家の近くを流れる鴨川から取水口で引き入れられた水は、みそそぎ川を通り高瀬川へと流れていきます。高瀬川は江戸時代の豪商角倉了以(すみのくらりょうい1554~1614)が私財を投じて開削した運河です。京都二条から伏見に至る運河で、淀川本流につながり瀬戸内海に出ることができます。江戸時代には京都の町に木材、食料、薪炭などの物資が運ばれました。その角倉了以が江戸時代(1611年)に建てた氏邸跡、別邸跡があります。木屋町二条に碑が建っています。
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一番上流の船溜まりが「一之舟入」で現存しています |
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一乃舟入には鯉や亀が暮らしています |
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高瀬舟が再現されています |
その別邸の庭を通り抜けると高瀬川となります。そのころ作庭された庭園は「高瀬川源流庭苑」と呼ばれている2,600㎡の池泉回遊式の庭です。東に鴨川、東山の山並みを望み、川には石橋が架かり、滝口が組まれ、樹齢何百年という多くの樹木が植えられています。初夏には庭に蛍も飛び交う素晴らしい庭です。所有者は時代とともに変わりましたが、近代では軍人、政治家である山形有朋も所有しました。今は二十年ほど前から和食の店が営業しています。
木屋町通りの向かい側にある角倉氏邸跡は現在日本銀行京都支店になっています。
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日本銀行京都支店の通用口 |
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日本銀行京都支店 |
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京都銀行協会〈昨日の島津創業記念館の隣です) |
ブログを書くにあたり少し勉強しましたが、長い歴史が脈々と続いているこの京都に住めるということをありがたく思っています。
角倉了以の末裔です。たまたまこちらへたどり着きました。
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ご先祖様について書いて下さって有り難うございます。