東北へ出発の日、午前10時頃に自宅を出て、タクシーで京都駅に向かいました。自宅前でタクシーを拾うためポアロが先に家を出ました。娘夫婦がすぐに出て行くと思い、最後に私はキャリーバッグを持ち上げてさあ出発と意気込みました。ところが娘夫婦がフランス語で重要な話を始めたようなのです。フランス語がまったくわからない私は、何を話しているのかわかりません。婿殿がリュックを降ろして何かを探し始めました。しばらくして「あった、あった」と言い、娘が「私が持っていることにするから」と、一件落着したようです。
その光景で、私の頭から大事なことが抜け落ちました。皆が表に出ると、ポアロの姿がありません。少しして慌てて戻ってきました。いよいよ出発です。タクシーは走り出しました。「どうしたの?」と聞くと、「忘れ物で家へ戻っていたよ」とのことです。私はパニックになりました。留守する時には、私が安心安全の点呼をして最後に鍵をかけるという習慣です。「お父さん大丈夫かしら、どこか電気をつけっぱなしにしていないかな。鍵ちゃんと閉めたかな」と、心配になりました。京都駅までの半分ほど走ったところで「お土産はどこ?」と、娘が言い、私は「あっ忘れた!」と、大声を出しました。ポアロを責めるような物言いをしていた私が、今度はポアロから責められています。昨日老舗本店へわざわざ買いに行った銘菓です。私は何も言えなくなりました。婿殿は、あきれ顔です。「京都駅で買うから」と、私はショックで声も出ず小さな声でつぶやきました。
タクシーを降りてから「運転手さん、笑いを必死にこらえていたね」と娘が言い、本当に面白かっただろうと私は大笑いしました。今でもこの時の状況を思い出すと、吹き出してしまいます。老人力でしょうか。最近物忘れが多くなりました。人のことを言えなくなりました。何か他のことに気をとられると、一つ抜け出てしまいます。先が思いやられます。
娘たちは、JRパスで乗るので、のぞみには乗れずひかりです。私達は東京で乗り換えますが、仙台までのぞみとやまびこです。この日は、娘たちは名古屋泊まりです。名古屋にいる従妹夫婦が、結婚した二人のためにお祝いの席を用意してくれました。
さらに翌日は、母校の大学で講義をすることになっています。恩師からの依頼で、急遽この日になりました。「内側から見る南仏モンペリエの音楽界」と題しての講義です。モンペリエで暮らして早16年の娘は、いろんな仕事を頂いて頑張っています。ピアノ教師、ピアニスト、オペラ座ライブラリアン、コレペティ、ソルフェージュ指導、オペラの字幕操作など、私の想像を絶する仕事をこなしています。創立130年を迎えるオペラ座でのライブラリアンの仕事は、音楽の歴史上の宝庫です。来日する前には、創立130年を記念しての展示会を催してきました。私の知らない史実がたくさんあります。私も少しずつ学びたいと思っています。講義には大学時代の友人も駆けつけてくれました。婿殿がビデオを撮ってくれたので、じっくり見ようと思っています。
数分先に名古屋駅へ着いた娘たちは、私達が何号車に乗ると伝えてあったので、私達の到着ホームで待ってくれていました。新幹線の車内と外から写真を撮り合いました。初講義の成功を願い、三日後に岩手県で会いましょうと別れました。
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