2014年10月3日金曜日

秋のお寺参り(1)

 秋の行楽日和、あまりのいいお天気に誘われてお寺参りに車で出かけました。始めに京都市の南に位置する三室戸寺を訪れました。西国十番札所で宇治市にあります。四十年前、三十年前にもお参りしているのですが、二冊目の朱印帳ではまだでした。そして今、夢中になっているスタンプラリ-のお寺でもあります。 



 駐車場からすぐの所で拝観料を払い、ゆるやかなだらだら坂を歩き、六十段の石段を上ります。ハ-ハ-と息が切れます。山に囲まれた静かな所です。


枯山水庭園と広い庭園があり、ツツジ・シャクナゲ・アジサイがたくさん植えられています。五月のツツジ(二万株)シャクナゲ(1千本)六月のアジサイ(一万株)七月のハス、秋の紅葉と四季を通じて楽しめます。今日は平日で、お花の季節も終わり、もみじの紅葉にはまだ早く、参拝客はまばらでした。本堂にお参りし、本堂横で朱印とスタンプをもらい、庭園を歩きました。
 




池には鯉がたくさん泳いでいます。私達の声を聞いて、たくさんの鯉が集まってきました。 



私の好きな秋明菊、清楚な白い花は見頃です。



池のほとりでは、赤とんぼが飛んでいます。小さな体でスイスイ飛び交います。かわいい風情に名歌「赤とんぼ」が自然にこぼれてきます。



広い庭を手入れするのは本当に大変だと思います。今では拝観料も高くなり、お寺も維持管理していくのは、厳しい現状だと納得できます。山を眺め、庭を歩き、新鮮な空気の中で、心落ち着くひとときを過ごしました。

2014年10月1日水曜日

ダイバ-ジョナルセラピ-

 以前対人援助の勉強をしていた時に出会ったものの中に、ダイバ-ジョナルセラピ-がありました。日本語で言うと気晴らし療法です。四十数年前にオ-ストラリアで始まったケアの思想と実践です。日本では、十数年ほど前に協会が設立されました。定義として「一人の人間がより楽しく意味のある生活を送るために、必要なもの(こと)を、計画的に探し、意図的に生み出していくためのあらゆる手段・手法であり、その哲学・思想である」と書かれています。

作業療法でも取り上げられているものもありますが、実践方法としては、
*園芸セラピ-
*アニマルセラピ-
*ド-ルセラピ-
*音楽セラピ-
*センサ-ル-ム(五感に心地よい刺激を体験することによって、生活に変化を生み、ストレスを癒やし、精神的安定を得るための設備をアレンジした特別な部屋。例・・・灯り、照明、色彩を工夫した部屋
などがあります。


介護・医療・福祉の分野で注目を浴びて、力を発揮しているダイバ-ジョナルセラピ-ですが、支援を必要とする人はもちろん、そうでない人も、自分が自分に取り入れることのできるセラピ-だと思います。自分の気持ちが沈んでいる時など、ちょっとした気分転換を図るのはとてもよいことです。大したことではありません。散歩に出るとか、自転車に乗って自分の住んでいる所から少し遠くへ足を伸ばすとか、日帰り旅行とか、一人でできる範囲で自分を自分でケアするのです。私は日常生活の中で、いろいろ実践しています。人が長い人生を生きて行くのには、気晴らしや気分転換は必要です。大切なことだと思います。そういう意味でもダイバ-ジョナルセラピ-は素晴らしいと思います。

2014年9月28日日曜日

私の好きな金木犀

 今日自転車でチャリチャリ走っていると、金木犀のいい香りが漂ってきました。金木犀は私の大好きな花です。実家にも大きな金木犀がありました。私達が初めて手に入れたマイホ-ムの庭にも小さな金木犀を植えました。子供の成長と共にその金木犀は大きくなり、私が見上げるほどに育ちました。みんな懐かしい思い出です。
 今日金木犀の香りに誘われて入って行ったのは、京都府庁です。「京都こだわりマルシェ」が催されていました。小さいけれどもお店がいろいろ出ていて、私達は一周しました。美山町の美山牛乳は有名ですが、残念なことにもうすでに売り切れていました。私は茄子の漬物を買いました。産地から直送直売で、とれたて野菜やお米、栗もありました。手作りクッキ-も売られていました。私達は玄関前に出ているお店だけを回ったのですが、府庁の建物の中にも、いろんなお店が出ていたようです。玄関横のちょっとしたステ-ジでは、団塊世代と思われる男性三人のフォークソングのライブが行われていました。金木犀は回廊式の建物の外と庭にもあり、ちょうど満開で、とてもよい香りが漂っていました。





 素晴らしいお天気で、あちこちの小学校では運動会が催され、子供達の元気な声が聞こえていました。

2014年9月27日土曜日

言語比較論

 最近私は面白いことに気づきました。比較言語学という一見難しそうな学問が、世界を舞台に展開されていますが、一番身近な私の家庭の中で、長年交わされている言葉自体が、言語比較論そのものだということに気づいたのです。

 私、ポアロ(夫)、娘、の三者の出身地が違います。ポアロは難波の国、私は伊勢の国、そして娘は多国籍です。私は夫の転勤に伴い、いくつかの土地で暮らしましたが、その土地の個性的な言葉が方言として継承されています。そしてその方言には、他の土地に暮らす人々に、時には通じない言葉もあります。十年暮らした岡山では、語尾に「じゃろ」をつけて、老いも若きも、小さな子供から高齢者まで話されていました。その言葉が聞こえてくると、ほほえましい印象を持ちました。私は伊勢弁を連発します。ポアロは大阪弁です。娘はどこの出身かわからないほど、いろんな言葉を発します。はんなりした京都弁、きりっとした標準語、奈良独特の奈良弁など、その時に応じていろんな言葉が飛び出します。地方出身の私から見れば、東京で交わされる標準語といわれる言葉は、少しすました言葉のように聞こえます。気取っているようにも思います。これは私の偏見だと思いますが。私が伊勢弁で、語尾に「が」をつけて発言すると、ポアロと娘はびびります。「荒っぽくてきつくて怖い」と言うのです。私が何げなく発した言葉が、人に悪い印象を与えているとすれば、それは問題です。発する言葉に注意を払わねばなりません。また私が発した言葉が「おかしい、面白い」と言って、笑いころげるようなものもあります。その土地で何の気兼ねもなく交わしてきた言葉について、いろいろ指摘されると、私は萎縮してしまいます。これからは声の調子も変えて、すました顔で、標準語をしゃべろうかとも思いますが、それを思い描くと、自分らしさがなくなり、よそ行きの顔になるようで、やっぱり自分は自分、あるがままにをモット-にしていこうと思います。ポアロや娘に揶揄されても「負けないぞう-」の心境です。

2014年9月26日金曜日

京都スタンプラリ-(4)

 久しぶりに京都スタンプラリ-に二人で出かけました。自転車で浄土寺真如堂、金戒光明寺、知恩院、八坂神社を急ぎ足で回りました。四時で閉門になるので気が焦ります。
 浄土寺真如堂は、以前ブログに「珍しい花」というタイトルで、菩提樹のことを書きましたが、今回はスタンプをもらうために本堂での参拝だけです。



  二つ目は金戒光明寺です。浄土宗大本山で立派な山門があります。NHK大河ドラマ「新撰組」のオ-プニングのシ-ンとして、一年間放映された馴染みの場所です。会津藩の武士がたくさん眠っています。またNHK大河ドラマ「お江」の主人公で、江戸幕府第二代将軍徳川秀忠の妻ごうの墓所もあります。境内からは京都の町がよく見える絶景ポイントです。





 三つ目は知恩院です。有名すぎるほどの大きな立派な三門があり、男坂、女坂の二つの坂があります。私達は、ゆるやかな女坂を上りました。私の両親はここへ分骨しているので、何度もお参りに来ているところです。駆け足でスタンプをもらい知恩院をあとにしました。





 最後は八坂神社です。知恩院の近くにあり、円山公園を通り抜けて、八坂神社本殿前でスタンプをもらいました。夕暮れが近づきましたが、たくさんの観光客でにぎわっていました。中国、韓国などアジアからの観光客が多いように思いました。特に中国の方々は、団体で大きな元気な声で話されているので、中国の方だとすぐわかります。東山界隈は、観光客に人気のある京都の代表観光地です。


  今日のスタンプラリ-は、スタンプを四つもらえました。自転車で二時間かけて回りました。小さなスタンプですが、よい思い出になると思います。

2014年9月23日火曜日

「誕生に贈ることば(6)」

あなたの命が芽生えた時から
パパとママは願っていた
丈夫な子になあれ
強い子になあれ
頭の良い子になあれ
ス-パ-マンになあれ
どんどん欲張りになった

が、今はただ感謝するのみ

2014年9月22日月曜日

「誕生に贈ることば(5)」

君が生まれる日
パパはずっとママのそばにいた
ママの手をしっかり握っていた
パパとママの命から
あなたの命が生まれるのです
大切な大切なあなたの命
どうか健やかに

大きく育て!

2014年9月21日日曜日

「誕生に贈ることば(4)」

君が生まれた日
世界がこんなに明るいことを
空がこんなに美しいことを
人間がこんなに素晴らしいことを
みんな
大自然の中で生きているということを

パパとママは知りました

2014年9月20日土曜日

夏休みの札所参り(5)

 旅の終わり三日目は、少し逆戻りとなりますが、台風のために予定を変更した生野銀山を目指します。
 丹後から但馬へ戻りますがその途中にある出石城へ寄るルートをとりました。出石そばでも有名です。お城から遠くまで但馬の国が見下ろせます。但馬の国は、室町時代から山名一族の本拠地となり、出石は但馬の中心地として栄えました。一族の中でも、山名宗全は有名です。応仁の乱を引き起こし、西軍の大将となりました。出石城は時代とともに移り変わり、その城下町にはたくさんの見どころがあります。重要伝統的建造物も多くあります。私達は夏休みでにぎわっている商店街を少し歩き、有名な辰鼓楼を写真に撮りました。1871年(明治4年)に建設されたもので、今も時計台として時を刻み続けています。交通が不便なところですがなぜか外国の方も大勢来ておられます。見どころいっぱいの出石ですが、私達はつかの間の時間しかなく残念でした。




そして途中では先日立ち寄った竹田城の違う方向からの写真を撮りに行きます。観光ポスタ-になっている竹田城の美しい全景の写真を撮るために、反対側の高台まで上りました。雲海に浮かぶ竹田城ではありませんが、石垣が横に広がる全景の姿を撮れました。
  

 次に今回の旅のクライマックス生野銀山を訪れました。私達家族はいろんな私的学会を作って楽しんでいます。土木学会、お城学会など、今回は産業遺産学会です。最近はテレビで日本各地の産業遺産を取り上げているので喜んでいます。生野銀山は807年に発見され、昭和48年に閉山しましたが、1200年の歴史があります。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350キロメ-トル以上、深さは880メ-トルの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種以上に及んでいるとのことです。整備された観光坑道を歩きました。中はずい分寒くて、夏とはいえジャンバ-をはおりました。いろんな工程を見せてくれています。人間の偉大さに深く感動しました。観光坑道を出てから、生野銀山文化ミュ-ジアムを見学しました。






 その後、最近整備された旧生野銀山職員宿舎を見学したいと寄ったのですが、閉館ぎりぎりで「あ-残念」と思ったところ、年配の男性が「見学ですか、どうぞ」とおっしゃり、少しだけ見せてもらおうと入りました。ところが男性は丁寧に一時間もかけて説明してくださいました。旧職員宿舎は、明治・大正・昭和と建てられた時代の変遷をあらわしています。家具・調度品が置かれ、その時代の生活がよくわかります。ここには俳優志村喬氏が幼少時代を過ごした、明治9年に建てられた社宅が、志村喬記念館として再現されています。彼のお父さんが生野銀山の技師だったのです。職員宿舎の中でも、ここに復元されているのは、幹部の人達の住まいだったそうです。




 志村喬氏は、黒澤明監督の映画に数多く出演され「生きる」「七人の侍」は、映画史上の名作です。昭和57年に死去されていますが、私は何本かは観ています。ここへ来るまで、生野銀山と志村喬氏との関わりは知りませんでした。閉館時間を大幅に過ぎ、アメまで頂き、男性のあまりの親切に私達は恐縮し、美しい夕日を背にして帰途につきました。

2014年9月17日水曜日

夏休みの札所参り(4)

 二十九番札所松尾山へ四時迄に着かないと、閉門になると思い私達は急ぎました。舞鶴に向かう途中に、山椒大夫屋敷跡の案内看板があり、昔に読んだ物語を思い出しました。安寿と厨子王ゆかりの地だったとは驚きでした。時間ぎりぎりに松尾山に到着し、朱印をもらうことができました。



 次に目指すのは、舞鶴市の赤レンガ博物館です。1903年(明治36年)に竣工した旧日本海軍の倉庫群です。戦争という暗い歴史を今に伝えていますが、レンガ建築物としては日本最古級とされているとのことです。時を経てもレンガ造りの建物はしっかりしており、美しく整備された芝生に建つ十二棟のレンガ倉庫群は、どこか外国へ行ったような錯覚を感じました。博物館への入館は五時までだったので、少しのことで私達は中へ入れませんでした。写真はたくさん撮りました。






 次に行きたかったのは舞鶴引揚記念館ですが、ここも時間切れとなり行けませんでした。私は、舞鶴という地名は、子供の時からよく耳にしていました。父や母、叔父や叔母が、満州から引き揚げて来た時に上陸した港です。戦後生まれの私は、舞鶴イコ-ル引き揚げ、戦争という暗いイメ-ジを持っていました。以前ブログに書きましたが、傾聴ボランティアで出会った高齢の女性は、幼い四人の子供をつれて、毎月岡山から舞鶴へ夫を迎えに通いました。末の子供は父の顔を知りません。終戦を迎えても、夫に関する情報は届きませんでした。小学校の教師をしながら、四人の子供を育て上げたその女性は、悲しみ苦しみを乗り越えて生きてこられた立派な人です。戦後十一年経ち、夫は戻りました。何も入っていない白木の箱です。彼女のお話を聴いた時、私は、小説あるいは映画のスト-リ-のように感じました。戦争は、彼女のような人達をたくさん生み出したのです。舞鶴へ来て、日本の暗い過去を思い出し、私は感傷的になりました。





 時間に追われ、この日もあわただしく、宿泊予約をとったホテルへ向かいました。