2015年2月10日火曜日

ふるさとでの冬散歩(2)

 ふるさとでの滞在も十日が過ぎました。雨が降る日は、傘をさしての散歩は大変なので、今日はお休みと思っていると、午後に雨が止み太陽が顔を出し、急き立てられるように散歩に出かけます。家の前は堤防上の道なのでとりあえず上流へ、桜並木も今は枯れ木ですが陽を浴びて春を待っています。



 川に沿って上流へ1km、そして橋を渡って下流へ歩きます。風がきつい日は、川岸は飛ばされそうです。川原では水仙が見頃、畑では春の準備でしょうか?



いつの日も川にはいろんな鳥が集まっています。たくさんの鳥が、まるで日向ぼっこをしているように、中州で太陽に向いて一列に並んでいる姿には、笑ってしまいました。水がキラキラ輝いて、春が近づいているのを感じます。



 鴨の家族は私達が近づくといっせいに飛び立ちます。


 淀みには60cmくらいの大きな鯉が潜んでいます。

 
帰り道も桜並木が続きます。


  寒い寒いと言いながらも歩いていると、体は温かくなってきます。ふるさとの山を眺めながら、太陽、風、空気、ふるさとのすべてを体に受けて、散歩を楽しんでいます。




2015年2月9日月曜日

夫の一言

 先日ポアロ()から言われた一言について考えています。
「ボ-ッとしている時って無いんだね」と言われて、自分でも気づいていなかったことに気づきました。
 ポアロがセミリタイアして、十ヶ月が過ぎました。子供が独立し二人暮らしになってからは長いのですが、それまでの生活は一変しました。ポアロが朝家を出てから夕方帰宅するまでは、私一人の生活だったのが、四六時中二人の暮らしとなりました。今までも休日は二人で過ごしていましたが、毎日毎日二人でとなると、お互いですがいろんなことに気づくようです。お互い興味関心好奇心のあるものについては、一人で行動しますが、時間的には短いものです。
 結婚して以来、私は「ボ-ッとしている時」はありませんでした。私は何をするにも没頭します。録画した映画を観る時も、編み物をする時も、ピアノを弾く時も、一つのことに集中します。何もしないでテレビの画面を追うことはありません。料理をしながら、食事をしながら情報番組は見ますが、テレビドラマはあまり見ません。連続ドラマは苦手です。二人の共通の好みの番組(報道、歴史、紀行、音楽、ドキュメンタリー)は、夜二人で観ます。一般的に「ボ-ッとしている時」とはどんな時でしょうか。結婚するまでは、レッスンの合間に太平洋を眺めながら、未来への空想に耽り「ボ-ッとしている時」がありました。それは二十代前半までのことです。出会い、結婚、家事、出産、育児、愛犬二匹育て、そしてずっと続けている仕事があり「ボ-ッとしている時」は、いつのまにか無くなりました。今、現在は、ゆとりだらけの二人暮らしと思われますが、女性にとって家事からの退職はありません。体が続けられる限り一生続きます。家事は無限大、家事はエンドレスです。ポアロは家事も苦手ではないので助かりますが、それでも私が一切手を出さないということはありません。このことに関しては、やはり古い時代の妻なのだという気がします。「生きることは食べること。食べたらできる洗い物」外食でない限り、一日の中で、朝食、昼食、夕食の調理、後片付け、そして午前、午後、夜のお茶の時間の用意、後片付けなど、私はチョコマカ動いています。家事に追われ一日があっという間に過ぎていきます。その合間に少しの時間でもあれば、ピアノを弾いたり、好きな物書きをしてしまいます。とことんの掃除、片づけは後回しとなり、そのしっぺ返しで、時には髪ふりみだしてのてんやわんやとなります。
 私が傾聴ボランティアで出会った高齢の方々は「テレビの守り」をしていると、よくおっしゃっていました。 国会がある時は、ずっと国会中継を、相撲がある時は、ずっと相撲中継を観ていると言われる方も多かったです。ある高齢女性は「お迎えを待っているだけ」とおっしゃいました。私の両親は、テレビはいつもつけていましたが、好きな番組は「銭形平次」でした。深刻な中身ではありません。勧善懲悪の娯楽番組です。

 私も今はバタバタした暮らしをしていますが、段々と体の不調も起こり、精神的にも集中力が落ち、やる気、意欲も無くなってきたら「ボ-ッとしている時」が増えてくると思います。若い頃は未来に想いを馳せ「ボ-ッとしている時」がありましたが、自分の体もままならなくなってきた時には、過ぎ去った時の流れを懐かしみながら「ボ-ッとしている時」を過ごしたいと思います。

2015年2月8日日曜日

徒然に想ううた(短歌三首)


寒き今 曇天の空 心閉じ

   まだかまだかと 春を待つ待つ





春を待つ 人の心は うきうきと

   花虫鳥も みな喜んで






太陽が 顔出すだけで 人もみな


   力をもらい 心上向く




2015年2月7日土曜日

徒然に想ううた(短歌三首)


行き違う 人の想いは 難しく

  我は良しとて 他者は別なり




親子とて 心通じぬ 時もあり

  つくせぬ言葉 術はあるのか



心うち 人には見えぬ この想い


  言葉足りずに 力足らずか

2015年2月6日金曜日

冬の満月

 二月四日の立春の日は満月でした。しかしその日は、あいにくのお天気で月を見ることはできませんでした。翌日二月五日の夜は、美しい満月(十六夜の月ですが月齢は15)でした。冬の満月です。子供たちの小学生の頃の星座盤も持ち出して星座も見ることができました。でも寒くて5分も外に居れないくらいでした。

                               



 ポアロ()が、望遠のカメラで撮影しました。肉眼で見る満月とは違い、月面まできれいに見えます。人間が月面着陸したのは、45年前のことです。1969年7月16日アメリカのケネディ宇宙センタ-を飛び立ったアポロ11号が、人類初の月面着陸に成功しました。そして721日に「静かの海」と呼ばれる月面の平地に着陸しました。世界中を感動の渦にひきこみました。その頃、実家が楽器店をされていた今は亡き友人から、実況録音されたソノシ-トをもらいました。今も大切に持っています。

 今こんなに簡単に月面を見ることができるとは、本当に驚きです。いつも見上げるあの月が、とても身近に思えます。冬の満月、空高く輝く満月です。ロマンチックな気持ちになりました。

2015年2月5日木曜日

徒然に想ううた(短歌三首)

何が好き 問われ考え 愛平和

  みんなの笑顔 楽しき暮らし



ケンカあり 家の中でも 外もある

  未来永劫 絶えることなし



いくつもの 戦いを越え きたはずの


  叡知はいずこ 賢者はいずこ

2015年2月4日水曜日

立春

今日は立春です。暦の上では春です。心が弾んできます。気持ちはうきうきし明るくなります。立春を迎えると私はいつも「早春賦」を口ずさみます。

「早春賦」
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず

この時期にぴったりの歌です。歌とともに懐かしい思い出もよみがえります。

そしてこの時期になると学校では卒業式に向けての準備が始まります。長年歌われてきた「蛍の光」や「仰げばとうとし」にかわって、卒業式に歌われる歌が次から次へと誕生しています。小学校の教師をしている娘から、それらの曲を教えてもらっていますが、今私が気に入っているのは「旅立ちの日に」です。

「旅立ちの日に」
白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限り無く青い空に 心ふるわせ
自由を駆ける鳥よ ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて 希望の風にのり
この広い大空に 夢をたくして

ピアノを弾きながら歌う私は、じんときて胸があつくなります。純真な心、未来への希望、夢、若い力、あふれる若さ、年輪を重ねるごとに、遠ざかっていくように思えるものたちです。それでもいつまでも失いたくないものたちです。失ってはいけないように思います。



スノードロップとチューリップの芽が出てきました。



2015年2月3日火曜日

ふるさとでの冬散歩-1

 毎朝車で出勤する娘を見送るのは六時半です。厳寒のこの時刻はまだ薄暗く、雪のちらつく日もあります。現役世代の仕事の大変さ厳しさを痛感します。その薄暗い中を散歩するシニア世代の姿があります。毎日の日課なのでしょうか。夏場はともかく、冬はもう少し明るくなってからの方が安全だと思うのですが、皆さん黙々と元気よく散歩というよりもウォ-キングです。仕事を終えたシニア世代のこれから先の最大の願いは、健康長寿を目指しての体の管理です。ということで私達もみなさんを見習って、歩くことを心がけようということにしました。

 私達は、キョロキョロしながらの散歩です。時間は明るい内で都合のよい時にしました。ポアロ()はカメラを肩にかけて出かけます。散歩しながらのカメラマンになり、撮りたい対象物を見つけてはシャッタ-をきります。ファインダ-から見る対象物は、現実から離れ少し違った雰囲気を醸し出すような気がします。私はブログのネタを見つけながら歩きます。しばらくふるさとでの冬散歩が続きます。

 以下の写真は近くの公園コースです。
遺跡博物館や図書館、広い芝生広場がありウォーキングには最適です。小川や池もあります。










2015年2月2日月曜日

珍しい花(2)

 二年前にマンタン(義母)から譲り受けた観葉植物が、はじめて花を咲かせています。





 カネノナルキ(金のなる木、和名=花月)として有名です。英語でdollar plantといい、葉が硬貨に似ているのが名前の由来だそうです。南アフリカ原産で、昭和初期に日本へ渡来したそうです。丈夫な観葉植物としてよく栽培されており、水不足が続くと枝先の節目からも根を生やし、枝からちぎった葉一枚でも土に挿しておくと根を生やすほどの生命力が強いため、繁殖は挿し木で行われます。我が家のカネノナルキも、四鉢に増えました。そして今、薄ピンク色の珍しい花が咲いています。なぜ一番寒いこの時期に咲くのでしょうか? 私達家族は、初めて見る花です。何かいいことがあるかも!

2015年1月30日金曜日

拍手喝采

 先日長距離ドライブをしている時のことです。ラジオで視聴者からの投稿が紹介されました。母親からの投稿です。

「反抗期か何か知らんが ババア ババアと言うな バカ息子」

アナウンサーが読み上げた瞬間、私は手をたたいて「お見事!」と叫んでしまいました。
子供の成長過程とはいえ、毎日の暮らしの中で子供の言動に腹を立たされ、ストレスにもなっている母親の心情をうまく表現していると思います。母親と息子のやりとりの中に、ユーモアが見え隠れしています。どこの家庭でも見られる光景が頭に浮かびます。
 子供が誕生する前から、親となる自覚と責任が芽生え、誕生した瞬間には、大きな感動と喜びと幸福感に包まれます。そしてその時から親業が始まります。子供の命を守り、愛情をそそぎ、健やかに育つことを願い、親の巣から飛び立つその日まで親業は続きます。親子であれ人格は別のものです。自分の子供であっても、社会からの預りものです。親の巣から羽ばたいて、自立し自律して社会人として生きていかねばなりません。そしてその先には、次の世代の親となる日が来るのです。
 赤ちゃんの頃の愛らしさは、いつまでも続きません。ニコッと笑う笑顔は天使そのものです。邪心はありません。
「這えば立て、立てば歩けの親心」本当にその通りです。
子供はスクスク育ち、やがて反抗期を迎えます。
「親の心、子知らず」です。子供を想いよかれと思ってしていることでも、嫌がられます。子供はどんどん成長し、自分一人で大きくなったように、体も態度も大きくなっていきます。社会人になって、経済的に自立し、世間の荒波にもまれ、精神的にも成長します。しかしそれでもまだ心がけねばならないことがあります。
「子を持って知る親の恩」です。
子供を育てる歳月の中で、親が肉体的、精神的、経済的に費やした親業の対価は、ちっぽけなものではありません。もちろん無償の愛から発生していることで、誰も報いは求めません。しかし親への恩、親への感謝は、不滅です。自分がどんなに立派になろうとも、今の自分があるのは、親がいたからこそです。親への感謝は、生涯を通して心の内に持っていなければなりません。その心を持っていれば、自ずと言動に表れます。
万が一、親への批判、親への非難がある時は、反面教師としてとらえ、自分を人間的に成長させてくれる尊いものだと考えればよいと思います。親への批判、親への非難は、言語道断です。親を乗り越えて、羽ばたいていく我が子を見るのは、親として嬉しいことです。
ラジオから聞こえてきた母親の投稿から、親業について考えてしまいました。