2018年10月18日木曜日

いよいよ明日


 フランスからの客人(娘夫婦)が、いよいよ明日来日します。すでにフランスを出国しました。明日の朝に関空に到着します。狭い我が家に二人を迎えるために、私なりに片付け、整理、掃除を頑張ってきました。長年のんびり暮らしてきたつけが、まわってきたようです。片付けても片付けても、たまりつづけてきたゴミのようなものが少しづつしか減っていきません。自分でもうんざりします。反省しました。ためるのをやめなければなりません。すべてはゴミなのです。自分にとって大切なものと思えても、人から見たらゴミにしか見えないようです。日々の暮らしの中で、その都度目を通して捨てていかねばなりません。世の中のシニアの方々は、終活を始められた人も多いとメディアでは伝えています。家族に迷惑はかけられません。今回の大変さを教訓にして、遅ればせながらも成長していかねばなりません。毎日毎日、きれいに片付け整理掃除されている人は立派だと痛感します。私の短所の一つは、自分のしたいことを優先してしまい、片付け整理掃除を後回しにしてきたことでした。

追記   来客のため、しばらくブログを休ませていただきます。後日面白い報告ができたらいいなと思っています。

2018年10月17日水曜日

京散歩


 いつもは家の近くを散歩するのですが、今回は少し足をのばしました。二条通りを東方向へ進みます。平安神宮が近づくにつれ人出が多くなってきました。この日は日曜日、平安神宮前の広場ではイベントが開かれています。国際映画祭の案内が出ています。小さなテントがずらり並んでいます。いつもは手作り市の店が出ているのですが、今回は企業の出店が多いようでした。夕方だったので、そろそろ店じまいの様子です。平安神宮のそばには、京都ロームシアターや京都メッセや、図書館、動物園、二つの美術館があるなど、岡崎文化ゾーンとなっています。



周辺には疎水が流れています。東山の空を見上げると、平安神宮の大鳥居の遠くに、移築された青蓮院青龍殿が見えています。よく晴れた秋の日の夕やみが迫ってきています。すぐ頭に浮かんでくるのは、「京都慕情」の二番の歌詞に出てくる「夕やみの東山」です。
 
右上の山の上にあるのが清龍殿

疎水の蹴上方向

西の空に夕焼けが!
先日は、四条河原町で「たそがれの河原町」を口ずさんだばかりですが、今回は、「夕やみの東山」を口ずさみます。最近は「京都慕情」がマイソングとなっています。秋の夕方は、どことなく淋し気でセンチメンタルになります。平安神宮から神宮道を南方向へ歩き、三条通りへ出て、河原町通りへと向かいました。日曜日の夕方ですが、まだまだこれからといったたくさんの人で賑わっていました。 

 
うちわで有名な小丸屋

三条通り白川

白川知恩院方向

仕出しの老舗「辻留」

「夕闇の東山」となってきました

この日の京散歩は、4キロほどで90分歩きました。心地よい疲れを感じました。

2018年10月16日火曜日

珍しい蝶


 最近三重の家の庭に毛虫がたくさん出現しました。体長は3センチほどのかわいい毛虫です。我が家の昆虫博士?のポアロは、早速調べました。その豆知識を拝借します。



 蝶の名前は、ツマグロヒョウモンだそうです。私は聞いたことがありません。私が知っているのは、おなじみのモンシロチョウやアゲハチョウ、珍しいところではフジバカマに飛んでくるアサギマダラぐらいです。3センチほどの毛虫は、エサを食べて5センチぐらいに成長するとさなぎになります。エサはスミレの葉っぱが大好物です。さなぎは、植木鉢や窓の網戸にもぶら下がります。さなぎは庭のあちこちにいくつもぶら下がっています。




そんな時、ひらひら飛んでくる蝶がいます。親世代か早く羽化したツマグロヒョウモンです。1週間から10日で羽化するそうです。ぶら下がっていたたくさんのさなぎが羽化すると、庭は賑やかになります。毛虫の姿から美しい蝶に変態する過程は、神秘です。追跡調査できるなら、蝶の専門家になれそうです。我が家の小さな庭への訪問者は、多岐にわたり素晴らしく楽しみをもらっています。



2018年10月12日金曜日

祖父との思い出


 三重の家の前には、二級河川が流れています。その川を挟んで向かい側に、一本のクスノキがあります。樹齢はわかりませんが、私が五歳の時には、既にありました。六十五年前のことです。 


そのクスノキの袂に駄菓子屋さんがあり、お婆さんが一人で店を切り盛りされていたのを、おぼろげですが覚えています。明治生まれの祖父と、同じくらいの歳のお婆さんでした。甘党だった祖父に連れられ、毎日のようにお菓子を買いに行きました。五十代の終わり頃に体を壊し、入院したりしていた祖父は、当時既に御隠居さんでした。幼い私の手をひいて、お菓子を買いに行くのが祖父のささやかな楽しみだったのかもしれません。祖父は六十歳で亡くなりました。今の六十歳の人は、まだまだ働き盛り?の年代です。当時と今とでは、見た目と実年齢の差は二十歳ほどあるように感じます。祖父は、私から見ればまぎれもなく立派なお爺さんでした。
祖父が亡くなり、しばらくしてお店のお婆さんも亡くなり、駄菓子屋さんは姿を消しました。小さな橋だったのが、車社会の到来で立派な橋に生まれ変わりました。高速道路が開通し、インターから市街地への幹線道路となりました。道幅も広くなり、今は車がたくさん通ります。時が流れ、クスノキも大きく成長しました。今では20メートルほどの高さになっています。いくつもの台風の襲来にも負けず、堂々とした姿を見せてくれています。最近続いて上陸した台風では、あちこちで大木がなぎ倒されました。老木となったクスノキを、いつも心配しながら見ていますが、いつなんどきどんなことが起こるかしれません。たくさんの人を、そして移り行く時代を見つめ続けてきたこのクスノキは、私にとって特別なクスノキです。クスノキは、優しかった祖父を思い出させてくれます。



2018年10月11日木曜日

何処も同じ


 ある人から聞いた話です。久しぶりにトウモロコシを食べたくなったので、「トウモロコシを食べたいなあ」と、妻に言うと「ゴミがたくさんできるから缶詰にしといて」との返事が返ってきました。彼は、意に反して缶詰のトウモロコシを食べることになりました。その話を聞いて、私は笑いが止まりませんでした。何処も同じだと思いました。日々の生活は、同じことのくり返しです。食べてはできる洗いものです。食べてはできるゴミの山です。そんなことを何十年も続けて生きているのです。



 週に二回ゴミ収集車が来ます。それに合わせてゴミをまとめる時、よくこんなにゴミができるものだといつも思っています。少しでもゴミを減らす方法は?と考えて、いつも頭を巡らしています。その結果、知人の妻のような台詞が出てしまいます。トウモロコシに関しては、たくさんのゴミができても私の大好物なので、缶詰にはなりません。子供の時には、母が作ったトウモロコシを、大きなザルいっぱいに茹でてもらって食べました。トウモロコシを茹でる時の、いいにおいが台所中に広がります。トウモロコシを通して、故郷がよみがえります。缶詰のトウモロコシを食べるのとは、全然違います。食に関しては、人それぞれのこだわりがあるように思います。
夏の果物の王様といえばスイカです。スイカもたくさんのゴミができます。少人数の場合は、カットスイカで充分です。しかしポアロは「スイカは玉を切った形で食べるのが一番」と言います。カットスイカとは、おいしさが違うとの説です。子供の時は大家族だったので、大玉スイカを大きな包丁で切ってもらい、ワイワイガヤガヤと賑やかに食べました。庭に縁台を出して、星を見ながら夕涼みしながら食べました。夏休みの思い出のひとコマです。知人の話を聞いて、食べるものとゴミとの関係に想いを馳せることになりました。

2018年10月10日水曜日

記憶


 二年ぶりにフランスから帰国する娘夫婦を迎える準備に追われています。十日後に迫りました。狭い我が家に泊まれるようにするために、片付け、整理、掃除など頑張っています。日々の暮らしに追われ、一番苦手とする片付け、整理、掃除です。長年生きてきた証であるたくさんの書類が、次から次へと出てきます。その量は、半端ではありません。人生の長さをひしひしと感じています。いくつもの節を乗り越えて何十年、驚くほどの長さです。信じられない長さです。長い長い過ぎ去った自分の人生です。きちきちと、その都度整理処分したらいいものを、大切に保存してきたようです。人から見ればまるでゴミのような紙の山です。
今回それらを引っ張り出して、本当に残しておきたいものなのか、捨てていいものなのか、分別しながら作業をしています。いちいち目を通しています。年月日別に出てくる書類に目を通していると、忘れていた記憶が戻ります。あちこちへのお出かけもありました。あんなこと、こんなこと、いろんなことがありました。歌「思い出のアルバム」の歌詞のようです。大きな買い物の記録もあります。人の記憶のいいかげんさがよくわかります。正しい記憶を保持することは、苦手です。アルバムを見ながらなら、年月日や場所、状況はよくわかりますが、記憶だけを呼び戻してもその正確さは曖昧です。広い世界には、コンピューターのような記憶力を持った人もいると思いますが、凡人の私はすべてが曖昧です。引っ張り出した紙を見て、思い出の数々に浸ってしまいます。時間だけが過ぎていきます。片付け、整理、掃除は遅々として進みません。思い出の愛しさ、記憶を呼び戻した嬉しさ、過ぎ去った人生への愛着が溢れてきます。人は皆、こういう記憶を捨て去って生きているのでしょうか。時々よみがえる記憶の片鱗だけで満足しているのでしょうか。生きるとは、こういうことなのでしょうか。日々の暮らしに流されて、人生が過ぎていくのでしょうか。ゴミのような紙の山を前にして、哲学者のように考えさせられています。

2018年10月9日火曜日

京都の誇り(ノーベル賞)


 日本人がノーベル賞受賞というニュースは、すべての日本人を大きな歓喜に包みこんでいます。26人目の日本人受賞です。本庶佑氏のノーベル賞受賞は、京都府民にとってまるで自分のことのように嬉しく名誉ある受賞です。同じ京都市民の方と知って、なおいっそう親近感をもって報道番組にくぎ付けとなりました。テレビでは、お人柄や素顔を伝えてくれます。ますます身近な人という感覚を抱いてしまいます。
 偉業を支えた信念、探求心です。自分の目で見て確かめる。頭で考えて納得する。決して諦めない。研究を継続するという研究への執念があります。「彼はまっすぐな人です。まっすぐな生き方をしています」と、長いつきあいのある方々がおっしゃっています。陰で内助の功を発揮され続けてこられた奥様の力も絶大です。奥様にも拍手を送りたいと思います。
 テレビでは、本所氏の六つのCというコンセプトが紹介されました。
   Courage   勇気
   Continuation   継続
   Challenge   挑戦
   Confidence   確信
   Curiosity   好奇心
   Concentrate   集中

 私は得意になって、英会話教室のWhat`s  news? で仕込んだばかりの言葉をしどろもどろで言いました。発音が難しくて先生に教えてもらいました。日本人としては、誇らしげな話題です。
 本庶氏の好きな言葉は「渾沌」だそうです。「研究の世界は、渾沌の世界」とおっしゃっています。偉大な人の言葉にはひきつけられます。何かが得られる気がします。外科手術、抗がん剤、放射線に続く第4のガン治療「免疫」の分野です。多くの人に明るい未来をもたらせています。探求心を貫く人生が、私達に光明をもたらせてくれています。

2018年10月5日金曜日

京都慕情


 先日買い物に出かけた時のことです。京都四条河原町の交差点を渡ろうと、信号待ちしながら西の空に目をやると、美しい夕焼け空でした。心を奪われるほどの美しさです。あの歌が浮かんできました。「京都慕情」です。つい口ずさんでしまいました。


自然が織りなす素晴らしい光景です。いつも感動して思うことは、自然が織りなす芸術作品の素晴らしさです。二つと同じものはありません。人の心を豊かにしてくれます。すべてを忘れ、満ち足りた幸福感をもらいます。美しい夕焼けの空は、刻々と表情を変えていきます。時間は6時前でした。たくさんの人が慌ただしく行き交う四条河原町で、この美しい夕焼け空に気づいた人はどれほどいたでしょうか。素晴らしい夕焼け空を見て、日々のせわしない暮らしの中に、少しのゆとりが生まれたように感じました。自然界に感謝です。

2018年10月4日木曜日

小さな庭に秋


 我が家の小さな庭に秋の訪れです。野良部部長(娘)が数年前に植えた萩が満開です。薄いピンク色の花をたくさん咲かせています。毎年冬を迎える頃に株を残して切っていますが、初夏になると枝をすくすく伸ばして、みるみるうちに元通りの姿に成長します。





 5年前に植えたキキョウは、花が咲いたあとに種をとり今年も植木鉢で育てました。薄い紫色のかわいい花を咲かせています。萩もキキョウも秋の七草です。 



 去年植えたホオズキは、一年目は実をつけずに終わりましたが、株分けした今年は小さいながらも実をつけました。ホオズキの姿が、芸術作品のように変わっていくのを間近で見ていて、本当に驚き感動しました。自然が織りなす芸術です。



 墓参の時には、キキョウとホオズキを届けました。園芸や庭いじり、植物の世話をするのが苦手な私ですが、ポアロと野良部部長のおかげで季節の花々を見て楽しんでいます。

2018年10月3日水曜日

台風の爪痕


 今年は立て続けに台風が襲来し、21号は近畿地方に大きな被害をもたらしました。24号は、静岡県や関東地方に被害が出ました。静岡県浜松市では大規模停電が発生し、まだ回復できていません。台風が過ぎ去った翌日は、秋晴れの良いお天気となりました。その二日後に、ポアロは浜松へ行く予定となっていました。大学時代に所属していた自動車部の集まりです。一泊二日の予定で荷物を用意し、切符も買って、出発を待つ状態でした。ニュースでは、浜松の停電の模様を伝えています。信号機が停電のために動かず、交通事故が多く発生し、死者まで出ているという悲惨な状況です。停電が完全に復旧するまでには、まだ相当な日にちがかかると言っています。浜松へ行くという予定でしたが、行けるのかどうか危ぶまれます。心配しているところへ、幹事さんから電話が入りました。出発の前日です。ホテルからの連絡で、「停電のため営業ができません」とのことで、集まりは延期となりました。一ヶ月先に延びました。
一泊二日の短い一人暮らしですが、この時ばかりと私は予定を立てていたのですが、あてが外れました。引き締まっているゴムを最大限に伸ばし、一人王様を満喫しようと目論んでいたのです。英会話をいつもより多く受講し、デパートで美味しいものをたくさん買い込み、テレビで映画三昧し、誰にも邪魔されず干渉されず、ゴムを最大限に伸ばす至福の時間です。一年に数回あるかないかの日です。「贅沢なことを言って」と、みんなに文句を言われそうですが、ささやかな楽しみです。一ヶ月先に伸びただけで、無くなったということではありません。ささやかな楽しみが少し先になりました。

2018年10月2日火曜日

世界の国で(マイブログ)


 2012年にブログを書き始めて、早6年半が過ぎました。休みながらも書き続け、1460回を突破しました。名も無き私のブログを読んでくださる人の数は、累計ですが30000に達しようとしています。読んでくださることが嬉しく、本当に感謝しています。 
読んでくださる方の存在は、ブログを書き続ける張り合いとなっています。読んでくださる人が、世界のどこの国におられるのかを気にかけている私は、いつも国名と人数を書き留めています。先日改めて国名を調べました。日本、フランス、アメリカ、ポルトガルはいつも出ている国です。他にスイス、中国、韓国、台湾、シンガポール、ブラジル、イタリア、カナダ、ポーランド、オランダ、デンマーク、ドイツ、スペイン、ベトナム、ロシアがあります。

珍しい国としては、ウクライナ、イラク、トルコ、アラブ、アイルランド、アルゼンチン、トルクメニスタン、がありました。最近では珍しい国、セルビア、マルタ、アゼルバイジャンが上がっています。セルビア、マルタは、国名として知っていましたが、アゼルバイジャンは聞いたこともなく全く知らない国でした。インターネットで調べました。東ヨーロッパに含められ、北はロシア、北西は大関栃ノ心の出身地ジョージア(グルジア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面しています。世界には、まだまだ知らない国がたくさんあることを痛感します。

現代はネット社会です。世界をネットが結んでいます。ネットが世界を駆け巡っています。科学技術の進歩発展の恩恵を受けて、世界のどこにいても瞬時に情報をキャッチすることができます。有り難いことです。もう一つ興味深いことを知りました。不明な地域という表示が出るのです。世界のどこかの国に所属しているはずですが、不明な地域というのはどこなのか、見当がつきません。家にいながら、世界を教えてもらえるようで、感動しています。

2018年10月1日月曜日

萩まつり(梨木神社)


 京都市上京区にある梨木神社は、京都御苑の東側に隣接しています。境内にある井戸水は、染井の水と呼ばれ京都三名水の一つです。ポアロが時々水をもらいに行っている馴染みの神社です。毎年9月に萩まつりが催されますが、今年はお出かけと重なり行けませんでした。先日買い物のついでに寄ってみました。萩の花はまだ咲いていました。ピンクや白の花がたくさんありました。約500株植えられているそうです。







萩の枝には、短歌が短冊に書かれてつるされています。京都らしい風流な行事です。そんな梨木神社ですが、時代の流れに乗って敷地内に分譲マンションが建ちました。数年前のことですが、たくさんの批判が寄せられました。「長い歴史を持つ梨木神社が、敷地を売却するとは何事か」京都御苑の隣に分譲マンションです。いろんな反対運動も起こりましたが、梨木神社の経営も大変なようで、反対を押し切りマンションは完成しました。鳥居がある参道に立つと、後ろにはマンションが迫っています。いくら時代とはいえ、少し場違いのように感じてしまいます。京都御苑のそばに暮らすというステータスは得られると思いますが、きっと居心地は悪いと思います。
先日は京都御所から天皇の高御座が、東京へと引っ越しました。来年の天皇即位の時に使われます。京都に時代の変化が刻々と起こっています。