旅の終わり三日目は、少し逆戻りとなりますが、台風のために予定を変更した生野銀山を目指します。
丹後から但馬へ戻りますがその途中にある出石城へ寄るルートをとりました。出石そばでも有名です。お城から遠くまで但馬の国が見下ろせます。但馬の国は、室町時代から山名一族の本拠地となり、出石は但馬の中心地として栄えました。一族の中でも、山名宗全は有名です。応仁の乱を引き起こし、西軍の大将となりました。出石城は時代とともに移り変わり、その城下町にはたくさんの見どころがあります。重要伝統的建造物も多くあります。私達は夏休みでにぎわっている商店街を少し歩き、有名な辰鼓楼を写真に撮りました。1871年(明治4年)に建設されたもので、今も時計台として時を刻み続けています。交通が不便なところですがなぜか外国の方も大勢来ておられます。見どころいっぱいの出石ですが、私達はつかの間の時間しかなく残念でした。
そして途中では先日立ち寄った竹田城の違う方向からの写真を撮りに行きます。観光ポスタ-になっている竹田城の美しい全景の写真を撮るために、反対側の高台まで上りました。雲海に浮かぶ竹田城ではありませんが、石垣が横に広がる全景の姿を撮れました。
次に今回の旅のクライマックス生野銀山を訪れました。私達家族はいろんな私的学会を作って楽しんでいます。土木学会、お城学会など、今回は産業遺産学会です。最近はテレビで日本各地の産業遺産を取り上げているので喜んでいます。生野銀山は807年に発見され、昭和48年に閉山しましたが、1200年の歴史があります。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350キロメ-トル以上、深さは880メ-トルの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種以上に及んでいるとのことです。整備された観光坑道を歩きました。中はずい分寒くて、夏とはいえジャンバ-をはおりました。いろんな工程を見せてくれています。人間の偉大さに深く感動しました。観光坑道を出てから、生野銀山文化ミュ-ジアムを見学しました。
その後、最近整備された旧生野銀山職員宿舎を見学したいと寄ったのですが、閉館ぎりぎりで「あ-残念」と思ったところ、年配の男性が「見学ですか、どうぞ」とおっしゃり、少しだけ見せてもらおうと入りました。ところが男性は丁寧に一時間もかけて説明してくださいました。旧職員宿舎は、明治・大正・昭和と建てられた時代の変遷をあらわしています。家具・調度品が置かれ、その時代の生活がよくわかります。ここには俳優志村喬氏が幼少時代を過ごした、明治9年に建てられた社宅が、志村喬記念館として再現されています。彼のお父さんが生野銀山の技師だったのです。職員宿舎の中でも、ここに復元されているのは、幹部の人達の住まいだったそうです。
志村喬氏は、黒澤明監督の映画に数多く出演され「生きる」「七人の侍」は、映画史上の名作です。昭和57年に死去されていますが、私は何本かは観ています。ここへ来るまで、生野銀山と志村喬氏との関わりは知りませんでした。閉館時間を大幅に過ぎ、アメまで頂き、男性のあまりの親切に私達は恐縮し、美しい夕日を背にして帰途につきました。