2013年7月31日水曜日

台風上陸


 いよいよ明日、我が家に台風が上陸します。台風はフランスからやってきます。二人組です。狭い2LDKのマンションに、大人が五人寝ることになるかもしれません。日本の住宅事情を言い表すまさに「うさぎ小屋」です。私が見上げるほどの背の高いフランス人男性を伴って、娘が久しぶりに帰国します。その準備で大騒動の一ヶ月が過ぎましたが、準備完了というわけにはいかず、明日を迎えることとなりました。

 2011年3月11日の東日本大震災が起こってすぐに、南仏で支援団体を立ち上げた二人です。その行動力と結束力には脱帽します。今回の来日は、一ヶ月のバカンスを利用してのものです。東北地方で行われる「三陸海の盆」に参加します。犠牲になられたたくさんの御霊の慰霊祭が行われるのです。フランスでずっと続けている被災地への支援の報告と、多くのボランティア団体との交流です。この悲しみを風化させないために、また復興を願い被災地と支援地の絆をいっそう強くしようという思いで、今年は三回目の海の盆です。娘はその合い間をぬって、友達にも会いに行く予定を立てています。日本の最も厳しい暑さの中を、東へ西へと飛び回るようで、私達はハラハラしながら見守るしかありません。

 

*そういう事情で、ブログの更新が毎日というわけにはいかないかもしれませんが、できる限り書きたいと思っています。

2013年7月30日火曜日

「もし」


もし 私が十代だったなら

医師を目指そう

人の心を学びたい

見えない人の心を学びたい

 

もし 私が十代だったなら

作曲家になろう

人の心に響く曲を作りたい

人が涙する曲を作りたい

 

もし私が十代だったなら

哲学を学ぼう

人の心の奥深きこと

たくさんたくさん学びたい

 

人の精神世界を学びたい

永遠の命を確信できるよう

広く深く学びたい

 

もし 私が十代だったなら

文筆家を目指そう

紙とエンピツを手に

世界を回ろう

世界の人の心を

書いて書いて

地球家族を作りたい

2013年7月29日月曜日

「恋」


恋は陽炎

恋は蜃気楼

 

それでも人は恋を追い続ける

恋が実在するかのように

 

恋はまやかし

恋は幻想

 

それでも人は恋を信じる

恋は存在しないとわかっていても

 

わたしの恋は片想い

いつもどこでも片想い

 

恋が実ることを望まない

恋する人がふり向いた時

私の恋は終わる

 

恋は宝

恋はビタミン

 

恋は私を成長させる

恋は手の届かないところにあるがよい

 

十代の恋

二十歳(はたち)の恋

 

恋の思い出

美しき思い出

 

恋は陽炎

恋は蜃気楼

 

それでも人は恋を追い続ける

恋が実在するかのように

 

恋はまやかし

恋は幻想

 

それでも人は恋を信じる

恋は存在しないとわかっていても

2013年7月28日日曜日

思い出の中の歌(2)


 雨がしとしと降っている日、外へ遊びにいけない私は、窓の外を眺めながら「今日はうれしいなあ」とニコニコしています。雨が降る日は、母が家にいます。農家なので、雨が降る日は家の中の仕事をします。私は嬉しくてつい歌い出します。

 

「あめあめ ふれふれ かあさんが

 じゃのめで おむかえ うれしいな

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

 

 かけましょ かばんを かあさんの

 あとから ゆこゆこ かねがなる

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

 

 あらあら あのこは ずぶぬれだ

 やなぎの ねかたで ないている

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

 

 かあさん ぼくのを かしましょか

 きみきみ このかさ さしたまえ

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

 

 ぼくなら いいんだ かあさんの

 おおきな じゃのめに はいってく

 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」

 

 雨の降る日は、私は母のあとにくっついています。家の中の仕事を忙しそうにする母の、おじゃま虫になっていました。母が繕い物をする時、私もそばで小さな人形の洋服を作りました。スカート、ズボン、ベスト、簡単な物ばかりです。母の真似をするのが嬉しくて、雨が降る日は上機嫌の私でした。母に甘えられる雨の日が、大好きでした。

 

 先日、テレビから懐かしい私の大好きな歌が聞こえてきました。驚いてテレビを見ると、車のCMで雨の中を車が走っています。そのBGMに流れていたのです。北原白秋作詞、中山晋平作曲「あめふり」です。1925年(大正14年)に発表されました。現代のテレビコマ-シャルに登場するとは、嬉しい驚きです。

2013年7月27日土曜日

親孝行(6)


 以前ブログに短歌として載せた作品です。

 

「生きるって どういうこと」と あどけなき

       

       テレビの声に 我はドッキリ

 

テレビで放映されていたCMですが、この問いかけには、どういうふうに答えたらよいのか、難しくて今もまだ即答できないでいます。

 先日、これによく似た質問を、まんたん(義母)が、私になげかけてきました。

「死にとうない。どうしたらええ」私はドキッとしました。咄嗟に答えねばなりません。私は苦しまぎれに答えました。「百歳まで生きた人が、もっと生きたい、あと百年生きたいと願っても、それは無理な話だものね。百年生きるってすごいことやからね」私の言ったことがわかったのかどうか、まんたんは「そうやねえ」とつぶやきました。いつもは口癖のように「早く死にたい、生きていてもしょうがない」と言っているまんたんが、突然正反対のことを言ったので、私は本当に驚きました。

 ボランティアで出会った八十五歳の男性は、奥さんが二度の脳梗塞で重度の後遺症の状態にあり、夫婦で有料老人ホ-ムに入っておられました。ご主人も十年前に脳梗塞を起こし手術されたそうです。その方は、御自身の体は高齢に伴う弱りだけで、普通の生活をされていたのですが、妻の介護(そばで見守る介護)や心労で、夜は眠れないと訴えられて、心療内科へ通院し誘眠剤や導眠剤をもらって飲んでおられました。徐々にそれも効かなくなってきて、医師に「もっと眠れる薬を出してほしい」言ったところ、医師に「もうそろそろ悟ってください」と言われたと立腹され「医者が患者の訴えや気持ちを理解しないでどうするんだ」と、胸の内を吐露されていました。御子息は他県で医師をされているので、医療についていろいろ知っておられる方です。

 不眠症の患者さんに出す睡眠薬や誘眠剤・導眠剤は、むやみに出すことはできなくて制限がかかることはわかりますが、医師の「そろそろ悟ってください」という言葉にはいろんな意味が含まれていると思います。人間九十年近く生きてきたらそろそろ最期も近いということ。人間として成熟するはずだ。いろんなことも長老は乗り越えられるはずだ。いつまでも同じことばかり言っていては成長がないではないか。など医師の言いたかったことは「薬だけでは改善しない。自らを受容して下さい」ということでしょうか。この方は元々お酒が好きで、眠るために薬を飲んで、それでも眠れないからアルコ-ルを飲んで、酔いつぶれて眠るようなことを繰り返されて、それが致命傷となり急死されました。妻をのこして旅立たれました。

 人間がどんなに望んでも、百十五歳で世界一の長寿です。人間の手ではどうにもならないことを願うのが、人間の性(さが)というものなのでしょうか。そしてそこにまた苦しみが生まれるのだと思います。人間はいつか悟れるのでしょうか。神や仏に近づくことができるのでしょうか。まんたんの難しい質問を受けて、考えさせられました。

2013年7月26日金曜日

「幸せ」


幸せは人の数だけある はず

幸せはどこにでもある はず

 

幸せに気づかない だけ

不平不満ばかり言っている だけ

よかったさがしをしない だけ

 

お金がたくさんあれば

それだけで幸せですか

 

有名人になれたら

それだけで幸せですか

 

幸せは目に見えない

幸せは小さなもの

幸せは手でつかめない

 

幸せは心の中にある

誰の心の中にもある

 

小さな幸せを喜ぼう

当たり前にあることを喜ぼう

 

よかったさがしをしよう

今ある自分に感謝しよう

2013年7月25日木曜日

思い出の中の歌(1)


 祖母は貝拾いが大好きでした。その季節になると何度も出かけました。一人ででも出かけました。海までは家から歩いて一時間ほどかかります。祖母は、籐でできた大きな乳母車を押して出かけます。私は、子供の頃、時々祖母のお供をしました。行きも帰りも、私は乳母車に乗っていきます。乳母車に乗った私は、いつも「うみ」を歌いました。

 

「うみはひろいなおおきいな つきがのぼるし ひがしずむ

 

 うみはおおなみあおいうみ ゆれてどこまで つづくやら

 

 うみにおふねをうかばせて いってみたいな よそのくに」

 

そして海に着いて二人で貝拾いをします。アサリ、ハマグリ、バカ貝などたくさん取れます。途中でお昼ごはんです。祖母が作ったおにぎりを食べます。そのあともまた二人で貝拾いをします。私は、そろそろ飽きてきます。祖母は、黙々と貝拾いを続けています。私は、乳母車に戻ってひと休みします。小さな体は、乳母車の中でも寝ころべます。青い空を見ながら「我は海の子」を歌います。

 

「我は海の子 白波(しらなみ)の 騒ぐ磯辺の 松原に

 煙たなびく 苫屋(とまや)こそ 我が懐かしき 住家(すみか)なれ

 

 生まれて潮(しお)に 浴(ゆあみ)して 浪を子守の 歌と聞き

 千里(せんり)寄せくる 海の気(き)を 吸いて童(わらべ)と なり
  にけり

 

 高く鼻つく 磯の香(か)に 不断(ふだん)の花の 香りあり

 渚の松に 吹く風を いみじき楽(がく)と 我は聞く」

 

 1910(明治43年)に「尋常小学読本唱歌」に発表された曲とのことですが、非常に難しい歌詞で、私は、意味もよくわからず歌っていました。青い空には、白い雲が浮かんでいます。時々カモメが飛んでいきます。私は、誰もいない海辺で大きな声で歌います。

「うみ」「我は海の子」 大好きな歌です。

海、貝拾い、祖母、懐かしい思い出です。

子供時代の私を思い出します。

2013年7月24日水曜日

自己覚知


 自己覚知とは、自分を知ること。自分がどのような行動をとり、どのように考え、感じているかを客観的に意識し、多面的に理解することで、対人援助の場において援助者に求められることの一つです。

 夫はA型、典型的な日本人であると私は思っています。夫に言わせると、私は奇人変人の類だそうです。私はAB型、夫に比べると日本人の中ではだいぶ変わっていると、自分でも自覚しています。

 日本人の民族的特徴として、本音と建て前が挙げられます。本音は「いやだな」と思っても、建て前はみんなに合わせて右にならえとなります。人の目を気にします。ええかっこしいなのかもしれません。

 その点、私は頑固者、しかし強情ではありません。信念を持って自分の強い意志を貫こうとするだけで、人に対して無理に押し通すことはありません。あくまでも自分の中の自分とのたたかいだからです。フランス在住十年の娘は「お母さんはフランス人よりフランス的」と言います。「ケセラセラなるようになる」「GOING MY WAY 我が道を行く」私のライフスタイルです。日本人的な「人にどう思われるか、よく思われたい」という意識が低いのかもしれません。「人にどう思われようと、私は私のやり方で生きていく」といった気持ちです。

 テレビに登場する人達の中で、自分の意見・考え・気持ちをハッキリ、ズケズケ言う人に好感を持ちます。八方美人は嫌いです。本音がわかりません。「本心をそんなに隠してどうするの」と聞きたくなります。素直に正直にあからさまに、自分の心をむき出しにする人が好きです。

 夫は無難な日本人です。如才なく、つきあい上手。器用に生きていきます。会社人間として生きるには、あくが強いと生きづらいかもしれません。人との調和が大切です。私は不器用な生き方です。私は一匹狼、ピアノ教師として独立独歩で四十年生きてきました。厳しく怖い教師だったと思います。でもその根底には、愛情と情熱があるので、生徒達もお母さん達も、私をよく理解してくれていました。長いつきあいの友人もいます。深い友情で結ばれています。私は血液AB型のRHマイナスで、二千人に一人のマイノリティ-な人間です。少数人間です。少数人間の私でも好かれています。

 器用人間と不器用人間の夫婦の日常は、とても面白いものです。縁あっての夫婦ですが、相性というものは同類でないほうがよいのかもしれません。

2013年7月23日火曜日

「けんか」


母とけんかしたことのない私が

今は義母とけんかする

あの優しかった私が

義母とけんかする

腹が立ったら怒ればいい

辛抱することはない

耐えることはない

 

兄弟げんかしたことのない私が

今は夫とけんかする

あの大人しかった私が

夫とけんかする

腹が立ったら怒ればいい

我慢することはない

耐えることはない

 

友達とけんかしたことのない私が

今は娘とけんかする

あの寛大だった私が

娘とけんかする

腹が立ったら怒ればいい

心をむき出しにすればいい

耐えることはない

 

けんかはゴングが鳴るまで繰り広げられる

 

何十年も私の心はベ-ルを被っていたのか

私は賢人を装っていたのか

 

私は今の自分が大好きだ

自分に正直

自分に忠実

素直に自分の心を他にぶつけられる

自分の心をオ-プンにできる

「負けるが勝ち」の言葉さえどこかへ置き忘れてきたようだ

 

けんかのあとは心晴天

けんかのあとは心青天

とっても爽快

明日への元気がわき起こる

明日へのパワ-がみなぎる

 

そして今 ふと気づく

けんかできるのは 元気な証拠

けんかできるのは 両者が正直である証拠

けんかできるのは そういう間柄である証拠

けんかできるのは 仲の良い証拠

 

そして今 私は自分に言い聞かす

「自然人であれ」

「自然人であり続けよう」と

 

人生はバトル

「負けるものか」と心の中で自分を励ます

 

今日もバトルは続く

このバトルがいつまでも続くことを願いながら

2013年7月22日月曜日

嬉しい夏休み


 全国のほとんどの小中学校では、終業式が終わり夏休みに入りました。私も心ウキウキ弾んでいます。少子化になっている日本も、夏休みには子供達の姿が町のあちこちで見られます。子供達の元気な声も聞こえてきます。社会はいろんな世代で構成されています。世界一の長寿国となった日本ですが、高齢者ばかりが目立つというのは淋しい感じです。団塊の世代が仕事から解放されて、元気なシニアとして高齢社会をリ-ドしてくれていますが、何といっても未来を担う若者や子供達の存在が気になります。

 私には孫がいません。私のすべての友人には、孫が何人もいます。夏休には里帰り里帰りと日本中に帰省ラッシュが起こります。友人達は「大変 大変」と言いながらも、子供家族が帰省するのを楽しみにして待っています。

 父、母が健在だった頃は、夏休みになると、東京から車で何時間もかけて帰省しました。行き帰りの道中も旅行気分で楽しいものでした。甘えん坊の私は、子供ともどもこの時ばかりと大いに甘えました。スイカやとうもろこし、フル-ツポンチ、みんなの大好物を用意してくれる母のスケ-ルの大きさには、今も笑いがこみあげます。軽トラックで売りに来る大玉スイカをたくさん買って、納屋にころがせていました。とうもろこしは合宿所のように、田舎の家にはある大きなザルいっぱい茹でてくれました。フル-ツポンチは、何人家族かと思うほどたくさん作ってくれて、みんなお腹いっぱい食べました。楽しい思い出です。

 今、孫のいない団塊夫婦と八十八歳という高齢のまんたん(義母)の三人は、静かな夏休みを迎えています。