2014年11月10日月曜日

犬とはいえ

 知人の四十代と五十代の御夫婦には子供がいません。しかし犬が子供になっています。愛犬というよりまさに子供です。動物病院へ行くと、お医者さんから「お父さん、お母さん」と呼ばれます。どちらの御夫婦も、共働きなので、朝から夕方まで犬は留守番です。どちらも室内犬をかっているので、散歩は毎日行く必要はありません。人間の都合で行ける時に、行きたい時に行けばいいのです。時々は外へ連れ出してやらないと、犬もストレスがたまります。医療保険には、犬をかうと決めた時にすぐ入りました。私は犬を二匹かいましたが、医療保険に入っていなかったので、耳のそうじをしてもらうのにも、ずい分高くかかったのを覚えています。
 日本が少子高齢化を突き進む中で、こういった選択をされる御夫婦も少しずつ増えているような気がしています。愛情をそそぐ対象の存在と、人間を癒やしてくれる犬の存在、両者のもちつもたれつの関係です。インタ-ネットの動画サイトには、癒やしの動物として圧倒的に犬が多く登場しています。赤ちゃんをあやしたり遊び相手になったり、子守りをする犬もいます。高齢者施設では、動物セラピ-として犬が活躍しています。人間が犬を抱いたり、なでたりすることで、心が落ち着き癒やされるのです。昔から犬は、人間のパ-トナーとして、牧羊犬、猟犬、荷役犬、番犬などが有名でした。そして最近は、盲導犬、聴導犬、介助犬など、人間は犬に助けられています。人間と犬の相性は素晴らしいものだと思います。
 猫派と犬派に分かれますが、私は犬派です。犬の賢さは、言語をこえたものです。言葉を話さなくても、人間の気持ち・心を理解します。私は、二匹の犬と十七年間共に生活しました。シェトランドシ-プドッグ(シェルティー)と柴犬混じりの雑種のどちらもオスでした。子犬の時のかわいらしさ、成長する過程の面白さなど、いろいろ興味深いものでした。室内犬ではないので、朝夕の散歩はかかせません。休日の朝などは家族皆がゆっくり寝ているので、犬のひと声で私は飛び起きて散歩に行きました。自分の子供が赤ちゃんの時に「あ~」と発するそのひと声でガバッと飛び起きたのと同じです。犬とはいえ大切な私の子供でした。犬達も私を大切なお母さんと思っていました。そして最期の時を迎え、必死の看病のかいもなく二匹の愛犬は旅立ちました。「ありがとう。さようなら」と言って。

 犬を子供として育てる御夫婦を近くで目にする私は、自分の過ぎ去った日々を見ているようです。両親のあふれる愛情を受けてスクスク育つのは、人間の子供も犬も同じです。その幸せがずっとずっと続きますように、と願っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿