2025年3月31日月曜日

過ぎゆく日々(10) 母の遺したもの(木目込み人形)

  母が作ってくれた木目込み人形は、たくさんあります。始めにつくったのは、三人の娘たちへのものでした。薄紫の道行きコートを着た、三人の娘たちです。母が木目込み人形を作り、父がケースを作りました。二人で三人の娘の下へ、届けてくれました。

   次に作ってくれた木目込み人形は、孫たちへのものです。兄のところに三人、上の姉のところに二人、下の姉のところに一人、そして私のところが二人、計八人の孫です。男の子が二人、女の子が六人です。八人の童です。元気な童たちは、ひざ下までの着物を着ています。手には、お花や風車などを、持っています。母は、八人の孫たちの個性を、うまく表現しています。今では、孫たちも子育てに忙しい親となり、かわいかった童も世代交代となっています。母は、木目込み人形の集大成として、高砂を作りました。翁(おきな)と媼(おうな)です。高砂人形は、長寿と夫婦円満の縁起物です。母亡きあと、父は十年一人で頑張りました。父からもらい受けた高砂は、今は私の手元にあります。たくさんの木目込み人形は、いつも母を思い出させてくれます。

 

2025年3月30日日曜日

過ぎゆく日々(9)母の遺したもの

   母が旅立って三十年、後期高齢者となった私は、母の没年齢を超えました。母の生きる姿を、お手本としてきた私は、荒野に一人放り出された子羊のように、心もとなく日々を過ごしています。終活をはじめて一年半が過ぎ、まだまだと言いながらも、だいぶ進んでいます。先日いろんな片付けの中、母の遺したものを見つけました。母の遺したものは、たくさんありますが、今回見つけたのは、生け花のスケッチ、デッサンです。生け花の師匠として、たくさんのお弟子さんに教えていた母は、いろんな生け花のスケッチ、デッサンを書いていたのです。お弟子さんたちが、よくわかるように、細かく説明されています。母が遺してくれた、かけがえのない宝物です。

2025年3月29日土曜日

春の訪れ(4)春の花々

  我が家の小さな庭が、春の訪れで賑やかになっています。黄色い水仙、パンジー、チューリップ、タンポポです。水仙とタンポポは、毎年春の訪れとともに顔を出します。パンジーとチューリップは、野良部部長(娘)が、手塩にかけた賜物です。黄色、赤、紫、白、色とりどりに咲いています。春を表現しているようです。散歩に出ると、こぶしが満開です。黄色のレンギョウも目立ちます。コデマリやユキヤナギの小さな白い花は、控えめながらも、存在感を示しています。あちこちで、桜の開花宣言が発表されて、日本中がうきうきしています。身近にある桜の開花は楽しみで、一輪二輪と数える日が続いています。

                



 

2025年3月28日金曜日

春の訪れ(3)春の食卓

  春の訪れは、食卓に幸を運んでくれます。先日知人から届いたお弁当に感動しました。春の味覚が溢れています。お品書きを書きあげてみます。

     

口取り

 だし巻き 九条葱さつま揚げ     酢蓮根 桜長芋 花麩 

小鉢

 菜の花わさび和え

 焼物

 金目鯛の柚庵焼き

 煮物

 蕗 高野豆腐 ひろうす 南瓜 人参

 揚げ物

 筍の磯辺揚げ 青唐

御飯

 筍ご飯

  上品な味付けで、春を感じさせてくれるお弁当でした。ふるさとを思い起こす食材です。ふるさとの春は、味覚が溢れています。菜の花、蕗、筍、柚、など、ふるさとの春の色と香りが届きました。ごちそうさまでした。

 

2025年3月27日木曜日

春の訪れおとずれ(2)鴨川散歩

  京都にいる時は、毎朝鴨川散歩に出かけます。だいたい8時頃です。春の訪れとなった昨日は、鶯の声が聞こえてきました。はっきりとした大きな声で鳴きます。今年初めて聞く鴬の声です。私はうれしくて、歩く足取りが軽くなりました。今日は、鴨川散歩で鴬の鳴き声を、三か所で聞きました。昨日と同じく、大きな元気な声です。今しばらく鴨川散歩を楽しみます。

2025年3月26日水曜日

春の訪れ(1) つくし

  寒い寒いと口癖になっていたのが、一気に春の陽気になりました。散歩に出ると、つくしの群生に出会いました。一日中日当たりの良いたんぼの畔に、つくしが群生です。我が家の小さな庭には、まだ一本も顔を見せていません。春の陽気に誘われて、散歩しながら春を見つけようと思います。



2025年3月25日火曜日

過ぎゆく日々(8)生きるとは

  過ぎゆく日々は、すべて夢の中。過ぎゆく日々は、夢か現つか幻か。長きにわたる過ぎゆく日々は、本当に夢のようです。あんなことこんなこと、本当にいろいろありました。嬉しかったこと、悲しかったこと、面白かったこと、思い出はいろいろあります、いろいろある中でも、出会いと別れはつらいものでした。愛する人との別れは最大です。どんなにつらくても、人は生きていかねばなりません。深い悲しみを胸の内に秘め、笑顔で生きていかねばなりません。役者のように、何でもないといった表現者になるのです。そして「生きるとは」を追求し、哲学者になるのです。

 

2025年3月24日月曜日

過ぎゆく日々(7)書斎

  私の書斎には、たくさんの本が並んでいます。一見では、すごい読書家と思われそうです。一番多いのは語学の本です。その他は、料理、医療、随筆、観光、情報、そして小説が少しあります。専門の音楽の関する本もあります。楽譜は、ピアノとあるので、書斎にはありません。父は、すごい読書家でした。父の書斎にある本は、多岐にわたります。辞書もたくさんあります。広辞苑から、ことわざ、格言、何でもあります。お城も大好きです。地理、歴史、何でもござれです。父が好きだった作家は、藤沢周平、池波正太郎、司馬遼太郎、齊藤茂太、など、時代小説、随筆、評論もよく読んでいました。書斎といえ私の書斎は、どこでもの移動書斎です。あるときはキッチン、あるときはリビング、あるときは誰かさんの机拝借、というふうに、いつでもどこでも気軽に移動書斎を使っています。そして自分の好きなこと(書くこと)に、没頭しています。

2025年3月23日日曜日

過ぎゆく日々(6)習い事

  終活をしていると、過ぎ去った日々が思い出されます。興味関心好奇心の旺盛な私は、たくさんのことに手を出しました。スポーツでは、テニス、スイミング、チャリダー、スキーも少しかじりました。習い事では、洋裁、編み物、手品、華道、ビスクドール、などです。中でも華道は、母が先生をしていたので、私は家元の学院まで行きました。宗匠とお近くでお言葉を交わせて頂いたことは、夢の夢でした。勉強に関しては、ホームヘルパー、シナリオ学校、音楽療法、大学通信学部、傾聴ボランティア、語学では、英語、フランス語、イタリア語かじり、などなど、我ながらおかしくて噴き出してしまいます。子どもたちが小さい時には、キャンプ道具を買いそろえ、楽しい思い出作りに精を出しました。愛犬レオとナルドも。お伴をしてくれました。

 

2025年3月22日土曜日

過ぎゆく日々(5)蔵

 

 現代では珍しくなった蔵というものが、実家にありました。長い歴史のなかで、人の生業に関わるすべてのものが、収納されていました。子どもの誕生を祝う品々、男の子だったら端午の節句、女の子だったら桃の節句、オーバーに聞こえるかもしれませんが、本当に何から何まで、大切にしまわれてきたのです。私が子どものころは、教科書も大切に保存されていました。江戸時代から代々引き継がれてきた食器や、お膳、お正月用品、季節の物々、座布団の数も半端ではありません。たんすに長持、冠婚葬祭、祝言も葬儀も家で行われました。そんな古い家で育った私は、何もかもが大切で、捨てるということができなくなっていたのかもしれません。置いておける場所があるのなら、今しばらく置いておこうという気持ちになっていました。そしてそうこうしているうちに、後期高齢者となり、断捨離に追われる日々となりました。

2025年3月21日金曜日

過ぎゆく日々(4)茶道具

  懐かしい思い出の品が出てきました。茶道具です。母が長年愛用してきた茶道具を、私が譲り受けたものです。私も結婚するまで茶道を習っていたので、小さな茶道具は持っています。母が愛用していた茶道具の、ミニチュア版です。茶碗、茶筅、茶杓、なつめ、建水、ふくさなど、当時のまま入っています。忙しくばたばた過ごしてきた過ぎゆく日々の中で、一服のお手前を思い出しました。優雅なひとときでした。

私の茶箱

母の形見の茶箱







2025年3月20日木曜日

過ぎゆく日々(3)

 先日は面白い発見がありました。転勤族の私は、故郷三重を離れ、奈良、奈良で二か所、東京、名古屋近郊、故郷三重、京都、大阪、岡山倉敷などを移動しました。あちこちで生活するのは面白いことです。その土地々の個性があります。言葉にも違いがあります。方言は独特です。どういうわけか、新しいレジ袋がたくさん詰められた箱が出てきました。中には、その土地々で馴染みとなったスーパーのレジ袋です。スーパーの名前が思い出されます。そして当時の映像が走馬灯のように流れます。幼い子どもたちの姿、若いパパとママの私たち。すべてが私たち家族の歴史です。瞼が熱くなります。その土地々で出会った人たち。すべてに感謝です。

 

2025年3月19日水曜日

過ぎゆく日々(2)

 何年か前から、終活がブームとなりました。自治体でも、エンディングノートを希望する市民に配布しています。書き記すことは、たくさんあります。無駄な延命治療の拒否、お墓のこと、自分の残した物々の処置、考えれば考えるほど、無限のように思われます。後期高齢者の私の人生、長い長い道のりです。たまりにたまった物たち、たくさんの服、もちろん役にたたない服はさよならしてきました。たくさんの和服、これらは、母の愛情だと思ってずっと持ち続けてきました。思い出の数々、二人の子どもの成長の記録は、たくさんのアルバムとなりました。終活するということは、すべてが思い出となり、私の歴史です。そして原点に戻っていくのです。

2025年3月18日火曜日

過ぎゆく日々(1)

   過ぎゆく日々に圧倒されています。書くことが大好きで、趣味の一つとしてブログを書き続けてきた私ですが、最近筆が止まっています。書きたいことはたくさんあるのですが、なかなか筆が進みません。欲ばらないで、短いブログでも書こうと思います。ずいぶん御無沙汰してしまって、読者のみなさんは、がっかりされていると思います。ブログを休んでいる中で、私の一番の関心ごとは、終活でした。後期高齢者となった私の最後の大きな仕事は、終活です。自分の人生の幕引きはどのようにするべきか、大きな問題です。このテーマについて、いろいろ書いていこうと思います。