2020年10月5日月曜日

 「年輪を刻む」

 

 歳を重ねることは

年輪を刻むこと

一年また一年

年輪は増える

 

喜びだけの

年輪は無い

悲しみだけの

年輪は無い

 

喜びも

悲しみも

すべてが

年輪となる

美しい年輪となる

 

母との別れ

父との別れ

姉との別れ

兄との別れ

友との別れ

 

愛しい者たち

遠くへ旅立った

愛しい人たち

 

その悲しみ

一つ一つが

年輪となる

美しい年輪となる

 

終わりの無い人生は無い

すべての人に

終わりがある

 

戦争があっても

戦争が無くても

終わりはある

 

短い人生

あっという間に過ぎる人生

長いようで

決して長くない人生

 

人として生まれ

女性として生まれ

母となった

 

大切な宝物

それは子どもたち

 

いつの世も

変わらない宝物

それは子どもたち

 

子どもたちのために

美しい年輪を刻む

刻まねばならない

 

2020年10月2日金曜日

小さな庭の来訪者

  今我が家の小さな庭に来訪者があります。地面のすぐ下を、所狭しと走り回っています。モグラです。庭の周囲がまるで耕したかのように土が盛り上がっています。石やレンガを持ち上げての活躍です。小さな体のモグラですが、力は巨大です。

 

  ところどころに穴があります。忙しく走り回るモグラが、仕事の途中で時々顔を出しているように思えます。クリクリの小さな目で穴から顔を出し、地上の様子を窺っているかと思うと面白い光景です。



  一匹のモグラなのか、家族なのかはわかりませんが、モグラの来訪はもう少し続きそうです。数年前にも来ているので、二度目の来訪です。

2020年10月1日木曜日

感動の自然現象

  朝早く起きる私は、一人静かに朝のコーヒータイムとなります。ブログをパソコン入力しながら日の出を楽しみます。駐車場に停めてある車に朝日が当たります。朝焼けです。ほんの少しの時間のことです。夕焼けと同じように朝焼けにもパワーがあり、元気をもらいます。朝日も夕陽もあこがれの存在です。朝日百選、夕陽百選を見る旅にいつもあこがれていますが、実現は難しいと思います。見るポイントは一か所ではありません。季節により、お天気により、時間により、見れるポイントは変わります。朝日を見れば「新しい朝が来た、希望の朝だ」を口ずさみます。ラジオ体操の歌です。夕陽が沈む時は、「グッドバイグッドバイグッドバイバイ」と、くちずさみます。明日が来ると思い込んでいるからです。朝日にも夕陽にも、いつも感動しています。過ぎ去った思い出と重なる朝日と夕陽です。あの場所で、また違うあの場所で、いくつもの朝日や夕陽を見てきました。本当に素晴らしい光景でした。

 数日前のニュースで、京都の素晴らしい虹を知りました。雨が上がった時に、180度に広がる虹が二重に重なって出たそうです。はっきりくっきり見える虹だったそうです。そこへ夕焼けの美しさも加わり、短い時間の中で天体ショーのように見る人を魅了させました。写真が載っていました。  

京都新聞より

素晴らしい自然現象です。いつまでも続くコロナ禍の中で、小さな幸せをもらっているようです。

2020年9月30日水曜日

秋本番(2)

  天高く馬肥ゆる秋、食欲の秋、スポーツの秋、勉学の秋、紅葉の秋、心深くなる秋、日本の秋は私たち人間にとっても、自然界に生きる命あるものすべてにとって過ごしやすく素晴らしい季節です。今年はコロナ禍で、世の中は大変なことになっていますが、季節は移り変わっていきます。秋の季節の中に身をおくと、日本人であることがつくづく嬉しく幸せを感じます。人を想い、想われ、たくさんの人とのつながりに感謝が湧き上がります。

 





今彼岸花が満開となっています。お彼岸の頃にぴったり咲く彼岸花です。健気さに感動します。よく見るのは赤の彼岸花ですが、白や黄色の彼岸花も以前よりは増えました。群生の彼岸花には圧倒されます。まっすぐ背筋を伸ばしたかのように凛と咲く彼岸花の姿は、素晴らしいものです。散歩途中にはたくさんの彼岸花があり、活気をもらっています。

2020年9月28日月曜日

秋本番

  私の大好きな秋となりました。最高の季節です。気温は下がり、朝晩は涼しさを通り過ぎ寒いほどです。GO TO トラベルが始まり、先日の四連休はどこの観光地も賑わいました。コロナ禍で静か過ぎた観光地に、久しぶりに活気が戻りました。テレビで見た京都の観光名所は、大変な人出でした。コロナ感染拡大を心配していますが、GO TO トラベルを利用する人は多いようです。シニアにとって旅に出るのは、もう少し先のように思います。まだまだコロナに油断できません。

 秋本番となり、我が家の小さな庭では萩が満開となっています。萩で有名な京都の梨木神社では、毎年萩祭りが催されています。今年はコロナ禍でどうされているのでしょうか、情報を得ていません。京都御苑の東側に隣接する梨の木神社です。私たちは、萩祭りに何度も行っています。見事な萩がたくさんあります。萩祭りには句会も開かれ、その作品が短冊に書かれて萩の木に飾られています。風情があります。そんなことを思い出し、我が家の萩を観賞しています。



2020年9月18日金曜日

今年の運動会

 

 今年の運動会は様変わりしているようです。コロナ禍で開催も危ぶまれたようですが、いろんな知恵と工夫で開催されるそうです。小規模校と大規模校では、事情も変わり開催しても内容には差が出ると思います。まず時間の短縮で、午前で終了します。出る競技は子どもたちにとって一つか二つです。地域の人々の参加はありません。省略省略です。密を避けるために、観覧は一家庭につき一人あるいは二人だそうです。孫の運動会を楽しみにしていたおじいさんおばあさんは、残念ながら人数制限で観覧できるかどうかわかりません。生徒数の少ない学校はまとめやすいと思いますが、生徒数が多い学校は交代制にして三ブロックほどに分けねばなりません。本当に大変なことです。住んでいる地域の小学校では、毎年プログラムを配っていましたが今年は配られませんでした。今年は緊急非常事態です。以前は聞こえてきた運動会の練習する声も、今年は聞こえてきません。寂しいかぎりです。

2020年9月17日木曜日

我が家の豆の木

  我が家の豆の木が、ジャックと豆の木を連想してしまうほどぐんぐんと大きくなりました。野良部部長(娘)が植えた大豆です。大き目のプランターに植えた大豆です。背がどんどん伸びて1メートルを越えました。大豆がこんなに大きくなるとは知りませんでした。農家の人が植えている大豆は、もう少しこじんまりしたものです。家の近くに広がる大豆畑の景色とはずいぶん違うようです。手のひらよりも大きな葉がたくさんあり、茎が見えないほど茂っています。あまりも背が高くなったのでポアロが支柱を立てました。台風が来た時には、倒れるのではないかと心配しましたが、なんとか倒れずに持ちこたえました。 

雨や風が吹くと倒れそうです

葉っぱがどんどん大きくなってきました

体だけは立派に育ちましたが、一向に花が咲きません。ひょっとしたら不作で収穫には至らないのかとも思いました。そんな心配をよそに、遅ればせながら小さな花が咲きました。薄ピンク色の小さな花です。 

大豆の害虫マルカメムシ、100匹以上やっつけました

予想外に小さな花でした

花が咲いたあとなかなかまめにならないと思っていたら、やっとかわいい枝豆となるものが姿を見せました。本当に小さな枝豆です。収穫に至るほどの大きさに育つのかと気をもんでいますが、一日一日と大きくなりつつあります。楽しみです。





2020年9月16日水曜日

 寄らば大樹の陰

 

 人間も鳥も虫も生き物は皆大樹が好きです。大樹は皆から好かれ頼られます。自民党が新しく菅政権のもとでスタートします。政界に古くからある派閥が注目されています。大樹が連想されます。数においても大樹が力を発揮します。何を決めるのも何をするにも数が多い方が有利です。一人では何もできません。政界の面白い構図です。

 

 我が家の東側に実家の藪が隣接しています。樹齢何年ものクスノキ、ムクノキ、エノキがあります。高さは20メートルほどもあります。二階の部屋を書斎にしているので、一日の数時間をそこで過ごします。二階から見る大樹はとても大きく歴史を感じさせます。じっと見ていてもあきることはありません。たくさんの生き物が来たり出たりと、とても賑やかです。高い所にはカラスが巣を作っています。カラスの子育ての頃には、なお一層賑やかになります。カラスの他にもいろんな鳥がきます。ムクドリ、ヒヨドリ、ハト、などがきます。

 

 

蝶々もいろんな種類の蝶たちが来ます。虫たちも豊富です。以前ブログに書きましたが、玉虫は貴重な存在です。大樹を見ていると、どんなお天気の時でも、いろんな生き物が集まってくるのがわかります。大雨が降れば、生き物たちは大樹の陰に入り雨宿りです。酷暑が続く時は、大樹の陰でひと休みです。大樹はたくさんの生き物から頼られています。人間が大樹のようになるのはとても難しいことです。いろんな面で力がないと大樹にはなれません。財力、体力、精神力、包容力、忍耐力、思考力、理解力、記憶力、宗教力、いろんな力です。開祖は皆偉大な人たちです。大樹は憧れの存在です。

2020年9月15日火曜日

 変わる景色

  長年見慣れた景色が今変わろうとしています。三重の家の南側には幹線道路があります。その幹線道路に面して、長年よろず屋を営まれてきたお家があります。奥さんが旅立たれ、続けて娘さんが旅立たれ、お店は閉じられました。ご主人は高齢となられデイサービスに通われる日々となっています。息子さんがおられるので、なにかにつけて頼れる存在です。そのお家の南側には、素晴らしい竹林が広がっていました。竹はすくすく伸びて、20メートルほどの高さになっていました。

 

先日朝から賑やかな工事の音が聞こえてくるので、驚いてポアロが見にいきました。竹の伐採が始まったのです。次から次へと竹が切られていきます。切られた竹は、機械によってすぐその場で木くずになっていきます。便利な機械があると知り、驚きました。



一日一日と竹が伐採され、竹林の姿が変わっていきます。リビングから見えていた立派な竹が残り少なくなっていきます。それとともに、空が明るくなってきます。空が広がり遠くまで見えてきました。景色の変わり様に心が痛みます。竹林は姿を消すのです。 


町内では、夏の大きな祭り、祇園祭りの時に、その竹林からたくさんの竹をもらっていました。玄関先に飾れるような丈に切って、町内の全世帯に配るのです。恒例となっていたのです。来年からはそれもできなくなります。

 三十年ほど見慣れてきた景色が変わります。時の流れが身に染みます。立派な竹林が姿を消すのは、時代の流れとはいえ残念でなりません。

2020年9月14日月曜日

懐かしいもの

  家の中には懐かしいものがたくさんあります。その存在さえ忘れていたものを引っ張り出しました。最近デザート作りに燃えているポアロが「アイスクリームを作る器械って無かった?」と言いだしたので、急きょ引っ張り出してきました。買ったこと、アイスクリームを作ったこと、捨ててはいないのでどこかにあることは覚えていました。我が家の江戸時代、東京暮らしをしていた時をそう呼んでいるのですが、買ったのは江戸時代です。子どもたちが小学生の頃です。当時は保谷市(現西東京市)に住んでいました。買い物や子どものレッスンによく通った吉祥寺、馴染みの吉祥寺、懐かしい吉祥寺、大好きな吉祥寺で買ったものです。吉祥寺へは、家族で自転車を飛ばし何度も出かけました。若かりし日々が思い出されます。いくつものデパートがあり、いろんなお店が集まっています。狭い道幅の、昔からある古い商店街は有名です。その一角にあるキャッチフレーズ安売王の店で買いました。アイスクリームメーカー「どんびえ」です。

  二重構造になっている中のポットを冷凍庫で7時間以上冷やします。よく冷えたポットをケースにセットして羽根をつけます。用意した材料を入れてフタをして、ハンドルをさし込んでクルクルとまわします。約10分~15分でできあがります。子どもたちにも簡単に作れます。出来上がるのが楽しみで、子どもたちは一生懸命ハンドルを回します。我が家がよく作ったアイスクリームの材料は、牛乳、砂糖、卵黄と、バニラエッセンス少々です。いろんな果汁を入れれば、いろんなバリエーションができます。アイスクリームだけでなく、時間を短くすればシャーベットができます。ひと夏に10回ほどは作ったと思います。子どもたちの成長とともに、アイスクリームを作る回数も減りました。そして引っ越しを重ねるうちに、その存在も忘れていきました。買ってから30年以上が経っています。コロナ禍で巣籠りが続く中、懐かしいものを引っ張り出し久しぶりにアイスクリーム作りとなりました。ポアロは、まるで初めて作るかのようにアイスクリームを作ってくれました。懐かしい味とともに我が家の江戸時代を思い出しました。