2017年7月19日水曜日

徒然に想ううた(自由句三句)


時ありき  過去・今・未来  時の中


時友に  歩みし我は  時抱き


昔から  時は金なり  宝なり



追記  ブログを始めて早五年が過ぎました。今回で1200回となります。一歩ずつ一歩ずつゆっくり歩んできましたが、振り返れば長い道のりだったように思います。読んで下さっている皆さまには本当に感謝しています。世の中は明日から子供達が待ち望んだ夏休みに入ります。それに便乗して私も夏休みをとることにしました。しばらくお休みしますのでよろしくお願いします。

2017年7月18日火曜日

今考えること(終活)

 就活、婚活、脳活など、いろいろある〇活の中で、最も難しいのは終活ではないでしょうか。必ず100パーセントの確率で命に終わりがあることを、普段の生活の中では忘れています。今が永遠に続くかのように、錯覚しているように思います。以前どこかで、死には三種類あると聞きました。身近な人の死では、悲しみのどん底で死について考えます。距離を置いて捉えることができ、客観的に観ることができるその他大勢の死があります。最後が自分自身の死です。
交通事故や災害、心筋梗塞など突然起こる身体の異変で、想定していない段階でピリオドが打たれる場合もあります。時間をかけてゆっくり進む病気により最期を迎える死については、終活する時間があります。終活について本も出され、ブームも起こっていますが、実際にはどれほどの人が行動に移されているのでしょうか。

私は、終活、終活、終活と、頭ではわかっていても、口に出して言っても、行動を起こしていないのが現状です。「ふるさと離れて五十年」と歌詞を替えて「思えば遠くへ来たもんだ」を歌うと、長い人生を生きたものだとしみじみ思います。自分自身の最期について、真剣に考え、その準備をしなければなりません。断捨離という言葉も普及しました。物を捨てられない人間についても、いろんな情報があります。私は、物について執着があります。人とのご縁と同じように、物たちとも縁があり私のそばに存在していると思ってしまうのです。いろんな物について、それぞれの思い出があります。そう考えると、私の生の終わりと、物たちの終わりが、一緒であってほしいと望んでしまいます。しかしそれは人に迷惑をかけることになるので、少しずつ、本当に少しずつでも、物たちとの別れを始めようと、思っている今日この頃です。

2017年7月17日月曜日

祇園祭2017

 昨夜の宵宮は大雨に振られ大変でしたが、本番の今日は朝からまずまずのお天気でした。いつもの市役所前の通過は10:30頃なのでスタートは家のテレビで見ました。


 今年は3連休と重なり大変な混雑ぶりです。ちょうど先頭の長刀鉾が交差点に差し掛かっていました。上手に3回で辻回しをこなして拍手を受け、進んでいきました。そのあと順に山や鉾が通り過ぎていきます






2番目の鉾は今年は函谷鉾です。兜のような鉾の先端は30M近くありそうです。








 祇園祭の行事の中で山鉾巡行は露払い、お迎えの清めのような行事であって、夕方6時からの3基のみこしのお出ましが神社としての行事です。神官、神器、馬に乗った稚児の行列の後神輿がやってきます。私たちの町内には中御座の神輿のルートとなっています。6時に八坂神社を出て7時ごろ二条木屋町を通ります。少し雨が降ってきましたが「ホイッとホイッと」という勇ましい掛け声とともに通り過ぎていきました。祭りの期間は四条の御旅所に祀られます。梅雨明けも近いと思います。




2017年7月14日金曜日

庭のお花でお墓詣り

 我が家の野良部の部長自慢の和花である桔梗が先週から咲き誇り、萩もピンクの花をつけてきました。そこに玄関先のセイジの赤い花を添えてお墓参りに行くことにしました。
  








 明日715日は新暦のお盆です、東京方面ではこの新暦にお参りに行くようですが、私達の地方では8月の15日が一般的ですので墓地は閑散としていました。

2017年7月13日木曜日

初蝉の声・梅雨明け間近?

 今年の梅雨はしとしとと降る雨ではなく、被害をもたらすほどの豪雨が続いています。昨夜も注意報が出るほどの雨が降りましたが今朝は強い日差しがあり、始めて蝉の声を聞きました。青空も少し覗いています。


 庭では初めての花が咲きました。以前紹介したアロエの一種である「不夜城」という品種の花が咲きました。何年か育てていますが花が咲いたのは初めてです。花はオレンジ色でたくさんの鉢がある一般的なアロエと同じような花です。




  もう一つオレンジ色の花が咲き始めました。食用のユリ根を3年前に買ってきたのですが、真ん中に芽があったので植木鉢に植えたものです。昨年末に株分けをしたので今年は2株大きくなり、1輪咲きほかにもたくさんつぼみをつけています。


  5月のアヤメ、6月のアジサイは紫色が中心ですが7月の花はなぜかオレンジ色が多いようです。梅雨明け発表はいつになるでしょうか?

2017年7月12日水曜日

私の好きな言葉「目に見えないものへの畏れと感謝」

 目には見えないものは世の中にたくさんあると思いますが、日常生活の中でそれについて考えることはあまり無いように感じます。先日NHKの「新日本風土記(若狭湾)」を見ていて、私と同じことをおっしゃった女性に出会いました。私は嬉しく、感動しました。若狭のその集落にはいくつもの杜があり、その地域の人達は、ずい分前からその杜を守り続けてこられたそうです。小さな鎮守の杜ですが、どの杜はどのお家が守ると決められており、先祖代々その家の使命として守り続けてこられました。ある杜を守り続けてこられた家の現当主ご夫妻が登場され、奥さんがこの言葉をおっしゃいました。
「昔この地域を開発した人達がいて、今の元を築いてくれたのです。その人達の苦労があって、今の繁栄に至っているのです。目に見えないものへの畏れと感謝は、途切れることはありません。喜んで守り続けていこうと思っています」と。

 私が子供の頃は、冬には「山の神」という行事がありました。夏には地蔵盆があり、大きな数珠を子供達が輪になって回しました。今も全国に残っている祭りの元は、目に見えないものへの畏れと感謝だと思います。

2017年7月11日火曜日

近所の旅館

 近所に修学旅行客専門の古い旅館があります。もちろん一般客も宿泊できますが、多くが修学旅行客なのです。玄関に書かれている歓迎の芳名は、遠くは北海道から九州までの学校の名前が多いのです。
 その旅館は、明治維新で活躍した通称桂小五郎(後に木戸孝光と改名)の屋敷跡に建てられた旅館です。鴨川のすぐそばにあります。この旅館のスケジュールはとても忙しいもののようです。夕方五時には、はっぴを着た番頭さんと思われる年配の男性を先頭にして何人かの仲居さんたちが小籏を持って修学旅行生のお迎えです。観光バスが次から次へと、河原町通りに到着します。小学生から中学生、時には高校生達が、元気にバスから降りてきます。添乗員の男性や女性の姿もあります。そして仲居さんの案内で、旅館へと入っていきます。朝は、八時頃には、迎えの観光バスが、河原町通りに並びます。迎えと同じく、番頭さんや仲居さんが並び、お見送りです。
 以前は、春、秋に多かった修学旅行も、今は一年を通してあるように思います。私は、何度もお迎えやお見送りのこういう光景を見ていますが、とてもほほえましく思うとともに、遠く過ぎ去った自分の修学旅行の時のことが思い出されます。つい舟木一夫のヒット曲「修学旅行」を、口ずさんでしまいます。小学生、中学生、高校生、それぞれの修学旅行が、仲良しの友達の顔とともによみがえります。修学旅行で京都へ来る子供達が、楽しい思い出をお土産にしてくれることを願っています。

2017年7月10日月曜日

大都会大阪へ

 以前ブログに書いた「一時間で大都会(大阪へ)」は、京阪電車を利用しました。今回は阪急電車を利用しました。どちらも京都から一時間以内で着きます。阪急電車は、京都四条河原町と大阪梅田を結んでいます。大阪梅田は、大阪の一番の中心地です。JR大阪駅と阪神電鉄、阪急電鉄それと地下鉄が3路線集まっています。デパートは四つも集まっています。電車を降りると、圧倒されそうなすごい人の波です。地方出身の私は、ひるんでしまいます。

JRと阪急を結ぶ陸橋、下の車もいっぱいです

阪急の建て替えが終わったら次は向かいの阪神が始まりました

大阪駅周辺は、かつて国鉄が広い土地を所有していたのですが、徐々に開発が進み今はたくさんの商業施設が集まるところとなりました。たまにしか行かない私は、今自分がどこにいるのかさっぱりわかりません。大阪人のポアロでさえ、次から次へと新しいビルが建ち、商業施設が刻々と変化していくこの地域は、わからない部分もあるようです。

JRのホーム上にできた「時空の広場」ときのひろば

下にはホームがいっぱいあります
  遠い昔、学生としてこの辺りを謳歌していたことがうそのように思えるほど、以前の面影はありません。国鉄大阪駅と、阪神電鉄梅田駅と、阪急電鉄梅田駅と、阪神百貨店と、阪急百貨店の位置は、シンプルで、迷うことはありませんでした。地下街でのショッピングも楽しんだものです。ところが今はデパートも二つ増え、デパートと同規模ほどの大きな商業施設がたくさんできて、たくさんの人が集まっています。一極集中のようです。女性のファッションの店もたくさんあり過ぎて、どのお店へ行ったらよいかさえもわかりません。気楽に気軽に、試着できそうもありません。只々集まる人の多さに圧倒されひるみ、人の流れにのって歩くだけです。キョロキョロして目は疲れ、歩き回って疲労困憊です。刺激は多くエキサイティングな場所です。興味・関心・好奇心の旺盛な私は、懲りることなく時々は出かけてみたくなるのです。

2017年7月7日金曜日

まずは百均

 今を生きる私達、日本人にとって、欠かすことのない百均ショップです。雑貨、日用品、文房具、衣類から食べ物まで、ほとんどの物がそろっています。歴史は古く、日本初の百円ショップは、1985年オープンだそうです。生活の中で何を買うにも、まずは百均からという人が多いと思います。同程度のものなら、百均で間に合わせようと思います。ほんまもんにこだわる人や、価格より質と考える人には、受け入れられないことかもしれません。私は、百均ショップが大好きです。たくさん買っても信じられないほどの価格です。 
時々200円、300円もあります
 なんだか得をしたような気分になります。京都の家の近くには、十軒ほどの百均ショップがあります。またどこのショッピングセンターにも、百均ショップが入っています。大手の百円ショップはいくつかありますが、大体はよく似た感じです。それぞれが競い合って特徴を出していますが、どれを買うかはお客さんの好みです。先日大手の百均ショップに入って驚きました。ハッピーバースデーやウエルカムウエディングのコーナーが設けられていて、飾りつけるものも種類豊富で、盛り上げる小道具も多様で、選り取り見取りといった感じです。感心しました。

パーティー用品まであるのを知りました
 京都へ来られる外国からの観光客も、百円ショップでたくさん買っておられます。百円といっても、信頼性が無くては売れません。これからも良い品をどんどん開発して、百均愛好家を喜ばせてほしいと思います。

京都だからでしょうか、和ものもたくさんあります

2017年7月6日木曜日

天才少年(藤井聡太君)

 将棋の最年少プロ棋士藤井聡太君の偉業が、日本中の人を沸かせています。まだ十四歳の中学生です。今まで将棋に興味・関心・好奇心の無かった私でさえも、ニュースに釘付けになりました。そして遅ればせながら、将棋が面白そうに思えてきました。
私は子供の時から、父や兄、叔父たちが、挨拶代わりに将棋を指すのを見ていました。別に何とも思わず、したいとも思わず、興味も示さず、「将棋ふーん、面白いの?」と、冷めた目で見ていました。興味が無いということは、恐ろしいことです。将棋の駒の名前も、王将と金、銀、飛車、角、歩ぐらいは知っています。しかし将棋を指すことは、全く知りませんでした。藤井聡太君が、幼い時から将棋を遊びとして夢中になったと聞いて、そんなに面白いものだと知りました。そんなに面白いものなら、私もしなくちゃと思い始めました。早速将棋セットを買ってきました。将棋セットは、おもちゃのような物から、お宝のような物まで、ピンからキリまであります。私はおもちゃのようなものを買いました。 


いつまで続くかわかりませんが、とりあえずポアロに入門を教えてもらおうと思います。おっちょこちょい過ぎる自分に苦笑しながら、スーパーおばあさんになりたいと思っています。

2017年7月5日水曜日

思い出の中の歌「岬めぐり」

 もうすぐ梅雨明け、日本の夏、盛夏がすぐそこに来ています。夏が近づくとこの歌がよみがえります。山本コウタローとウイークエンドの「岬めぐり」です。山上路夫作詞、山本厚太郎作曲、1974年の発表です。この歌を口ずさむと、私が今までに行った岬が思い出されます。二十代で行った北海道では、納沙布岬、襟裳岬、知床岬です。その後、旅行では、東北、能登、千葉、伊豆、九州、四国など、多くの岬をたずねました。犬吠埼、石廊崎、伊良湖岬、佐多岬、室戸岬、足摺岬、潮岬など、振り返るとこんなにも多くの岬めぐりをしたものだと、感心します。

8年ほど前に行った九州最南端佐多岬 太平洋

京都府最北端経ケ岬 日本海

経ケ岬灯台

 海の好きな私は、岬に立ち青い海を眺め、大海原に魅了され、時を忘れるほどです。海は母であり、父のようにも思います。思い出の中の歌は、歌とともにその時の自分がよみがえります。時は一瞬、それが連なって今に至っています。私の好きな歌の多くが、山上路夫さんの作詞です。「世界は二人のために」「夜明けのスキャット」「二人でお酒を」「水戸黄門」「翼をください」「瀬戸の花嫁」「学生街の喫茶店」「ひなげしの花」「私鉄沿線」「大阪ラプソディー」「ある日突然」などです。

「岬めぐり」
      あなたがいつか 話してくれた
      岬を僕は    たずねて来た
      二人で行くと  約束したが
      今ではそれも  かなわないこと

      岬めぐりの   バスは走る
      窓にひろがる  青い海よ
      悲しみ深く   胸に沈めたら
      この旅終えて  街に帰ろう



2017年7月4日火曜日

再会(2)

 嵐山を散策したあと、比叡山へ向かいました。西山から東山へと移動します。良いお天気になり、京都の街から比叡山がきれいにはっきり見えています。白川通りから山中越えへと入ります。滋賀県大津市へと抜ける道です。途中で有料の比叡山ドライブウエイへ入ります。少し走ると展望台がありました。眼下に琵琶湖を望みます。


 ちょうど大津市が真下に見えています。JRの貨物列車が三十両ほど連なって走っていくのが見えました。琵琶湖には白い帆のヨットがいくつも浮かんでいます。琵琶湖の遊覧船ミシガンが走行していきます。彼は「美しい」を連発し、写真もたくさん撮っています。  



車でもう少し上へと移動して、次の展望台へ案内しました。ここからは京都の街の全景が眺められます。さきほど歩いた嵐山も見えています。京都駅や駅前にある京都タワーもはっきり見えています。南西の淀川すじには、大阪の高層群が見えています。ここでも彼は写真をたくさん撮りました。



 二ヶ所の展望台からの眺めに満足した私達は、下り道を走り大津市へと向かいました。琵琶湖湖岸に車を停めて、しばし琵琶湖の波打ち際を歩きました。気持ち良い風が吹いています。記念の写真を撮り琵琶湖をあとにしました。よい時間になったので、京都へ戻ったあと三条大橋の近くで夕食を食べました。三条大橋界隈は、たくさんの人で賑わっています。京都へ来られた観光客は、鴨川を散歩するというのもメニューのようです。私達は鴨川を見下ろしながら、おしゃべりしながら、楽しいひと時を過ごしました。ともに過ごした八時間半ほどが、楽しく濃密でそれぞれの胸に貴重な思い出となりました。夕闇迫る中、またの再会を期待し、彼を見送りました。彼の爽やかな笑顔と涼やかな眼差しは、私達の宝物のようです。




追記   軽いランチのあと、以前ブログに書いた「気になる人」=近所にお住いのフランス人女性とばったり会ったので、彼を紹介しました。日本へ来て五十年以上も暮らしておられるフランス人女性です。久しぶりにフランス人同士、フランス語で話すのに喜ばれて、感動されたようで、立ち話ですが二人は話が弾みました。私達はフランス語がわからず、そばで聞いているだけです。彼は、フランス人女性の話を優しく聞いて、相槌をうっています。二人が話すフランス語が、優雅で上品な言語に聞こえます。お腹の底から声を出すというものからは、ほど遠い言語のように思います。大きな声で、地声で話す私とは、トーンが違う気がします。彼女は名残り惜しそうに挨拶をされて、お別れしました。良い出会いを提供できて、私達も嬉しかったです。

2017年7月3日月曜日

再会

 ちょうど一年前のブログに書きましたが、フランスからの客人と再会することができました。フランス在住の娘が親しくさせて頂いている方の息子さんから、「日本へ、そして京都へ行くので会いたい」との連絡が入り、再会となりました。二十二歳の大学生です。父はフランス人、母は日本人で、フランス国籍です。日本語も何不自由なく話せます。フランス語ができない私達は、全部日本語で話します。何の不安もありません。京都市役所の前で待ち合わせました。一年ぶりというのが、ついこの間という気持ちです。ポアロのお気に入りのカフェへ案内しました。軽いランチを食べながら、一年ぶりの話しに花が咲きます。親元を離れ、一人暮らしを始めたこと。彼女ができて、本当は二人で日本へ来る予定のはずが、キャンセルになってしまったこと。などついつい話し込んで一時間半が過ぎてしまいました。彼が嵐山へ行きたいとのことで、ドライブとなりました。嵐山は、たくさんの観光客でいっぱいです。梅雨の合間の良いお天気で、気温もぐんぐん上昇中です。そんな暑さの中、外国からの観光客が列をなして歩いておられます。私達は、車を駐車場へ預け、竹林を散策することにしました。たくさんの人込みの中、人力車も通ります。彼は人力車が珍しいようで、興味津々で見ていました。



以前は無かったのですが、竹林の中を自由に歩ける散歩道が整備されていて、観光客にとっては良いおもてなしだと思いました。その竹林までは、たくさんの観光客であふれていましたが、その先は人も少なくなりました。私達は、せっかくだからともう少し足を延ばしました。嵯峨野まで歩きました。小倉山二尊院までいき迂回しました。


山陰本線を渡ると静かになってきます

珍しいキノコがありました、キヌガサタケというそうです




何度来てもほっとする場所です。大好きな場所です。清凉寺(嵯峨釈迦堂)を通り抜けて、戻りました。嵐山、嵯峨野にはいくつもの寺社仏閣があり、人気の観光名所です。次回彼女と来るのを楽しみにして、今回は竹林を歩くということが達成できてとても喜んでくれました。嵐山をあとにして、次の目的地に向かいました。