2022年8月26日金曜日

知るを楽しむ(ふるさとの旧跡水屋神社)

  先日報告しました巨樹大楠がある水屋神社についてのいわれや歴史について調べてみました。国道166号線の松阪市飯高町赤桶にあります。住所の名にある通り国道沿いに大きな赤い水桶があります。以前からあの桶はなんだろうかと思っていました。その道路の反対側に鳥居があり水屋神社の境内となっています。

高さ3mくらいあります



伝説では、昔お伊勢さま(天照大神)が、白馬に乗って珍布峠(めずらしとうげ)にさしかかられ水屋の森から鹿にまたがった春日さま(春日大明神)が出迎えました。
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人の神は、伊勢と大和の国境を決めるため笹舟を浮かばせ、巨石を投げ笹舟の留まる処を国境としました。波で笹舟は川上へと流れて、舟戸で止まりました。波は高見山を越え杉谷村で消えました。これ以降、高見山が両国の境となったといわれています。

 創建は648年(大化四年)に、奈良の三笠山から素盞鳴尊と龍神姫尊及び櫛稲田姫尊を勧請しました。710年(和銅三年)興福寺東門院領「閼伽桶(あかおけ)の庄」となり1600年(慶長五年)関ヶ原合戦以降は伊勢領となりました。ちなみに、閼伽(あか)とは神仏に捧げる水をいいます

水屋神社に残る、1373年(南北朝時代文中二年)の棟札(むなふだ)には大和州閼伽桶庄宮と記されており、三殿並立の朱塗の春日造も明治二十五年現在の神名造に改められました。

また清和天皇859年(貞観元年)119日より、春日大社にお水送り(水を奉納)をはじめましたが、1577年(大正5年)の兵乱で途絶えてしまいました。戸

そして平成14年い、425年ぶりに復活し、お水祭りでは閼伽桶(あかおけ)の井戸でくんだ水を、奈良県の春日大社へ神水として奉納されているようです。

 この周辺では戦国時代の初期に、織田信長の伊勢攻めで北畠軍との戦闘の跡がたくさん残っています。

境内にはこの神社の歴史をあらわすように多くの巨樹が所狭しと伸びています。また裏側は櫛田川の清流が流れています。


(ポアロ記)



 

 

 

 

 

 

 

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