京都にいる時は、毎朝鴨川散歩に出かけます。だいたい8時頃です。春の訪れとなった昨日は、鶯の声が聞こえてきました。はっきりとした大きな声で鳴きます。今年初めて聞く鴬の声です。私はうれしくて、歩く足取りが軽くなりました。今日は、鴨川散歩で鴬の鳴き声を、三か所で聞きました。昨日と同じく、大きな元気な声です。今しばらく鴨川散歩を楽しみます。
2025年3月27日木曜日
2025年3月26日水曜日
春の訪れ(1) つくし
寒い寒いと口癖になっていたのが、一気に春の陽気になりました。散歩に出ると、つくしの群生に出会いました。一日中日当たりの良いたんぼの畔に、つくしが群生です。我が家の小さな庭には、まだ一本も顔を見せていません。春の陽気に誘われて、散歩しながら春を見つけようと思います。
2025年3月25日火曜日
過ぎゆく日々(8)生きるとは
過ぎゆく日々は、すべて夢の中。過ぎゆく日々は、夢か現つか幻か。長きにわたる過ぎゆく日々は、本当に夢のようです。あんなことこんなこと、本当にいろいろありました。嬉しかったこと、悲しかったこと、面白かったこと、思い出はいろいろあります、いろいろある中でも、出会いと別れはつらいものでした。愛する人との別れは最大です。どんなにつらくても、人は生きていかねばなりません。深い悲しみを胸の内に秘め、笑顔で生きていかねばなりません。役者のように、何でもないといった表現者になるのです。そして「生きるとは」を追求し、哲学者になるのです。
2025年3月24日月曜日
過ぎゆく日々(7)書斎
私の書斎には、たくさんの本が並んでいます。一見では、すごい読書家と思われそうです。一番多いのは語学の本です。その他は、料理、医療、随筆、観光、情報、そして小説が少しあります。専門の音楽の関する本もあります。楽譜は、ピアノとあるので、書斎にはありません。父は、すごい読書家でした。父の書斎にある本は、多岐にわたります。辞書もたくさんあります。広辞苑から、ことわざ、格言、何でもあります。お城も大好きです。地理、歴史、何でもござれです。父が好きだった作家は、藤沢周平、池波正太郎、司馬遼太郎、齊藤茂太、など、時代小説、随筆、評論もよく読んでいました。書斎といえ私の書斎は、どこでもの移動書斎です。あるときはキッチン、あるときはリビング、あるときは誰かさんの机拝借、というふうに、いつでもどこでも気軽に移動書斎を使っています。そして自分の好きなこと(書くこと)に、没頭しています。
2025年3月23日日曜日
過ぎゆく日々(6)習い事
終活をしていると、過ぎ去った日々が思い出されます。興味関心好奇心の旺盛な私は、たくさんのことに手を出しました。スポーツでは、テニス、スイミング、チャリダー、スキーも少しかじりました。習い事では、洋裁、編み物、手品、華道、ビスクドール、などです。中でも華道は、母が先生をしていたので、私は家元の学院まで行きました。宗匠とお近くでお言葉を交わせて頂いたことは、夢の夢でした。勉強に関しては、ホームヘルパー、シナリオ学校、音楽療法、大学通信学部、傾聴ボランティア、語学では、英語、フランス語、イタリア語かじり、などなど、我ながらおかしくて噴き出してしまいます。子どもたちが小さい時には、キャンプ道具を買いそろえ、楽しい思い出作りに精を出しました。愛犬レオとナルドも。お伴をしてくれました。
2025年3月22日土曜日
過ぎゆく日々(5)蔵
現代では珍しくなった蔵というものが、実家にありました。長い歴史のなかで、人の生業に関わるすべてのものが、収納されていました。子どもの誕生を祝う品々、男の子だったら端午の節句、女の子だったら桃の節句、オーバーに聞こえるかもしれませんが、本当に何から何まで、大切にしまわれてきたのです。私が子どものころは、教科書も大切に保存されていました。江戸時代から代々引き継がれてきた食器や、お膳、お正月用品、季節の物々、座布団の数も半端ではありません。たんすに長持、冠婚葬祭、祝言も葬儀も家で行われました。そんな古い家で育った私は、何もかもが大切で、捨てるということができなくなっていたのかもしれません。置いておける場所があるのなら、今しばらく置いておこうという気持ちになっていました。そしてそうこうしているうちに、後期高齢者となり、断捨離に追われる日々となりました。
2025年3月21日金曜日
過ぎゆく日々(4)茶道具
懐かしい思い出の品が出てきました。茶道具です。母が長年愛用してきた茶道具を、私が譲り受けたものです。私も結婚するまで茶道を習っていたので、小さな茶道具は持っています。母が愛用していた茶道具の、ミニチュア版です。茶碗、茶筅、茶杓、なつめ、建水、ふくさなど、当時のまま入っています。忙しくばたばた過ごしてきた過ぎゆく日々の中で、一服のお手前を思い出しました。優雅なひとときでした。
2025年3月20日木曜日
過ぎゆく日々(3)
先日は面白い発見がありました。転勤族の私は、故郷三重を離れ、奈良、奈良で二か所、東京、名古屋近郊、故郷三重、京都、大阪、岡山倉敷などを移動しました。あちこちで生活するのは面白いことです。その土地々の個性があります。言葉にも違いがあります。方言は独特です。どういうわけか、新しいレジ袋がたくさん詰められた箱が出てきました。中には、その土地々で馴染みとなったスーパーのレジ袋です。スーパーの名前が思い出されます。そして当時の映像が走馬灯のように流れます。幼い子どもたちの姿、若いパパとママの私たち。すべてが私たち家族の歴史です。瞼が熱くなります。その土地々で出会った人たち。すべてに感謝です。
2025年3月19日水曜日
過ぎゆく日々(2)
何年か前から、終活がブームとなりました。自治体でも、エンディングノートを希望する市民に配布しています。書き記すことは、たくさんあります。無駄な延命治療の拒否、お墓のこと、自分の残した物々の処置、考えれば考えるほど、無限のように思われます。後期高齢者の私の人生、長い長い道のりです。たまりにたまった物たち、たくさんの服、もちろん役にたたない服はさよならしてきました。たくさんの和服、これらは、母の愛情だと思ってずっと持ち続けてきました。思い出の数々、二人の子どもの成長の記録は、たくさんのアルバムとなりました。終活するということは、すべてが思い出となり、私の歴史です。そして原点に戻っていくのです。
2025年3月18日火曜日
過ぎゆく日々(1)
過ぎゆく日々に圧倒されています。書くことが大好きで、趣味の一つとしてブログを書き続けてきた私ですが、最近筆が止まっています。書きたいことはたくさんあるのですが、なかなか筆が進みません。欲ばらないで、短いブログでも書こうと思います。ずいぶん御無沙汰してしまって、読者のみなさんは、がっかりされていると思います。ブログを休んでいる中で、私の一番の関心ごとは、終活でした。後期高齢者となった私の最後の大きな仕事は、終活です。自分の人生の幕引きはどのようにするべきか、大きな問題です。このテーマについて、いろいろ書いていこうと思います。