2020年7月3日金曜日

知るを楽しむ(郷土史―2)


 今まであまり興味関心好奇心を持っていなかったふるさとのいろんな史実にはまっています。もっと若い時からであれば、今流行りの歴女になれたかもしれません。

 家の前を流れる二級河川を少し上流に行くと、大河内という集落があります。国道166号線を走っていると、大河内城址と書かれた表示板が目に入ります。こんなところにお城があったということを教えてもらいます。いままで無頓着でしたが、この大河内城は歴史上有名なお城です。織田信長が落とせなかった城です。大河内城の戦いから450年が過ぎています。織田信長は、天下統一を目指して近隣諸国へ侵攻を推し進めていました。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、尾張のおおうつけと噂されていた信長の人物像を面白く描いています。残念ながらコロナ問題で収録ができず、今は放送がお休みとなっています。尾張の国を統一し、今川氏を討ち、齊藤氏を討って、足利義昭を将軍に擁立して大きな後ろ盾をつくり、天下統一という壮大な夢に向けて突き進んでいきます。永禄12年(1569年)自ら大軍勢を率いて南伊勢へ侵攻してきました。5万とも6万ともいわれる大軍勢です。それを迎え撃つのは、南伊勢を治める国司北畠家の北畠具教(とものり)・具房(ともふさ)親子です。北畠軍は7千あまりの兵です。この戦いの結果は、信長の次男信雄(のぶかつ)を北畠家の養子とするかわりに、北畠の家督と大河内城を信長に譲るという条件での和睦です。北畠家がここで織田家と戦い、その数年後に滅ぼされたことへの深い悲しみを詠んだ句碑が、大河内城址本丸跡にあるそうです。






 大河内城は、応永年間(1394~1428)、室町幕府軍との戦闘に備え、当時の伊勢国司北畠満雅によって築城されました。この大河内城は解体されるまで、一度も落城した記録のない城ともいわれているそうです。大河内城の戦いでは、有名な戦国武将が織田方として参戦しています。(滝川一益、柴田勝家、森可成、前田利家、豊臣秀吉、蜂須賀子六、竹中半兵衛など)(松阪に縁の深い蒲生氏郷も14歳で織田軍として初陣となりました。)

 戦国時代の武将たちの生きざまが頭に浮かんできます。戦国武将の面々を想像してしまいます。大河内城の戦いから450年を経て、国道から見上げる大河内城は、うっそうとした木々に囲まれています。お城へ上るには、気力体力がいります。機会を見つけ大河内城址を訪れてみようと思います。

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