2012年2月25日土曜日

昭和のヒロイン

激動の昭和を生き抜いた日本の母

 戦後生まれの私が、お話を聴くボランティアで出会った九十歳の女性は、私が考える昭和のヒロインである。激動の時代を生き抜いた日本の母である。男達が引き起こした戦争によって、大切な人を失い、深い悲しみ大きな苦しみを胸に、歯をくいしばり、昭和を生き抜いた。彼女達にはただただ頭が下がる。平和で豊かな今の日本からは、想像するのも難しい彼女達の人生。昭和のヒロインは、このような多くの彼女達である。
 彼女の夫は、終戦になっても消息不明で生死もわからず、引き上げ船が帰るたびに、幼い四人の子供をつれて、舞鶴まで何度も出かけた。戦争という恐ろしい渦に巻き込まれ、悲しみ苦しみを押し付けられ、それでもそれに負けず、歯をくいしばって生きてきた。負けるわけにはいかない。子供達を立派に育てあげねばならない。一番下の子は父親の顔を知らない。生まれてすぐ写真を撮り夫のもとへ送った。夫はとても喜んでいたと、後で人づての聞いた。この子は父に一度も抱かれることはなかった。戦争が終わった。いろんな仕事をして、必死で子供達を育てた。とにかく夫が帰るまで頑張らなければと一生懸命だった。子供達の元気な姿を、夫に見せたいという思いで必死だった。いつかきっと帰ってくると信じ、元気で帰ってくれることを信じ、無事を祈り続けて十一年。遺骨が還った。名前を書いた木の札のみの遺骨だ。他に何もなかった。夫が出征した日から六十余年の歳月が流れた。四人の子供は亡夫から託された彼女の宝物だった。夫を見送った最後の時に「子らをたのむよ」と言った夫の言葉と、手の熱い感触を胸に生きてきた。「子供達も立派に成人し、夫に自慢したいと思います。現世での生活は、七年足らずでしたが、あの世で会えるのを、楽しみにしています」と話す彼女が、夫に会える日はそう遠くではない。
 激動の昭和を生き抜いた、彼女達の踏ん張りの上に、今の日本がある。

0 件のコメント:

コメントを投稿