2020年11月19日木曜日

知るを楽しむ(小夏日和)

  新聞を読んでいて今まで知らなかった言葉を知りました。「小夏日和」です。「小春日和」はよく知られていますが、晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天で冬の季語となっています。「小夏日和」は沖縄では11月の季語となっていて、空が晴れ気温がぐんと高くなる日がそう呼ばれるそうです。先日は、全国各地でぽかぽか陽気となり、仙台市で20度を超え、鹿児島市では25.8度の夏日になりました。「小春日和」を通り越し「小夏日和」だったのです。言葉遊びができそうで、面白く感じました。

 「小春日和」をドイツでは「老婦人の夏」と言うそうです。気象エッセイストの倉嶋厚さんは「日本で春の陽気と感じる天気を「夏」とするのは、向こうでは夏がさわやかな季節だからといい、感覚の違いがある」とおっしゃっています。「小春日和」が「老婦人の夏」とは、とても素晴らしい雰囲気が出ているように感じます。これからは暖かく穏やかな晴天を「老婦人の夏」と呼びたいと思います。

2020年11月18日水曜日

「紙飛行機」

 

私の紙飛行機が飛んで行く

私の夢を乗せて

大空高く高く

紙飛行機が飛んで行く

 

昨日は東へ

今日は西へ

明日は南へ

あさっては北へ

紙飛行機は自由自在

世界へと飛んで行く

 

私の紙飛行機を

待っている人がいる

世界の東に

西に

南に

北に

 

私の紙飛行機が飛んで行く

私の愛を乗せて

大空高く高く

紙飛行機が飛んで行く

 

汚れを知らない

私の想いを

紙飛行機が運ぶ

 

世界の東へ

西へ

南へ

北へ

 

笑顔を届けたい

幸せを届けたい

 

私の紙飛行機が飛んで行く

希望を乗せて

大空高く高く

紙飛行機が飛んで行く

2020年11月17日火曜日

ふるさとの紅葉

  ふるさと三重で巣籠り状態を続けている私たちですが、良いお天気に誘われ今年の紅葉を見たくなり先日出かけました。車で三十分ほど南へ走りました。地元では有名な丹生神宮寺です。丹生のお大師さんと呼ばれ親しまれています。 





  奈良時代に大仏建造の水銀を産出した地であり、富に恵まれた歴史ある村です。774年に弘法大師の師である勤操大徳により開山されました。後に弘法大師によって、813年に七堂伽藍が建立されたのだそうです。去年山門が再建され、二体の仁王像と二体の天部像が修復されました。二体の仁王像は、全身がべんがら色で塗り直されとてもきれいでした。四体とも江戸時代前期の作だそうです。





 

 平日ということで、シニアの方ばかりでした。紅葉真っ只中の山あいに建つ古いお寺には、真っ赤なもみじがたくさんありました。庭園は広く、池にはたくさんの鯉が泳いでいました。結構な数の石段を上った所に本堂があり、弘法大師の像が安置されていました。

 


 



ずいぶん前のことですが、元気だった父や母と私たちで訪れています。そのあとも客人を案内して来ていますが、久しぶりの丹生大師です。美しい紅葉を見て、懐かしい場所を歩き、心が落ち着きました。前の広い駐車場にはふるさと館があり、特産物や土産物が並んでいました。次郎柿の発祥の地でもあり、次郎柿を買って帰宅して早速ふるさとの味を楽しみました。ほんのり甘くてやわらかでした。2020の紅葉は、ふるさとの身近な紅葉でした。

2020年11月16日月曜日

未知を拓く

  歳を重ねる毎に今まで知らなかったことに気づかされます。まるで未知を拓くようです。何もかも知りつくしていると思い込んでいる最も身近な人の、今まで知らなかったことに気づき驚いています。

 私の座右の銘の一つに「楽は苦のたね苦は楽のたね」があります。嫌なこと苦手なことはついつい後回しにしてしまいますが、この言葉をつぶやきながら後回しにしないように心がけてきました。ところが最近この言葉を上回る人の存在を知りました。我が家に「すぐやる課」があったのです。ポアロです。頭の中で考える必要はありません。すぐに行動です。見事な動きです。私が頭の中でいろいろ考えている間に、ポアロのすぐやる課は仕事を終了しています。驚き桃の木山椒の木です。

 結婚した早何十年、すべてを知り尽くしていると思っていたのは間違いでした。思い込みだけだったのです。これはお互いに言えることだと思いますが、まだまだ未知の部分があると思うと楽しみが増えたような気がします。コロナ禍で外出自粛となり、ステイホームが叫ばれ、巣籠りが続き、家族の絆も深まっていくようです。

2020年11月13日金曜日

いろんな神さま仏さま

   日本のいたる所に神さま仏さまがおられます。周りを見渡せばその存在に気づかされます。神さま仏さまに見守られて、人は暮らしているのだと思います。

 生まれ育った家は、浄土宗の檀家でした。家には何代も続いているご先祖様の仏壇と神棚がありました。子どもの頃からお寺や神社は馴染みのある場所でした。十数軒の小さな集落ですが、村人の絆は強く結ばれていました。冠婚葬祭などは、村をあげての一大行事です。皆が親戚のように結束し、事に当たりました。村をあげての年間行事がいくつかあります。それは、子どもも大人も力を合わせての歴史的行事です。四季それぞれにありました。子ども心にも、それらの行事は嬉しいものでした。十二月には、山の神がありました。六年生の子らが、リーダーです。子どもたち全員へのプレゼントを考えます。役を預かる大人の人と一緒に、町へ買い出しです。おもちゃ屋さんで、年齢に合わせたおもちゃをたくさん買います。お菓子屋さんで、おいしそうないろんなお菓子をたくさん買います。行事のプログラムを考えます。舞台も作ります。劇の配役を決めて、何度もけいこをします。舞台衣装も考えます。子どもながらも、立派なプロデューサーです。踊りもあります。歌もあります。山の神さまへの感謝から始まった、村の一大行事でした。

 夏の祇園祭は、村の鎮守さまのリードです。人の暮らしに、神さま仏さまが寄り添っていました。火の神さまに頂いたお守りのお札は、一年を通じて火から守ってもらいました。海の神さまもいます。目の病を治す仏さまもいます。ガン封じの仏さまも、ボケ封じの仏さまもいます。安産の神さまには、二度お世話になりました。たくさんの神さま仏さまですが、一番身近に家の神さまがいます。私は家を出る時には、いつも「家の神さまよろしくお願いします」と、心の中で念じて鍵をかけます。神さま仏さまに抱かれて守られているという意識を持ち、そしていつも感謝を忘れずに暮らしていきたいものです。

2020年11月12日木曜日

今年の紅葉

  秋も深まり各地から紅葉の便りが届いています。例年なら京都の紅葉をブログに載せているのですが、今年はコロナ禍で例外となりました。私たちは、三重での巣籠り状態を続けています。テレビでリモートトラベルを楽しんでいる状況です。GO TO トラベルで、たくさんの人が出かけています。政府のコロナ対策経済活動は、成功しているようです。しかし人の移動により、今第三波到来の危機となっています。

 家の前にある小さな桜の紅葉は見頃です。赤く色づいた葉は、かわいらしさがあります。強い風が吹くと、少しずつ散り始めています。春には毎年父が植えた桜を、借景として見て楽しんでいる私たちです。しかし秋の紅葉はありません。秋になる前に、虫により葉っぱがすべて無くなっています。 


 

 東側に隣接する実家の藪には、黄色に色づくエノキがあります。柿の木のオレンジ色に熟した実が、木々の中で映えています。 

柿の後ろの黄色くなってきたのがエノキです


 

 散歩道には、モミジやトウカエデがあります。そろそろ紅葉も終わりに近づき美しい色合いが少しずつくすんできています。 

川の対岸のトウカエデの大木

 コロナ禍で大変なこの一年も、残り少なくなりつつあります。自粛の日々で、気持ちも塞ぎがちです。ためいきが増えそうです。

 

2020年11月11日水曜日

アニメソング

  CMソングに続いてアニメソングが頭に浮かびます。子どもたちが小さかった頃には、一緒によく見たものです。私の愛唱歌となって、よく口ずさんでいます。

 「キャンディーキャンディー」

   そばかすなんてきにしないわ

   ハナぺチャだってだってだって

   おきにいり

   オテンバいたずらだいすき

   かけっこスキップだいすき

   わたしはわたしは

   わたしはキャンディー

     明るく元気な孤児キャンディーのお話です。漫画家いがらしゆみこの作品です。放送は、1976年~1979年でした。遊園地へ出かけると、ぬいぐるみを着たキャンディーがいます。イベントがたくさん開かれました。いろんなキャンディーのグッズも買いました。十年暮らした岡山県倉敷市には、いがらしゆみこ美術館がありました。思い出の中のアニメでした。

 

「一休さん」

   すきすきすきすき すき すき

   あいしてる

   すきすきすきすき すき すき

   いっきゅうさん

   とんちはあざやかだよ いっきゅうひん

   どきょうはまんてんだよ いっきゅうひん

   いたずらきびしく いっきゅうひん

   だけどけんかは からっきしだよ

   さんきゅうひん

     放送は、1975年~1982年でした。いろんなとんち話がたくさん出てきます。大人も、そのとんち話が面白くて好きでした。日本の禅僧一休宗純の子ども時代の逸話を題材としたアニメです。京都府田辺市にある一休寺には、何度か行きました。一休さんが、晩年を過ごしたと伝えられています。懐かしい思い出です。

 

 ほかにも「アタックナンバーワン」とか「巨人の星」のアニメソングは、愛唱歌になっています。無意識に口ずさんでいます。ちなみに最近では「アニソン」というらしいです。

2020年11月10日火曜日

CMソング

  テレビで流れるCMソングをいくつぐらい歌えますか。子どもから大人まで、CMソングを歌ってくれればその宣伝は大成功だと思います。子どもの頃から長きにわたって口ずさんできたCMソングがいくつかあります。先日その一つが破産に追いこまれました。1902年創業の老舗レナウンです。かつて日本一の売上高を誇った名門です。華やかな若い女性たちの映像にのって流れる軽快なメロディーは、愛唱歌になるほどのCMソングでした。ファッションにも憧れました。何着かは買いました。時代の流れとはいえ、淋しいかぎりです。

 「チョコレートは明治」のCMソングもよく口ずさみました。年上の従兄が勤めていたので、いつもお土産にチョコレートをたくさんもらいました。懐かしい子ども時代の思い出になっています。

 「わっわっわっ輪が三つ」のミツワ石鹸のCMソングも愛唱歌でした。子どもの頃に大人気だったテレビドラマ「名犬ラッシー」のスポンサーでした。1860年~1975年にかけて、製造販売された石鹸のブランドです。現在の状況については知りません。

 「ポンポンポンと時計が三つ、坊やおやつを食べました」で始まる大須ういろのCMソングも大好きでした。子どもの頃に覚えたCMソングは、いくつになっても忘れることはありません。当時の思い出とともによみがえります。

 今もテレビから流れてくるCMソングを、すぐに覚えて口ずさむ子どもたちは多いことと思います。時代とともに変化するCMソングです。

2020年11月9日月曜日

人が変わる社会が変わる

   アメリカ大統領が変わりました。よその国とはいえアメリカという大国の大統領選です。興味関心好奇心を持って、投票開票結果を見守りました。難しい選挙システムでした。メディアが伝えるバイデン氏の人柄に魅力を感じました。妻と娘を交通事故で亡くし、最近では病気で息子さんを亡くされています。愛する人を失うという深い悲しみを経験され、強く逞しくそして他者に対する優しさを持たれているように感じています。この四年間、アメリカ第一という政治姿勢が変わります。バイデン氏は「分断ではなく結束を目指す大統領になる」と述べて国民の融和を訴えました。そしてアメリカ史上、最高齢の大統領が誕生します。七十七歳です。人生百年時代の到来、元気シニアの社会活動、同世代の人たちはその感化を受けて元気になります。元気もーりもりです。素晴らしいことです。私もそのあとについていこうと思います。

 副大統領候補のハリス氏も、魅力的な女性です。リーダーシップのある女性です。同じ女性として、ハリス氏を応援しようと思います。未来が明るくなったように感じています。

 コロナ禍で世界中が大変なことになっています。新型コロナウイルスは、たくさんの人の命を奪っていきました。これからもその力は弱まることはありません。経済的活動も大変な状況に陥っています。コロナ禍で、一流企業でさえも倒れそうです。給料カット、人材削減、その影響は多大です。最終的にすべてが個人の生活暮らしに陰を落とします。学校も大変です。オンライン授業が普通になってきます。リモートワークも増える一方です。人が社会が元に戻れることの見通しは灰色です。ついこの間のようですが、当たり前に思われた生業が危機のるつぼにおかれています。

2020年11月6日金曜日

思い出の中の歌

 いろんな歌を口ずさんでいる私は、無意識に出てくる歌を歌っています。記憶のメモリーに入っているたくさんの歌です。子守歌、童謡、唱歌、歌謡曲、フォークソング、軍歌、民謡、自分でも驚くほど多岐にわたる歌の数々です。考えて歌っているわけではありません。先日は調子よく無意識に口ずさんだ歌ですが、はて題名は何だったかなと苦笑してしまいました。しばらくして題名を思い出しました。舟木一夫の「君たちがいて僕がいた」です。「高校三年生」でデビューした舟木一夫は、次々と学園シリーズをヒットさせました。すべての曲が映画にもなりました。「高校三年生」からファンとなった私は、新曲が発売されるとそのたびにレコードを買いました。どの曲も大好きになり、レコードを聞いてはよく歌いました。十代の思い出です。 

「君たちがいて僕がいた」   作詞 丘灯至夫

               作曲 遠藤実

    心の悩みを うちあけ合って

   眺めたはるかな 山や海

   言葉はつきても 去りかねた

   そんなときには いつの日も

   ああ 君たちがいて 僕がいた

 

   さよならする日は 肩くみあって

   しあわせ信じて うたおうよ

   大人になるのは こわいけど

   そんなときにも 離れずに

   ああ 君たちがいて 僕がいた

2020年11月5日木曜日

越冬態勢

  東京で木枯らし1号が吹き各地から初雪の便りが届いています。我が家では、家の外も中も越冬態勢を進めています。ストーブ類を出し、ホットカーペットを敷き、寝具類も取り替えました。家の外では、生き物係であるメダカのお父さん、ポアロは、発泡箱を買ってきました。一番小さいグループ、メダカの保育園の子どもたちを寒さから守るために発泡箱に引っ越しました。メダカたちは、お父さんからたくさんの愛情をもらいスクスク育っています。

 越冬態勢は、庭にいる生き物たちの姿を隠しました。長期にわたり楽しませてくれた、アマガエルの姿はありません。そろそろ冬眠する時期に入ったのだと思っています。

 庭師ポアロは、ブドウの木の葉っぱを落としました。今年は一年目で、実はつけていません。ありのままの姿で、葉っぱはとても芸術的です。紅葉が始まり大きな葉っぱの端々には、朽ち果てる寸前の枯れ葉色が出ています。絵が描けるなら、絵手紙にしたいところです。自然が織りなす芸術です。山野草を題材にして生け花をされている方がおられますが、ブドウの葉も素晴らしい花材です。心打たれる自然の姿です。

ぶどうと桜の紅葉

幹と枝二本をのこして剪定されました

 コロナ禍で、人も社会も変化せざるをえない状況です。アメリカ大統領選もあと少しで結果が出ると思います。大きな変革が起こるかもしれません。大自然界に対して謙虚な人間の姿が求められているような気がしてなりません。

2020年11月4日水曜日

「完全燃焼」

 完全燃焼していますか

恋に

仕事に

人生に

完全燃焼していますか

 

振り返れば

いつも完全燃焼の私がいる

恋に

仕事に

人生に

完全燃焼の私がいる

そして今がある

 

後悔先に立たず

人生一度きり

当たって砕けろ

行動あるのみ

 

完全燃焼のあとに

後悔はなし

勝っても負けても

後悔はなし

 

爽やかさがある

達成感がある

結果は気にしない

 

そんな自分が愛おしい

そんな自分が誇らしい

 

人生には四季がある

春の喜び

夏の忍耐

秋の静けさ

冬の厳しさ

 

晴れだけの人生はない

雨だけの人生はない

嵐だけの人生はない

晴れあり

雨あり

嵐あり

雨のち曇りまた晴れる

 

完全燃焼心がけよう

不完全燃焼は体に悪い

 

我が人生に悔いはなし

最期は万歳で締めくくろう

 

人生万歳!!

完全燃焼万歳!!

 

そして

すべてに感謝!!

 

 

2020年11月2日月曜日

読書の楽しみ(ミヒャエル・エンデ)

  ミヒャエル・エンデの作品を読破しました。子どもたちが小学生だった頃にプレゼントしたものです。代表作三冊を一気に読み終えました。「モモ」「ジム・ボタンの機関車大旅行」「ジム・ボタンと13人の海賊」の三冊です。三十年以上前にその三冊を買ったのですが、愛蔵書として大切に保管してくれていました。子どもの本としては、少し高価なものでした。当時読書感想文のコンクールがあり、「モモ」が小学校高学年の課題図書の一つに選ばれていました。当時「モモ」はざっと読んだのですが、今回もう一度しっかり読もうと思ったのでした。 



 

 「ジム・ボタンの機関車大旅行」の初版は1960年、「ジム・ボタンと13人の海賊」は1962年、「モモ」は1973年です。第一作からドイツ児童文学賞を得て、世界各国でひろく知られた作家となりました。「モモ」でも再びドイツ児童文学賞をさずけられました。ミヒャエル・エンデは1929年に南ドイツに生まれました。父は画家エドガー・エンデです。ミュンヘンの演劇学校を出て、しばらく俳優をしていたそうですが、のちに子どものための本の執筆を始めました。

 初めて「モモ」を読んだ時は、子どもには少し難しいのではないかと思いました。「時間がない」「ひまがない」大人の口癖です。いそがしいのは大人ばかりではありません。子どもたちもいそがしいのです。これほど足りなくなってしまった「時間」とは何なのか、それがテーマです。機械的にはかる時間ではありません。人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がだんだんと失われてきました。「モモ」が書かれた時からほぼ半世紀が経ち、「時間」の問題はますます加速しています。科学技術の進歩発展の恩恵を受けて、スピードが最重要視されています。心が置き去りにされて「時間」と「結果」だけで評価される現代社会です。これからもますますこの方向に人間が踊らされるのだと思います。ミヒャエル・エンデは、少女モモを通して「時間」の大切さを、人間に生きることのほんとうの意味を気づかせ考えさせるのです。

 「ジム・ボタンの機関車大旅行」「ジム・ボタンと13人の海賊」を読んでの感想は、知らないうちにファンタジーの世界に入りこんでいるというものです。大人でさえ夢中になって、いつの間にかミヒャエル・エンデの世界に引き込まれているのです。子どもたちの思考は、純粋で柔軟です。素直にミヒャエル・エンデの世界を楽しむと思います。ミヒャエル・エンデは、自分の作品を「メールヘン・ロマン」と名付けました。大人にも子どもにもかかわる現代社会の大きな問題をとりあげ、その病根を痛烈に批判しながら、楽しく美しい幻想的な童話の形式にまとめました。作者の優しさ、寛大さ、思考の深さが、作品の中にあふれています。登場人物のせりふの端々に感じとれることができます。ミヒャエル・エンデのファンになりました。あといくつかの作品も読もうと思います。彼は1995年夏にこの世を去りました。65歳でした。日本人女性と結婚していた時期もあり、日本びいきだったそうです。