2018年9月14日金曜日

偶数月15日


 偶数月の15日がこれほど待ち遠しい日だったとは、当事者になるまでわかりませんでした。偶数月15日は、年金受給の日です。毎月ではなく、隔月の受給です。年金暮らしにとっては、唯一の収入源です。副収入のある人にとっては別ですが、ほとんどの人には、大切な収入源です。年金暮らしを数年してきて、年金だけでの生活は厳しいものだということを痛感しています。
歳が上がるほどに、病院との付き合いが増えていきます。一人でいくつもの病院を回る人がほとんどです。ボケ川にもよく登場しますが、高齢者は薬漬けが実情です。医師の「まあこの薬を飲んでみて下さい」の一言から、薬漬けの日々が始まります。44歳で旅立った姉の闘病をそばで見ていた私は、医学、医師への信頼を損ないました。医師の言うことを、盲目的に信じることはできません。救急的に医療に助けてもらうことはありますが、それは短期的なものです。そういう理由で私は病院と仲良くしていません。薬も飲んでいません。シニアの中では、希少価値のある存在です。
日本が世界の中で長寿国となり、高齢者の医療費は、膨れ上がっています。これからもどんどん膨れ上がっていきます。高齢者にむやみに薬を出すのを改める必要があると思っています。私は国民年金だけです。額を言うのも恥ずかしいほどの、微々たるものです。それでも無いよりはましだと思っています。微々たる額から、税金や趣味、自分の身の回りの品の支出で使い切ります。日記を書くのが好きな私は、並行して家計簿的な記録もしています。年金だけで一ヶ月を過ごせた月はありません。毎月の持ち出しは増える一方です。ホームに入ったまんたん(義母)は、5年目に突入しました。年金だけでは、賄えません。毎月大きな額が持ち出しとなります。
最近自分のことを考えると、心細くなってきました。最期の時まで自宅で過ごせるかどうかは、誰にもわかりません。ホームに入るとなれば、持ち出しは一年で軽く百万を超えます。最期の時まで何年あるのか、もし長ければその準備をしておかねばなりません。子供に負担をかけることは、断じてできません。そう考えると、お金の大切さが身に沁みます。これからは、年金だけで生活することを肝に銘じています。
 時代という言葉に責任を押し付けるわけではありませんが、結婚して家庭を築き守り、子供を育て上げるという女性の生き方に疑いを持たず、その道を進んで来ました。結婚前には、花嫁修業に勤しみました。今から思えば、おかしく笑ってしまう時代です。結婚してもしなくても、一生を貫く仕事を持ち、男女平等の経済力を持つ道の方が良かったのではないかと思ってしまいます。私は、ピアノ教師として仕事をしてきましたが、それは家計を潤すだけのものでした。これからの女性の生き方は、一時的には大変な時期があると思いますが、男女平等の経済力を持つことをアドバイスしたいと思います。

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