といえば京の台所と呼ばれ、毎年歳末になるとニュースに登場する錦市場が有名ですが、私達は出町商店街へ出かけました。有名な餅屋があり、いつも行列をしている不思議なお店ですが、年末にはなおいっそうの客が集まり大行列でした。商店街が続いていて、たくさんのお客で賑わっていました。

 
 京都で年の瀬を過ごすのは、とても楽しいものです。たくさんの寺や神社が、いろんな行事をしています。東山区にある六波羅蜜寺では、「空也踊躍(ゆやく)念仏」が公開されていたので、見に行ってきました。六波羅蜜寺は、空也が平安時代中期(951年)に創建した真言宗の寺で、西国三十三所の十七番札所です。「空也踊躍念仏」は、念仏の広がりに危機感を抱いた鎌倉幕府の弾圧が迫る中、夕暮れ時に屏風の影に隠れて踊ることで、その姿を守り伝えてきたとのことで、国の重要無形民族文化財になっているそうです。住職の説明を聞き、最後にお守りのお札をもらいました。

 
 大晦日の除夜の鐘は、左京区にある真如堂へ行きました。何故か外国の人がたくさん集まっていて、鐘をつくのに多くの人が行列して、順番を待っていました。時間がかかりそうなので、お参りをして写真を撮って帰りました。NHK「ゆく年くる年」には、清水寺がとりあげられ、あふれんばかりの人が映像に映っていました。


2012年12月23日日曜日

今年も残り少なくなりました


 いよいよ今年もあと一週間となりました。残り少ない、ゆく年の一日一日が、名残りおしくなります。

 先日、韓国の大統領に初めて女性大統領が誕生しました。韓国に先を越されたようで少し残念ですが、女性としてとても嬉しく思います。御両親を突然の不幸で失った悲しい経験は、他者の痛みを知ることのできる、リーダーとしての資質の一つになっていると思います。日本、中国、韓国が、新しいリーダーのもと新しい年をスタートさせるこの節目に、各国全国民が、大きな期待を寄せていることと思います。

 今年は2月20日からブログをスタートさせ、毎日せっせと原稿を書き、執筆活動をしてきました。新しいことへの挑戦をしたという達成感で、とても清々しい気持ちです。新しい年も、こつこつと一歩ずつ続けていきたいと思っています。

 明日から冬休みに入り留守をしますので、ブログをしばらくお休みします。高齢の義母と冬休みを一緒に過ごし、親孝行をしようと思っています。新しい年に入りこちらへ戻りましたら、ブログを再開します。

 皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

2012年12月22日土曜日

クリスマスの思い出


 もうすぐクリスマスです。クリスマスの思い出はたくさんありますが、最初にして最大の思い出は、我が家にサンタクロースがやってきたことです。今から六十年前のこと、クリスマスイブの夜、真っ赤な服を着て帽子をかぶった白ヒゲのある小柄のサンタクロースが、突然家へやってきました。私は祖父の膝の上にだっこしてもらっていました。サンタクロースが何者かもわからず、突然変なかっこうをしたよそ者が家の中へ入ってきたことに驚き、大声を出して泣きました。兄や二人の姉、父、祖父、祖母はニコニコ笑っています。サンタクロースは、子供達にプレゼントをくれました。私はプレゼントもなんのその、驚きのあまりずっと大声で泣き続けました。その記憶がクリスマスの思い出としてずっと残っています。

 大きくなって振り返った時、あのサンタクロースは母だったのだと理解しました。母は、小学校六年生の時に母が亡くなり、二十歳の時には父も亡くなりました。結婚して家庭を築き、子供に恵まれ、三十代の母は、自分の理想とする家庭像を実現していたように思います。六十年前といえば、家庭でクリスマスパーティーをする家は、まだ少なかったのではないでしょうか。母はケーキを作り、クッキーを焼き、チキン料理も用意しました。そしてプレゼントは、数々のお菓子と母特製のセーター、マフラー、手袋でした。食事が終わると家族みんなで歌を歌いながらの合奏です。「ジングルベル」「きよしこの夜」です。最後に祖母が独唱します。十八番(おはこ)の披露です。流行歌「籠の鳥」です。普段めったに歌わない祖母が、この時はすまし顔ですました声を張り上げて歌うのです。今、思い出せばクリスマスパーティーに「籠の鳥」です。おかしくて吹き出してしまいます。そんな変なクリスマスパーティーは、私が小学校五年生ぐらいまで続きました。

そのあとは、華道の師匠をしていた母が、生徒さん達を集めての門下のクリスマスパーティーへと変化していきました。そのクリスマスパーティーは年々盛大になり、兄が大学生、社会人になり、その友人達も加わり、ダンスパーティーを主としたものになりました。医者の卵達もたくさん来ていて、いろんなロマンスが生まれ、デートへと発展していくカップルもありました。現在の婚活の場を提供していたようにも思います。

母は孫が八人できて孫が幼稚園の間は、またサンタクロースに扮して、孫達を喜ばせていました。

私達が二人の子供へ贈るクリスマスプレゼントは、普段の生活の中で、何気なくどんなものを欲しがっているかを聞き出しておいて、用意しました。子供達が寝ている枕元へプレゼントを置く時は、目を覚ますのではないか、ばれたらどうしようとドキドキしたものです。成長とともに、サンタクロースは父母だったと、自然にわかっていくものです。幼い子供達と親との懐かしいゲームのようなクリスマスでした。

外国では、クリスマスが最大の家族行事のようです。クリスチャンでもない日本人にとっては、一つのイベントになっているクリスマスです。楽しく和やかにクリスマスを過ごし、思い出の一つになればそれで充分だと思います。美しいクリスマスソングを聞いて、静かに過ごしたいと思います。

2012年12月21日金曜日

日本から世界へ


 知人の在仏十年の日本女性から聞いた話です。いつかのブログに書きましたが、彼女は、南仏のモンペリエで東日本大震災の支援団体を、日本人、フランス人、いろんな国の人達と力を合わせて立ち上げ、チャリティーコンサート、支援のためのスタンド、募金活動など精力的に展開させています。そしてそのことが、日本という国を外国の人々に知ってもらうきっかけとなり、日仏交流が民間人のなかで盛んに行われているそうです。

 彼女は、ピアニストでありピアノ教師です。子供から22歳ぐらいまでの、青少年のオペラ・ヴォーカル・グループの専属ピアニストをしており、日本の合唱曲もいろいろ取り上げて歌っています。「気球の乗ってどこまでも」「あの町この町」「赤とんぼ」「その人が歌うとき」「もののけ姫」などです。

 日本人の心にひびく名曲が、どんどん世界へはばたいています。日本人が心のふるさとを感じるように、世界の人の心にも通じる何かがあるのかもしれません。