2024年4月3日水曜日

2024年の桜

   いよいよ桜が開花しました。2024年の桜です。去年より10日遅れの開花です。今週末は、各地で満開となり、お花見で賑わうことでしょう。

 三重の家の前には、父が植えた桜が大きく育ち、毎年我が家から花見を楽しみました。しかし二十年ほど、私たちを楽しませてくれた桜は弱り、花を咲かせなくなりました。ところがそれとほぼ同時に、10メートルほど離れたところに、新しい桜が根をつかせ、一年ごとに成長し、今は立派な木となり、たくさんの花を咲かせています。自然生えで、こんなに大きく成長する桜に感動します。もうすぐ二十年です。

 私は、四人兄妹の末っ子です。兄が一人、姉が二人の四人兄妹です。しかし上の姉は、45歳で旅立ってしまいました。先日下の姉を誘って、桜の前で写真を撮りました。2024年の桜です。この日は快晴で、青い空と白い雲、そして桜は六分咲き、とても気持ちの良い朝のひと時でした。今は母も父も旅立ち、姉も私も、母の没年齢を超えています。父が植えた桜から、新しい桜へと、歴史が移り変わっていきます。来年の桜にも会えることを願いながら。

2024年4月2日火曜日

久しぶりのご対面(ケロ太)

  数日雨が降り続き、そのあと雨が上がり青空が見えて、気温も上がり、春本番となりました。午後の3時頃のことです。庭を横切ろうとした私の足元から、何かが跳びはねました。驚いて足元を見ると、我が家のケロ太です。 

 

半年ぶりの再会です。嬉しくて大声で、ポアロと野良部部長(娘)を、呼びました。ケロ太は、じっとしています。私たちは、ケロ太に話しかけます。「半年ぶりだねケロ太。いよいよ春が来たね。今日はいいお天気。気持ちいいお天気だね」ケロ太は、じっと聞いています。私たちの言うことが、よく分かっているようです。この家の住人と、認識しているようです。ケロ太がしゃべれたら、どんなに素晴らしいでしょう。我が家の小さな庭の、住人であるケロ太は、もうずいぶん長い期間住み続けています。家族の顔も、声も、よく分かっている様子です。3センチほどの小さな体で、ちっちゃいちっちゃいかわいい目で、私たちを見上げています。しばらくの間、私たちとの再会を喜び、ケロ太は、ぴょんと跳びはねました。小さな庭の住人であるケロ太の仕事は、庭のパトロールです。ケロ太が、いつまでも我が家の家族でいてくれますようにと、願わずにはおれません。毎日ケロ太に会えるのを、楽しみにしています。

2024年3月31日日曜日

藪椿

  花や植木が趣味だった父は季節ごとに咲く花を植えていました。今の時期は藪にある大きな白い椿が花を落とし下の川に積もるようになってきました。



 2日前から急に温度が上がり桜の開花情報も入ってきています。椿から梅、桜からこぶし、桐の花、ツツジ、さつきと花とともに季節が移り替わっていきます。桜の開花予想は今年は外れたようです。植物の世界は温度や日差しに敏感で自然環境の鏡となっているようです。

2024年3月28日木曜日

春に咲く花

 三月も残り少なくなり、今は春休み真っ只中です。厳しい寒さも少しずつ緩んできています。季節は冬から春へと移りつつあります。気持ちは、春に向けてほのぼのしてきています。 毎日のちょこっと散歩で、目にする春の花は、なぜか黄色の花が多いように思います。春を象徴しているような、明るく希望に満ちて元気はつらつを感じています。ミモザ、菜の花、カタバミ、ラッパスイセン、チンゲンサイ、など、目についた黄色の花たちです。私の好きな色、ラッキーカラーが黄色なのです。我が家の小さな庭に、ポアロが育てたチンゲンサイが、植木鉢や地植えでたくさんありました。何度も食卓に上がり、この冬はたくさん頂きました。そしてそれらのチンゲンサイが、旬を通り越して、どんどん成長し、菜の花のように背丈が伸びました。菜の花にそっくりの、黄色のお花です。 


 

遠くから見れば、菜の花です。チンゲンサイとは、わかりません。食べておいしく、見て心豊かに、私たちを楽しませてくれるチンゲンサイです。春のにぎやかさを、黄色い花たちからもらっています。

 

2024年3月25日月曜日

涙あふるる歌

  卒業式の季節です。先日は、家の近くの小学校で、卒業式がありました。京都の中心部に位置する、都会の小学校です。たまたま、式を終えて帰宅の途にある、子どもたちに出会いました。女の子は、袴姿、男の子も紋付袴です。数年前から、話題になっている小学校の卒業式です。どれほどの割合かは、わかりませんが、年々増えているそうです。

 私のふるさと、三重へ帰ると、ふるさとの山、ふるさとの川、ふるさとの城が、迎えてくれます。そして、この時期は、私の学び舎が、鮮やかによみがえります。思春期の真っ只中、中学校の卒業式で歌った「仰げば尊し」が、思い出されます。口ずさむだけで、涙が滲んできます。難しい歌詞ですが、日本人の心にぴったりです。不思議に思うことですが、ずいぶん前から、学校では歌われていないようです。

    「仰げば尊し」     明治17年小学唱歌集発出 作詞・作曲者不詳

 仰げば尊し わが師の恩

 教の庭にも 早や幾歳

 思えばいととし この年月

 今こそ別れめ いざさらば

 

 互いにむつみし 日ごろの恩

 別るる後にも やよ忘るな

 身を立て名をあげ やよはげめよ

 今こそ別れめ いざさらば

 

 朝夕馴れにし 学びの窓

 蛍のともし火 積む白雪

 忘るる間ぞなき ゆく年月

 今こそ別れめ いざさらば

 

2024年3月24日日曜日

京都御苑枝垂れ桜

  先日、京都御苑の枝垂れ桜を見にいきました。前日の風、雨の荒れたお天気も回復し、良いお天気の中を御苑に向かいました。間の町通り(あいのまち通り)の間の町御門から入りました。



 この桜の木は御苑の西南に位置する梅林の近くにあります。樹齢はずいぶんありそうで、大木となった枝垂れ桜です。ポアロが発表しているフェイスブックに、過去の思い出が載るのですが、ちょうど一年前にも見に行っています。その時は、満開でした。枝垂れ桜の周りには、大勢の人がいます。外国の人もたくさんおられます。今年の枝垂れ桜は、五分咲きでした。つぼみがまだ多くあり、満開になるのが楽しみです。帰りは堺町御門から出ました。葵祭りや時代祭で有名な堺町御門です。

2024年3月21日木曜日

発掘された原稿(3)

 「母」(3)

  何不自由なく温室の中で育ったこの現代ママは、またも子供たちを同じように育てようとしている。結婚し、妻となり母となって、偉大な母に少しでも近づかなければと思いつつ、全く近づくことが出きない現代ママ。早く自分で何でもできるようになってほしいと願っているばかりで、子供の世話も「あ~しんど」という毎日です。毎日のお料理もうんざり、掃除、洗濯、毎日同じことのくりかえし・・・・・

 その中で、子供だけは確実に一日一日成長して行きます。そして、自分は老化していきます。とても、母のような母親にはなれそうにもありません。一日に、何回子供に怒鳴るでしょう。そして、叱ることにも疲れます。

 自分の子供のときと、今の子供と、どう違うのでしょう。その前に、昔と今の母親の違いを、考えなければならないのでしょう。

 いろんな面で乏しかった昔、でも世の中がのんびりとのどかで、何となく精神的にゆったりしていたような感じがあり、現代は、昔から考えたら、何もかもぜいたくで、物質的に恵まれているのに、人々は、あくせくと働き、、時に追われ、ゆったりした気分に浸れない。

 そして、サラリーマンの妻ほど、気楽なものはないのに、母と全く違った母親になっている。現代の子供も、自分の子供のときと同じように、慈愛に満ちあふれた母親を求めているに違いない。

 まだまだ先は長い。子供たちの求める母親に、一歩でも近づけるよう、努力を惜しんではならないと、自分に言い聞かせている昨今です。

発掘された原稿(3)

 「母」(3)

  何不自由なく温室の中で育ったこの現代ママは、またも子供たちを同じように育てようとしている。結婚し、妻となり母となって、偉大な母に少しでも近づかなければと思いつつ、全く近づくことが出きない現代ママ。早く自分で何でもできるようになってほしいと願っているばかりで、子供の世話も「あ~しんど」という毎日です。毎日のお料理もうんざり、掃除、洗濯、毎日同じことのくりかえし・・・・・

 その中で、子供だけは確実に一日一日成長して行きます。そして、自分は老化していきます。とても、母のような母親にはなれそうにもありません。一日に、何回子供に怒鳴るでしょう。そして、叱ることにも疲れます。

 自分の子供のときと、今の子供と、どう違うのでしょう。その前に、昔と今の母親の違いを、考えなければならないのでしょう。

 いろんな面で乏しかった昔、でも世の中がのんびりとのどかで、何となく精神的にゆったりしていたような感じがあり、現代は、昔から考えたら、何もかもぜいたくで、物質的に恵まれているのに、人々は、あくせくと働き、、時に追われ、ゆったりした気分に浸れない。

 そして、サラリーマンの妻ほど、気楽なものはないのに、母と全く違った母親になっている。現代の子供も、自分の子供のときと同じように、慈愛に満ちあふれた母親を求めているに違いない。

 まだまだ先は長い。子供たちの求める母親に、一歩でも近づけるよう、努力を惜しんではならないと、自分に言い聞かせている昨今です。

2024年3月20日水曜日

発掘された原稿(2)

 「母」(2)

  警察官の父と、華道の師匠の母の元に、長女として生まれ、子供のときに、母、父を相次いで亡くし、二人の妹と一人の弟の母のような存在であり、全く経験したことのない大百姓の一人息子のところに嫁ぎ、戦争へ行く夫を見送り、留守の間、家を守り、六人の子供を産み、そのうち二人は亡くし、敗戦後は、夫婦力を合わせて、新しい生活の開拓に挑み、悲しみにも負けず、苦労を苦労とも思わず、たくましく生きて来た母・・・・  

 それに比べ、両親の暖かい庇護のもとで、何の苦労もなく生きてきた自分・・・・その生い立ちの差が、母親としての違いにも現れているのでしょうか。やはり人間は、苦労を経験して生きて行くことの方が、尊いのでしょう。

    続く

2024年3月18日月曜日

発掘された原稿

 

 去年から終活をスタートしました。後期高齢者の仲間入りをした私は、たまりたまったあらゆるものに、ため息を連発しています。先日たくさんの書類の中から、懐かしいものを発見しました。忘れ去られていた原稿です。その存在さえ、頭の中から消え去っていました。長女が幼稚園の時に、PTAが発行したものです。原稿を募っていて、書くのが好きな私は、忙しい日々の中書きました。とても面白いのは、ペンネームがあいのいずみです。四十年前の、若い私がいます。四十年前の原稿を、そのままブログに載せることにします。

  「母」(1)

 「お母さん」と呼べば、今も頭に浮かんでくるのは、真っ白いかっぽう着で、ニコニコと笑顔で忙しく働いている母の姿です。真っ白いかっぽう着を着て、家にいてくれる母が大好きでした。優しくて、何事もお母さんの言うとおりが正しく、本当に偉大な女性でした。母の手は、魔法使いのように素晴らしく、何でも上手に作ってくださった。子供たちを喜ばせようと、夜なべにサンタクロースの服を縫い、上手にサンタさんになって、自家製の落花生や、かきもちや、ビスケットなどを袋につめて、私達にプレゼントとしてくださった。手はガサガサで赤切れしていても、朝早くから農作業に、また時間を見つけては、自分の華道の勉強にもよく動いていましたね。お母さんにおこられた事はありません。目をギョロッとして、にらむだけで、その効果は大でした。慈愛に満ちあふれた母のまなざし、暖かく大きな手。母のそばにいるだけで、ほのぼのとした暖かい気持ちになりました。

                                続く