今から三十年前、嫁ぐ日の前夜、二十五歳の私は、日記に記した。
「明日から新しい人生がスタートする。愛し合い共に生きていきたいと思う二人なんだから、どんなことが起ころうと乗り越えられる。いろんなことがあるだろうが、頑張ろう。結婚とは、愛情、信頼、尊敬、責任の、四本柱の家屋のようなもの。最後の別れの時に、自分は愛した、愛されようと努力した。そう思えるように生きていこう」愛し合う二人が結ばれる喜びに、満ちあふれていた。結婚する前に、人間について、愛についてなど、たくさん読んだ本の中で、見つけたことばを胸に刻み、私は、結婚という人生の大事業を歩き出した。
結婚した翌月から仕事も始めた。自宅でピアノを教える仕事なので、家事との両立も可能だった。長女が生まれ、次女が生まれ、家事、育児、仕事を、とにかく無我夢中でやり通した。ピアノひと筋で生きてきた不器用な私が、必死に生きた。その日々の中で、愛し合う二人が結婚したという喜びを、胸に秘めながらも、どこか違和感を感じていた。二人の子供を何とか育て上げねば、という責任と義務が、私を頑張らせる原動力となった。もちろん、子供の成長は、人生の喜びであり、二人が築いた家族四人が、健康に暮らせていることには、感謝した。愛し合っている二人という私の思いが、相手からの何気ない言動で傷つき、自信を無くしていった。愛し合って結婚したのではないか、何故、こんな思いをするのか。そんな時、私は、ピアノに自分の心をぶつけて、乗り越えてきた。嬉しい時、悲しい時、悔しい時、ピアノは私の心を暖かく包み込んでくれた。愛し合った二人が言い争い、けんかするなど、想像できなかった私は、理想の夫婦を演じていたのかもしれない。そして二人の子供は、成人し巣立って行った。これからは、夫婦二人仲良く、最後の時まで、支え合って生きていこう。そんな思いで気持ちも新たに、五十代に突入した。ところがそんな時に、夢にも想像していないことを知った。単身赴任を十年していた夫は、私と違う方向を向いて歩いていたのだ。
「結婚とは、愛情、信頼、尊敬、責任の、四本柱の家屋のようなもの。最後の別れの時に、自分は愛した、愛されようと努力した。そう思えるように生きていこう」と信念を持って生きてきた私の土台が、根っこから崩れ去った。私が最も大切にしてきたものが、崩れ去った。結婚の土台が崩れ去ったのでは、砂上の楼閣だ。愛し合う二人、共に生きる、イコール結婚ととらえていた私。自分だけがどんなに真摯に生きていても、二人の絆はもろく、簡単に崩れ去ることを知った。未熟な人間が、結婚し共に生きていくことの、難しさを痛感した。自分の心が傷つくたびに、愛し合っているならば、相手の長所も短所も受け入れねば、お互いさまなのだから、と考えていた私だが、こればかりはそう簡単には、乗り越えられなかった。夫は、夫婦再生を願った。命あるものはすべて、いつか終わりの時が来る。その時まで、どう生きるべきか、信念を持って生きてきた私は、この最大の難関も、その信念で乗り越えてしまいそうだ。人間は弱いもの、愚かなもの、目の前にいる人のありのままの姿を、愛し抜こう。なにより愛し合った二人が、共に生きていこうと結婚したのではないか。最後の別れの時に、思い出の一つとして、二人の歴史をふり返ることができるのかもしれない。
私の「約束」は、嫁ぐ日の前夜、日記に記した自分との約束である。
「恋は一瞬、愛は二人で育てるもの。
今は過去、未来は今」と、つぶやきながら、歩いていこう。
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