ラベル 終活 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 終活 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年3月22日土曜日

過ぎゆく日々(5)蔵

 

 現代では珍しくなった蔵というものが、実家にありました。長い歴史のなかで、人の生業に関わるすべてのものが、収納されていました。子どもの誕生を祝う品々、男の子だったら端午の節句、女の子だったら桃の節句、オーバーに聞こえるかもしれませんが、本当に何から何まで、大切にしまわれてきたのです。私が子どものころは、教科書も大切に保存されていました。江戸時代から代々引き継がれてきた食器や、お膳、お正月用品、季節の物々、座布団の数も半端ではありません。たんすに長持、冠婚葬祭、祝言も葬儀も家で行われました。そんな古い家で育った私は、何もかもが大切で、捨てるということができなくなっていたのかもしれません。置いておける場所があるのなら、今しばらく置いておこうという気持ちになっていました。そしてそうこうしているうちに、後期高齢者となり、断捨離に追われる日々となりました。

2025年3月20日木曜日

過ぎゆく日々(3)

 先日は面白い発見がありました。転勤族の私は、故郷三重を離れ、奈良、奈良で二か所、東京、名古屋近郊、故郷三重、京都、大阪、岡山倉敷などを移動しました。あちこちで生活するのは面白いことです。その土地々の個性があります。言葉にも違いがあります。方言は独特です。どういうわけか、新しいレジ袋がたくさん詰められた箱が出てきました。中には、その土地々で馴染みとなったスーパーのレジ袋です。スーパーの名前が思い出されます。そして当時の映像が走馬灯のように流れます。幼い子どもたちの姿、若いパパとママの私たち。すべてが私たち家族の歴史です。瞼が熱くなります。その土地々で出会った人たち。すべてに感謝です。

 

2025年3月19日水曜日

過ぎゆく日々(2)

 何年か前から、終活がブームとなりました。自治体でも、エンディングノートを希望する市民に配布しています。書き記すことは、たくさんあります。無駄な延命治療の拒否、お墓のこと、自分の残した物々の処置、考えれば考えるほど、無限のように思われます。後期高齢者の私の人生、長い長い道のりです。たまりにたまった物たち、たくさんの服、もちろん役にたたない服はさよならしてきました。たくさんの和服、これらは、母の愛情だと思ってずっと持ち続けてきました。思い出の数々、二人の子どもの成長の記録は、たくさんのアルバムとなりました。終活するということは、すべてが思い出となり、私の歴史です。そして原点に戻っていくのです。

2025年3月18日火曜日

過ぎゆく日々(1)

   過ぎゆく日々に圧倒されています。書くことが大好きで、趣味の一つとしてブログを書き続けてきた私ですが、最近筆が止まっています。書きたいことはたくさんあるのですが、なかなか筆が進みません。欲ばらないで、短いブログでも書こうと思います。ずいぶん御無沙汰してしまって、読者のみなさんは、がっかりされていると思います。ブログを休んでいる中で、私の一番の関心ごとは、終活でした。後期高齢者となった私の最後の大きな仕事は、終活です。自分の人生の幕引きはどのようにするべきか、大きな問題です。このテーマについて、いろいろ書いていこうと思います。