2015年1月30日金曜日

拍手喝采

 先日長距離ドライブをしている時のことです。ラジオで視聴者からの投稿が紹介されました。母親からの投稿です。

「反抗期か何か知らんが ババア ババアと言うな バカ息子」

アナウンサーが読み上げた瞬間、私は手をたたいて「お見事!」と叫んでしまいました。
子供の成長過程とはいえ、毎日の暮らしの中で子供の言動に腹を立たされ、ストレスにもなっている母親の心情をうまく表現していると思います。母親と息子のやりとりの中に、ユーモアが見え隠れしています。どこの家庭でも見られる光景が頭に浮かびます。
 子供が誕生する前から、親となる自覚と責任が芽生え、誕生した瞬間には、大きな感動と喜びと幸福感に包まれます。そしてその時から親業が始まります。子供の命を守り、愛情をそそぎ、健やかに育つことを願い、親の巣から飛び立つその日まで親業は続きます。親子であれ人格は別のものです。自分の子供であっても、社会からの預りものです。親の巣から羽ばたいて、自立し自律して社会人として生きていかねばなりません。そしてその先には、次の世代の親となる日が来るのです。
 赤ちゃんの頃の愛らしさは、いつまでも続きません。ニコッと笑う笑顔は天使そのものです。邪心はありません。
「這えば立て、立てば歩けの親心」本当にその通りです。
子供はスクスク育ち、やがて反抗期を迎えます。
「親の心、子知らず」です。子供を想いよかれと思ってしていることでも、嫌がられます。子供はどんどん成長し、自分一人で大きくなったように、体も態度も大きくなっていきます。社会人になって、経済的に自立し、世間の荒波にもまれ、精神的にも成長します。しかしそれでもまだ心がけねばならないことがあります。
「子を持って知る親の恩」です。
子供を育てる歳月の中で、親が肉体的、精神的、経済的に費やした親業の対価は、ちっぽけなものではありません。もちろん無償の愛から発生していることで、誰も報いは求めません。しかし親への恩、親への感謝は、不滅です。自分がどんなに立派になろうとも、今の自分があるのは、親がいたからこそです。親への感謝は、生涯を通して心の内に持っていなければなりません。その心を持っていれば、自ずと言動に表れます。
万が一、親への批判、親への非難がある時は、反面教師としてとらえ、自分を人間的に成長させてくれる尊いものだと考えればよいと思います。親への批判、親への非難は、言語道断です。親を乗り越えて、羽ばたいていく我が子を見るのは、親として嬉しいことです。
ラジオから聞こえてきた母親の投稿から、親業について考えてしまいました。

 

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