2025年11月27日木曜日

時の流れ(6)

 「街角ピアノ」では、懐かしい歌のコンサートが続いています。歌手の方の歌唱力が素晴らしかったです。コンサートは、50分ほどで終了しました。

 コンサートが終わると、運営委員の方が話しかけてきてくださいました。「街角ピアノ」では、コンサートを定期的にされているとのことでした。その方は、公民館でのイベントも企画されているとのことで、楽しいお話を聞かせていただきました。

 運営委員さんと話した後、娘がピアノを弾いて、1曲プレゼントしてくれました。私は、驚きとともに感動で胸がいっぱいになりました。曲名は「小さな旅」です。NHKのテレビ番組「小さな旅」のテーマ曲です。今回の旅にぴったりの選曲だと思いました。学生時代を過ごした街への懐かしい気持ちがあふれてきました。青春時代を思い出し、豊南市場を後にしました。

2025年11月26日水曜日

時の流れ(5)

 豊南市場の「街角ピアノ」では、コンサートのリハーサルが始まりました。リハーサルの間に、学生時代を過ごした寮を見に行くことにしました。

 記憶を頼りに、市場を出て歩きました。寮の横に川が流れていたのを覚えています。歩いていくと川に出ましたが、寮らしき建物はありません。少し探しましたが、見つけられませんでした。残念でしたが、あきらめて戻ることにしました。

 市場へ戻ると、コンサートが始まっていました。「懐メロコンサート」でした。歌手の方のいい声とピアノの伴奏で、懐かしい曲が流れています。椅子を並べて客席が用意されていたので、私たちも座って、懐メロを楽しみました。前列のお客さんたちは、歌に合わせてリズムをとり、コンサートをとても楽しんでみえました。

2025年11月25日火曜日

時の流れ(4)

 半世紀以上の歳月を経て、久しぶりに訪れた母校を後にしました。

 学校の近くには「伊丹空港」があります。着陸態勢の飛行機の轟音がひびきます。見上げると、大きな飛行機が迫ってくるようです。学生時代は、飛行機を間近で見るのも珍しく、ロマンを運ぶ飛行機を見ては興奮していました。

 今回の旅は、テレビで「街角ピアノ 豊南市場」を見たことがきっかけでした。その豊南市場にいよいよ到着です。いろいろなお店がならんでいました。

 その日は、「街角ピアノ」でコンサートがあるようで、その準備が始まっていました。わくわくしながら、ピアノの近くの椅子に座りました。

2025年11月24日月曜日

時の流れ(3)

    時の流れ(3)


 梅田駅から阪急電車に乗り、母校の最寄り駅に着きました。懐かしい風景が広がります。毎日歩いていた通学路の記憶は、はるか彼方へ去り、道順もおぼろげです。案内板を頼りに進み、やっと正門にたどり着きました。

 受付で、卒業生だということを伝え、来校者用の名札をつけて、母校の敷地に入りました。本校舎の玄関は、昔と変わっていません。玄関前には、創立者の像があり、昔のままでした。

 次に学生食堂へ行きました。授業中なので、学生の姿はまばらです。食堂でランチを食べることにしました。食べながら、学生の時に丼物を食べたことを思い出しました。

 食事の後、敷地内を散策しました。校舎が増築され、教室・ホールなど、何棟か増えていました。2時間ほど過ごし、最後に名札を返しに行くと、受付の警備員さんが「また遊びに来てください。」と言ってくださいました。

2025年11月23日日曜日

時の流れ(2)

 学校を卒業してから半世紀以上の歳月が流れています。テレビで「街角ピアノ(豊南市場)」を見てから、青春時代を過ごした街を訪れたくなりました。その思いは日ごとに強くなっていきました。

 今回の旅は、京都駅から始まりました。久しぶりに京都駅に行った私は、人の多さに圧倒されました。京都駅で娘と待ち合わせをして、JRで大阪へ向かいました。通勤ラッシュが落ち着いた時刻だったので、助かりました。

 JR大阪駅から阪急梅田駅まで、10分ほど歩きました。昔も今も、大都会の大阪駅・梅田駅です。カフェに入り、焼きたてのパンを食べて、興奮している胸を鎮めました。

 そして、阪急電車に乗り、母校へと向かいました。 

2025年11月22日土曜日

時の流れ(1)

 数年前、「街角ピアノ」というテレビ番組を見ました。15分間の番組です。その時は、大阪府豊中市にある「豊南市場」の「街角ピアノ」を紹介していました。

 学生時代、学校の近くにある「豊南寮」に住んでいた私は、「豊南市場」に時々行きました。番組を見て、懐かしさがこみあげてきました。久しぶりに(何十年ぶりに)学び舎へ行きたくなりました。

 行きたいと思ってからも、すぐには実現できず、今週、ようやく出かけることができました。三重県に住んでいる娘が一緒に行ってくれました。

 学び舎との再会を楽しみに、旅に出ました。今回の旅を少しずつ綴っていこうと思います。

2025年11月11日火曜日

時代の流れ(侘しい光景)

  京都暮らしは早26年になります。京都には寺町を中心にして、お寺がたくさんあります。私たちが住み始める前は、歴史あるお寺が並んでいたそうです。近代化の波が、京都に押し寄せて、次から次へと、マンションが建っていきました。お寺は他所へ引っ越し、マンションが建っていったのです。

 我が家に隣接するお寺は、他所へ引っ越しせずに、かろうじて元のままの場所にあります。毎朝の鴨川散歩の時に、私は、本堂を眺め、山門を眺め、取り囲むように建っているマンションに、時代の流れを感じています。侘しき光景です。この先もお寺の本堂や山門が、姿を消すことなく、存続してくれることを願っています。







 

2025年11月9日日曜日

ポアロの日常の暮らし(2)

 長い年月仕事を頑張ってきたポアロが、仕事を終えて平穏な日常を過ごしています。仕事から解放されて、念願の暮らしとなりました。興味関心好奇心の対象物を探して、したいことをして、腕前も上げることができれば幸せなことです。見たいテレビを思う存分見て、スマホ、パソコンをいじり、読書三昧もして、フェイスブックで発信もして、今はネットの時代、何でもできます。ポアロは、音楽も好きで、チェロと出会い、今はチェロに燃えています。そして工作も腕を上げています。

もう一つ、ポアロはお料理が大好きになりました。私は大きな義務感、責任感から、半世紀以上家族のために料理を提供してきました。お料理が楽しいと思う余裕はありませんでした。とにかく毎日毎日料理を作り、家族を食べさせなければなりません。よく頑張ったと自分を褒めています。ところが、ポアロは、お料理が面白くなり大好きになったのです。そばで見ている私は、その要領のよさに感心し、圧倒されています。テレビからもいろんな情報をもらっています。今の私は「いただきます!」「おいしい!」「ごちそうさま!」を連発して、シェフポアロに拍手を送っています。ポアロのレシピがどんどん増えて、客人がごちそう太りになることを期待しています。

鶏ムネ肉のフリッターサラダ添え
(健康第一のメニューです)


2025年11月8日土曜日

秋を訪ねて(京都南禅寺)

  秋も深まり、京都の秋を訪ねて観光客がたくさん来ておられます。久しぶりに自転車で出かけました。三十分ほどで南禅寺に着きました。ほとんど外国からの観光客です。紅葉は六分ほどです。毎年のことながら、秋の紅葉にうっとりして感動します。すべて自然が織りなすファンタジーです。












2025年11月7日金曜日

ポアロの日常の暮らし


長年働き続けて仕事を終えたつれあいポアロの日常を、少し考えてみることにしました。仕事を終えて、仕事から解放される日を、夢にまで見ていたことと思います。その日が来たら何をしようか、何がしたいのか、いろいろ考えて期待に胸をふくらませていたでしょう。その日の到来に、私は興味関心好奇心でいっぱいでした。その一つ目は、時間を気にせずゆっくり寝れることでした。私は、見守るだけです。次に、テレビです。テレビに時間制限はなく、見たい番組を見続けます。野球観戦がトップです。アメリカの大リーグ、日本のプロ野球、大満足の野球観戦です。私は見守り続けます。テレビは、飽きることなく、野球観戦が終わればニュースやワイドショーがあります。ただ心配なのは、テレビの前に座り続ければ、運動不足になって体によくありません。それは自分でもよくわかっているので、テレビを見る時間を考えるようになりました。

次に思いついたのは、チェロを弾けるようになりたいという思いでした。早速楽器店へ行き、いろいろ聞いて、レッスンを始めることになりました。楽器がなければ練習もできません。思い切ってチェロを買いました。レッスンは、月に二回です。現在ちょうど二年が経ちました。毎日欠かさず弾いています。私もチェロの音色は好きです。弾けるようになりたいとは思いますが、いろんなことに手を出してはまずいと、今は憧れだけで踏みとどまっています。

次に好きなことの一つである工作を始めました。和雑貨として人気があるものです。時間が取れる時は、せっせと工作作りに精を出しています。




私の父も、いろんなことをしました。能面、七宝焼き、油絵などです。晩年は、ポアロと同じ工作でした。和紙で作る小箱です。ふたも作って、とてもきれいに仕上げていました。ポアロの工作も、きれいな和紙を買い求め、和雑貨屋さんに並べられるようです。父もポアロも、手が器用で、うらやましい限りです。ポアロの日常の暮らしを書いてきましたが、これからも続けて書いて行こうと思います。

2025年11月6日木曜日

私の好きな花(秋桜)

  11月も初旬が終わろうとしています。あちこちの秋桜畑では、満開も峠を過ぎて、そろそろ終わりに近づいている頃だと思います。京都と三重の移動の途中には、広い秋桜畑があります。毎年秋桜の成長を楽しみに走っています。いろんな色の秋桜がありますが、薄ピンク色の秋桜が多いように思います。

 


 

白色や橙色は、少ないようです。秋桜の花の優しさは、見る者の心を癒してくれます。昔から秋桜が大好きですが、同時にさだまさしさん作詞作曲の「秋桜」も大好きです。1978年に発表され、山口百恵さんが歌って大ヒットした名曲です。さださんの詞には、嫁ぐ娘と母の心情が素晴らしく表現されています。今でもこの歌を歌うと、亡き母との思い出がよみがえり、涙がこぼれます。嫁ぐ日を目前にして、母と娘は別れを心の中に秘めています。本当に素晴らしい曲です。大好きな花「秋桜」と、大好きな曲「秋桜」は、私の宝物です。

2025年11月5日水曜日

京都慕情

    1970年に渚ゆうこさんが歌って大ヒットした「京都慕情」を、久しぶりに思い出しました。今日出かけた帰り道、五時過ぎのことです。京都寺町三条で、たくさんの人が西の方角を向いて、スマホで写真を撮っています。何事かと思ったら、みなさん素晴らしい夕焼けの写真を撮っているのでした。その夕焼けの美しさは、胸を打つものでした。日本人はもちろん、外国からの観光客も、たくさんの人が、美しい夕焼けに感動しているのです。ポアロも早速写真を撮りました。

 自然がおりなす美しさを見せてもらい、涙が出るほど感動するのです。感謝感激です。外国の夕焼けがどういうものなのかは、知りませんが、今日この時、日本京都寺町三条で見た夕焼けは、みなさんの日本旅行の思い出として、いつまでも心に残るプレゼントだと確信しています。

2025年11月4日火曜日

秋を訪ねて(京都洛北三宅八幡宮)

 

 素晴らしいお天気に誘われて、秋を訪ねて出かけました。めざすは京都洛北にある三宅八幡宮です。近くは何度も通っていますが、お参りするのは、初めてです。11月といえば、七五三という大きな行事があります。七五三のお参りで、たくさんの人出かと予想していましたが、人出は、ぱらぱらでした。知らなかったことで、驚いたことがあります。境内のあちこちに、土ねんどでできた小さな鳩が、飾られています。八幡宮の入口にある大鳥居のそばには、鳩の銅像が祀られていました。鳩は神の使いで、子どもを守ってくれるそうです。知らなかったことを教えてもらい、本殿にお参りして、八幡宮を後にしました。









2025年11月3日月曜日

秋は何処(いずこ)へ

     今日の朝の鴨川散歩で、冷たい北風と出会いました。「ひょっとして?」と思ったら、ニュースで近畿地方に木枯らし一番と伝えていました。いよいよ冬の到来です。今年の夏は、経験したことのない酷暑が非常に長く続きました。やっとのこと酷暑がゆるみ、秋の訪れを感じさせてくれました。ところが最高の季節である秋というものが、ほんの少しで終わってしまいました。朝晩の冷え込みがあり、気持ちのいい秋はどうなっているのかと気をもんでいたら、一気に冬の到来です。

洛北 三明院 2025.11.3

 十月生まれの私は、秋が大好きです。芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、物思いに耽る秋、勉学の秋、聡明になれる秋、創作活動が実る秋、秋を讃えたらきりがないほどです。その素晴らしい秋が、あるのかないのか、わからないほどに、あっと言う間に終わってしまいました。異常気象と言われればそれまでですが、残念でなりません。

2025年11月2日日曜日

私の好きな花(きんもくせい)

 子どもの頃から馴染みのある「きんもくせい」が、もうすぐ満開になりそうです。どこにでもあると思っていた「きんもくせい」ですが、マンションが建ち並ぶ都会では見ることはできません。きんもくせいは、並木にはふさわしくないようです。時々きんもくせいに出会いますが、単独で凛々しく立っています。遠くまで、きんもくせいのいい香りが漂っています。実家の庭には、大きく育ったきんもくせいが一本ありました。初めてのマイホームに、きんもくせいを一本植えました。そして今、京都鴨川散歩で出会ったきんもくせいが、満開を迎えようとしています。






2025年11月1日土曜日

シニアの情報収集

  テレビから毎日たくさんのCMが流れてきます。シニアの私は、いつも熱心にそれらのCMを見ています。一生懸命見ていても、何のCMかわからない時があります。おかしくて笑ってしまいますが、家族に「何の話?」「何て言うてたの?」と尋ねることも多くなってきています。時代によって、話す言葉のテンポも速くなってきています。CMから、社会の情勢を学んでいるようなものです。食べる物から、生活雑貨、終の棲家となる施設やホームなど、CMは多岐にわたります。遺品整理の会社も、熱心に放送しています。テレビのCMから情報収集するとは、家にいながらの安易な情報収集だと、気に入っています。

2025年10月31日金曜日

コミュ力

    今日はあいにくのお天気で、京都では一日中雨が降りました。京都へは、日本中から世界中からたくさんの観光客が来ておられます。一番目につくのは、外国人観光客です。同じ人間であっても、体格の違いには大きな差があります。京都一番の繁華街、新京極や寺町通り、錦市場には、お天気の悪いせいで、たくさんの外国人観光客が集まりました。所せましという状況です。体格の大きな人たちであふれています。

そんな中、タイトルに書いた「コミュ」(コミュニケーション能力)が、発揮されることとなります。ちょっとぶつかれば「あいむそりー」です。朝の鴨川散歩でも、外国人観光客と出会います。目と目を合わせて微笑むことは、大切です。「ハロー!」「グッドモーニング」と、言葉も交わせることができます。小さな小さなコミュ力です。コミュ力が発揮できた時は、爽やかな気持ちで一日が始まります。

2025年10月30日木曜日

秋の味覚(2)巨大な栗

     昨日秋の味覚として、松茸、栗、柿、を取り上げましたが、今日は近所の八百屋さんで栗を買ってきました。1㎏の袋詰めです。見るからに一粒ずつがとても大きくて、すごいすごいと感動して買いました。一度には多すぎるので、二度に分けることにしました。三十分ほどでゆで上がりました。一番大きい栗に目がゆきます。早速頂きました。甘い栗の味がしみわたります。ちょうど良いほんのりとした甘さです。大きさは今までに食べたことのない、巨大な栗です。甘さといい、大きさといい、感動する今年の栗です。ちょうど明日は、ハロウィンです。収穫に感謝して、頂きました。


       







2025年10月29日水曜日

秋の味覚

 今年は酷暑の夏が長く、秋と呼ばれる日が短いものとなりました。そんな中でも、秋は確実に訪れました。秋の味覚を連れて。秋の味覚といえば、たくさんありますが、高価なものと言えば、松茸でしょうか。毎年食べれるものではありませんが、少しでも食べたいと思うのは人情でしょう。私は一向に食していません。テレビの報道番組で話題提供を受けるだけです。次に栗でしょうか。丹波栗は、ブランドとして名をはせています。子供の頃には、家にあった栗拾いを一生懸命しました。長靴をはいて、はさみを持ち、バケツにいっぱいの栗を拾いました。子供たちの仕事でした。柿の木もありました。背が高くなった柿の木なので、収穫は父の仕事でした。家の畑には、サツマイモがたくさん取れました。母が掘り起こしたうねから、サツマイモを収穫しました。「秋の味覚」私にとっての秋の味覚は、松茸を別にして、ふるさとの思い出です。



2025年10月28日火曜日

京都暮らし私の一番のお気に入り

  京都暮らしも早26年が過ぎました。長いようで短い京都暮らしです。仕事現役の時は、休日の時しかゆっくりできませんでした。今はいつでも自分のしたいことをしています。その一つが鴨川散歩です。お天気にも左右されますが、晴れた日は、最高の鴨川散歩です。澄み切った青空を眺めながらの鴨川散歩です。近くに大文字山、遠くに比叡山、そして東山の山並みが続きます。鴨川に集まる鳥たち、岸辺に咲く花々、ドラマのロケ地によく登場する大きな栴檀の木、すべてに見とれながら、鴨川の右岸左岸とも、市民の皆さんのお気に入りです。


栴檀の木と丸太町橋

7時を過ぎた頃から、たくさんの人で賑わいます。犬の散歩の人、ウォーキングの人、マラソン人、出勤する人、保育園へ子供を送る人、社会の縮図がここにあります。ふと気づくと、後期高齢者の私より年齢の高い人は、あまりみかけません。シニアの方々は、もう少し遅い時間に散歩されているのかもしれません。京都暮らしの私の一番のお気に入りである、鴨川散歩をいつまでも、といってもできるかぎり続けたいと願っています。

2025年10月13日月曜日

おいしい!

 先日知人から、名古屋の銘菓をいただきました。こどもの頃からよく知っている、名古屋の銘菓です。大の大の甘党の私は、夢に見るほどの甘党です。和菓子が大好きです。落ち込んでいる時、大好きな和菓子を一口食べるだけで、元気が出てきます。少し前、体調が悪く気分もへこみがちだったのですが、大好きな和菓子をいただいて、元気もりもりとなりました。少しのことで、浮き沈みする心を持っているのが、人間です。自分の単純さに、苦笑いです。

2025年10月12日日曜日

久しぶりの一人旅

先日久しぶりに一人で出かけました。思い起こせば今までに何回一人旅に出かけたのか、本当に数少ない経験です。一番遠い路線は、東京から岡山です。若かりし時には、何の心配もせず、ただ緊張していただけでした。先日は、とても短い距離で、所要時間は二時間半ほどです。京都から三重までです。慣れ親しんだ近鉄電車です。しかし一人で乗ったことは、ずいぶん前のことです。いつからか、車での移動がほとんどで、電車に乗ることも、ほとんどありません。先日の一人旅は、切符を買うことから、勝手がわからず、どぎまぎです。駅ホームにあるコンビニで、お茶と少しのお菓子を買って、旅のおともを準備しました。切符を片手に、車両番号とにらめっこです。乗る車両を見つけて、乗り込みます。次に指定番号の席を探します。席を見つけて、やっと座り、やれやれです。見慣れた景色に、ほっとします。隣には、同世代と思われる女性二人が座りました。始めから終わりまで、楽しいおしゃべりが 続きます。一人旅の寂しさを、かみしめながら、旅のおとものキャンディーを口にいれます。車窓を眺めながら、一人旅は、つまらないと、つぶやきます。疲れは倍増、おばあちゃんの一人旅は、こりごりだと、反省しました。

2025年10月11日土曜日

秋の夜長に

  秋が大好きな私ですが、一人静かに過ごす秋の夜長は苦手です。経験がありません。子どもの時か、八人家族という大家族の中で、にぎやかに育ってきたからでしょう。末っ子という特典をもらい、みんなから可愛がられすくすくと育ちました。

 秋の夜長にどんなことをして過ごしたのかと、記憶をたどってみました。読書はずっと若い時からたくさん読みました。「風とともに去りぬ」は、長編にも負けず、読破しました。田中澄江さん、曽野綾子さんの作品を夢中で読みました。女性の生き方、愛とは、人生とは、など哲学的な作品にひかれました。編み物も大好きで、手編みでいろいろ家族にプレゼントしました。そして創作ということに夢中になり、詩、俳句、短歌、エッセイ、童話、短編小説、などいろいろ書きました。公募ガイドを買って、応募もしました。書くことが、面白く楽しく大好きでした。今はブログを書いて、楽しんでいます。書く頻度は少し下がっていますが、細く長く、ゆったりゆるゆるで書いていきます。 

2025年10月8日水曜日

中秋の名月

 10月6日は、中秋の名月でした。今年は、京都で,観ることができました。東山に上がる中秋の名月です。6時前には、少しぼやけて朧月でした。「祇園小唄」に出てくる朧月です。私たちは、四条から三条、二条へと、東山を見ながら歩きました。中秋の名月を観ようと、たくさんの人が集まっています。外国人観光客も、いっぱいです。6時を過ぎた頃から、とても明るい大きな中秋の名月となり、あちこちから喜びの声が上がっています。ポアロが写真をたくさん撮りました。鴨川の岸辺には、ススキもたくさんあります。今日は特別に高島屋でお月見餅も買いました。中秋の名月の感動を胸に、帰宅した私たちは、写真を見ながら、お月見餅をいただきました。










2025年10月5日日曜日

面白い三人組

    長きにわたり、英会話を習っている私ですが、興味関心好奇心で続けてこられたと思っています。最近、私より一世代先輩と思われる人と出会いました。元歯科医の男性です。英会話の先生は、イギリスから来ている若い男性です。後期高齢者の私と、十歳ほど上の男性と、生徒は二人です。とても面白い組み合わせだと、心の中で、にやにやしていました。先生は、高齢者の二人の生徒に、親切丁寧に、教えてくれます。日本語でも、しどろもどろになる高齢者です。それが、英語となると、なお一層反応が遅くなります。先生は、たくさんのヒントを教えてくれて、答えを出せるように誘導してくれます。よく考えると、おじいさんと、おばあさんと、孫の三人のように思われます。一週間に一度の英会話教室。楽しい雰囲気で、面白く、これからも頑張れそうです。

2025年10月2日木曜日

下御霊神社の名水(御霊水)

  京都寺町通りにある下御霊神社へは、我が家から歩いて10分ほどです。地域の氏神様で、毎年初詣にはお参りします。五月には、御霊祭がありたくさんの店が出て賑わいます。神輿も出ます。京都には、いくつかの名水と言われているものがあります。下御霊神社の名水もその一つです。いつもたくさんの人が列をなして、井戸からの冷たい水をくんでおられます。私たちも時々ですが、水をもらって、コーヒーやお茶をいれて飲んでいます。長い歴史の中で、名水は枯れることなく、今に受け継がれています。私たちも、その恩恵に浴しています。ありがたいことです。






2025年10月1日水曜日

街中に咲く彼岸花  

 早いもので、今日から10月です。

秋のお彼岸も終わりましたが、今年は彼岸花の開花が遅れているようです。    京都の家の前は河原町通りで、たくさんの車が走っています。二条河原町の交差点には、毎年たくさんの彼岸花が咲きます。彼岸花がいつ開花するのかと、心待ちにしていました。一向に咲く気配がなく、あきらめかけていた時です。9月23日まさにお彼岸の日に咲いたのです。いつもは群生している彼岸花ですが、この日はたった一輪咲き始めたのです。私は嬉しくて興奮して、家族皆に報告して回りました。

  

この日を境に、他の彼岸花も開花し始めました。一輪が開花して、ちょうど一週間ですが、今はたくさんの彼岸花がにぎやかに咲いています。






2025年9月19日金曜日

「萩の寺を訪ねて」

 

九月も後半に入り、萩の情報が届けられてきています。花の開花は、例年よりは少し遅いようです。京都では、萩の寺と呼ばれているお寺がいくつかあります。また萩で有名な神社もあります。

京都市左京区には、萩の寺と呼ばれているお寺があります。金戒光明寺や真如堂の近くです。非公開なので、中へは入れません。土壁が美しく、いつも前を通るたびに、ここが萩の寺と呼ばれている有名なお寺だと、認識しています。そろそろ萩の花が咲き始める頃だと思い、買い物の帰りに寄ってみました。萩の花が、ほんの少し咲いていました。やっと咲き始めたようです。少しですが、萩の花を見ることができて大満足です。迎称寺




真如堂








2025年9月15日月曜日

栗塚旭さんとのご縁

 

二日前に、悲しい知らせが飛び込んできました。去年の暮れに、近所のとんかつ屋さんで、偶然出会った俳優の栗塚旭さんの訃報です。たまたま隣の席に座ったことから、楽しいおしゃべりが続きました。一人で食事されている栗塚さんの隣に、私たち家族が座ったのがご縁でした。フランスから帰国したばかりの娘を中心におしゃべりしていた私たちに「フランスへは何度も行きました」と、声をかけてこられました。そこからフランス談義へと広がり、シャンソンも披露されました。そして「アクターの栗塚旭です」と、名乗られました。栗塚さんとは知らずに、おしゃべりしていた私は、本当に驚きました。「この日も撮影があり、撮影所からの帰りで、衣装もそのままで」と言って、ジャケットの中を見せられました。子供の頃から存じ上げている栗塚さんです。大スターです。食事をしながら、いろんなお話をされました。北海道の出身で、兄を頼って京都へ来たこと。哲学の道では、長年喫茶店をされてこられました。何年か前に台風の被害を受けて、白川通りに記念館を建てられて引っ越しされたそうです。「今は撮影所へ通いながら、病院へ治療に通っています」と言われました。病気のことは気になりましたが、すぐお元気になられると信じていました。現役の俳優さんであり、講演活動もされていて、「撮影所へも見にきてください」と、誘ってくださいました。新年のあいさつのハガキを印刷中とのことで、「できあがったらお送りします」と、おっしゃって、住所を書いてお渡ししました。後日ハガキが届いた時には、本当に感動しました。今となっては、栗塚さんから頂いたこの大きなプレゼントは、我が家の宝物です。これから何度もお会いできると思い、おつきあいがずっと続くと思っていました。バタバタした暮らしをしている私は、栗塚さんにお会いしたいと思いながらも、まだ出かけられずに日を過ごしてしまいました。栗塚さんからも「今日は本当に楽しかったです。正月と盆がいっしょに来たようです。ご縁を頂きました」と、言ってもらって感無量でした。悔やんでも悔やんでも悔やみきれません。後悔先に立たずです。栗塚さんとの突然の別れが、大きな大きな喪失感をもたらせました。みんなであの日に撮った写真には、栗塚さんのお人柄が笑顔と共に表れています。素晴らしい思い出となった写真は、我が家の宝物です。いつの日かお会いできる日が来るのを、楽しみにしています。