2012年2月24日金曜日

ふるさと

 思えば遠くへ来たもんだ  

今、私の住まいは山陽本線のそばにある。生まれて初めて、鉄道のそばに住んでいる。いつも、列車の通る音があるという生活の中で、深夜聞こえてくる夜行列車の音は、心に深くしみ入って聞こえてくる。子供が、幼稚園の時に合奏した、「線路は続くよどこまでも」の歌が聞こえてくるようであり、青春時代に結びつく「思えば遠くへ来たもんだ」のメロディーが、若かりし頃の映像と共に、甦ってきたり、列車の通る音が、格別な意味を持って、私に語りかけてくる。山陽本線、東海道本線、関西線、紀勢線を乗り継いで、私のふるさとへ線路は続いている。広島へ来て始めの半年間、私は、父の介護に毎週末ふるさとへ通った。父は米寿を超えたものの、いつなんどき別れの時が来るかもしれないという思いで一生懸命介護した。そして別れは突然訪れた。最後のその時には、立ち会えなかった。十年前に母が去り、そして父が去り、ふるさとが淋しいものになった。他県に嫁ぎふるさとを離れて三十年。いつも私達家族が帰るのを待っていてくれた父と母。「ふるさと」イコール「父と母」の存在だった。父と母のいないふるさとは、淋しさを感じる場所となり、年二回のお墓参りだけが、ふるさとへ足を運ぶ日となった。しかし四半世紀の間、私を育ててくれたふるさとは、心の中に生涯変わることなく記憶されている。ふるさとは自分の原点である。父と母から、そしてふるさとからたくさんの愛情をもらって私は育った。自意識が芽生えるまでの、無邪気で天真爛漫だった子供時代、そして悩み多かりし青春時代。懐かしい恩師や友人達と、一瞬にして学生時代にタイムスリップできるふるさとである。時には、恥ずかしい自分を思い出させてくれるふるさとである。

 結婚して、大阪、東京、名古屋、京都、広島へと、転勤で移り住んだが、私の心の中には、ふるさとが生まれ育った場所として、しっかり根を張っている。しかし二人の娘にはそれがない。娘達は、「ふるさとはどこ?」と聞かれた時、答えに困ると言う。私が「ふるさとはここ」と即答できることを、うらやましいと言う。私のふるさとは、娘達にとって、おじいさんおばあさんが暖かく迎えてくれたところ、生まれた時から何度も足を運んだなじみの土地であり、特別の場所ではあるが、ふるさとではないらしい。また違う見方をすれば、「心のふるさと」は、実際に生まれ育った場所をさすものでなく、自分がふるさとのように思う場所である。そういう意味では、娘達も自分の「心のふるさと」を、見つけることであろう。

 今、山陽本線のそばに住んで、列車の通る音を聞きながら、ふるさとへ思いを馳せる。ふるさとから出発した私の旅が、人生が、線路と重なる。喜び、悲しみ、苦しみ、いろんなことがあったけれど、まだまだ未来へ向かって列車は走る。線路は未来へ続く。未知の世界がまだまだこの先にある。

 「今は過去、未来は今」このことばを、胸に刻み、人は旅人、人生という旅を、自分の旅を、しっかりと歩いていきたい。

父と母に「ありがとう」ふるさとに「ありがとう」と、感謝の気持ちを持って歩いていきたい。時々、ふるさとを振り返りながら。

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