花や植木が趣味だった父は季節ごとに咲く花を植えていました。今の時期は藪にある大きな白い椿が花を落とし下の川に積もるようになってきました。
2日前から急に温度が上がり桜の開花情報も入ってきています。椿から梅、桜からこぶし、桐の花、ツツジ、さつきと花とともに季節が移り替わっていきます。桜の開花予想は今年は外れたようです。植物の世界は温度や日差しに敏感で自然環境の鏡となっているようです。
花や植木が趣味だった父は季節ごとに咲く花を植えていました。今の時期は藪にある大きな白い椿が花を落とし下の川に積もるようになってきました。
2日前から急に温度が上がり桜の開花情報も入ってきています。椿から梅、桜からこぶし、桐の花、ツツジ、さつきと花とともに季節が移り替わっていきます。桜の開花予想は今年は外れたようです。植物の世界は温度や日差しに敏感で自然環境の鏡となっているようです。
三月も残り少なくなり、今は春休み真っ只中です。厳しい寒さも少しずつ緩んできています。季節は冬から春へと移りつつあります。気持ちは、春に向けてほのぼのしてきています。 毎日のちょこっと散歩で、目にする春の花は、なぜか黄色の花が多いように思います。春を象徴しているような、明るく希望に満ちて元気はつらつを感じています。ミモザ、菜の花、カタバミ、ラッパスイセン、チンゲンサイ、など、目についた黄色の花たちです。私の好きな色、ラッキーカラーが黄色なのです。我が家の小さな庭に、ポアロが育てたチンゲンサイが、植木鉢や地植えでたくさんありました。何度も食卓に上がり、この冬はたくさん頂きました。そしてそれらのチンゲンサイが、旬を通り越して、どんどん成長し、菜の花のように背丈が伸びました。菜の花にそっくりの、黄色のお花です。
遠くから見れば、菜の花です。チンゲンサイとは、わかりません。食べておいしく、見て心豊かに、私たちを楽しませてくれるチンゲンサイです。春のにぎやかさを、黄色い花たちからもらっています。
卒業式の季節です。先日は、家の近くの小学校で、卒業式がありました。京都の中心部に位置する、都会の小学校です。たまたま、式を終えて帰宅の途にある、子どもたちに出会いました。女の子は、袴姿、男の子も紋付袴です。数年前から、話題になっている小学校の卒業式です。どれほどの割合かは、わかりませんが、年々増えているそうです。
私のふるさと、三重へ帰ると、ふるさとの山、ふるさとの川、ふるさとの城が、迎えてくれます。そして、この時期は、私の学び舎が、鮮やかによみがえります。思春期の真っ只中、中学校の卒業式で歌った「仰げば尊し」が、思い出されます。口ずさむだけで、涙が滲んできます。難しい歌詞ですが、日本人の心にぴったりです。不思議に思うことですが、ずいぶん前から、学校では歌われていないようです。
仰げば尊し わが師の恩
教の庭にも 早や幾歳
思えばいととし この年月
今こそ別れめ いざさらば
互いにむつみし 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよはげめよ
今こそ別れめ いざさらば
朝夕馴れにし 学びの窓
蛍のともし火 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
先日、京都御苑の枝垂れ桜を見にいきました。前日の風、雨の荒れたお天気も回復し、良いお天気の中を御苑に向かいました。間の町通り(あいのまち通り)の間の町御門から入りました。
この桜の木は御苑の西南に位置する梅林の近くにあります。樹齢はずいぶんありそうで、大木となった枝垂れ桜です。ポアロが発表しているフェイスブックに、過去の思い出が載るのですが、ちょうど一年前にも見に行っています。その時は、満開でした。枝垂れ桜の周りには、大勢の人がいます。外国の人もたくさんおられます。今年の枝垂れ桜は、五分咲きでした。つぼみがまだ多くあり、満開になるのが楽しみです。帰りは堺町御門から出ました。葵祭りや時代祭で有名な堺町御門です。
「母」(3)
その中で、子供だけは確実に一日一日成長して行きます。そして、自分は老化していきます。とても、母のような母親にはなれそうにもありません。一日に、何回子供に怒鳴るでしょう。そして、叱ることにも疲れます。
自分の子供のときと、今の子供と、どう違うのでしょう。その前に、昔と今の母親の違いを、考えなければならないのでしょう。
いろんな面で乏しかった昔、でも世の中がのんびりとのどかで、何となく精神的にゆったりしていたような感じがあり、現代は、昔から考えたら、何もかもぜいたくで、物質的に恵まれているのに、人々は、あくせくと働き、、時に追われ、ゆったりした気分に浸れない。
そして、サラリーマンの妻ほど、気楽なものはないのに、母と全く違った母親になっている。現代の子供も、自分の子供のときと同じように、慈愛に満ちあふれた母親を求めているに違いない。
まだまだ先は長い。子供たちの求める母親に、一歩でも近づけるよう、努力を惜しんではならないと、自分に言い聞かせている昨今です。
「母」(3)
その中で、子供だけは確実に一日一日成長して行きます。そして、自分は老化していきます。とても、母のような母親にはなれそうにもありません。一日に、何回子供に怒鳴るでしょう。そして、叱ることにも疲れます。
自分の子供のときと、今の子供と、どう違うのでしょう。その前に、昔と今の母親の違いを、考えなければならないのでしょう。
いろんな面で乏しかった昔、でも世の中がのんびりとのどかで、何となく精神的にゆったりしていたような感じがあり、現代は、昔から考えたら、何もかもぜいたくで、物質的に恵まれているのに、人々は、あくせくと働き、、時に追われ、ゆったりした気分に浸れない。
そして、サラリーマンの妻ほど、気楽なものはないのに、母と全く違った母親になっている。現代の子供も、自分の子供のときと同じように、慈愛に満ちあふれた母親を求めているに違いない。
まだまだ先は長い。子供たちの求める母親に、一歩でも近づけるよう、努力を惜しんではならないと、自分に言い聞かせている昨今です。
「母」(2)
それに比べ、両親の暖かい庇護のもとで、何の苦労もなく生きてきた自分・・・・その生い立ちの差が、母親としての違いにも現れているのでしょうか。やはり人間は、苦労を経験して生きて行くことの方が、尊いのでしょう。
去年から終活をスタートしました。後期高齢者の仲間入りをした私は、たまりたまったあらゆるものに、ため息を連発しています。先日たくさんの書類の中から、懐かしいものを発見しました。忘れ去られていた原稿です。その存在さえ、頭の中から消え去っていました。長女が幼稚園の時に、PTAが発行したものです。原稿を募っていて、書くのが好きな私は、忙しい日々の中書きました。とても面白いのは、ペンネームがあいのいずみです。四十年前の、若い私がいます。四十年前の原稿を、そのままブログに載せることにします。
続く
今日は春本番との予報です。昨日、我が家の小さな庭に、土筆が顔を出しました。土筆が三本顔を出しました。春の訪れと、土筆との再会です。私の心には、喜びが胸いっぱいに広がりました。時は巡っています。自分の心にも体にも、関わりなく、時は巡っています。自然のおりなす時の流れ。厳しい寒さの冬も、こころがほっとする春に、バトンタッチです。自然界に感謝です。
桃の節句「ひなまつり」も終わり、各家々では人形たちが片付けられました。家の近くのスーパーでは、一月には「お正月」、中旬頃からは「福は内」、そして二月中旬頃からは「ひなまつり」の歌が流れます。「ひなまつり」が終わった今は、端午の節句「こいのぼり」です。歌の好きな私は、折々の歌に耳をすませます。季節が変わり、咲く花も変わり、折々の行事も変わり、一年を通して、買い物を楽しんでいます。
先日、ある知人の方から心に残る言葉を頂きました。
今日は、東日本大震災から13年の節目です。テレビでも特集されています。新しい年が、能登半島地震で始まった日本は、いつ、どこでも、災害が起こり得る国です。人ごとではなく、国民みんなが、被災地を想い、支援を続けていかねばなりません。その大本に「心」があることを忘れないでと、願うばかりです。
二拠点暮らしも長くなりました。二十年以上経ちました。三重、京都、岡山、そして大阪の事務所と、最多の時には、四か所を飛び回っていました。今振り返れば、よくそんな無謀と言えるようなことをしたものだと、我ながらあきれます。それが若さだったのかもしれません。
今、私たちは、後期高齢者となり、年金暮らしです。二拠点を維持し、二拠点暮らしを続けています。京都に憧れ、京都暮らしを手に入れましたが、そろそろ疲れも出てきました。今は車で移動していますが、何年続けられるか、保証はありません。電車での移動を想像すると、あまり経験のない私には、とても煩わしくて億劫です。ふるさと三重と、大好きな京都。それぞれの素晴らしさが、私をはなしません。どちらも、私の宝です。地方と都市、それぞれの魅力は、比べ物にはなりません。夫婦二人で、頑張ってきた集大成が、現在です。疲弊しながらも、「あと少し、あと少し」とつぶやきながら、日々を過ごしていきそうです。
京都岡崎の府立図書館に出かけたら平安神宮前の公園で「平安蚤の市」が開かれていました。この場所はフリーマーケットや正月の出店が出る場所です。
京都では骨董といえば古門前町、新門前町、寺町が有名ですがそちらはかなり高価なもの、蚤の市、がらくた市は毎月21日の東寺弘法さんや25日の天神さんが有名です。
この「平安蚤の市」は初めての訪問ですが展示がきれいなのと若い人や女性が出品者となっているし訪問者も若い人が多いかなという印象です。
NHKで放送されている「ファミリーヒストリー」は、いつも興味津々で見ています。長寿番組です。その感化を受けて、我が身のファミリーヒストリーに想いを馳せました。
私の父は、一人っ子です。父の両親は、それぞれ二人兄妹です。父には、兄妹がいませんが、従兄弟は七人いました。七人の内、上の二人は、若くして戦死したので、最後まで兄妹付き合いがあったのは、五人の従兄弟です。次の代は、私のはとこです。父が一人っ子だったので、五人の従兄弟は兄妹のようでした。それぞれが結婚して、子どもが生まれ、ファミリーツリーは大きくなりました。この時点で、私のはとこは、九人でした。私は四人兄妹なので、その当時、親戚が集まると、子どもは十三人となりました。
私の母は、六人兄妹です。そして私の従兄弟は、十二人です。母方が集まると、私の兄妹を入れて、十六人です。ファミリーツリーは、ますます大きくなっていきました。
結婚して、実家を離れるまでは、たくさんの人たちと交流がありました。父や母の叔父叔母まで、お付き合いは広いものでした。子どもの頃の記憶をたどれば、それぞれの職業までわかります。警察官、郵政省、教師、銀行、国鉄、製薬会社、製菓会社、役場勤めなど、多岐にわたります。後期高齢者になった今、記憶からファミリーヒストリーを書きたいと思います。
先日、我が家の野良部長(娘)が、玄米を炊いてくれました。健康志向は誰でもですが、最近いろいろ勉強しているようです。私は、今まで玄米を食べたことがありませんでした。テレビ等で、有名人が玄米を絶賛している番組はよく見ていたのですが・・・。なんだか手間暇かけて、面倒に思え、遠ざかっていたのです。
部長は、ハッスルしていました。玄米は、炊く前に長時間水につけておくそうです。4時間ほどつけていました。そして、炊飯器の玄米モードで炊くのですが、90分ほどかかりました。炊きあがるまで、首を長くして待ちました。
玄米ごはんのできあがりです。白米のような白ではありません。少し茶色っぽく見られます。部長は、「田んぼのにおいがする!」と興奮していました。我が家のごはんは、いつも少し柔らかめなので、玄米も少し水を多くして炊いたようです。食べてみると、素朴な味で昔を思い出しました。記憶にはありませんが、小さかった頃には、きっと玄米を食べていたのでしょう。もちもちとしていて、おいしかったです。
玄米は、ビタミン・ミネラル・食物繊維などを豊富に含み、とりわけビタミンB1が、白米よりも多く含まれているとのことです。健康のためには、パーフェクトの食材です。我が家の献立も、これからどんどん進化していきそうです。
娘夫婦がおつきあいしている蔵元から、酒粕を頂きました。久しぶりの酒粕です。子供の頃、かす汁は冬の定番料理でした。大根、人参、白菜など、いろんな野菜と、こんにゃく、ちくわも入れたお味噌汁に、酒粕を入れて仕上げます。厳しい寒さの冬には、体が温まってほっこりします。結婚してからは、数回作りましたが、子供たちがあまり好まず、だんだん遠のいてしまいました。
今回本当に久しぶりに、我が家のシェフ「ポアロ」に依頼して、かす汁を作ってもらいました。レシピとにらめっこしながら、ポアロ作、初めてのかす汁ができていきます。具材は、昆布とだしで煮て、お味噌汁を作ります。今回は、ちょっと贅沢に鮭が入ったかす汁です。最後に酒粕を少量のお湯と、お味噌汁の汁でといて本体にいれます。少しネギをちらします。酒粕のいい香りが、ただよいます。昔を懐かしく思い出しながら、頂きました。体が温まり、おいしくて感動の一品でした。
家の近くに元鐘ヶ淵紡績の工場跡があります。とても広い敷地です。今は市民のための、公園になっています。図書館や博物館、多目的のイベント会場もあり、市民の憩いの場となっています。大木となったケヤキや、アメリカフウ、松、もみじなど、昔の面影を残しています。私が子どもだった頃には、たくさんの工場が建ち並び、女工さんたちの全寮制学校もありました。工場の始業や終業のサイレンは、近隣住民にとっての時報でした。
公園の西北に梅林があります。白梅、紅梅、しだれ梅などが、植えられています。そろそろ満開だと思い、先日梅を見に出かけました。近づくと、梅のほのかな香りが漂っています。
白梅、紅梅は、満開直前。しだれ梅は、満開になるまでもう少しというところです。とても面白く、興味をもったのは、大きな白梅です。私の背丈で見渡せるかぎりは、すべて白梅です。しかし、上を見上げると、なんと、紅梅の花がたくさん咲いています。足元を確かめましたが、一本の木です。こんな梅を見たのは、初めてです。紅梅、白梅が、仲良く一本の木に生きています。今でいうハイブリッドです。その姿を見て、ほほえましく、厳しい冬の終わりに、穏やかな気持ちになりました。家の近くで梅見をして、楽しませてもらいました。
今日から三月です。「春よ来い、早く来い・・・」と口ずさんでいた私は、嬉しくて心も軽く、活動もできるようになりました。どんよりとした雪空は、気持ちも暗く下向きになるようでした。三月と聞いただけで、こうも気持ちが変わるものかと、苦笑しています。
三月になれば、桃の節句です。ひなまつりの準備をしなければなりません。両親からプレゼントしてもらった、七段飾り、木目込みのおだいりさまとおひなさまもあります。そしてもう一つ小さな焼き物の、おだいりさまとおひなさま。これは、ポアロが事務所を開設した時に、私たちが買ったものです。それぞれのおだいりさまとおひなさまは、我が家の歴史です。祖父母として、孫にあたたかい愛情をそそいでくれた思いが伝わってきます。感謝の一語につきます。いろんな事情で、ひなかざりを飾るのは、たった三日です。心の中で「ありがとう。たった三日でごめんなさい」と、つぶやいています。