2012年12月23日日曜日

今年も残り少なくなりました


 いよいよ今年もあと一週間となりました。残り少ない、ゆく年の一日一日が、名残りおしくなります。

 先日、韓国の大統領に初めて女性大統領が誕生しました。韓国に先を越されたようで少し残念ですが、女性としてとても嬉しく思います。御両親を突然の不幸で失った悲しい経験は、他者の痛みを知ることのできる、リーダーとしての資質の一つになっていると思います。日本、中国、韓国が、新しいリーダーのもと新しい年をスタートさせるこの節目に、各国全国民が、大きな期待を寄せていることと思います。

 今年は2月20日からブログをスタートさせ、毎日せっせと原稿を書き、執筆活動をしてきました。新しいことへの挑戦をしたという達成感で、とても清々しい気持ちです。新しい年も、こつこつと一歩ずつ続けていきたいと思っています。

 明日から冬休みに入り留守をしますので、ブログをしばらくお休みします。高齢の義母と冬休みを一緒に過ごし、親孝行をしようと思っています。新しい年に入りこちらへ戻りましたら、ブログを再開します。

 皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

2012年12月22日土曜日

クリスマスの思い出


 もうすぐクリスマスです。クリスマスの思い出はたくさんありますが、最初にして最大の思い出は、我が家にサンタクロースがやってきたことです。今から六十年前のこと、クリスマスイブの夜、真っ赤な服を着て帽子をかぶった白ヒゲのある小柄のサンタクロースが、突然家へやってきました。私は祖父の膝の上にだっこしてもらっていました。サンタクロースが何者かもわからず、突然変なかっこうをしたよそ者が家の中へ入ってきたことに驚き、大声を出して泣きました。兄や二人の姉、父、祖父、祖母はニコニコ笑っています。サンタクロースは、子供達にプレゼントをくれました。私はプレゼントもなんのその、驚きのあまりずっと大声で泣き続けました。その記憶がクリスマスの思い出としてずっと残っています。

 大きくなって振り返った時、あのサンタクロースは母だったのだと理解しました。母は、小学校六年生の時に母が亡くなり、二十歳の時には父も亡くなりました。結婚して家庭を築き、子供に恵まれ、三十代の母は、自分の理想とする家庭像を実現していたように思います。六十年前といえば、家庭でクリスマスパーティーをする家は、まだ少なかったのではないでしょうか。母はケーキを作り、クッキーを焼き、チキン料理も用意しました。そしてプレゼントは、数々のお菓子と母特製のセーター、マフラー、手袋でした。食事が終わると家族みんなで歌を歌いながらの合奏です。「ジングルベル」「きよしこの夜」です。最後に祖母が独唱します。十八番(おはこ)の披露です。流行歌「籠の鳥」です。普段めったに歌わない祖母が、この時はすまし顔ですました声を張り上げて歌うのです。今、思い出せばクリスマスパーティーに「籠の鳥」です。おかしくて吹き出してしまいます。そんな変なクリスマスパーティーは、私が小学校五年生ぐらいまで続きました。

そのあとは、華道の師匠をしていた母が、生徒さん達を集めての門下のクリスマスパーティーへと変化していきました。そのクリスマスパーティーは年々盛大になり、兄が大学生、社会人になり、その友人達も加わり、ダンスパーティーを主としたものになりました。医者の卵達もたくさん来ていて、いろんなロマンスが生まれ、デートへと発展していくカップルもありました。現在の婚活の場を提供していたようにも思います。

母は孫が八人できて孫が幼稚園の間は、またサンタクロースに扮して、孫達を喜ばせていました。

私達が二人の子供へ贈るクリスマスプレゼントは、普段の生活の中で、何気なくどんなものを欲しがっているかを聞き出しておいて、用意しました。子供達が寝ている枕元へプレゼントを置く時は、目を覚ますのではないか、ばれたらどうしようとドキドキしたものです。成長とともに、サンタクロースは父母だったと、自然にわかっていくものです。幼い子供達と親との懐かしいゲームのようなクリスマスでした。

外国では、クリスマスが最大の家族行事のようです。クリスチャンでもない日本人にとっては、一つのイベントになっているクリスマスです。楽しく和やかにクリスマスを過ごし、思い出の一つになればそれで充分だと思います。美しいクリスマスソングを聞いて、静かに過ごしたいと思います。

2012年12月21日金曜日

日本から世界へ


 知人の在仏十年の日本女性から聞いた話です。いつかのブログに書きましたが、彼女は、南仏のモンペリエで東日本大震災の支援団体を、日本人、フランス人、いろんな国の人達と力を合わせて立ち上げ、チャリティーコンサート、支援のためのスタンド、募金活動など精力的に展開させています。そしてそのことが、日本という国を外国の人々に知ってもらうきっかけとなり、日仏交流が民間人のなかで盛んに行われているそうです。

 彼女は、ピアニストでありピアノ教師です。子供から22歳ぐらいまでの、青少年のオペラ・ヴォーカル・グループの専属ピアニストをしており、日本の合唱曲もいろいろ取り上げて歌っています。「気球の乗ってどこまでも」「あの町この町」「赤とんぼ」「その人が歌うとき」「もののけ姫」などです。

 日本人の心にひびく名曲が、どんどん世界へはばたいています。日本人が心のふるさとを感じるように、世界の人の心にも通じる何かがあるのかもしれません。

2012年12月20日木曜日

独居老人


 現在日本では、独居老人が増加しています。圧倒的に女性が多く、夫を見送ったあと一人暮らしがはじまり、核家族化が進む中での構図です。非婚の単身世帯が増え続けている今、何十年か先には、男性の独居老人も増えると思います。

 義母は現在八十八歳で、一人暮らしは四十年近くになります。六十歳で仕事を終えてから、いろんな趣味を楽しみ、友人もたくさんいる活発な優良高齢者です。長年続けてきた俳句は、今もしています。血圧が高くなり薬を飲み始めてから、25年も過ぎていますが、いたって健康でどこへでも歩いていけるほどの、元気な暮らしを続けてきました。家の近くのクリニックを主治医とし、2週間に一度は病院へ行き、薬をもらい、何か気がかりがあれば相談にのってもらっていたのです。

 ところがここ最近ちょっと様子が変わってきました。「しんどい、しんどい、もうあかんは」と、私達にしょっちゅう電話をすてくるようになったのです。病院へ行っても何の異常もなく、先生から「何の心配もいりません、大丈夫です」と言ってもらっても気持ちがしんどいようなのです。私達は、昨夜車で4時間かけて、義母の様子を見に行きました。いつもと変わらず食欲もあり、よくしゃべります。外から見ている限り「しんどい、しんどい、もうあかんは」の実状はわかりません。一人暮らしが長く、元気に陽気に人づきあいもこなしてきた義母の、どこがどう変化してきたのか、しばらく一緒に過ごし、身近で接してみようと思い、私達のところへ連れ出してきました。昨夜は義母のところへ一泊し、仕事があるので今日こちらへ移動しました。

 私が推察するところ、人間最後のその時についてへの不安・恐怖が、精神的にまいらせているのではないだろうかということです。どんなに元気に過ごしても、最後のその時は誰にも訪れます。今、世界最高齢は、京都の115歳の男性です。ピンピンコロリはみんなの願いですが、それは誰にも予測不可能なことです。義母は、夜一人でいるとそのことばかり考えて、パニック的症状を起こしているのかもしれません。息子夫婦とおしゃべりしながら、食事をし、買い物に出かけたりして、そばに誰かがいてくれるという安心感が、一番の療法かと思っています。

2012年12月19日水曜日

世界が恋に落ちた


 先日テレビで四人組のヴォーカル・ユニットILDIVO(イル・ディーヴォ)を見ました。八年前にデビューしているのに、私は全く知りませんでした。家族もその情報をキャッチせず、八年が経っていたのです。テレビの三十分番組を見ただけで、私はとびつきました。「世界が恋に落ちた」というキャッチフレーズで宣伝されていますが、私はまさにその壺にはまったというわけです。テレビを見た次の日には、CDを買いに行きました。10月14日に発売されたばかりの2枚組のCDです。プレゼントに四人のプロマイドが入っていました。

 ILDIVOは国際的なグループです。スペイン、スイス、フランス、アメリカの出身です。四人はそれぞれ音楽専門の道を歩んで来ており、オペラも経験して舞台で活躍してきました。しかしその音楽だけで生きていくのは厳しく、アルバイトしながらの暮らしでした。イギリスのプロデューサーのもと、国を越えて音楽を作り出すという大プロジェクトがスタートしました。音楽は世界を結ぶ、言葉も肌の色も国の垣根を越えて、音楽は世界を一つにする。素晴らしい取り組みです。

 収録されている曲は、なじみのある曲ばかりです。ロマンティックな愛のうた、数々の映画音楽、美しい声のハーモニーは最高です。しかもさすが国際的ヴォーカル・ユニットです。いろんな言語で歌っています。

 日本へは何度も来ていて、日本の子供達とも共演しています。彼らが日本語で歌う「故郷」は、胸に深くしみ入ります。東日本大震災チャリティーコンサートにも参加して、暖かい支援をしてくれています。彼らのこれからのさらなる活躍を応援したいと思います。

2012年12月18日火曜日

徒然に想ううた 短歌三首


バッジなく 地盤は神と 思う今
 

      ただの人へと 審判受けて

 

 

百越えて 「それまで助走」 言う翁
 

     みながまねして 高齢天下

 

 

夕焼けの 赤く輝く 陽が届き
 

     部屋にいる身も 顔上げ見入る

2012年12月17日月曜日

「孫」


もうすぐクリスマスがやってくる

庭一面にイルミネーションを飾る

塀、屋根、あらゆるところに飾る

最高のものを飾る

金に糸目は付けぬ

孫たちのために孫たちの喜ぶ顔が見たくて一心不乱に飾りつける

巷ではじじバカと噂されているようだが構わない

 

かつて私は今の自分を想像したことがあっただろうか

仕事は頂点まで登りつめ悔いはない

短気でわがままで世間は自分のために回るととらえていた

自分の欲しいものは何でも手に入れた

数々の浮き名を流しプレイボーイと評された

自分はもてる男だと自負していた

しかしそれらはすべてうたかただった

 

三十過ぎて結婚した

子供が一人二人と生まれても私は何も変わらなかった

仕事にかこつけ子育ては妻に任せた

そしていつのまにか子供らは成長し離れていった

 

退職してから孫が誕生した

もみじのような小さな手足

純粋無垢な眼差し

それでいてこちらのすべてを見抜いているかのような眼差し

私は孫の前で緊張した

今までに経験したことのない自分になっていた

 

孫は自分の分身だった

かわいくてかわいくて

愛しくて愛しくて

目に入れても痛くないと言われる孫の存在

私にはそれどころでない孫の存在

孫は私のすべてとなった

孫は私の天使になった

 

孫とともに過ごせる時間は最早カウントダウン

私はあせりだした

孫に与えられるものはすべて与えよう

私のすべてを与えよう

物質的なものも愛情もすべて

 

今までの恋はすべてうたかた

今までの愛もすべてうたかた

今 私は真実の愛を知った

真実の愛は純粋なもの

真実の愛はみかえりを求めない

真実の愛はみかえりを期待しない

 

私はただひたすら愛を捧げる

孫の笑顔が至福の時をもたらす

 

今 私は感謝する

妻に感謝

子らに感謝

子の嫁や婿に感謝

 

そして孫の成長を祈る

孫の幸せを祈る

2012年12月16日日曜日

徒然に想ううた 自由句三句


 

子が育ち 夫育ての ギアチェンジ

 

 

うるさいぞ 帰る帰ると カエル鳴く

 

 

古稀越えて 童の歌を 口ずさむ

2012年12月15日土曜日

十二月の花 さざんか


 十二月の花として、さざんかをあげたいと思います。今、私の住んでいるマンションの庭のさざんかは、満開です。つぼみもまだたくさんあって、長い間美しい花を見せてくれます。散歩していると、色の違うさざんかも、たくさん咲いているのを見ます。
 



 二十数年前のことです。私達は、初めて手に入れた戸建住宅の庭の垣根に、さざんかを植えました。白、赤、ピンクの花が咲き、寒くなってきた十二月には、帰宅する家族をにぎやかに迎えてくれました。さざんかはとても丈夫で、毎年たくさんの花を咲かせ、私達を楽しませてくれたものです。

 童謡・唱歌「たきび」の二番の歌詞に、さざんかが出てきます。子供の頃、家の近くのお寺で高齢の住職さんが、冬の間、毎朝たきびをしておられました。登校する前に、子供たちはそこへ集まり、しばらくたきびにあたって体を暖めました。寒い朝は、たきびにあたるのがとても嬉しくて、いつもより少し早く家を出て、たきびの周りで登校前のひとときを過ごしました。男の子は石をたきびの中へ投げ入れ、登校する時に熱くなった石をポケットに隠し入れ、得意気に満足気に「あったかい、あったかい」を連発していました。そして女の子達は「たきび」の歌を、一番二番三番と歌いながら登校しました。私は今でもさざんかの花を見ると、自然に「たきび」の歌を口ずさんでしまいます。

2012年12月14日金曜日

今年の漢字


 先日、恒例となっている今年の世相を一字で表す「今年の漢字」が、京都清水寺で発表されました。ロンドンオリンピックでの選手団の活躍による金メダルラッシュ、山中京都大教授のノーベル賞受賞、金環日食などを理由に「金」が選ばれました。清水寺の森清範貫主は「東日本大震災などによって日本中が暗い中、世界的な偉業に一筋の光明を見つけ、将来を見ていこうとの気概を感じた」と話されています。テレビのニュースの中での街頭インタビユーでも、みなさんそれぞれ理由ある「今年の漢字」をあげておられました。輪、和、産、吐、信などがありました。

 私自身は「挑」をあげたいと思います。シニアの仲間入りをしてから、いろんな新しいことに挑戦し続けてきた私は、ここ何年も連続で「挑」をあげています。ホームヘルパー二級の資格を取得し、大学で社会福祉の勉強をし、卒業証書を手にし、ボランティア団体へ入会し理論と実践を学び、音楽療法も専門的に勉強し、心理学も学び、英会話・水泳をスタートし、振り返ってみれば、我ながら驚いてしまいます。この気力・体力はどこから来るのか、自分でも不思議です。

 森清範貫主が話された「気概」とは、何があってもくじけない強い心、と辞書に書かれています。これからの一年一年と年輪を重ねていく中で、気概を持って、もっともっと「挑」を積み上げていきたいと思います。