2018年10月10日水曜日

記憶


 二年ぶりにフランスから帰国する娘夫婦を迎える準備に追われています。十日後に迫りました。狭い我が家に泊まれるようにするために、片付け、整理、掃除など頑張っています。日々の暮らしに追われ、一番苦手とする片付け、整理、掃除です。長年生きてきた証であるたくさんの書類が、次から次へと出てきます。その量は、半端ではありません。人生の長さをひしひしと感じています。いくつもの節を乗り越えて何十年、驚くほどの長さです。信じられない長さです。長い長い過ぎ去った自分の人生です。きちきちと、その都度整理処分したらいいものを、大切に保存してきたようです。人から見ればまるでゴミのような紙の山です。
今回それらを引っ張り出して、本当に残しておきたいものなのか、捨てていいものなのか、分別しながら作業をしています。いちいち目を通しています。年月日別に出てくる書類に目を通していると、忘れていた記憶が戻ります。あちこちへのお出かけもありました。あんなこと、こんなこと、いろんなことがありました。歌「思い出のアルバム」の歌詞のようです。大きな買い物の記録もあります。人の記憶のいいかげんさがよくわかります。正しい記憶を保持することは、苦手です。アルバムを見ながらなら、年月日や場所、状況はよくわかりますが、記憶だけを呼び戻してもその正確さは曖昧です。広い世界には、コンピューターのような記憶力を持った人もいると思いますが、凡人の私はすべてが曖昧です。引っ張り出した紙を見て、思い出の数々に浸ってしまいます。時間だけが過ぎていきます。片付け、整理、掃除は遅々として進みません。思い出の愛しさ、記憶を呼び戻した嬉しさ、過ぎ去った人生への愛着が溢れてきます。人は皆、こういう記憶を捨て去って生きているのでしょうか。時々よみがえる記憶の片鱗だけで満足しているのでしょうか。生きるとは、こういうことなのでしょうか。日々の暮らしに流されて、人生が過ぎていくのでしょうか。ゴミのような紙の山を前にして、哲学者のように考えさせられています。

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