2012年11月30日金曜日

「母の背中」


あんなに大きかった母の背中が

今はこんなに小さくなりました

五人の子供を背負ったあの背中

母の歩いてきた長い道のり

石ころだらけの長い道のり

今日から私が母を背負います

 

私が小さかった頃

いつも子守唄を歌ってくれた母

きれいな声で 優しい声で

これからは 私が子守唄を歌います

お母さん 聞いてくださいね

 

私が小さかった頃

いつもお話を聞かせてくれた母

面白おかしく そして楽しく

これからは 私がお話を聞かせます

お母さん 聞いてくださいね

 

子供の時 いつも見上げた母の顔

私はどんどん大きくなった

私は母を追い越した

大きく育った私は

いつからか母を見下ろしている

 

子供の時 いつも私の手をつないでくれた母

今日から私が母の手をつないで歩きます

 

あんなに大きかった母の背中が

今はこんなに小さくなりました

五人の子供を背負ったあの背中

母の歩いてきた長い道のり

石ころだらけの長い道のり

今日から私が母を背負います

2012年11月29日木曜日

自分史


 今から10年前のことです。私が所属しているボランティア団体の代表をされている男性が、自分史についてよくお話しされていました。

 その方は、大手企業で300人近い部下を率いて先頭に立って働き、海外でも長年仕事一筋で活躍されてきました。60歳で無事に退職の日を迎え、夢に見ていた待望のサンデー毎日がスタートしました。大好きだったゴルフ三昧の贅沢な暮らしです。何の不自由も文句も無い日々が続きました。ところが1年もたたないうちに、心の中に隙間風が入ってくるようになり、人に勧められ自分史を書くことになったそうです。巻き物になっている障子紙を購入し、小筆で丁寧に自分史を書き始め、何とか現在地点迄筆をすすめました。そこまで自分史を書いて、60年の人生を振り返り、いかに自分が企業戦士として仕事人間で生きてきたかを、改めて思い知ったと言われます。その上でこれから先の人生を思った時、何をしてどのように日々を過ごしていくか、真剣に考えいろいろ迷ったそうです。自分史を書いてみて、なおいっそう将来、限られた自分の人生の先を見つめ、考えるきっかけになったとおっしゃいます。そこで辿り着いたのがボランティアの世界です。「他者のために何か自分にできることがある」その思いにつき動かされ、当時住まわれていた近畿地方から東京へ日帰りで、勉強に週一度1年間通われました。夜行バスで東京に早朝に着き、1日大学で講義を受けて、又夜行バスで帰られました。年金暮らしの身には、新幹線利用の交通費は高過ぎて、まして目的はボランティアということでなおさらです。そして資格を取り、ご夫婦でボランティアをこつこつ始められました。高齢者施設や病院のホスピスを訪問し、人の悩みや苦しみを聴く傾聴ボランティアです。施設や病院を自分の足で訪ね、傾聴させてもらえる場をどんどん開拓されていきました。私がその会に入った10年前で、すでに会員は30人ほどおられました。企業戦士、仕事一筋に生きてこられたこの方は、自分史を書いたことによって新しい生き方を見つけられたのです。

 今では自分史を書くノートや本が、たくさん書店に並べられています。自分史を書くことは、今迄の自分を見つめなおし、これから先の自分を考えるよい機会になるようです。「自分史を書く」という自分史の勧めをこの代表から教えてもらいました。

2012年11月28日水曜日

免許更新


 先日運転免許証の更新に行ってきました。今回の免許更新は多分9回目だと思います。何年前からか更新が5年毎になりましたが、それまでは3年毎でした。最近は更新の時に写真を用意していかなくても、あちらで撮ってくれるので楽になり、スムーズに手順よく流れ作業で進み、待ち時間も短くなったように思います。

 二人の子供は、18歳になってすぐ運転免許を取得しましたが、私は20代が終わろうとする頃に、一念発起して自動車学校へ通い始めました。子供が4歳と1歳の頃で、当時私の姉が車で20分ほどの所に住んでいたので、子供を預けて自動車学校へ通いました。仕事もしながらのことだったので大変でしたが、数ヶ月のことだから頑張ろうという思いで、何とか免許証を手にするまでやり抜きました。自分で車を運転することの素晴らしさ楽しさは最高です。機械のことは何もわからず、いじれませんが、それはプロにまかせて、ハンドルを握って車を走らせるだけのドライバーです。

 人間が歩く、走ることによって、自分の体を移動させるのには、限界があります。しかし車に乗って移動するのは、どこまででも行くことができます。まるで魔法のじゅうたんのようです。車は、私が大人になって手に入れた初めてのおもちゃです。暑い日も寒い日も何のその、雨が降ってもぬれません。雪が降る日は危険なので車に乗りません。車の運転は、気持ちを快適にしてくれます。車の運転に有頂天になって、横着になったりすると大変です。自分の命も人の命もかかっています。私は大げさですが、自分の命をかけてハンドルを握ります。

高齢者講習はこちらという案内がありました。何年か先には私も受けなければなりませんが、何歳ぐらいまで車を運転できるのでしょうか。父は88歳で亡くなりましたが、その2年前迄は、車を運転して買い物や病院通いは自分でしていました。ところがある日突然、スーパーへ車で買い物に行ったまま行方不明になり大騒動になったのです。数時間後に見知らぬ若者に車を運転してもらって、家の近く迄無事に帰ってきたので安堵しましたが、86歳は立派な高齢者です。スーパーの駐車場に車を停めて、お弁当を食べながら意識が薄らいだのか眠ってしまい、目覚めてからフラフラ運転していたのを、若者が発見して何か変だと思い声をかけてくれたので助かったのです。大事に至らなかったことは、本当に不幸中の幸いでした。父は老化による膝の痛みがあり、歩くのは少ししんどかったのですが、車を運転するおかげで行動範囲が広がっていました。車は父の足になっていたのです。前述の一件が起こってから、家族が車の運転をやめた方がよいと父を説得したのです。車の運転をやめてから、行動範囲は限られたものとなり、介護を受けての病院通いへと父の生活は一変しました。はつらつさや生き生きさが徐々に無くなり、淋しい表情の老人になりました。父にとっての車の運転は、自立の術の一つであり、生きがい、はりあいだったのだと、後になって気付きました。

 安全運転に心がけ無事故で、あと15年ぐらいは車の運転をしたいものだと、今の私は思っていますがどうなりますことやら。

2012年11月27日火曜日

徒然に想ううた 自由句三句


 

力あり 無党派層の 目と意識

 

 

マドンナの 姿無き党 しぼみゆく

 

 

選挙戦 何れの党に さくらさく

2012年11月26日月曜日

「セーター」


私の編んだセーター 届きましたか
いっしょうけんめい 編んだセーター 届きましたか

編んでは ほどいて
ほどいて 編んで
やっとやっと 編めたのですよ

生まれて初めて 編んだセーター
あなたのために
いっしょうけんめい 編んだセーター

私の編んだセーター 届きましたか
いっしょうけんめい 編んだセーター 届きましたか

いっしょうけんめい 編みすぎて
あなたには 小さいかもしれません

きゅうくつなセーターを着て
私の想いを感じてください

2012年11月25日日曜日

方丈記

 今から800年前に鴨長明が書いた「方丈記」が話題をよんでいます。今のこの時代を生きている人々の心の不安に何らかのヒントを与えてくれているのかもしれません。昨年の東日本大震災、原発問題、経済の不安定さなど、人々の心は迷える子羊のようです。こんな時、人々の心を救うのは信仰なのかもしれません。しかし現代の日本では無宗教の人が増えて、仏教さえ葬式仏教と揶揄されています。葬儀に始まり法事、お彼岸、お盆、お正月などのお墓参りは、日本人の生活の中に定着していますが、自分の心を救う信仰とは少し違っているように思います。
 鴨長明が言う「人間が生きることにおける無常さ」は、どんなに文明・科学が進歩発展しても無くなるものではありません。ずっとずっと昔の古代の人々も、今もそのことは普遍のものです。人間の命には限りがあるからです。しかし人間の寿命が、人生50年といわれていた時代に比べ、現代は医学医療技術の進歩により人生100年になっている分、無常を抱えて生きる年月が長くなっています。
 無常とは、すべてのものは、ほろびたり、うつり変わったりして、同じ状態ではないこと。はかないこと。と辞書に書かれています。この苦しみ、哀しみからほんの少しでも逃れる方法は、能動的に人生の無常を受け取ることだと思います。人の生きる道は無常で当たり前、苦しいこと悲しいことがあって当たり前、命には限りがあるということをいつも頭のどこかにおいて生きていれば、小さな喜びにも気づき、小さな幸せにも感謝する自分がいるということを発見するのではないでしょうか。

2012年11月24日土曜日

徒然に想ううた 短歌三首


空青く 都に集う 紅葉狩り

    神社仏閣 人の波満ち



逝く人の 背中を照らす 色映えて

     山野賑わせ 散るもみじ



侘び寂びの 境地になりし 紅葉は

      一人静かに 詩を詠みつつ

2012年11月23日金曜日

たそがれ族

 先日ラジオから懐かしい言葉が聞こえてきました。「たそがれ族」です。今から20数年前に流行った言葉と記憶していますが、仕事や子育てに追われる身には、あまり心に響かず聞き流していました。ところが今回この言葉を聞いて身につまされたように感じ、悲哀をともなって心の中にしみこんできました。
 「たそがれ」とは、日の盛りを過ぎた頃、夕暮れや夕方の薄暗くなってきた頃をさします。そこから人生の盛りを過ぎた年代をたとえて言うようにもなりました。団塊の世代に属する私は、まさに「たそがれ族」の仲間入りです。子供達が立派に社会人となり、老親も見送り、夫婦二人だけの静かな生活の中で、自分のしたいことに没頭できる喜びを謳歌している私に、この言葉は一瞬立ち止まらせ、少し考える時間を運んできました。人間の一生の盛りが過ぎた年代というのは事実です。やり遂げたという達成感とその反面少しの淋しさを感じているのも事実です。しかし人間誰もが歩む過程です。「たそがれ族」にどっぷり埋没し、過ぎ去った日々のことばかりに気をとられていたのでは、これから先の暮らしが思いやられます。最後のその時まで人生を楽しみたいものです。
 今、話題の人になっている某政治家は、80歳になられても「暴走老人大いに結構、私は暴走老人です」と豪語されています。「たそがれ族」の人達も、たそがれないで、暴走老人のパワーを持ち続けてほしいと思います。

2012年11月22日木曜日

私の出会った城下町 岡山城


 岡山城を訪れたのは、今回が2回目です。35年前、上の子の手をひき、身重の私は、予定日を2ヵ月後に控えた頃に、家族3人プラス1で車で岡山へドライブしました。その頃は近畿地方に住んでいたのですが、片道4時間の1泊2日の旅に出たのでした。35年という長い年月を経て今度は夫婦だけの日帰り旅行です。岡山駅から桃太郎電車に乗って岡山城へ向かいました。岡山城は別名烏城と呼ばれているように、お城を見上げると真っ黒で納得できます。小春日和の中、お城を巡り、日本三大名園の一つになっている後楽園も散策しました。ついつい子供が小さかった時の思い出に話が進み、顔を見合わせて笑ってしまいました。私の場合、子供は二人ともジャンボベイビーで4キログラムほどあったのですが、そんな大きなお腹を抱えて、何の心配もせず、大胆にも旅に出た若さの怖さを今更ながら感じています。
 
 

 岡山城は、1597年(慶長2年)宇喜田秀家により築城されました。主な城主は、宇喜田氏、小早川氏、池田氏です。一級河川旭川に守られるように建っています。何代にもわたり岡山藩主として岡山城を守り続けてきた池田家の現在の当主は、今年の7月に死去されたそうです。その夫人は、今の天皇陛下の姉君です。
 
 

 岡山は、長野と並び文化水準の高い歴史ある町です。お城の周辺には、県庁、県立図書館、美術館などの文化施設が集まっていました。

 帰りも桃太郎電車に乗り、お土産にきび団子を買って岡山をあとにしました。

2012年11月21日水曜日

徒然に想ううた 俳句三句


 

一列に 並ぶ銀杏の 色多彩

 

 

漆の葉 真っ赤に映える 一等賞

 

 

唐楓 色かわいくて 頬ゆるむ