南三陸町のホテルで、満月、日の出に感動し、震度4の地震を体験した私達は、朝から南三陸町の被災地を回りました。テレビで何度も見た防災センターは、大震災の遺構として残されています。多くの役場の方が犠牲になられました。最後の最後まで、住民に避難を呼びかけ続けた女性職員のことは決して忘れることはありません。
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昨夜泊まったホテル、地震を思い出すと怖かったです |
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道路の付け替え、河川改修、土地のかさ上げが同時進行 |
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防災センターの跡 |
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かさ上げされた新しい町 |
津波に襲われた被災地では、盛り土を運ぶたくさんのダンプカーが忙しく走っています。7年7ヶ月が過ぎても、住民がこの地へ戻れそうにはありません。まだまだの状態です。町を見渡せる高台に展望台があったので行ってみました。静かな穏やかなこの町を全滅させた大震災は、自然災害だからとは思えません。犠牲になられた方たちや、被災された方たちの心を想うと胸が痛みます。走り回るダンプカーが目立つ中で、一人の高齢の男性が歩き回っておられるのが目に入りました。スーパーのレジ袋と棒のようなものを持って、心もとない歩き方です。震災に遭ったこの町で、何かを探すような行動です。家族も家も何もかも失い、それでも自分はまだ生きていかねばなりません。かつての生きた証を探しておられるように思い、胸が締め付けられました。震災前の町の中心地から少し離れた高台に、さんさん商店街が造られていました。広い駐車場には、観光バスが停まっています。被災地を応援するために、被災地へ足を運び観光目的であっても、買ったり食べたりすることが応援になります。たくさんの人が被災地を訪れてくれることを願いました。
南三陸町から、気仙沼へ向かいました。リアス式海岸に沿って進みます。大なり小なりの、いくつもある集落はどこもかしこも被災して、防潮堤の工事、国道の付け替え、鉄道の敷設が行われています。復興への道のりは、非常に険しいということを感じます。
お昼前に気仙沼市に入りました。大震災の時には火事が発生し、どんどん燃え広がっていく光景をテレビで見ながら、はらはらどきどきしてどうなるのかと心配しました。全国展開している大型ショッピングセンターへ昼食を買いに寄ったのですが、一階フロア―の天井近くまで水がきたとの記録が表示されていました。たくさんの人が水の恐怖にさらされ、逃げ惑う状況だったことと思います。
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3mくらいのところに浸水の表示があります |
気仙沼を訪れたのは初めてですが、以前三重県の志摩地域で出会った音楽教室の子供たちからよく聞いた地名です。遠洋漁業に出ているお父さんたちが気仙沼に寄港するので、子供たちはお母さんとはるばる三重から気仙沼へ出かけていました。子供たちから聞いていただけの気仙沼ですが、訪れてみるとどこか懐かしい気がしました。気仙沼の漁港で、海を見ながら、何人かの釣り人を見ながらお弁当を食べました。
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