2012年4月30日月曜日

私の好きなことば 「子供叱るな来た道じゃ 年寄り笑うな行く道じゃ」


 どこかのお寺で目にし、覚えたことばです。
「子供叱るな来た道じゃ」は、小さなミス、些細な失敗を子供がした時に、目くじらを立ててガミガミ、ガチャガチャ叱るのはよくないと言っているように思います。叱るなと言っても、放任し甘やかすのではありません。大事なこと、大切なこと、要所要所では、きちっと子供に教え込まねばなりません。大人が責任と義務と愛情を持って、次世代を担う子供たちを育てなければなりません。大人が何が大切なことなのか、何が枝葉なことなのか、見極める目を持たねばなりません。寛大寛容な子育てが求められると思います。
「年寄り笑うな行く道じゃ」は、年長者を尊び、敬い、愛情を持って接するということだと思います。人間は生まれた時から成長し続け、頂点に達したところから下り坂になります。それは自然の摂理です。子供から青年へそして成年へと成長し、何十年か活動期間が続きます。子供が社会人になり、結婚し親になる頃、定年が近づき身体的にも下降線をたどります。そしてその先には、ピリオドを打つ日が待っています。その日まで誰の世話にもならず、ピンピンコロリと逝けたら幸運ですが、なかなかそううまくはいきません。肉体の老化とともに、いろんな機能の老化が起こってきます。記憶力は低下し、物忘れもひどくなるでしょう。そそうするかもしれません。認知症も起こります。お年寄りのその部分だけを切り取って、笑い者にしてはいけません。一人の人間の全人生を総括的にホリスティックに見なければなりません。そこには寛大寛容な介護が求められると思います。

2012年4月29日日曜日

徒然に想ううた   短歌三首


ゆらゆらと 燃ゆる灯りが 今はなく
       君を見送る 部屋の片隅


もう一度 ケンカができる 幸せを
      願うわがまま 君は去りゆき


スースーと 寝息たてたる 初孫に
       妻の面影 涙あふるる 

2012年4月28日土曜日

「しゃぼん玉に乗って」


しゃぼん玉に 乗って とびたいな
高く 高く 空高く とびたいな
広いお空で 鳥さん達と 遊ぶんだ
追いかけっこして 遊ぶんだ
かくれんぼして 遊ぶんだ

しゃぼん玉に 乗って とびたいな
みんなで一緒に 空高く とびたいな
野原の上を
広い 広い海の上を

とんだよ とんだよ しゃぼん玉
ぐんぐん 上がるよ しゃぼん玉
みんなの お家が 遠くなる
どんどん どんどん 遠くなる
もっともっと 空高く
天まで上がれ しゃぼん玉

2012年4月27日金曜日

音楽療法


 私が、音楽療法の勉強を始めたのは十八年前のことです。きっかけは、母が脳血管性障害による軽い認知症を起こし、暗く沈んだ表情を見せ始めたことからでした。ピアノ教師として、音楽の道を歩んできた私ですが、そのことで何か役立つことがあればと考え、勉強をスタートさせました。
 母の大好きだった歌「みかんの花咲く丘」を、私が弾き始めると、歌詞が自然に出てきて歌い出します。表情も明るくなります。それからは「荒城の月」のメロディーをさぐり弾きします。ちょっとした音楽とのふれあいが、母に喜びをもたらしてくれました。身近で音楽の持つ大きな力に気付かされ、音楽療法という分野をのぞこうと思ったのです。
 音楽療法というと大それた感じですが、日本人誰もが持っている故郷への郷愁は、うさぎ追いしかの山で始まる「ふるさと」を歌い出した時に、胸にジーンと来るものがありますが、これが基本の第一歩です。歌詞とメロディーが、その人の記憶と感性に働きかけ、脳を活性化させ、心の奥に眠っているいろんな感情を呼び起こします。
 音楽療法は、いろんな分野で活用されています。私の母の場合は、高齢者対象ですが、高齢者の病気や加齢による機能の低下を少しでも予防、防止し再活性化させるためのリハビリにも、効果を上げています。年齢に関わらず障害を持っている人や、自閉症、ダウン症などの成長過程にある子供たちにも、音楽療法は用いられています。また刑務所でも、精神的療法の一つとして、音楽が取り入れられています。
 私は、音楽療法のカリキュラムの中で、病院へ実践に行きましたが、入院されている多くの方々、ホスピスにおられる方にとって、音楽が力を発揮するものだと確信しています。まさに音楽の持つ偉大な力です。

2012年4月26日木曜日

ツバメの子育て


今年も、南の国からツバメたちがやってきました。この季節になると、我が家に巣を作り、子育てをしたツバメたちを思い出します。




 大きなニュータウンへ引っ越して、新しい家で生活を始めた頃です。玄関ポーチの軒下に、二羽のツバメが来るようになりました。二羽のツバメは新婚さんです。一生懸命、巣作りが始まりました。ドロや枯れ草などを小さな口ばしでくっつけて、あっという間に完成させました。すると母ツバメは巣にこもり始めました。父ツバメも交代で卵を温め、仲睦まじく、力を合わせての子育てです。卵からヒナがかえり、五羽誕生しました。親ツバメは子供たちにエサを与えるため、忙しそうに交代でエサを取りに出かけます。ヒナはどんどん成長し、親ツバメがエサを運んでくるとにぎやかに鳴くので、家の中にいる私にもそのにぎやかさが聞こえるほどです。ヒナでもフンをする時は、おしりを巣の外に向けてします。小さな巣はすぐに狭くなり、ヒナたちが巣から出始めました。その様子を観察していたところ、親ツバメが子供たちの巣立ちを、手取り足取りのように指導するのです。巣から外へ出て、数メートルずつ飛ぶ練習をします。そして近くの電線へ一羽ずつ飛び上がり、五羽の子供たちが並びます。その次は、もう少し遠いところの電線へ飛ぶ練習です。五羽の子供たちにも、それぞれ性格があります。親の指導にすばやく行動を起こす子と、みんなが飛んだあとに、ゆっくりみんなのまねをして飛ぶ子とあって、見ている私は、思わずニヤニヤしてしまいました。そして飛ぶ練習を重ねて、どんどん遠くへ飛んでいきました。ヒナたちの巣立ちは嬉しいことですが、ツバメ一家の姿が見えなくなって、我が家のポーチは静かになり、そして淋しくなりました。私は、短い間にツバメたちから、夫婦のあり方、子育て、子供をひとり立ちさせる親の姿、など、いろいろ学んだ気がしたのです。

2012年4月25日水曜日

こじんまりに生きる

先日うちのポアロ(夫)が、四十年前の同好の士の集まりに出席しました。四十年という長い歳月を経て、一堂に会するというのはどんなものなのでしょうか。帰ってきての第一声は「みんな昔のままだった」です。四十年前にタイムスリップするのでしょうか。
 海外で長期間にわたり仕事をされてきた方 数名
 大企業の最高ポストにつかれている方   数名
 大学教授をされている方         数名
 高校教員をされてきた方、一流企業で若手社員の指導・育成担当教官をされてきた方、などですが、不思議と自営の方はおられません。昭和46年~47年に工学部を出た人達ですが、日本の高度経済成長の時期で、日本が活気に包まれ、ベビーブーマーが社会へ飛び立った頃です。就職し結婚し子供を育て働き続け、気がついたら四十年が過ぎたのです。そして定年を迎え、それでもまだ働き続けます。現在では七十歳くらいまで仕事を続けたいと、思う人が多いようです。もちろん現役の時とまったく同じ形態の労働ではありません。週に三日~四日ぐらい仕事をするというパターンです。
 同好の士の一人の方から、今回の集まりに欠席するというメールが届きました。その中にとても気になることばがありました。
「何十年大手企業で働いてきて、定年を迎えるまでまだ八年ほどあるという頃に、自分の担当部署がなくなり、そのあと市の福祉関係の場で仕事をしています。私はこじんまりと生きてきました」という内容です。「こじんまりと生きてきた」とは、どんな生き方だったのでしょうか。私は考え込んでしまいました。「こじんまりに生きる」とは。

人間はいろんな欲望、願望を持っていると思います。欲望は限りなく広がっていきます。大志を抱き「出世したい、功績を残したい、お金持ちになりたい」など、欲望、願望はいろいろありますが、その欲望、願望を成就させるために頑張るのだと思います。欲望、願望が頑張るパワーになります。

 私達夫婦は、結婚した時から自分たちの住まいを手に入れたいという夢がありました。そしてその夢の実現のために頑張りました。三十歳でマンションを購入し、将来は一戸建てに住みたいという思いで、立て続けに土地も購入しました。もちろんローンです。転勤になった時、いずれはその地に戻るであろうと思い、人に貸してローン返済にあてました。ところがその地に戻ることはなくなり、次の転勤先で私達の描く一戸建て住宅に出会ったため、マンションと土地は売却しました。仕事を頑張り、子育てにも奮闘し、愛犬二匹との生活も楽しみ、子供たちは巣立ち、愛犬たちは旅立ち、夫婦二人きりになりました。大きな広い家は、淋しいものになったのです。同時にまた転勤となり、都市に小さなマンションを購入しました。思い出いっぱいの住宅は手放すことになりましたが、実家から土地の提供もあり、田舎に自分たちで図面を引き夢の住宅を完成させました。今は、都会暮らしと田舎暮らしをしています。私がこんな話をすると、誰もが「よくそんなことするね、よくそんなことしたね」と、あきれ顔で言います。自分たち二人の手でこんなことをしてきた、できたということは、いろんな面で恵まれていたのだと感謝していますが、「こじんまりに生きる」とは、対象的な生き方のように思います。

 「こじんまりに生きてきた」人の、静かな泰然自若な生き方に、精神的な深みがあるようで魅かれます。ひょっとして、禅の道を歩んでこられたのかもしれません。

 

2012年4月24日火曜日

都をどり ヨーイヤサー

四月二十一日(土曜日)に、生まれて初めての体験をしました。
京都の都をどりに、招待されて行ってきました。つい先日、悲惨な事故が起きた現場からほど近くにある、祇園甲部歌舞練場で、4月1日~4月30日まで行われています。
都をどりは、京都の花街、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東、祇園甲部の合同で開催されます。明治2年の東京遷都で京都が衰退し、その繁栄策として明治5年の京都博覧会の余興に企画されたのが始まりで、その後年中行事となり、今では京都の代表的な催しとなっているとのことです。(途中戦争により休演されたこともありました)

 終始幕を閉めることなく背景を変えることで、場面を変転させながら進めるという編成です。都をどりは全八景の構成で、春から夏、秋、冬そしてまた春へと、1時間の公演時間で四季の移り変わりを、舞台上で表現しています。今年の演目は「平清盛由縁名所」です。

 通されたのは2階桟敷席でした。合計928席ありますが今回の都をどり時は868席とのことで、3階までありますが満席でした。私の席からは、舞台も客席も全体がよく見渡せました。
 長唄、地唄、浄瑠璃に合わせて広げられるきらびやかな踊りには、圧倒させられました。三味線のハギレのよい音色はとてもよかったのですが、長唄、地唄、浄瑠璃のことばの意味がわからず残念でした。(固有名詞はわかりますが)
大勢の芸舞妓が出演しますが、主たる役はベテランの人が演じています。有名な人もおられたようですが、私はよく知りません。最後の第8景フィナーレは、総勢約60名の芸舞妓による豪華で華やかな舞いで圧巻でした。
 小さい時に町に一つあった○○座という劇場へは、何回か祖母につれて行ってもらった記憶がありますが、それ以降舞台でのライブを見たことはありません。久しぶりに昔の○○座を思い出しました。田舎の○○座とは規模も格も違いますが、大正2年竣工のこの歌舞練場は現在有形文化財登録されており、古い建物です。

2012年4月23日月曜日

私の好きなことば「楽は苦の種、苦は楽の種」


 小さい時に覚えたこのことばが、私の生活の基礎となっています。しんどいから後で、面倒だから後でと思う瞬間、このことばが頭にうかんできます。このことばは、母の口癖でした。いつの頃からか、しっかりと私の身にもついたのです。毎日の生活の中で、これを実行することが、気持ちのよいものになりました。
 先に楽をしてしまうと、そのあとの苦が、何倍にも膨らんでしまいます。逆に、先に苦をしてしまうと、そのあとの楽は、何倍もの大きさになるのです。
 なんでもない些細なことから、大きなことまで、日々の暮らしの中で、ぜひ実行してみて下さい。

ことわざ辞典から
 苦楽は交互に訪れるものだから、楽なときでも気をゆるめず、苦しいときでも希望を捨てないで耐えていれば、将来の楽につながるという教え。


類句「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」
 人生には楽しいことばかりがあるわけではないが、苦しいことばかりがあるわけでもない。楽したあとには苦しいことがある。楽ばかりと苦ばかりも続かないが、怠けていると苦労するといういましめ。

2012年4月22日日曜日

「ふるさとのうた」


目をとじれば そこはふるさと
なつかしい山 なつかしい川
なつかしい人々
ちょうちょう追いかけ
走り回った菜の花畑
寝ころんで青空眺めた れんげ畑
私のふるさと 幼き日々


目をとじれば そこはふるさと
美しい山 美しい川
美しい人々
蛍追いかけ 川の中
ズボンぬらしてべそかいた少年時代
湖眺め 友と語った 熱き思いを
私のふるさと 青春時代


夢にまで見る 私のふるさと
素晴らしい山 素晴らしい川
素晴らしい人々
私の初恋 私の恋を 
私の愛を
見つめていてくれる
ふるさと
いつでも私を迎えてくれる
昔も今も
変わらぬふるさと

2012年4月21日土曜日

「虹のトンネル」


見てごらん 虹だよ
ほら あんなに大きな虹だよ
見えるかな 見えるだろ
七つの色が 見えるだろ


七つの色は どんな色
赤 だいだい 黄 緑 青 あい 紫
美しい色だね
さあ 虹のトンネルを くぐろう


くぐろう くぐろう 虹のトンネル
どこまでも どこまでも 続く虹のトンネル
大きな 大きな 虹のトンネル
さあ みんなで くぐろう 虹のトンネル