二十九番札所松尾山へ四時迄に着かないと、閉門になると思い私達は急ぎました。舞鶴に向かう途中に、山椒大夫屋敷跡の案内看板があり、昔に読んだ物語を思い出しました。安寿と厨子王ゆかりの地だったとは驚きでした。時間ぎりぎりに松尾山に到着し、朱印をもらうことができました。
次に目指すのは、舞鶴市の赤レンガ博物館です。1903年(明治36年)に竣工した旧日本海軍の倉庫群です。戦争という暗い歴史を今に伝えていますが、レンガ建築物としては日本最古級とされているとのことです。時を経てもレンガ造りの建物はしっかりしており、美しく整備された芝生に建つ十二棟のレンガ倉庫群は、どこか外国へ行ったような錯覚を感じました。博物館への入館は五時までだったので、少しのことで私達は中へ入れませんでした。写真はたくさん撮りました。
次に行きたかったのは舞鶴引揚記念館ですが、ここも時間切れとなり行けませんでした。私は、舞鶴という地名は、子供の時からよく耳にしていました。父や母、叔父や叔母が、満州から引き揚げて来た時に上陸した港です。戦後生まれの私は、舞鶴イコ-ル引き揚げ、戦争という暗いイメ-ジを持っていました。以前ブログに書きましたが、傾聴ボランティアで出会った高齢の女性は、幼い四人の子供をつれて、毎月岡山から舞鶴へ夫を迎えに通いました。末の子供は父の顔を知りません。終戦を迎えても、夫に関する情報は届きませんでした。小学校の教師をしながら、四人の子供を育て上げたその女性は、悲しみ苦しみを乗り越えて生きてこられた立派な人です。戦後十一年経ち、夫は戻りました。何も入っていない白木の箱です。彼女のお話を聴いた時、私は、小説あるいは映画のスト-リ-のように感じました。戦争は、彼女のような人達をたくさん生み出したのです。舞鶴へ来て、日本の暗い過去を思い出し、私は感傷的になりました。
時間に追われ、この日もあわただしく、宿泊予約をとったホテルへ向かいました。
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