先日、ブログに書いた「飛騨高山への旅で出会ったオルゴール」は、旅の思い出とともに、ずっと心に残っています。
振り返れば、これまであちこちへ旅をしてきました。出会いがあって買った旅の記念のものが、たくさんあります。
福島へ旅した時は、三春駒と出会いました。岡山の吉備津では張り子の鶏、北海道では木彫りの壁掛け。信州では高さ20cmほどのかわいいこけし、小林一茶のかるたなど、旅の思い出として行く先々で買いました。今も、それらすべてが手元にあります。旅の思い出とともに。
先日、ブログに書いた「飛騨高山への旅で出会ったオルゴール」は、旅の思い出とともに、ずっと心に残っています。
振り返れば、これまであちこちへ旅をしてきました。出会いがあって買った旅の記念のものが、たくさんあります。
福島へ旅した時は、三春駒と出会いました。岡山の吉備津では張り子の鶏、北海道では木彫りの壁掛け。信州では高さ20cmほどのかわいいこけし、小林一茶のかるたなど、旅の思い出として行く先々で買いました。今も、それらすべてが手元にあります。旅の思い出とともに。
この前、「風鈴」について書いたのですが、今日も「懐かしい音色」を見つけました。
半世紀ほど前、私は嫁ぐ日を前にして、父母と三人で旅に出ました。旅先は、飛騨高山です。一泊二日の短い旅ですが、両親と水入らずで過ごす最後の旅ということで、私は感傷的になっていました。
高山の町を散策し、郷土民芸店に入りました。そこで出会ったのが、「漆塗りのオルゴール」でした。曲は「五木の子守歌」です。大好きな曲です。宝物として大切にしようと思い買いました。
そのオルゴールを、今も部屋の本棚に置いています。時々、オルゴールをかけて歌っています。懐かしい音色が部屋に流れます。
二週間ほど前に書いたブログの続編です。
半世紀以上前から、手紙を書くのが趣味でした。長いブランクがあり、昨日、久しぶりに便箋を広げました。昔から持っている便箋が、たくさん手元にあります。年季の入った便箋たちは、いつ出番がくるのかと、気をもんでいるように見えます。長い間、便箋たちを放置してきた後ろめたさを感じながら、手紙を書き始めました。
便箋を前にして、深呼吸をし、ペンを進めました。どういうふうに書こうかと集中し、思いのほか悩むことなくペンが動きました。昔の勘が戻ってきたようです。背筋はぴんとなり、頭は冴え、嬉しくなってきました。手紙を書くことが大好きな自分を、再認識しました。
今日、郵便局へ行き、投函してきました。
この前、ブログに「1970年の大阪万博」のことを書いた時、歌詞を間違えてしまいました。失礼しました。最近は、歌詞をしっかり覚えて歌っています。マイブームになっています。
♪~ こんにちは こんにちは にしの国から
こんにちは こんにちは ひがしの国から ♪~
最近のマイブームは、もう一曲あります。水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」です。水前寺清子さんのヒット曲です。
♪~ しあわせは 歩いてこない だから 歩いてゆくんだね
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる ♪~
この二曲は、自分を励ます歌であり、自分が寝る時の自分への子守歌にもなっています。
「♪~ ボーン ボーン ボーン と、時計が三つ~」私が子どもの頃の懐かしいコマーシャルソングです。子どもたちは、この歌を歌いながら、三時のおやつを食べるために家へと急ぎました。みんなが口ずさむ曲となっていました。
私の家は農家だったので、夏のおやつは、母が育てた大きな「トウモロコシ」でした。冬のおやつは、こちらも母が育てた「さつまいも」でした。そのほかには、家で作った「おかき・あられ」もありました。母が地域の婦人会に参加した時は、手作りの「パン」をおやつにもらい、おいしかったことを今も思い出します。
懐かしい歌を口ずさみながら、今日も「おやつ」のひと時を楽しんでいます。
先日、片付けをしている時に、「風鈴」がいくつか出てきました。「風鈴」は夏の風物詩でしが、その音を聞くことが最近は少なくなってきました。
私は、「風鈴」が大好きで、旅に出ると、その土地土地で「風鈴」を買っていました。京都では、竹で作られたものを買いました。東北へ行った時は、南部鉄器の「三重奏」と名付けられたものを買いました。今も手元にありますが、夏の環境が変わり、一日中冷房が必要な厳しい暑さなので、「風鈴」を出してかけることは今はしていません。
私が子供の頃は、どこの家でも軒先に「風鈴」がかけられていました。心地よい風に「チリーン、チリーン」と、涼しげな音が響いていました。父は風流を好む人で、「風鈴」を愛し、座敷の軒先にかけていました。遠い記憶が、よみがえります。
百貨店・洋服店・和菓子店・洋菓子店・・・各店の名前が印刷された「紙袋」。
これまで、あちこちの町で暮らしてきた私にとって、「紙袋」は、「あの町の、あのお店」を思い出すことができる「懐かしいもの」です。特に「和菓子店の紙袋」は、おいしい各地の和菓子を食べた時のことを思い出します。
先日の夕方。庭の植物に水やりをしてホースを片付けている時、きれいに輝くものを見つけました。
「タマムシ」の羽が落ちていたのです。家の裏には、実家の薮があります。薮には、大木となった「エノキ」があります。子供の頃から、実家の薮の「エノキ」に「タマムシ」が生息していることを知っていたので、「あっ!タマムシだ!」とうれしくなりました。
昔、父は「タマムシ」の羽を財布に入れて大切にしていました。私も父のように、「タマムシ」の羽を大切に持ち続けようと思います。
今年も、お盆の季節が終わりました。昨晩、京都では「五山送り火」が催されました。先祖の皆さんとは、来年のお盆まで、しばらくお別れです。一年後、また会える時まで、健康に気をつけて、過ごしたいと思います。
今日は8月15日。終戦から80年です。
♪ 戦争が終わって ぼくらは生まれた 戦争を知らずに ぼくらは育った
大人になって 歩き始める 平和の歌を 口ずさみながら ♪
戦後生まれの私は、戦争を知らない子供たちとして育ちました。20代の頃、この歌をよく歌いました。
人と人が傷つけ合う。そんな世界であってはいけない。
人と人が助け合う。そんな世界を築いていかなければならない。
何もできないと、逃げていてはいけない。
平和をつくるのは、私たち一人一人だ。
平和の祈りをささげよう。
毎年、お盆の時期になると、ある出来事を思い出します。今から四十数年前の出来事です。その頃、私は奈良に住んでいました。お盆はいつも故郷で過ごすので、三重県の実家に帰省していました。今思うと、とても若い頃の出来事です。
お盆の入りの日、私は、夜遅くまで、姉たちと久しぶりのおしゃべりを楽しんでいました。父母、子供たちはすでに寝ていました。夫、兄、義兄たちは、離れでマージャンをしていました。
時刻は日付が変わる頃だったと思います。突然、「カタカタカタ」と音が聞こえてきたのです。私と姉たちは、びっくりして顔を見合わせました。その音は、しばらく続きました。父を起こしに行こうと思った時、その音は止みました。
そんな経験は、これまで、その時一回限りです。音が止んだ後、「ご先祖様たちが帰省された証しだね。」と、姉たちと話しました。
お盆が近づいています。先日、お墓参りに行ってきました。いつもお盆ぎりぎりになってしまうのですが、今年は、少し早くお参りに行くことができました。その日は、義父の本命日でした。
暑くなる前の早朝に出かけました。菩提寺の隣に墓苑があります。朝早かったので、人の気配はありません。静まりかえっています。
この前お参りに来たのは、春のお彼岸でした。お墓をそうじして、お花を飾り線香をあげました。お墓には、義父と義母が眠っています。「また来ます。」と約束をして、お墓を後にしました。
実家のお墓も、すぐ近くにあります。両親、祖父母、幼くして旅立った二人の姉が眠っています。私が幼稚園の頃にお世話になった先生のお墓も近くにあります。親しいおつきあいをしていた方です。
お墓参りをすると、気持ちが落ち着きます。爽やかな気持ちになります。ご先祖様たちに近づけた喜びを感じます。秋のお彼岸に、またお参りしたいと思います。
先日、姉と娘と私の三人で、ゆっくりおしゃべりをする機会がありました。お盆が近づいているので、今は亡き人たちを思い出して、話が弾みました。
父・母、祖父母、おじ・おばたち、若くして旅立った長姉、みんなの顔が目に浮かびました。娘は、会ったことがない曾祖父母について、興味深く聞いていました。二時間ほどおしゃべりが続き、私は目が疲れたので、目を閉じて話を聞いていました。
ふと気づくと、姉と娘が私を見て笑っています。私がびっくりして目を見開くと、二人は「よく眠っていたね。」と、言いました。無意識のうちに、居眠りをしてしまったようです。
二人のおしゃべりは、まるで「子守歌」のようで、心地よいひとときでした。
先日、本箱の片付けをしている時に、懐かしいものを見つけました。たくさんの便箋です。
私の中学生時代、文通がはやっていました。雑誌の出版社が、雑誌に「文通したい人」の紹介を載せてくれていました。中学生だった私は、北海道・沖縄・オランダに住んでいる人達と文通をしました。オランダの人とは、拙い英語の力を駆使して、文通を楽しみました。
今回、便箋がたくさん出てきたので、当時を思い出し、久しぶりに友人に手紙を書こうと思います。
♪~ こんにちは こんにちは 世界の国から
こんにちは こんにちは 世界の人が
1970年の こんにちは ♪~
この歌を聞くと、大阪万博の思い出が、よみがえります。
今から55年前、若かりし私は、大阪万博へ二度出かけました。音楽を一生懸命勉強していた、学生時代のことです。一度目は、友達三人組で出かけました。すごい人で、見たいパビリオンへは、なかなか入れませんでした。あきらめて、すいていた二つのパビリオンへ入ったことを覚えています。二度目は、彼と出かけました。デートで、万博を楽しみました。
あれから、55年の歳月が流れ、万博の再来です。今回の万博にも、できれば出かけたいと思っています。
最近、筋力が落ちてきたと思っていたところ、主治医から筋力トレーニングを勧められました。テレビで、よく見たり聞いたりするトレーニングです。スクワットです。私は、したことがありません。
主治医のお勧めは、一回につき十回、朝昼夕の三回するというものでした。自分の知らない間に、筋肉が無くなり足腰が弱っていきます。毎日、少しずつですが、スクワットを続けることで筋力がつくことを願っています。
毎年、楽しみにしていることがあります。ご近所の庭にある「蓮」の開花です。有名な「大賀蓮」です。
昨日、つぼみを見たので、そろそろ開花だと、期待して朝を迎えました。期待通り、今朝早く、美しい花が咲きました。「蓮の花」を見ると、「もうすぐお盆だなあ。」と毎年思います。
まだほかにもつぼみがあるので、明日も開花が楽しみです。
昨日、押し入れの片付けをしました。すると、押し入れの奥から、懐かしい柄の箱が出てきました。ずいぶん前にしまい込んだ箱です。大事にしていた箱なのに、どこにしまったのか、すっかり忘れてしまっていました。
ふたをあけると、中には、運転免許証(〇〇年前に更新した時のもの)、50年以上前に友人からもらった手紙、独身時代に行った旅行のパンフレットなどが入っていました。忘れ去っていた懐かしいものばかりです。1つ1つを見た瞬間、その当時の年齢にもどることができます。私にとっては「タイムカプセル」です。
何分間か思い出にひたった後、箱の中にきれいに並べ、再び、押し入れにしまいました。
先日、八百屋さんの前を通りかかった時、懐かしいものが目に飛び込んできました。黄色い「ウリ」です。ラベルには「キンウリ」と書かれています。
それは、私が幼かった頃、母が丹精込めて育てた「うり」と同じでした。母との思い出がよみがえります。
私はうれしくなって、早速「うり」を買って帰り、冷蔵庫で冷やしていただきました。なつかしい味が、口いっぱいにひろがりました。夏休みの朝、母と一緒に「黄色いウリ」を収穫した場面が目に浮かびました。
最近、とみに漢字力が低下しています。以前は、いくども助けてもらっていた漢字辞典も使っていません。漢字を書くということも、少なくなってきています。日誌を書く時に、漢字について、不安な時は、手元にある電子辞書で確認しています。
パソコンを打っている時には、変換すればすぐ漢字がでます。あまりにも、便利すぎて、怖いほどです。この便利さが、人間を退化させる根源だと思います。苦労してこそ、汗をかいてこそ、自分の身に着く一番の方法だと思います。たくさんの漢字を覚えたと、自負している私ですが、記憶が薄れることのないように、自筆でせっせと漢字を書きたいと思います。
今振り返ると、いろんなマイブームがありました。食べる物から、趣味趣向、聞きたい音楽から持ち物すべてです。マイブームは、不滅のものではありません。そのときそのときで、変わっていきます。マイブームが去ると、あのマイブームは何だったのかと、気落ちします。二年前には、アイスクリームにマイブームが起きました。同じアイスクリームを、食べ続けました。そのときは、そのアイスクリームが、大好きとなり、他のアイスクリームは目に入りませんでした。ところが、今はケロッと忘れています。移り気と言われれば、それまでです。今までのマイブームを、記憶を頼りに思い出して、記録をとろうと思います。
生まれ育った三重県から、結婚によってふるさとを離れ、早半世紀が過ぎました。夫の仕事の移動で、あちこちで暮らしました。どこへ行っても、「まるこさんは、関西出身ですか?」と言われました。長年使ってきた言葉は、そう簡単に変わりません。関西特有のイントネーションが、あったのだと思います。
自分では気づかないうちに、使っていることばは、家族にも笑われるほどです。三重県中部に限定した、方言です。
「さんす?」
*「これ飲まんす?」
*「行かんす?」
語尾に「す」が付くのです。「さんす?」は、相手を敬う敬語です。
どこで教えてもらったのか、記憶はありません。いつのまにか、身についたことばです。自分が話す言葉に、笑いが吹きこぼれることも、多々あります。
岡山県で暮らした時には、ほほえましい方言と出会いました。
*「じゃろ、じゃろ」です。みんなの会話のなかで、いくつもの「じゃろ、じゃろ」が、飛び出します。すべての会話の語尾に「じゃろ、じゃろ」が、付くのです。年齢には、関係ありません。老いも若きも「じゃろ、じゃろ」です。「じゃろ、じゃろ」の単語の中に、敬語の意味も含まれているので、年下の人が、先輩に「じゃろ、じゃろ」を付けて、普通に話します。
方言を研究したら、非常に面白いと思っています。
後期高齢者となった私の自分史は、とても長いものです。興味関心好奇心の旺盛だった私は、たくさんのことに興味関心好奇心を持ちました。過ぎ去った遠い思い出の中から、一つ一つ書き出してみたいと思います。
五十代の頃だったと思います。シナリオライターになりたいと、思いました。シナリオについて、勉強しなければなりません。書店で、シナリオについての本を、何冊も買いました。当時は、大阪へ仕事に行っていたので、通勤の時間を利用して、本を一生懸命読みました。そして、思い立ちました。「そうだ、シナリオ学校へ行こう!」と。京都には、映画撮影所があります。東映に、シナリオ学校があるのを見つけました。燃える思いを胸に、シナリオ学校に入学しました。太秦にある東映映画撮影所へ、通うことになりました。若い人たちと一緒に、勉強が始まりました。大切にしまってきた、テキストは、膨大です。若き日の宝物です。涙ぐましい努力のあとが、見られます。人気のあったテレビドラマの、シナリオも、たくさんあります。自分史の一こまですが、私にとっては、すべてが宝物です。
私が子供だった頃には、家に柱時計がいくつもありました。時報を教えてくれる唯一のものでした。子供たちにとっては、十時のおやつ、三時のおやつなど、生活のリズムを教えてくれるものでした。柱時計が打つ時報は、子供たちに数を数えさせてくれました。
私の相方さんは、私の実家に泊まるようになってから、寝る時には、振り子を止めていました。私は全く気にしていなかったので、振り子の音が気になる人がいることにおどろきました。
結婚して以来、振り子時計、柱時計は、我が家にはありません。いろんな思い出が
頭をよぎります。と同時に、懐かしさがこみあげてきます。存在感の大きかった柱時計、家庭の中心的威厳を持っていた柱時計、私は大好きでした。
生まれて初めて、ある知人から言われた言葉です。
「まるこさんは、ハ行の人だね」
どういう意味なのか、私はまったくわかりませんでした。
会話を進める中で、だんだん意味がわかってきました。
人との会話の中で、私が発するあいづちが、ハ行のハヒフへホが多いということらしいです。
それからは、いつも気を付けて、カウントすることにしました。
「ハ~」
「ハ~ん」
「ヒヒヒ」
「フ~ん」
「フンフン」
「へ~」
「ホ~」
「ホウホウ」
こんなところです。
まだもっともっと出てきそうです。
自分では、気づいていなかったことを、教えてもらってうれしかったです。
我ながら、とても面白いことだと、にやにやしています。
後期高齢者になって、驚くことが増えています。先日、自分が書いた字が読めなくなりました。解読不能です。どういう状況だったのか、思い出してみました。とにかく眠くて眠くて、居眠りをしながら、メモをとったようです。ミミズがたくさん並んでいます。自分が書いた字とは、思えません。笑い転げてしまいました。
学生時代を思い出しました。講義を受けながら、いつも熱心にノートに書いていた私です。授業が終わって、ノートを見ると、たくさんのミミズが並んでいます。何を書いたのか、まったくわかりません。学生時代のこんな経験は、一度や二度ではありませんでした。遠い昔の思い出ですが、今もなお、同じことをしているとは、我ながらあきれかえっています。
昨日久しぶりに模様替えをしました。
私の好きなことの一つに、模様替えがあります。今までに、何度模様替えをしたことでしょう。自分一人でできる模様替えを、知恵を絞り考えます。子どもたちが幼稚園に行くころには、強力な助っ人になって、手伝ってくれました。
模様替えの魅力は、気分が変わることです。新鮮な気持ちになります。マンネリ化した日常が、驚くほどに変わります。新しい発見があります。また新しい発想が生まれます。子どもたちも、喜びます。夫も嬉しそうです。
今回の模様替えは、大仕事でした。家を建ててから、早26年が過ぎています。大きいものは、素人には手がだせません。しかし賢い方法がありました。小さな絨毯、あるいはマットに乗せて、押したり、引っ張ったりするのです。すごく重いものまで、移動させることができました。
後期高齢者となった今、この先、もう模様替えはできなくなるかもしれません。しかし、これまでに何度も、模様替えの楽しさを経験させてもらって、とても楽しかったです。
梅雨明けから一週間が経ち、やっとセミの合唱が聞こえてきました。今までなら、梅雨明けとなれば、一斉にセミの大合唱が始まりました。ところが、今年は梅雨明けが非常に早くて、セミたちの声はなかなか聞こえてきませんでした。梅雨明けのあまりの早さに、セミたちの準備が間に合わなかったようです。今か今かと、セミたちの声を待ち望んでいた私は、今日やっとセミたちの合唱を聞くことができました。いつもの年は、大合唱なのですが、今年は、まだやっと合唱が始まったところです。梅雨明けと言えば、セミたちの大合唱、夏と言えば、セミたちの大合唱です。夏の暑さを、吹き飛ばしてくれるような、セミたちの大合唱です。しばしの間、セミたちの大合唱を楽しませてもらいます。
私は、「バタンキュー」が大好きです。「バタンキュー」は理想です。みなさんは、「バタンキュー」という言葉を使いますか?
悩み事・心配事・考え事がある時は、「バタンキュー」ができません。私は、お気楽者かのように、「バタンキュー」と寝るのが喜びです。
高齢者は、少しの昼寝をした方がよいと言われていますが、私は、夜「バタンキュー」と眠りたいと思っています。そのために、日中の活動(家事・買い物・散歩・趣味など)を増やし、「バタンキュー」の準備をするようにしています。
暑い暑い夏がやってきました。一年一年、暑さはうなぎのぼりです。地球は、悲鳴をあげています。先日京都へ行ってきたのですが、京都にいる間三日間は、37度、38度の高温でした。高い気温の下を歩く時、息苦しくなります。熱中症予防に、水、水を飲まなきゃと言い聞かせています。
私の好きなもの、「あっぱっぱ」は、子どもの時からよく耳にしたことばです。母も祖母も、叔母たちも、夏には愛用していました。女性のホームウエアです。気軽に気楽に着れるものです。お出かけ用の、気が張るものではありません。外出したあと、家へ帰れば、すぐに「あっぱっぱ」に着替えます。気持ちがスッとします。外での暑さを、忘れさせてくれます。「あっぱっぱ」は、何語なのでしょうか。方言でしょうか。いつの時代から、一般の女性たちに、普及したのでしょうか。いろいろ調べたいと思っています。作家の曽野綾子さんが書かれた本に、「あっぱっぱ」が出てきて、気持ちがほっこりしたのを覚えています。私が、二十代の頃でした。
昨日から京都に滞在しています。7月に入ってからの京都の町は祇園祭一色になります。商店街を歩いてもデパートに入っても祇園ばやしが聞こえてきます。ニュースも連日祇園祭の話題が流されます。昨日も長刀鉾のお稚児さんの舞が披露されていましたがこの暑さの中、衣装を着けての練習は大変だと思います。17日の巡行も暑さと雨の心配があります。我々は日陰を探しての見物となるでしょう。下は昨年の17日の山鉾巡行です。
今日は令和7年7月7日、七夕さまです。ニュースでは幼稚園児たちの七夕さまの様子が伝えられています。それぞれの子供たちが短冊に願い事を書いています。ほほえましい光景です。我が家でも子供たちが小さいときは笹に家族全員が願い事を書いて七夕飾りをつくりました。懐かしい思い出です。ウン十年が過ぎた今、願い事を書くとすると「きんさん、ぎんさんのようになりたい」と思います。お二人が口癖のように言っておられた言葉が心に残っています。
・くよくよしない
・良いこと悪いことを忘れることが長寿の秘訣
・悲しいことは考えない
七夕さまの今日の日に心にしっかり刻んでいこうと思います。
日中は危険な暑さなので、冷房をつけて、静かに過ごしています。そんな中、私の楽しみは、冷蔵庫で冷やしている「アレ!」です。「アレ」は、「くずまんじゅう」です。
私が中学生の時、「くずまんじゅう」を初めて一人で作ったことがありました。材料を買いに行き、作り方のメモを見ながら作った場面がよみがえります。家族が食べて、「とてもおいしい。」とほめてくれたので、また作ろうと思ったあの頃。小さい時から甘党の私にとって、なつかしい思い出です。
それから○○年。今も変わらぬ「大大大の甘党」です。この夏も、「くずまんじゅう」を楽しみに、暑さを乗り切りたいと思います。
きのう、東海地方が梅雨明けとなりました。平年より2週間ほど早いとのことです。梅雨の最後は大荒れの天気となることが多いですが、すんなりと梅雨が明けた印象です。
天気に気持ちが左右される私なので、梅雨明けを楽しみにしていました。いよいよ夏到来です!「青い空・白い雲・心も晴れ晴れ」、元気をもらう感じです。
これからの楽しみは、セミたちの声です。季節の移り変わりを強く感じる自然の音が好きです。
先日、高校時代の仲良し四人が、一年ぶりに集まりました。地元の結婚式場が、会場です。人気を呼んでいる「アフタヌーンティー」を、頂きました。私は、初めての「アフタヌーンティー」です。お菓子大好き、フルーツ大好き、デザート大好きな私は、当日を迎えるまで、とても楽しくルンルン気分でした。そして当日、目の前にたくさんのお菓子や、フルーツ、デザートが、並べられた時には、至福のひとときでした。とてもおいしくて、大好物のものばかりです。おしゃべりに花が咲き、二時間かけてゆっくり頂き、余裕を感じられる二時間が、刻々と過ぎてゆきます。
往年の乙女たちも、後期高齢者となり、おしゃべりの内容も変化しています。孫たちの話しもたくさん出ます。現在のライフスタイルも、見えてきます。体についての報告も、たくさんあります。目については、白内障、緑内障など、高齢者特有のものがあります。膝や腰など、足腰の不調も、皆が抱えています。後期高齢者となった私達の最大の関心事は、終活です。大きな問題です。何とか、少しずつでも、自分の手で、自分の人生の片づけをしなければなりません。そう思いながらも、気持ちだけが先行し、はかどっていないのが現実です。半年後、次回集まる時には、もう少し進んだ報告ができるように、したいものだと思っています。
御無沙汰しています。月日が過ぎる早さに、圧倒させられています。筆の進みが遅くなり、あれやこれやと雑事に追われ、一日一日があっという間に過ぎてゆきます。
先日、懐かしい友人たちとの食事会に出かけました。高校時代の仲良し四人組みです。一年ぶりの再会です。友人が、地元の結婚式場の「アフタヌーンティー」を予約してくれました。歳を忘れ、みんな乙女たちに戻ります。
この「アフターヌーンティー」は、2時間制限です。おしゃべりと食事には、ちょうどいい時間です。テーブルの上には、たくさんのケーキやデザート、フルーツが並びました。若い人たちに負けじと、往年の乙女たちは、たくさん頂きました。
久しぶりの集まりで、おいしいものをたくさん頂き、おしゃべりに花がさき、楽しいひとときがあっという間に過ぎていきました。次回は、1年と言わず半年後に集まる約束をしました。半年後が楽しみです!
大阪万博も始まり、日本中が活気づいてきたように思います。2025年の桜も散り始めてきました。大好きな桜ですが、中でも枝垂れ桜は大好きです。京都にいる時は、朝鴨川散歩に出かけます。鴨川右岸の二条通りから丸太町通りにかけて、たくさん桜があります。枝垂れ桜は、六本あります。垂れ下った枝は、地面に着きそうです。ソメイヨシノより、色は濃くてかわいい枝垂れ桜です。まだ蕾も少しありましたが、今度京都へ戻った時には、散っているかもしれません。京都には、有名な桜の名所がたくさんありますが、散歩道の枝垂れ桜が大好きです。
家の前の川に、毎年、秋になると、たくさんのカモメたちが飛来してきていました。3月おわりに近づく頃、徐々にカモメたちの姿が少なくなっていきました。いくつものグループに分かれて、旅立ちが始まったようです。
今朝8時頃、美しく晴れ渡った青空に、2つのグループを見つけました。空高く高く、舞い上がっていきました。いよいよ最終グループの旅立ちの時かと思い、私は、空を見上げました。上空何メートルでしょうか。突然、1つ目のグループのカモメたちの姿が見えなくなりました。続いて、2つ目のグループも見えなくなりました。 いよいよ、カモメたちの旅立ちです。北の地への旅立ちです。秋から、にぎやかだったカモメたちの姿がなくなり、さみしさがつのりました。カモメたちの旅が、無事であることを祈っています。半年後の再会を楽しみにしています。
母が作ってくれた木目込み人形は、たくさんあります。始めにつくったのは、三人の娘たちへのものでした。薄紫の道行きコートを着た、三人の娘たちです。母が木目込み人形を作り、父がケースを作りました。二人で三人の娘の下へ、届けてくれました。
次に作ってくれた木目込み人形は、孫たちへのものです。兄のところに三人、上の姉のところに二人、下の姉のところに一人、そして私のところが二人、計八人の孫です。男の子が二人、女の子が六人です。八人の童です。元気な童たちは、ひざ下までの着物を着ています。手には、お花や風車などを、持っています。母は、八人の孫たちの個性を、うまく表現しています。今では、孫たちも子育てに忙しい親となり、かわいかった童も世代交代となっています。母は、木目込み人形の集大成として、高砂を作りました。翁(おきな)と媼(おうな)です。高砂人形は、長寿と夫婦円満の縁起物です。母亡きあと、父は十年一人で頑張りました。父からもらい受けた高砂は、今は私の手元にあります。たくさんの木目込み人形は、いつも母を思い出させてくれます。
母が旅立って三十年、後期高齢者となった私は、母の没年齢を超えました。母の生きる姿を、お手本としてきた私は、荒野に一人放り出された子羊のように、心もとなく日々を過ごしています。終活をはじめて一年半が過ぎ、まだまだと言いながらも、だいぶ進んでいます。先日いろんな片付けの中、母の遺したものを見つけました。母の遺したものは、たくさんありますが、今回見つけたのは、生け花のスケッチ、デッサンです。生け花の師匠として、たくさんのお弟子さんに教えていた母は、いろんな生け花のスケッチ、デッサンを書いていたのです。お弟子さんたちが、よくわかるように、細かく説明されています。母が遺してくれた、かけがえのない宝物です。
我が家の小さな庭が、春の訪れで賑やかになっています。黄色い水仙、パンジー、チューリップ、タンポポです。水仙とタンポポは、毎年春の訪れとともに顔を出します。パンジーとチューリップは、野良部部長(娘)が、手塩にかけた賜物です。黄色、赤、紫、白、色とりどりに咲いています。春を表現しているようです。散歩に出ると、こぶしが満開です。黄色のレンギョウも目立ちます。コデマリやユキヤナギの小さな白い花は、控えめながらも、存在感を示しています。あちこちで、桜の開花宣言が発表されて、日本中がうきうきしています。身近にある桜の開花は楽しみで、一輪二輪と数える日が続いています。
春の訪れは、食卓に幸を運んでくれます。先日知人から届いたお弁当に感動しました。春の味覚が溢れています。お品書きを書きあげてみます。
口取り
だし巻き 九条葱さつま揚げ 酢蓮根 桜長芋 花麩
小鉢
菜の花わさび和え
金目鯛の柚庵焼き
蕗 高野豆腐 ひろうす 南瓜 人参
筍の磯辺揚げ 青唐
御飯
筍ご飯
京都にいる時は、毎朝鴨川散歩に出かけます。だいたい8時頃です。春の訪れとなった昨日は、鶯の声が聞こえてきました。はっきりとした大きな声で鳴きます。今年初めて聞く鴬の声です。私はうれしくて、歩く足取りが軽くなりました。今日は、鴨川散歩で鴬の鳴き声を、三か所で聞きました。昨日と同じく、大きな元気な声です。今しばらく鴨川散歩を楽しみます。
寒い寒いと口癖になっていたのが、一気に春の陽気になりました。散歩に出ると、つくしの群生に出会いました。一日中日当たりの良いたんぼの畔に、つくしが群生です。我が家の小さな庭には、まだ一本も顔を見せていません。春の陽気に誘われて、散歩しながら春を見つけようと思います。
過ぎゆく日々は、すべて夢の中。過ぎゆく日々は、夢か現つか幻か。長きにわたる過ぎゆく日々は、本当に夢のようです。あんなことこんなこと、本当にいろいろありました。嬉しかったこと、悲しかったこと、面白かったこと、思い出はいろいろあります、いろいろある中でも、出会いと別れはつらいものでした。愛する人との別れは最大です。どんなにつらくても、人は生きていかねばなりません。深い悲しみを胸の内に秘め、笑顔で生きていかねばなりません。役者のように、何でもないといった表現者になるのです。そして「生きるとは」を追求し、哲学者になるのです。
私の書斎には、たくさんの本が並んでいます。一見では、すごい読書家と思われそうです。一番多いのは語学の本です。その他は、料理、医療、随筆、観光、情報、そして小説が少しあります。専門の音楽の関する本もあります。楽譜は、ピアノとあるので、書斎にはありません。父は、すごい読書家でした。父の書斎にある本は、多岐にわたります。辞書もたくさんあります。広辞苑から、ことわざ、格言、何でもあります。お城も大好きです。地理、歴史、何でもござれです。父が好きだった作家は、藤沢周平、池波正太郎、司馬遼太郎、齊藤茂太、など、時代小説、随筆、評論もよく読んでいました。書斎といえ私の書斎は、どこでもの移動書斎です。あるときはキッチン、あるときはリビング、あるときは誰かさんの机拝借、というふうに、いつでもどこでも気軽に移動書斎を使っています。そして自分の好きなこと(書くこと)に、没頭しています。
終活をしていると、過ぎ去った日々が思い出されます。興味関心好奇心の旺盛な私は、たくさんのことに手を出しました。スポーツでは、テニス、スイミング、チャリダー、スキーも少しかじりました。習い事では、洋裁、編み物、手品、華道、ビスクドール、などです。中でも華道は、母が先生をしていたので、私は家元の学院まで行きました。宗匠とお近くでお言葉を交わせて頂いたことは、夢の夢でした。勉強に関しては、ホームヘルパー、シナリオ学校、音楽療法、大学通信学部、傾聴ボランティア、語学では、英語、フランス語、イタリア語かじり、などなど、我ながらおかしくて噴き出してしまいます。子どもたちが小さい時には、キャンプ道具を買いそろえ、楽しい思い出作りに精を出しました。愛犬レオとナルドも。お伴をしてくれました。
現代では珍しくなった蔵というものが、実家にありました。長い歴史のなかで、人の生業に関わるすべてのものが、収納されていました。子どもの誕生を祝う品々、男の子だったら端午の節句、女の子だったら桃の節句、オーバーに聞こえるかもしれませんが、本当に何から何まで、大切にしまわれてきたのです。私が子どものころは、教科書も大切に保存されていました。江戸時代から代々引き継がれてきた食器や、お膳、お正月用品、季節の物々、座布団の数も半端ではありません。たんすに長持、冠婚葬祭、祝言も葬儀も家で行われました。そんな古い家で育った私は、何もかもが大切で、捨てるということができなくなっていたのかもしれません。置いておける場所があるのなら、今しばらく置いておこうという気持ちになっていました。そしてそうこうしているうちに、後期高齢者となり、断捨離に追われる日々となりました。
懐かしい思い出の品が出てきました。茶道具です。母が長年愛用してきた茶道具を、私が譲り受けたものです。私も結婚するまで茶道を習っていたので、小さな茶道具は持っています。母が愛用していた茶道具の、ミニチュア版です。茶碗、茶筅、茶杓、なつめ、建水、ふくさなど、当時のまま入っています。忙しくばたばた過ごしてきた過ぎゆく日々の中で、一服のお手前を思い出しました。優雅なひとときでした。
先日は面白い発見がありました。転勤族の私は、故郷三重を離れ、奈良、奈良で二か所、東京、名古屋近郊、故郷三重、京都、大阪、岡山倉敷などを移動しました。あちこちで生活するのは面白いことです。その土地々の個性があります。言葉にも違いがあります。方言は独特です。どういうわけか、新しいレジ袋がたくさん詰められた箱が出てきました。中には、その土地々で馴染みとなったスーパーのレジ袋です。スーパーの名前が思い出されます。そして当時の映像が走馬灯のように流れます。幼い子どもたちの姿、若いパパとママの私たち。すべてが私たち家族の歴史です。瞼が熱くなります。その土地々で出会った人たち。すべてに感謝です。
何年か前から、終活がブームとなりました。自治体でも、エンディングノートを希望する市民に配布しています。書き記すことは、たくさんあります。無駄な延命治療の拒否、お墓のこと、自分の残した物々の処置、考えれば考えるほど、無限のように思われます。後期高齢者の私の人生、長い長い道のりです。たまりにたまった物たち、たくさんの服、もちろん役にたたない服はさよならしてきました。たくさんの和服、これらは、母の愛情だと思ってずっと持ち続けてきました。思い出の数々、二人の子どもの成長の記録は、たくさんのアルバムとなりました。終活するということは、すべてが思い出となり、私の歴史です。そして原点に戻っていくのです。
過ぎゆく日々に圧倒されています。書くことが大好きで、趣味の一つとしてブログを書き続けてきた私ですが、最近筆が止まっています。書きたいことはたくさんあるのですが、なかなか筆が進みません。欲ばらないで、短いブログでも書こうと思います。ずいぶん御無沙汰してしまって、読者のみなさんは、がっかりされていると思います。ブログを休んでいる中で、私の一番の関心ごとは、終活でした。後期高齢者となった私の最後の大きな仕事は、終活です。自分の人生の幕引きはどのようにするべきか、大きな問題です。このテーマについて、いろいろ書いていこうと思います。