就活、婚活、脳活など、いろいろある〇活の中で、最も難しいのは終活ではないでしょうか。必ず100パーセントの確率で命に終わりがあることを、普段の生活の中では忘れています。今が永遠に続くかのように、錯覚しているように思います。以前どこかで、死には三種類あると聞きました。身近な人の死では、悲しみのどん底で死について考えます。距離を置いて捉えることができ、客観的に観ることができるその他大勢の死があります。最後が自分自身の死です。
交通事故や災害、心筋梗塞など突然起こる身体の異変で、想定していない段階でピリオドが打たれる場合もあります。時間をかけてゆっくり進む病気により最期を迎える死については、終活する時間があります。終活について本も出され、ブームも起こっていますが、実際にはどれほどの人が行動に移されているのでしょうか。
私は、終活、終活、終活と、頭ではわかっていても、口に出して言っても、行動を起こしていないのが現状です。「ふるさと離れて五十年」と歌詞を替えて「思えば遠くへ来たもんだ」を歌うと、長い人生を生きたものだとしみじみ思います。自分自身の最期について、真剣に考え、その準備をしなければなりません。断捨離という言葉も普及しました。物を捨てられない人間についても、いろんな情報があります。私は、物について執着があります。人とのご縁と同じように、物たちとも縁があり私のそばに存在していると思ってしまうのです。いろんな物について、それぞれの思い出があります。そう考えると、私の生の終わりと、物たちの終わりが、一緒であってほしいと望んでしまいます。しかしそれは人に迷惑をかけることになるので、少しずつ、本当に少しずつでも、物たちとの別れを始めようと、思っている今日この頃です。
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