今日4月18日は「発明の日」です。1954年(昭和29年)に制定された記念日とのことです。発明の日を含む月曜日から日曜日が「科学技術週間」で、これにちなんで家の近くの島津創業記念資料館が今日と明日の二日間無料公開されています。私達は何年か前にも行っていますが、久しぶりに行ってきました。館内は以前とは違いずい分リニューアルされていました。住まいの部分も再現され、展示も充実しています。以前に行ったレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館のようでした。
今では日本を代表する科学メーカーである島津製作所は、1875年(明治8年)初代島津源蔵が京都木屋町二条で創業しました。理化学器械を製作しました。長男である二代目島津源蔵は、日本のエジソンと呼ばれる発明家で、理化学器械の製造で始まった島津製作所を大きく発展させた実業家でもあるのです。1896年(明治29年)にX線写真の撮影に成功し、1909年(明治42年)わが国初の医療用X線装置を完成させます。1911年(明治44年)には雑誌「サイエンス」を創刊し、1930年(昭和5年)日本の十大発明家の一人に選ばれました。1903年(明治36年)に河原町工場を河原町二条に新築し、1919年(大正8年)には西大路三条に三条工場を開設します。三条工場は現在も現役で世界へ発信し続けています。GSバッテリー、大日本塗料も島津源蔵がつくった会社です。河原町工場は建物をそのまま利用して、数年前からレストランと結婚式場として活用されています。以前食事をしたことがありますが、建物の中は、明治時代の面影が色濃く残っています。
二代目の本社も有形文化財に登録されています |
レストランはフレンチです |
1975年(昭和50年)に創業100周年を迎え、島津創業記念資料館が開設されました。2002年(平成14年)には、社員の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞されました。この大きなニュースは記憶されている方も多いと思います。
二代目島津源蔵は「努力と信念の人」と称されており、記念資料館の中には「処世の要道 三十ヶ条」が掲げられています。家庭と仕事を重んじ、この二つを人生の要とし、自らもごく平凡なことを人一倍熱心に守り、事務所や工場に掲げて、若手従業員から幹部に至るまで等しく厳格に教育したそうです。源蔵自身が発明にかけた人生の中で、徹底して実践することにより培われたこれらのことは、現在も多くの人の共感を得ています。
どこにも郷土の偉人が存在しますが、日本の偉人として私は、二代目島津源蔵に大きな魅力を感じます。京都では、尊敬の気持ちを込めて島津製作所のことを「島津さん」と呼んでいます。
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