2019年5月20日月曜日

東北桜旅(9)釜石泊・遠野・大内宿


 岩手県のJR釜石駅では、いろんな思い出がよみがえります。去年の秋の娘カップルの結婚パーティーに、遠いスペインから家族で来て下さった方たち、東京に住むフランス人の婿殿の友人、三重から駆けつけてくれた娘の大学時代の友人など、釜石駅で迎えました。緊張しながらもたくさんの人との出会いに感謝でした。再び釜石に来られたことを嬉しく思いました。
 釜石駅のそばのホテルに泊まり、10時前に出発しました。一晩中降った雨も朝には上がりました。国道283号線を走り、途中三陸道(釜石道)に入ります。気温は14℃に下がりました。遠野インターで出て、道の駅遠野風の丘へ寄りました。去年遠野ふるさと村をみんなで観光したのですが、ここの道の駅にも遠野の観光土産がいろいろ並んでいます。代表格の河童のぬいぐるみを買いました。そのあと北上川の支流猿石ヶ川に沿って走ります。曇りがちですが桜は満開のようです。 
 
遠野道の駅

猿石ヶ川の桜並木

北上川は上流でも大河の趣です
花巻市を通り、奥州市を通り抜けて11時半頃北上市に入りました。大河北上川を渡ります。東北自動車道に入り仙台へと向かいます。去年も仙台へと向かうルートを走りましたが、去年は国道を通りました。平泉町を通り、去年宿泊した一関市を通り、12時20分宮城県に入りました。1時半仙台市に入り、そのあと東北道・山形道の分岐点から福島方向へと向かいます。雪を被った蔵王が見えています。蔵王町、白石市を通り、福島市に入ります。郡山JCで磐越道に入ります。磐梯山を見ながら会津若松市を通り、3時45分会津若松ICで出ます。会津若松へは家族四人で〇十年前に来ています。思い出がよみがえります。


会津若松の郊外の神社

向かっているのは、山の中にある大内宿です。国道49号線から県道23号線へと入ります。大内こぶしラインと書かれた標識を見つけたのが間違いのもととなりました。県道131号線でどんどん山を登って行きます。すれ違う車は無く、前にも後にも車はいません。4時半気温は13℃まで下がってきました。残雪があり、霧が出ています。濃霧となり視界は5mくらいになり、ライトを点滅させて、かろうじてとろとろ運転で道からはみ出ないように緊張して走ります。大内宿へは観光バスも来ているはずなのに、この道はおかしいと思いながらも、後戻りはできません。最後に峠のトンネルを抜けなんとか5時に大内宿へ着きました。





やれやれです。広い駐車場には人影もなくがらんとしています。観光案内所から男性が出てこられました。「5時に閉めたところです」と言いながら鍵を開けてくださいました。私は急いでスタンプをもらい、ポアロは観光案内の地図をもらい、恐縮の気持ちを伝えお礼を言い別れました。どうやら最後の観光客だったようです。ほとんどのお店は、5時には閉まるとのことです。夕闇迫る中を急いで歩きました。私たちの他に、一組の観光客がおられました。土産物店は二軒開いていましたが、店じまいをされていたので、慌ててポストカードを買いました。




数年前に娘たちは、東北の人たちのご厚意で大内宿へ連れてきてもらっています。「お父さんお母さんも、一度は大内宿へ行って来れば。お勧め!」と言っていたので、今回訪れることにしたのです。大内宿は、福島県南会津郡下郷町にあります。江戸時代下野街道(会津西街道)の宿場として栄えました。明治以降、交通路の変化により開発を免れ、昔の面影を今にとどめています。大内宿の伝説として、平清盛全盛期の頃、後白河天皇の第二皇子高倉宮は、源頼政のすすめで反平氏の挙兵をしました。京都宇治川で合戦となり、源頼政は討ち死にし、高倉宮は二十人ほどの供を連れて知り合いを頼り越後国を目指します。その途中大内に立ち寄りました。この里が都の風情によく似ているところから、大内村と改名したとのことです。大内宿の奥深くに高倉神社があります。




戦いに敗れた高倉宮が潜行したと伝えられています。毎年7月2日に、高倉宮ゆかりの祭「大内半夏まつり」が行われているそうです。300メートルほど続く大内宿の両側には、たくさんの店が並んでいます。土産物店、食堂、民宿もあります。そば打ち体験もできるそうです。大内宿のポスターには、箸を使わずにネギでそばを食べるという写真が載っていました。面白そうなものだと思いましたが、5時を過ぎての大内宿は何もできませんでした。
 
残念ながらネギそばは食べられませんでした



帰り道は、来た道と違い多くの人が利用する安全な道を走りました。会津鉄道湯野上温泉駅を通りました。日光方面へ行く日光街道と別れて、白河高原、那須高原を通り抜け、東北道へ入り、宇都宮へ向かいました。ホテルには8時半到着、この日の走行距離は552キロ、所要時間は10時間でした。東北桜旅もいよいよ最終日を迎えます。





2019年5月17日金曜日

東北桜旅(8)久慈


 三沢航空科学館を12時半頃出発し、国道338号線を太平洋に沿って走ります。1時頃奥入瀬川の河口おいらせ町を通過し、八戸市に入りました。気温は25℃で暑くなってきました。桜は散り始めています。青森県八戸市の名前は知っていましたが、大きな工業都市とは知りませんでした。国道45号線を走っていると、大きなコンビナートが続いています。空港もあるようです。青森県の三大都市は、青森、弘前、八戸だそうです。戸(へ)のつく市や町は多くあります。三戸、五戸、六戸、七戸、八戸です。隣の岩手県に一戸、二戸、九戸があります。本来は九つの戸がありましたが、四戸は現在はないとのことです。地元の人の名字にもなっているそうです。歴史は古く平安時代後期の藤原奥州時代に、現在の青森県から岩手県にかけて糠部(ぬかのぶ)郡が置かれ、さらにその中を九つの地区に分けたときに、一戸から九戸の地名がつけられたそうです。旅をしていると今まで知らなかったことを教えてもらいます。二時頃道の駅階上(はしかみ)で遅い昼食を簡単に済ませました。

早生のそばが名物のようです

三陸のほぼ北の端、桜は満開です

 三時半頃岩手県久慈駅に到着しました。八年前の東日本大震災で甚大な被害を受けた東北です。美しい三陸のリアス海岸を走る三陸鉄道「リアス線」が、今年3月23日に運航を開始しました。第三セクター鉄道としては日本最長で、盛駅から久慈駅までの163キロがつながりました。久慈駅で時刻表をもらいました。通勤通学時間を除くと、二時間に一本ほどの便数です。それでも鉄道が開通したということは、地元の人たちにとって明るい未来のように思います。2013年に放送されたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台となった久慈です。久慈駅の待合ロビーには、「あまちゃん」関連の写真やポスターが飾られていました。





 三陸鉄道リアス線の車両のシンボルカラーは、青、赤、アイボリーの三色です。青は三陸の海、赤は鉄道に対する情熱、アイボリーは誠実を表しているとのことです。私たちは何とか車両の写真を撮りたいと思い、グッドタイミングで走ってきた車両を追っかけました。国道と少し離れた海岸線を走る車両は、近づいたり離れたり、トンネルに入ったりしましたが、何枚かは撮れました。大切な思い出の写真となりました。





 国道を走っていると、たくさんのトラックに遭遇します。三陸沿岸道路復興工事と書いた幕をつけています。まだまだ復興工事が続いています。四時半を過ぎて、気温は13.5℃になりました。三陸北高速道路に入りました。ところどころは工事中で途切れます。三陸沿岸道路を走ります。五時半頃宮古市に入りました。宮古から大槌までは、三陸道無料区間です。六時半懐かしの大槌へ到着しました。





去年の秋、フランス在住の娘カップルが、大槌の方たちのご厚意で結婚披露パーティーをひらいてもらったところです。去年秋のことを思い出しながら、釜石駅そばのホテルへ向かいました。7時ホテル着、この日の走行距離は233キロ、所要時間は8時間でした。釜石の気温は19.5℃でした。

2019年5月16日木曜日

東北桜旅(7)三沢


 三沢市にある泊まったホテルは、広大な敷地です。創業者は、時の人、令和の新しい紙幣の顔となられる渋沢栄一の秘書をされていた方だそうです。ホテルの建物も大きいですが、隣の22万坪の公園は庭園散策するのにふさわしい場所です。たくさんの木々が生い茂り、広い池の周りには、食事もできる南部曲屋や足湯、ふれあい牧場もあります。公園を一周する馬車も出ています。私たちは、朝食のあと40分ほど庭園散策をしました。







公園の一角に渋沢栄一の立派な住まいを移築して、ほぼ完成しています。もう少しすれば見学できるようになると思います。創業者からは手を離れ、現在の経営者は直接渋沢栄一と関わりはありませんが、ホテルの歴史として渋沢栄一との所縁を宣伝の一つに出していくのだと思います。


ホテルを11時頃に出て、三沢の市内を通り抜けました。
 青森県三沢市には、三沢基地があります。三沢市内の従来の商店街はシャッター商店街になりつつあるようですが、基地関連のお店は元気そうです。桜は丁度満開でした。 



基地に隣接されて造られた青森県立三沢航空科学館へ行きました。前には大空広場が広がっています。約11haの広さです。11機の航空機が展示されていて、コックピットに搭乗できるものもあります。ちょうどこの日は、三沢基地内にある幼稚園児たちが見学に来ていました。子供たちも引率の先生も、全員アメリカ人のようです。目のくりくりした子供たちに「ハロー!」と声をかけると元気よく「ハロー」と応えてくれました。飛行機のことは何も知りませんが、戦闘機が多くありました。 









大空広場にいる時に、訓練飛行が始まりました。3機ずつ飛び立ちます。その時のすごい大きな音は、爆音のようです。突然の大きな音に耳を塞いでしまいました。基地の近くに暮らす人たちのことを想いました。




大空広場で大きなカメラを持って熱心に訓練飛行を見ておられる男性がおられました。航空ファンの常連さんのようでポアロがいろいろお話させてもらって、三沢基地、三沢飛行場、三沢空港、航空機のことを知りました。最近墜落して行方不明になった飛行機のことも知りました。大空広場から航空科学館へ移動しました。展望デッキに上がりました。より遠くを高い位置から望むことができます。しかし展望デッキから基地内の施設は見えないように造られていました。
 初めて訪れた三沢で今まで知らなかった歴史を知りました。太平洋無着陸横断機ミス・ビードル号のことです。大正から昭和の初め世界は冒険旅行全盛期だったそうです。リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行が成功し(昭和2年)長距離飛行が一層注目されるようになり、「世界一周早回り飛行」と「太平洋無着陸横断飛行」が世界中の飛行士にとっての挑戦目標となりました。世界一周早回り飛行を目的として飛んだ米国のミス・ビードル号ですが、ロシアでトラブルが相次ぎ、記録更新を断念することになりました。日本の大手新聞社が太平洋無着陸横断飛行に懸賞金を出すと発表し、ミス・ビードル号の飛行士パングボーンとハーンドンは挑戦することになりました。三沢の人たちの熱意と好意、優しさが、この人類初の壮挙を生む後押しにもなりました。昭和6年10月4日に飛び立ったミス・ビードル号は、太平洋を無事渡りました。機内には三沢の人たちの優しい想いを伝える5つのリンゴが残されていました。サンドイッチなどと共に機内食として渡した一部だったのです。翌年リンゴの産地ワシントン州ウエナッチから新種のリンゴの穂木が送られてきました。大切に育てられ青森県内に広がっていったそうです。残念なことに、この後、日本と米国は敵対関係となり、この壮挙は次第に語られなくなっていったのです。しかし偉業から50年後両市は姉妹都市を締結し、毎年相互の訪問交流を重ねているそうです。平成23年には、三沢飛行場において、ミス・ビードル号の復元機による再現飛行も行われたそうです。航空科学館の前には、飛行士二人の銅像が建っています。





モニュメントの高さは、ミス・ビードル号が飛んだ1931年にちなみ19.31メートルです。今まで知らなかったことを知るのは、旅の収穫です。大空を飛行する人間のロマンはどこまでも続いていきます。

2019年5月15日水曜日

東北桜旅(6)弘前城


 秋田県の高速道路を走っていると「熊出没注意!」と書かれた標識が出ています。近畿、中国、中部ではあまり見ませんでした。「動物に注意!」と書かれて鹿やイノシシ、猿や狸の絵があり馴染みとなっていたのですが、熊には驚きです。
 八郎潟の桜並木と菜の花ロードにグッドタイミングで出会えた感動を胸に、秋田道、東北道を走ります。途中ハチ公の生誕地や世界遺産の白神山地を通過して、2時過ぎに青森県に入りました。



     
   以前東京に住んでいた頃に家族四人で東北一周旅行をしたのですが、その時通った碇ヶ関を通りました。小さかった子供たちとの旅を、懐かしく思い出しました。遠く左に岩木山、右に八甲田山を見ながら、40分ほどで弘前市に入りました。弘前城には3時過ぎに到着しました。弘前城へも家族四人で来ていますが、30年ぶりです。お城の前にある観光館の駐車場に、車を入れました。良いお天気に恵まれ、たくさんの観光客で賑わっています。外国からの観光客もいっぱいです。弘前城の桜も、グッドタイミングでちょうど満開です。桜を見ながら城内を散策し、旅の思い出となる写真もたくさん撮ってもらいました。一時間ほどでお城を出て、観光館でお土産を買って、4時20分頃弘前をあとにしました。







石垣修復のためお城は少し奥へ移動しています




 東北道を走り、5時頃青森市に入りました。青森道に入り、青森市街を見ながら、一段と近づいた八甲田山を見ながら走ります。みちのく有料道路では、道路のきわに残雪がたくさんあります。気温は10.5℃となりました。第二みちのく有料道路を走る頃には、薄暗くなってきました。この日の宿は三沢市にとっています。六時半頃ホテルに到着しました。気温は11.5℃を示しています。この日の走行距離は、346.6キロ、所要時間は、9時間でした。京都から青森県三沢市までやってきました。本当に本当に、思えば遠くへ来たもんだ、です。