2015年9月30日水曜日

胸うつ言葉

 先日新聞を読んでいて胸を打つ言葉に出会いました。
「さみしきがさみしき背中眺めつつ」
人間の孤独感が滲み出ています。人間がこの世に生を受け、何年かの人生を生き、いつの日か旅立ちます。一人で旅立ちます。皆平等にいつかその日が訪れます。人間は皆孤独です。人間は皆一人ぼっちです。日常生活の中で生活に追われ、ふと立ち止まることはあまりありません。一人ぼっちがたくさん集まって、家庭を地域を社会を構成しています。「人は皆孤独」ということを知っていれば、他者がどれほど愛しく、大切な存在であるかに気づくのではないでしょうか。そして他者の存在がどれほどありがたいことかを知り、謙虚な気持ち、感謝の気持ちを持てる人になるのだと思います。
 何年か前に登場し、社会に定着した「おひとりさま」は、他者との関わりに少し距離をとって、煩わしい人間関係の中で「おひとりさま」を気にせず、堂々と「おひとりさま」を楽しむといった流れになったように思います。レストランにも「おひとりさま」が何も気にせず、肩身が狭いとも感じず、利用できるような「おひとりさま」の席が用意されるようになりました。「おひとりさま」に配慮されています。書店には「おひとりさまの○○○」といった本が、たくさん並んでいます。「おひとりさま」この言葉からは、人間の孤独感はあまり感じられません。孤独感よりも、自分が積極的に選んだ生き方、前向きな生き方、自負した先進的な生き方が伝わってきます。しかし「おひとりさま」の心の中はわかりません。
 「さみしきがさみしき背中眺めつつ」この言葉では、さみしいと思っている人、一人ぼっちだと思っている人が、他者の心の中も自分と同じくさみしく、一人ぼっちと思っている人だと捉えています。

「さみしきがさみしき背中眺めつつ」私はこの言葉がとても気に入りました。日々の暮らしの中で呪文のように口ずさみたいと思います。そうすればもっともっと心の広い人になれるような気がします。

2015年9月29日火曜日

徒然に想ううた(短歌三首)


手を伸ばし つかみとりたい 我が月を

      唯一無二の スーパームーン

 
27日は中秋の名月、28日が本当の満月だそうです


















これほどに 人の心を 独り占め

      スーパームーン あなたは偉大

スーパームーン:今年一番の大きさだそうです


















いつの世も 歌詠み人の 手の上で


      七変化する スーパームーン

ハロウィンのカボチャのようなお月さま(葉っぱのいたずら)

2015年9月28日月曜日

徒然に想ううた(短歌三首)


ふと気づく 見上げる空に 名月や

      幼き日々と 父母よみがえり

 




名月の リアルな姿 ありありと

    うさぎ餅つき 遠く消え去り



















いくとせも 変わらぬ月光 中秋の


      手を組み願う 永久(とわ)の幸せ


2015年9月25日金曜日

夏の思い出(9)比叡山延暦寺

 フランスからの客人を案内する日帰りツアーも、いよいよ大詰めとなりました。8月の末、この日は比叡山延暦寺を訪れました。天台宗総本山比叡山延暦寺は、標高848メートルの比叡山全域を境内とする寺院です。平安時代初期の僧、最澄(767~822年)により開かれました。最澄が延暦7年(788年)に草庵を建てたのが始まりとのことです。延暦寺は多くの高僧を輩出しました。浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、日本仏教史上著名な僧の多くが、若い日に比叡山で修行しました。そんなことから「日本仏教の母山」とも呼ばれているそうです。京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として、次第に栄えるようになったという歴史があります。京都の町からは、どこからでも北東に比叡山の頂を見ることができます。鴨川の岸辺を散歩する時、私はいつも比叡山を眺めながら歩きます。比叡山は京の都を見守ってきました。これからもずっと見守り続けていきます。
京都の中心部から、車で一時間ほどで行けます。いつも見ている比叡山ですが、延暦寺まで行くことはそう多くはありません。私は今回で五回目です。車でどんどん上っていきます。比叡山ドライブウェイを走ります。一気に上がる感じです。日本一の琵琶湖が見えてきます。この日は快晴で遠くまでハッキリ見えます。途中の展望台で車をとめて写真撮影です。少し走ると今度は進行方向の左側に京都市街を一望できる展望台があります。ここでも車をとめて写真撮影です。この日は大阪の町もよく見えました。

東を見下ろすと琵琶湖 大津方面
京都市内、西南の遠くには大阪の高層ビルが見えます
 そして延暦寺の大駐車場へ到着です。まずは講堂を見学しました。次に根本中堂、文殊楼を見学しました。その他にも見学する場所はたくさんありますが、私達はここで引き返すことにしました。いつもこの先へは行っていません。ここまで進むとずい分疲れを感じます。それほど比叡山延暦寺は広大です。

根本中堂


根本中堂の向かいに急な階段 上に文殊楼


階段で楼の2階に上ることができます



 いつもあこがれをもって、遠い昔に思いを馳せながら仰ぎ見る比叡山へ、フランスからの客人を案内することができて、心が満ち足りました。フランス人の彼は、日本に大きな魅力を感じているようです。

2015年9月19日土曜日

夏の思い出(8)一休寺

 懐かしい思い出の地、平城宮跡やかつての我が家、子供達の通った幼稚園や小学校を巡ったあと、一休寺を訪れました。奈良県との県境に近い京都府京田辺市にあります。子供達に大人気の一休さん、とんちの和尚一休さん、晩年京都大徳寺の住持を務めた一休宗純です。奈良に住んでいた頃、子供達が小さかった頃に家族で一度来ています。通称一休寺は、正式には草庵・酬恩庵です。一休宗純は、1481年に八十八歳でこの酬恩庵で亡くなっています。





  宮内庁が管理しているお墓がありました。「はてな?」と思いますが、一休宗純は、後小松天皇の落胤とする説が有力視されているそうです。墓所の門扉に菊花の紋がありました。



 あちこち寄り道をしたので、一休寺に着いたのは四時頃でした。五時閉門とのことでひっそりしています。私達以外に二組の人だけです。フランス人の彼は、一休和尚の大ファンで、一休寺へ来れたことに大感激です。一休さんについての情報もいろいろ知っています。一休寺は山すそにあるので、山を借景として、山と一体化しています。総門をくぐると石畳の参道が続きます。いつもながら古い寺社を訪れると気持ちが落ち着きます。桜、つつじ、さつき、沙羅、萩、楓などいろいろ植えられています。四季を通じて楽しませてくれるようです。秋にはもみじが美しさを見せてくれそうです。飾られている大きなポスターを見て知りました。居住の場である庫裏と住職の接客や仏事を行うところの方丈や、本堂、宝物殿を見学しました。


庫裏玄関にいきなりかまど

庫裏の煙出し



方丈庭園 南

高齢の一休さんをのせて京都まで行った籠椅子



本堂

庭に小さな橋がかかっています。「このはし渡るべからず」と書かれた立て札があります。一休さんの数々あるとんちの一つです。娘は、フランス人の彼に説明しています。懐かしいアニメ「一休さん」を思い出しました。境内には、少年時代の一休さんの像がありました。手に箒を持ち掃除をする一休さんです。池があり、木々の足元にはたくさんのいろんな姿のお地蔵さんがいます。かわいい子供のお地蔵さん、ユニークな表情のお地蔵さん、見ているだけでこちらもニコッとしてしまいます。







一休寺へお参りした記念にお守りと絵馬を買いました。かわいい一休さんの絵馬と老年の一休宗純の絵馬です。どちらの絵馬にも「一善一年」と書かれています。「一善一年(善哉善哉・よきかなよきかな)」とは、今年一年の善き行いを一休禅師に誓い、行動を約束することだそうです。酬恩庵一休寺では、一休さんの誕生月一月の最終日曜日に「一休善哉(ぜんざい)の日」としてぜんざいが振る舞われるそうです。毎年の行事になっているそうです。





2015年9月18日金曜日

夏の思い出(7)奈良平城宮跡

 フランスからの客人を案内する日帰りツアーです。この日は暑さ厳しい中、第一の目的地へ行く前に少し立ち寄るという気持ちで奈良の平城宮跡へ行きました。奈良市西大寺に近いところです。私達が奈良に住んでいた三十年~四十年前に比べて、平城宮跡は整備され、建物が順次復元されています。朱雀門、平城宮跡資料館、遺構展示館、第一次大極殿、平城京歴史館、東院庭園など立派なものが建ち、時の流れをあらためて感じます。




 休日にはお弁当を持って、小さい子供達をつれて、平城宮跡へピクニックに出かけました。懐かしい思い出です。広大な土地に立派な都があり、たくさんの人達が住んでいたという千三百年前の情景を思い描くのは楽しいことです。平城宮跡の真ん中を、近鉄奈良線が通っています。カラフルな色の特急電車や、にぎやかな宣伝が描かれた急行電車に、興味をもったフランス人の彼は、たくさん写真を撮ります。広大な土地は、広い駐車場をとっても、まだまだ広大です。周りには背の高い葦が群生しています。中心部はイベントが催される場所として、またまた広大なものです。8月の終わりに平城京天平祭が開催されるとのことで、その準備がされていました。遠くに若草山や東大寺大仏殿の大きな屋根が見えます。





私の胸の中に、いろんな思いが去来します。普段はすっかり忘れてしまっていることが、懐かしい地に立つと怒涛のように押し寄せます。若かりしあの頃、子育てと仕事に必死で無我夢中だった日々。胸があつくなります。我ながらよく頑張ったものだと目も潤みます。私は日傘をさして、みんなの後を歩きます。平城京歴史館の復元遣唐使船に入りたいと、フランス人の彼は外国人優待無料パスで見学に行きました。あまりの暑さにバテ気味の私達は、すべて知っているかのように休憩所で待ちました。




 平城宮跡でゆっくり過ごしたあと、私達が以前住んでいたニュータウンへ寄っていこうということになりました。私達が住み始めた頃は、駅も仮のものでした。立派な駅ができ、町はどんどん成長し大きくなりました。今では奈良県と京都府にまたがる関西文化学術研究都市として、一流企業の研究所も多くあり、国内外から研究者が集まってきています。当時は小さなスーパーが一つだったのが、大きなショッピングセンターができてたくさんの客を集めています。病院も大きな立派なものになりました。私達は公団の賃貸マンションに7年、分譲マンションに4年の計11年を、このニュータウンで過ごしました。結婚して新生活をスタートさせ、二人の子供が生まれ、上の子が十歳になる年に東京へ転勤となり、この地を離れました。子供達が通った幼稚園や小学校の正門で写真を撮りました。二つのかつての我が家の前でも写真を撮りました。娘は、フランス人の彼に、懐かしい地をいろいろ説明しています。私は、懐かしい思い出とともに、この地と別れた淋しさを感じました。

7年過ごした賃貸マンション
4年過ごしたマンション:すぐ前がスーパー、横に小学校と便利でした


2015年9月17日木曜日

夏の思い出(6)京都府美山町

 フランスからの客人を案内して、美山町を訪れました。美山町は、京都府南丹市にあります。かやぶきの里で有名です。京都市中心部から車で一時間半ほど北に行きます。白川郷へ行ってきたところなので、違いがよくわかります。美山町のかやぶきの里は、規模が小さく、建物もこじんまりしています。三十八棟の茅葺き民家が現存しており、全部平屋です。




二百年ほど前の農家の建物が、現在美山民族資料館として公開されています。母屋、納屋、蔵を見ることができます。牛も家族のように生活していたようです。古くからの農機具、生活道具など、約200点以上が展示されています。




牛の居場所は家の真ん中です


ゆっくり見学してから、お茶をいただきくつろぎました。ちゃぶ台の上に旅ノートが置かれていたので、皆が短いコメントを書きました。天井や床下は高く、庇は深くつくられているので、気持ちよい風が家の中を通りぬけていきます。扇風機さえいりません。昼寝をすれば寒いほどのようです。日本の原風景が残る山里、美山町です。神社やお寺を見ながら、村の中を散策しました。

 そのあと少し離れたところにある、「美山酒の館」に寄りました。酒蔵と日本酒直売もあり、「きき酒」コーナーでは、フランスからの客人は、熱心に説明を聞いて試飲していました。「てんごり」という名のお酒があったので、意味を尋ねたところ「美山の方言で助け合いのことを表し、手間を返す“手間返し”がなまったもの」と言われているそうです。


 その後日本海を見に行こうということになり、若狭の国を目指しました。フランス人の彼にとっては、初めての日本海です。ちょうど夕日が日本海へ沈むという時間となり、写真が撮れました。若狭湾の中に位置する小浜市の若狭フィッシャーマンズワーフで、おいしいにぎりずしを食べました。サービスでエビなどの海鮮入り味噌汁が出たのですが、海を見ながら頂き、とてもおいしかったです。ここからは蘇洞門海岸めぐりの遊覧船が出ていると知りましたが、この日はすでに時間が遅くなっていたので、残念でしたが又の機会ということになりました。





帰りは若狭鯖街道を走り、京都へ戻りました。途中に熊川の宿があり通り抜けたのですが、立派な町並みが残っていて、まだまだ知らない歴史地区が、日本にはたくさんあるのだと気づきました。