2013年9月30日月曜日

五十年の歳月


 五十年とひと口に言っても、本当に長い歳月でした。五十年前のあの日、高校生の私は、まるで映画のように流れていくテレビの映像にくぎづけになりました。ジョン・F・ケネディ大統領が、暗殺されたとニュ-スは伝えています。若い大統領の出現に期待し、幼い二人の子供のいる家庭人としての姿に、あこがれと理想を抱いていた高校生の私でした。本を買って読み、ケネディ一家に夢中になっていました。突然の不幸が幸せな家族を、悲しみのどん底へつき落としたのです。いつも両親のそばには、あどけない二人の子供がいました。

上の子は、五歳のキャロラインでした。あれから五十年が過ぎ、キャロラインが駐日大使として、十月に日本へ赴任するという報道を知って、私に再びケネディ熱が戻ってきました。初の女性駐日大使とのことです。時代もどんどん変化し、女性大統領や女性首相など、世界では一つの国の最高ポストに、女性が就いています。女性として嬉しい限りです。キャロラインの人生における苦悩は、彼女を人間としてどんなに大きく成長させたであろうかと、スピ-チをする彼女の表情からうかがえます。これからのキャロラインの活躍に胸が躍ります。大輪の花が咲くことはまちがいないでしょう。一地球人として、大きな声援と暖かい眼差しを彼女に送ります。これからもずっと彼女を暖かく見守り続けたいと思っています。

2013年9月29日日曜日

「こころ」


わたしの名前は こころ

いつでもどんな時でも わたしはみんなの体の中にいるの

 

おじいさんおばあさんの 体の中にも

おとうさんおかあさんの 体の中にも

おにいさんおねえさんの 体の中にも

おとうといもうとの 体の中にも

町にすんでいるみんなの 体の中にも

村にすんでいるみんなの 体の中にも

ネコのタマの 体の中にも

イヌのコロの 体の中にも

 

そして もちろん きみの 体の中にも

でも わたしの姿は 誰にも見えないの

 

わたしの体は まるで空に届きそうに 大きく大きくなったりするの

そうかと思うと まるで踏まれてしまったように 小さく小さくぺっちゃんこにもなるの

 

どんな体をしているのって?

不思議でしょう

 

わたしの体は風船みたいなの

風船は一生けん命ふくらませたら どんどん大きくなるね

ふくらませようとしなかったら いつまでもぺっちゃんこだよね

 

君がおともだちと楽しく遊んでいる時

わたしは大きく大きくふくらんでいくの

 

君がおともだちとけんかした時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになるの

 

君がおかあさんの手伝いをしてほめられた時

わたしは大きく大きくふくらむの

 

君がいたずらをしておとうさんに叱られた時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになるの

 

君がうそをついて誰かを悲しませた時

わたしはちくちく痛くなるの

 

わたしがいつでもどんな時でも 君の体の中にいること わかってきたかな

 

君がにこにこ笑ってピョンピョン飛んでいる時

わたしは風船のように 大きく大きくふくらんでいるの

 

君が悲しくて泣きそうな時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになっているの

 

君が涙をこぼして泣いている時

わたしは小さく小さくぺっちゃんこになっているの

 

わたしがいつも君と一緒にいること覚えていてね

空を飛べる大きな大きな風船をふくらませてね

一緒に空を飛ぼうね!

2013年9月28日土曜日

「覚悟」


覚悟を持って 生きていますか

死ぬ覚悟を持って 生きていますか

命あるものすべてに 最期の時は訪れます

 

自分を燃焼させて 生きていますか

一回きりの人生 輝いていますか

自分が主人公の人生 歩いていますか

 

人の一生は 花に似ています

蕾が少しずつ少しずつ 開花するように

美しい花を 咲かせましょう

 

覚悟を持って 生きること

そこから すべてのものに愛しさが 生まれます

 

覚悟を持って 生きること

そこから 感謝が 生まれます

 

覚悟を持って 生きること

そこから 心の広い人が 生まれます

 

一日一生

人の一生は 一日の積み重ねです

一日一日を 大切に過ごしたいものです

 

理想を持って

夢を持って

希望を持って

日々の暮らしを大切にして

2013年9月27日金曜日

夏の終わりに(2)


 まんたん(義母)と一緒に暮らし始めて早くも七ヶ月が過ぎ、デイサ-ビスやショ-トステイを利用して、何とかこの調子でこれからやっていけると思っていた矢先、この夏の終わりにまんたんの混乱が頂点に達しました。

 初期の認知症という診断を受けたまんたんにとって、場所移動というものが、非常に大きな障害になるとは思ってもいませんでした。フランスからの二人と私達夫婦とまんたんと、一台の車に乗って、お盆休暇で田舎へ夜遅く移動したのですが、このことが、まんたんに大きな混乱を招きました。

 疲れたのでしょうか、まんたんは到着するなりすぐベッドに入り眠ってしまいました。私達は起こさないよう気を使いながら、お茶を飲んで一服していたのです。そこへドアを少し開けてまんたんが顔を出しました。その形相は大変なもので、私達は驚いて何事が起こったのかと、すぐまんたんの部屋へかけつけました。すると「私をこんなところへ閉じ込めて」と泣き、わめき、怒り、物を投げるなど、大変なことになったのです。二時間半ほどのドライブで、車中では機嫌よく皆とおしゃべりしていたまんたんの突然の豹変ぶりには、本当に驚きました。心優しく孝行息子の夫でさえ、まんたんの理不尽な言葉には、堪忍袋の緒が切れ大きな声を荒げました。私達がまんたんのことを思い考え、一生けん命していることが、まんたんには通じない、わかってもらえないということを、思い知らされました。

 私達はまだ現役で、仕事をして飛び回って生活しています。これ以上まんたんを連れ回すことは限界だと思いました。以前将来のことを考え、何ヶ所かホ-ム・施設を見学していたのですが、連絡をとると二部屋空いているとのことで、私達は早速手続きを始めました。そして大騒動の十日後には、有料老人ホ-ムへ入居することができました。

 外見は八十八歳とは思えない立派な体格のまんたんは、おそらくホ-ムの中で一番元気な高齢者だと思います。入居する数日前のことです。フランスから帰国している娘が買った運動靴のヒモ通しを手伝っていたまんたんは、突然その運動靴をはきました。あまりの元気さに記念写真を撮ろうということになり、そばにあった五キロの鉄アレ-を渡すと持ち上げました。運動靴をはいて今にも走り出しそうなまんたんが、鉄アレ-を持ち上げます。こんなに元気な米寿の高齢者がいるだろうかと、皆が驚きました。

 日本が長寿社会になり、寿命が延びたことはめでたいことですが、喜んでばかりはおれないと、皆が心の中ではしんみりしたように思います。この夏の終わりに、まんたんはホ-ムへ入居し、高齢の方々と穏やかな暮らしを始めました。

2013年9月26日木曜日

夏の終わりに(1)


 今年の夏の暑さは本当に厳しいものでした。家にいる時はエアコンのおかげで何とか暑さをしのげますが、一歩外へ出ると大地が唸っているような酷暑です。猛暑よりも酷暑の方がふさわしく思います。外へ出るのを控えるといっても、やっぱり暮らしの中では、いろいろと用事ができるものです。私は外出した時、四十度近い気温の中を黙々と歩きます。修行僧のように、今自分は行をしているのだと心の中で呟きながら歩きます。

 我が家にフランスからの嵐が上陸し、一ヶ月があっという間に過ぎて嵐が去ったあと、私はいけ花の家元道場へ、三期目の勉強に行きました。伝統的ないけ花は、洗練された形を作り上げています。教わった通りにいけると、下手なりにも形ができ上がります。しかし自由花はいける人の創作です。いつもテ-マがあります。私はテ-マを「夏の終わりに」とし、ヒマワリで厳しい夏の暑さを表現し、夏の終わりに夏から秋へと移り変わる秋の訪れを、ススキとコスモスに表現しました。もちろんそれだけではなく、ナツハゼやタマシダも使いました。花器も重要な役目をします。夏の表現にはガラス花器を、秋の表現には陶器がよく似合います。テ-マを「夏の終わりに」とした私は、自然が感じられる陶器を選びました。先生の手直しを受けて「“夏の終わりに“が感じられますね」との言葉をもらい、この夏の厳しい暑さと、フランスからの嵐と、私にとって忘れられない今年の夏が、走馬燈のように頭をかけめぐっていきました。

2013年9月25日水曜日

自由句三句


嵐去り 心の中に すきま風

 
 

言語力 足らず会話に 汗にじむ

 
 

故郷の 人影消えて 盆は行き

2013年9月24日火曜日

嵐過ぎ去り


 あっという間に今年の夏は終わってしまいました。長い間ブログを休んでしまいましたが、二ヶ月近く休んでしまったという感じはなくて、本当にあっという間に月日が過ぎてしまったように思います。八月一日に我が家に上陸したフランスからの嵐は、八月三十一日に嵐去りということになったのですが、何事にも不器用な私は、一つ一つしか処理できず、嵐の前も後も一心不乱の状態で、今やっとブログを書けるようになりました。

 娘の大切な人を迎えるという生まれて初めての経験でしたが、異国の人と親しく人間対人間としておつきあいができました。フランス語がしゃべれるわけもなく、下手な片言の英語でみんなの笑いをとるような面白おばさんとなりました。恥をたくさんかいて、ますます英会話力を身につけたいと意欲満々になってきました。母国語以外に何か一つ外国語がしゃべれたら、どんなに世界が広がるかと思います。

 ある日の夜、接待業で疲労困憊の私は、彼らより先に横になりました。ふすまの向こうでは彼らの会話が続きます。フランス語なので意味は全然わかりませんが、私にはフランス語が心地よい子守歌のように聞こえてきました。フランス語会話を聞きながら、私はすぐ夢の世界に入っていきました。言語にはそれぞれ個性があると思いますが、フランス語は美しく流れる音楽のようでした。

 外国の人が日本へたくさん来られますが、私は英会話の先生としか親しく話したことがありません。フランス人男性と親しく接して、いろんなことを知りました。性格がわかるというのは面白いことです。一つ屋根の下で一緒に暮らしてこそわかることだと思います。人への配慮、優しさ、思いやり、感心することがたくさんあって、当たり前のことですが、国籍は違っても根本は人間対人間でわかり合えるということを再認識しました。

 私の気づきを、これからもブログに書いていこうと思っています。